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Ⅰ・白き夢(1)

 無の空間に存在する白き大扉。リオンは自分がその前に立っている事に気が付いた。

 何故、という当然の疑問が浮かぶ前に懐かしさを感じた自分に気が付き、自嘲する。それでも扉に歩み寄ったのは、やはり懐かしさからだろうか。

 一枚の白き石で創られた装飾のない扉だ。この闇の空間においても白い光沢を放っている。表面はツルリとしており、手を掛けられる箇所はない。扉を開く事が出来るのは《向こう》からだけ。そして扉を開ける資格があるのは、今や《向こう》にいる彼だけだ。

 哀愁と切なさと言葉では言い表せない複雑な感情が駆けた。自嘲を浮かべつつ扉の表面を撫で、ため息をついて扉を見上げる。見上げても上部を見る事ができないほど巨大な扉。幼い頃はこの扉を見る度に、この大きさを不思議に思っていたっけ…。

 こんな事を思い出したのは、やはり懐かしさからだろうか。

 ――…無駄な…感情だ。

 ふっきるかのように頭を振り、リオンは扉に背を向けて歩き始める。

 それにしても、何故自分は此処にいるのだろう…。今更思い至った疑問に苦笑しつつ、自分は“これ”の前は何をしていたのかを思い出そうと記憶をたぐり寄せて――…。


 ――…ギギ…ィ…、と。

 錆び付いた蝶番が軋む音が響いた。


「…え…?」

 背中に冷たい汗が伝ったのは、原因のわからない緊張と恐怖からだった。

 信じられない思いでゆっくりと振り返り――…凍りつく。


 扉が、開いている…。


 ほんの僅かではあるが、確かに扉が開かれている。さっきまで微塵の隙間もなく閉ざされていた、この、扉が…。

 緊張と恐怖から微動だにできず、リオンは扉をただ見つめる。全身から血の気が引いていくのを感じながら、有り得ない、とだけ思う。

 扉は僅かな隙間を作るだけ開いたまま、これ以上開く気配も閉じる気配もない。

 ここは無の空間。音もなければ、他に動く影もない。周囲にはリオンが繰り返す息遣いだけが響いている。

 …冷や汗が頬を伝った。扉から視線を外す事ができない。瞬く事も許されず、その僅かに開かれた隙間へと視線が吸い込まれてしまう。

 本当にごく僅かな隙間だ。人の体が通れるまでのスペースはない。だから、この隙間を通って誰かが現れるはずなどない…のだが……。

 それでも、何か…予感がした。


 ――…何かが来る…、と。



「……っ!」

 声にならない叫びと共に、リオンは飛び起きた。

 見開いた目が無造作に組まれた自身の足と、その上で堅く拳を握る自身の両手を捉え…、肩で荒い息を繰り返し――…。しばらくして、ようやく我に返る。

「な…、ゆめ…か?」

 漏れた声は掠れていた。何度か瞬いた後、肺を空にするような大きく深い息を吐き出す。

 呆然としたまま視線を上げる。陽光を室内へと惜しみなく取り込んでいる大きな窓。手入れが行き届いた緑の美しい中庭。古い石造りの室内にも見覚えがある。…当然だ。今の自分の住処なのだから。

 気分を落ち着かせようと呼吸を整え、眠る前の記憶を辿る。

「風邪が悪化して…、それで薬草を採りに出掛けて――…って、寒っ!」

 窓から吹き込んだ風が、汗をかいた体に寒気を与えた。飛び起きた反動で払い退けていた布団を慌てて被る。

 布団に体を馴染ませつつ、静かだなぁ…、と思う。

窓から森の小鳥達のさえずりと、中庭の噴水の水音が聞こえる他は何も聞こえてこない。

 穏やかで平和な風が、ふわ…っ、と室内を駆けていく…。

 ――…ドアが開く音が聞こえたのは、再び心地良い眠気を感じ始めた頃だった。

 布団から顔を出すと、すっかり見慣れた友の姿。リオンと目が合うと、その顔が嬉しそうにほころんだ。

「おっ? やーっと起きやがったか」

 心なしか弾んだ声音の青年は、近くにあった適当な椅子をリオンの傍まで引きずってくると、背もたれを前にしてドカッと座った。

 見た目は二十代半ば程。癖のある黒い短髪を掻き、背もたれに腕を組んでニヤニヤと笑っている。

「しっかしまぁ、よっっっく寝ていやがったなぁ。呪いをシカトして死んだかと思ったぜ」

「…人を勝手に殺すなよ」

「それだけよく寝てたって事さ。俺が山の薬草畑でお前を拾って半年、もう初秋だ。気分は?」

「…そんなに悪くはない」

「そりゃ結構。声が掠れてるぞ。ジジイみてぇ」

「そう思ったなら、水を寄越せよな」

「はいはいはい」

 睨むリオンを適当にあしらいつつ、青年はコップに水差しの水を注いで差し出してきた。天邪鬼な彼にしては素直な対応だ。珍しい事もあるもんだ、と思いつつ、リオンはベッドに肘を付いて水を口に含む。

 久々に飲んだ水は冷たく、それでもすぐに口の中で馴染み、喉をすんなりと通っていった。

「…水って美味いもんなんだなぁって、今思った」

 コップを返しつつしみじみ呟くと、さすがに天使は言う事が違うな、とケラケラと笑われる。

「その美味い水を飲ませた俺のありがたみがわかったか? 敬え」

「却下」

「ああ? せっかく飯も持ってきてやろうと思ってやったのにな」

「思ったなら寄越せよ、飯」

「それが人に物を頼む態度か?」

「なら、いらん」

 ばふ…っ、と布団を被ったリオンに、青年はまた楽しそうに笑った。しゃーねぇなぁ…、とぼやきつつドアへと向かっていく足音。

「タオ」

 呼び止めると、タオは気だるげに振り返る。

「なんだよ?」

「箪笥から着替えを出してくれよ。汗で風邪がぶり返す」

「そんなモン、自分で出しやがれ」

 うんざり顔のタオに、リオンはわざとらしく満面の笑みで言ってやった。

「頼むよ親友」

「うわっ、親友って言ったッ! リオンが! 俺を! 親友ってッ! 気持ち悪りぃぃぃぃぃッ!!」

 叩き壊す勢いでドアを閉めて走り去るタオ。振動でドア付近の額縁が若干ずれた。廊下でも何やら叫んでいるのか、意味不明な喚きが微かに聞こえる。

 結局着替えを出してはくれなかった友に舌打ちし、仕方なくリオンは布団から這い出した。久々に体を起こしたためか目眩を感じ、ゆっくりとベッドから降りていく。

 着替えと洗顔を終えてソファで一息ついていると、廊下から複数の足音が聞こえてきた。しかも人が歩く規則的な足音ではなく、跳ねているかのような足音だ。

 バタンッ、と乱暴に開かれるドア。現れたタオの左足が僅かに浮いているので、いつものように蹴り開けたに違いない。壊したら六回目だぞ、というリオンの抗議などお構いなしだ。当然のようにズカズカと部屋に入ってくる。

 その足元付近に見えるのは、モコモコと動く毛皮達。それら全てに――長い耳がある。

「よし貴様ら、とっとと働け」

 後ろ足で飛び跳ねて移動する奇妙な兎達は、主人の素っ気ない命令に早速行動を開始する。

 …とはいえ、その効率はとても悪い。シーツ交換に挑んだ三羽の兎は布団に絡まり動けなくなっているし、給仕の兎は慎重のあまりにプルプルと震えながらお茶を淹れている。

 兎達の実力を最大限にしての行動なので、決して文句などは言えないのだが…。

「…」

 リオンは無言で視線をタオに移す。健気な兎達には全く目もくれず、向かいのソファで本を広げている。

 タオの傍らにも一羽の兎がおり、お茶が入ったタオのカップを頭に乗せたままじっとしている。どうやらカップ持ち専用の兎らしい。

「…シーツ換えるだけでいいよ。また寝るし」

 リオンが呆れるのも無理はない。増援に来た二羽の兎がベッド班に参戦したが、短い手足と寸胴な体躯ではスムーズに動けず、他の三羽と一緒にもがいているのだ。だが仕事の責任は感じているらしく、リオンの助け船に全員が首を横に振っている。

「…なぁタオ。可哀想だとか、効率が悪いとか、お前は思わないのか?」

「言っている意味がわからん」

「…お前なぁ…」

 呆れてため息をつくリオンに、給仕役の兎が可愛らしく首を傾げて手拭きを差し出してきた。礼を述べてからそれを受け取る。

「ベッドのあれを見て、手伝おうかな、とは思わないのか?」

「ああ? この俺が、小間使共の雑用を? 何故?」

「…なら、考えの方向を変えてやる。

 あんな風にされると埃が立って嫌だなぁ、とは思わないのか? 俺は魔族のお前と違って繊細なんだよ。この十年でわかっただろ?」

「へ? 俺はてっきり、貴様は潔癖症かと」

「お前が鈍過ぎなんだよッ! 俺は忘れてないからなッ。十年前のこの館の惨状をッ!」

「ねぐらなんざ、単に寝起きができりゃあ足りる」

「ねぐらって表現はやめろよ。…そりゃ、巣って言われるよりはマシだけどさ」

「わかってるじゃねぇか」

「だから、わかってないのはお前――」

 思わずソファから腰を浮かしたリオンの耳に、ピュゥ~…、という切ない鳴き声が聞こえた。見ると、給仕の兎達が泣きそうな瞳でリオンを見つめている。その前にはホカホカと湯気が立つ卵粥。

 どうやら、このままでは粥が冷めてしまうと心配しているらしい。

「…。ごめんごめん、ラピちゃん。うっかりタオの挑発に乗っちまった。今食うから、な?」

 一羽ずつよしよしと頭を撫でると、ラピちゃん達は嬉しそうに鳴いて給仕を再開した。タオの、俺は挑発してねぇぞ、という抗議は、食事に集中するために無視する。ふんわりと優しい味が口に広がり、幸せな気分になる。

 リオンが粥を食べ終えると、ラピちゃん達は当然のように後片付けを始めた。健気なものだ。

「で、俺は半年も寝てたのか? っつーかお前、薬草畑で俺を拾った、とか言わなかったか? 重要な部分を聞いてないぞ」

 食後のお茶を啜りつつタオを見ると、タオは視線を本へと落としたまま、ああ、と気のない声を出す。

「貴様が薬草採りに行ったまま帰って来ねぇから見に行ったら、ぶっ倒れていやがったんだよ。体がザックリ裂けた状態で」

 大した事ではないように放たれたタオの言葉に、リオンはちょうど飲み込もうとしていた茶を喉に詰まらせた。

「…ッ! はいッ!?」

「で、俺ってば治癒魔法が苦手だろ? だから適当な時点まで治して、後は貴様自身の自然治癒力に任せていたんだな。そしたら貴様、ぶっ通しで半年も眠りや――」

「だから、ザックリって何だよ!?」

 だ~か~らぁ…、とカップを手に取りながら気だるげに息を吐くタオ。カップに代わって頭に分厚い本を乗せられたラピちゃんは、哀れにも本の重みで潰されてもがいている。

「ザックリはザックリだ。体のほとんどが裂けていたんだ。何に襲われたんだよ? 魔族? 魔物? 俺の玩具に手を出した馬鹿はシメなきゃな」

 再度サラリと凄まじい事実を告げられ、リオンは完全に動きを止める。

「…体が、裂けてた? 何が遭ったか、全然覚えてない…」

「こう…肩からここまでをザックリと。いや、バックリと、かな? ま、お前でなきゃ完全に死んでいたな」

 タオは自分の左肩から右太股までを指で示すと、無邪気な子供のようにケラケラと笑う。

「俺が拾わなきゃ、貴様は雑魚の腹ん中だったな。実際、お前をご馳走と勘違いした下級の魔物共が群がっていやがったしなぁ」

「…う…、嫌な想像をさせるなよ」

 リオンは本気で睨んだのだが、タオはそれさえも楽しいのか残酷に笑っている。

「お前を運ぶのは本ッ当に疲れたなぁ。俺にしては、か~なり丁重に運んでやったんだぜ? 薄皮一枚で繋がっていたようなモンだったからな。千切れて落としたら、後々貴様に文句を言われると思って。

 ほれほれ、俺に感謝しろよ。敬え」

「…。はいはい、ありがとうございました~ぁ」

「気持ちがこもってねぇーっ!」

 なんて可哀相な俺っ、などとほざきつつ、タオは部屋から退散しようとしていたモヒカン頭のラピちゃんを捕まえ、全力でムギュ~ッと抱き締める。ジタバタともがくラピちゃんは、強く締められて昇天寸前だ。

 相変わらずな魔族の友の言動に、リオンはやれやれと笑った。




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