Ⅴ・風が流れる(4)
* * *
「なぁ、ひとつ訊いてもいいか?」
暖かな光の風が吹く大神殿の屋上。イシュヴァに光と温もりを満たす風に目を細めつつ、リオンはタオへと顔を向けた。
豊かな漆黒の髪を風に靡かせる魔族は、なんだ、と問う。
「ん…、お前はどうやってイシュヴァに来たんだよ? あの扉、実は閉じてはいなかったのか? 向こう側からだと絶対に開かないのに。こっち側からだって、大天使でしか開けられな――…ん?」
自分が言った言葉の中に、更なる疑問が浮かび上がった。
テリョウはどうやってあの扉を開けたのだろう? そういえばあの夜…、ただ扉の様子を見に行くだけだというのに、タオは帰っては来なかった。一体何をしていたのだろう?
次々と浮かぶ疑問を視線に乗せて無言で問うと…、漆黒の魔族はどこか楽しげに目を伏せて、風の心地良さを味わいながら口を開く。
「あんなもの、簡単に開いたぞ」
「あ…開いた〜ぁッ!?」
大天使である自分が、向こう側で押しても引いても微動だにしなかった、あの扉が…?
唖然として見やると、彼はますます楽しげに口元をほころばせていく。
「あの夜は――そう、扉を開けて少しイシュヴァを見聞してな。さてそろそろ帰るかな、と思うておったら、あの天使がどさくさに紛れて転がり込んだ」
あまりにもあっけらかんと言われ――…リオンは、スッ…、と真顔となる。
「…。タオ…、お前は、一体…?」
明らかに他の魔族とは異なる彼。どこまでも傲慢で気高く孤高たる気質。その存在は、対峙した全ての相手を魅了し惑わし畏怖させて――…。
『君は――…この世界の上に位置する者なのか?』
『だとしたら?』
「……まさか…、本当に?」
浮かんだ可能性。ハッとタオを見る。
その反応に、孤高の魔族は僅かに目を見開き――…しかし、すぐに平静を取り戻すと、リオンと静かに向き直る。
そうして向けたのは――…大天使長と向き合った際に放った、王者の目。
「――――余が怖いか?」
目を微かに細め、不敵なのにどこか痛々しさを感じさせる笑み。
リオンはその目をまっすぐと捉え――…、そして、馬鹿を言うな、と笑った。
「なんで俺が、お前を怖がらなくちゃならないんだよ。お前が言った中でも最低の冗談だな。馬鹿馬鹿しい。
…そうだろ、親友?」
変わらぬ笑みを返されて破顔し――…、そして、タオもまた変わらぬ笑みを浮かべた。
「…ばーか、ただ言ってみただけだ。変に気遣うんじゃねぇよ、慈悲の塊め」
「あ、そうか。俺らが瘴気に弱いみたいに、慈悲はお前には毒なんだな? なるほどなぁ…、弱点発見」
「馬鹿めが、私は貴様らとは違って造りがしっかりしておるわ。――…ったく…」
複雑な、しかしとても愉快な気分で、二人はしばし笑い合った。
――…長い長い治世を維持してきたあの男は、老いによる衰えと死を人知れず恐れていた。その最中に自分は産まれたらしい。途方もないチカラを持つ息子の生誕に男は、いずれこの息子が自分を弑するのでは、と恐怖を抱いたようだ。
男は産まれて数刻もしないうちに、息子を城の地下深くにある暗闇の石室に封じた。そして他者の介入も外部の刺激も皆無という、ただ存在するだけの状態に置いた。
自分があの暗闇に何年在たのか、それは未だにわからない。わかっているのは、あの頃の自分は自分という存在すら理解していない“モノ”だった、という事だけだ。
そんな自分を、王の逆臣達が暗闇から引き出した。そして彼らは空っぽの状態である自分に、知恵と知識と感情を与えた。それらに関しては感謝さえしている。
――そして。自分はあの男を弑し、玉座についた。
自分を玉座に推した連中や周囲の家臣達は、当然だが邪な願望と野心に充ちていた。しかし、それは許せた。同じ魔族として、それは魔族の性だと理解できたから。せいぜい悪知恵を練る事だ、と微笑ましくさえ感じていたものだ。
だが…、自分が真に持つチカラの強大さに気付くと、それまで裏でも表でも悪事を働いていた野心家どもさえ震え上がった。そしてある者は去り、ある者は自棄で挑んできた。それが繰り返される中で、ようやく自分も悟った。――自分は、偽りの中でしか他者と関わる事が許されない存在なのだ、と。
あまりにも強大でおぞましい程に恐ろしい存在――…そう、魔の世界における魔族の常識の中でさえ、自分は異質な存在だった。異質ゆえにあの男は恐怖して自分を暗闇の檻に入れたのだし、そして、異質ゆえに王という聞こえの良い差別を受けていた。
魔の性ではなく、最初から誰も真剣に自分を相手にする気など毛頭なかった――、ただそれだけだったのだ…。
――そう理解した瞬間、何もかもがどうでもよくなった。
幸いな事に、自分自身は自らの地位や莫大な資産に興味など微塵もなく、それらを棄てる事に躊躇はなかった。政もあってないようなものだ、自分が実際には玉座におらずとも、世界は勝手に進むだろう…。
創世の時代より歴代の王が君臨してきたあの広大な城に業火の炎を放ち、関係者の全てを容赦なく屠った。同時に、バハールドート全体に大規模な災害と飢饉を起こし、自分と面識がない者にも子々孫々と継がれる程の恐怖を、その魂に深く刻み込ませたのだ。
「――そうする事で、私は私に近寄る者を消した」
淡々と語る友の横顔は、どこか悲しげに見えた。リオンは胸の痛みに顔を歪ませる。
確かに…、他者がタオに近寄らないようにすれば、不必要な恐怖を抱かせる事も、それに伴うタオ自身の苦痛と苦悩も回避が出来るだろう。
だが、それでは、タオは――…。
暗い表情で押し黙ると、タオがリオンの髪をくしゃりと掻き乱した。突然の出来事にギョッとして見ると、タオは何とも表現し難い顔をしていた。
「――…貴様は私にとって貴重な存在だ。臆せず私に近寄り、殺気を込めた私の抗議すら無視が出来る。こんな馬鹿は、そうはおらんからな。
あのような形で縁を切るなど…、私は耐えられなかった」
「や、やめろよ。タオらしくない」
謝るのは俺の方だ、と続けようとするリオンを、タオはそれを可笑しそうに笑って制止した。
「あぁそうだな、やめよう。真に謝るべきはどちらなのかと、またくだらぬ押し問答が延々と始まる」
――…リオンは破顔し、確かにそうだ、と笑った。




