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Ⅳ・帰郷(4)

     * * *


 リオンに抱えられたシロンが、静かに笑う。

「馬鹿だね…、何故戻ってきた?」

「だ…だって……」

 リオンは以前と変わらない笑顔の兄に心を痛め…――そして、シロンの状態に愕然とする。

 四肢は全て骨折し、あらぬ方向を向いている。無惨に裂かれた衣服、ザックリと裂けた腹、そこからのぞき見える骨や臓物。濃い血の臭い。

 ――…普通ならば、死んでいる…。

 言い表せないリオンの表情に、シロンが穏やかに微笑んだ。

「彼らがね、死なせてくれないんだよ…。そんな悲しい顔をするんじゃない」

「だ、だって…」

「お前に謝らなければ、とずっと思ってきた。不死の呪いが、これほどに恐ろしく、残酷だったなんて…。生きてさえいれば――時期が来ればまた会える…、そんな私の勝手なわがままで、お前にこんな呪いをかけてしまった…。この十年、辛い思いをしなかったか?」

 慈愛に満ちたシロンの言葉に、リオンは涙を堪えながら何度も何度も首を横に振る。こんな状態のシロンが、何という言葉を言うのだろう…。

「だが、すまない…。今の私には、お前の呪いを解く力が…」

「そんな事はどうでもいいッ! なぁ…、どうして、こんな…」

 声を詰まらせるリオンに、シロンがまた微笑んでみせる。どうしてシロンはこんなに穏やかな表情でいられるのだろう…。

「うん…。彼らがね、私を放してくれないんだ。――いいや、それは正しくないか…。私が彼らを放さないんだ」

「…あれは?」

 リオンはチラリと壇上に視線を向けた。

 シロンの代わりのように玉座に張り付き、こちらに強い視線を投げつけてくる存在――…。

「…《彼ら》も、イシュヴァの民だ。あれ、だなんて言っちゃいけない」

「イシュヴァの…?」

「うん…、《彼ら》はイシュヴァの犠牲者なんだ。

 ――…リオン、気持ちは嬉しいけれどね…。私には効かない」

 治癒のためにチカラを集めているリオンを、シロンがやんわりと制止した。それでも集中して兄にチカラを当てたリオンは、テリョウの時よりも更に感じない手応えにまた泣きそうになる。

 シロンは自分の兄だ。唯一の家族だ。そのシロンがこんな状態なのに、自分は…。

「そんな顔はしないで…。いいんだ。これは、私が望んだ事だから…」

「どういう…ことだ?」

 シロンは辛そうに目を伏せる。

「お前を追放したあの後に…、私はお前が言っていたあの者達の正体がわかった。お前が正しかったとちゃんとわかって…、お前の追放を破棄して、お前を帰したかった。

 それで私は、お前を捜そうと扉を開けたんだ」

 リオンは黙って頷き先を促す。

「でも、お前はいなくて…。扉を抜けて空間全体を捜したんだけど、見つからなくて…。

 ――…大天使長である私の『お前を帰したい』という焦りに似た感情が刺激となり、それで《彼ら》を起こしてしまったんだ…」

「! そうか…、犠牲者って…」


 ――イシュヴァに戻る事も、バハールドートへと出る事も叶わず、あの空間で孤独と苦痛の中で死を迎えた者達…。


「大天使長自らが追放者を迎えに来るだなんて《彼ら》は許せなかった。どんなに苦しみ助けを求めても、自分達は一切駄目だったのに、って…。

 私もあちら側からでは扉を開けられないないから、扉を開けっ放しにしてお前を捜していて…。その間に、《彼ら》の一部がイシュヴァへと戻ってきてしまった…」

 困惑顔のリオンに、シロンが自嘲する。

「…当初《彼ら》は、ただ純粋にイシュヴァに帰りたかっただけだった。でも…、イシュヴァで生きる民達は、自分達の存在など全く知らずに、安穏と生きている。追放された者の行く末になど微塵の案じもなく、夢のように平和な世界で当然のように生きている。

 その様子を見て――…、苦痛極まりない死を迎え、死後もあの空間に閉じ込められたままだった《彼ら》は、どう思ったと思う…?」

「…」

「冤罪で追放されたある者は、懐かしさから生家へと向かった。自分の子や親兄弟は他界していたけれど、子孫はその家で生きていた。…でも、子孫達は自分の事を知らない。自分の先祖に冤罪で追放された者がいた事実すら知らずに、安穏と…。

 また、ある子供は、やはり自分の家に向かった。両親は老人となっていたが健在で、以前と同じあの大好きな優しい笑顔をしていた。でも…、そこには自分が知らない、自分の弟妹にあたる者達がいた。自分の甥や姪になる子供までいた。両親は弟妹達に自分の存在を教えずに、自分達の子供は弟妹だけとして暮らしていた。そこで初めて、両親は自分を疎んで捨てたのだと悟った…。

 ――…言葉では決して表せない強い悲しみが《彼ら》を支配していく。そして、純粋に故郷を思う狂おしい懐かしさは、いつしか激しい憎悪へと変わった…」


 リオンは思い出す。ここに来るまでに訪れた街や村で見た光景を。墨を塗って切り裂かれた肖像画を何枚も見た。その存在を否定するように、幼子が描いた画も衣類までも裂かれた家もあった。

 ――…あれは《彼ら》の…悲鳴……。


「私は《彼ら》を冥府へと導こうとした。…でも、《彼ら》の怒りや悲しみは大きく、容易に慰められるものではない…。

 一番最初に戻った《彼ら》は、かの地に残された者達も戻すために、私やお前でしか開けられないあの扉を執念で開け放った。そうして残りの者達にも、自分の立場と現実と現状を悟らせ、そして復讐のために固まって…」

「…あの夢…」


 帰りたいと懇願する白い影達。僅かに開く扉。白い手が招き、影達は歓喜に震えながら扉へと消えて…。


 シロンは気遣うような視線をリオンに向けた。

「…《彼ら》はお前も誘ったんだよ?」

「え?」

「膨れ上がっていく憎悪と穢れを私は食い止めようとして…、それに《彼ら》は抵抗して更なる味方を求めた。

 自分達同様に追放された者――…お前をね」

 困惑するリオンに、シロンは静かに語り続ける。

「でも、お前はバハールドートで充実して暮らしていたろう? …あぁ、そんな顔はしないで。私はそれを知った時に、本当に安堵したかのだから。

 けれど…《彼ら》は面白くない。大天使長自らが迎えに出向き、ましてや追放先で幸せに生きている…。《彼ら》にはお前が裏切り者と思えたようだ。

 それで《彼ら》は、強引に、お前を仲間にしようとした」

「よ、よくわからない…」

 酷く痛むだろうに、シロンが困惑する弟の頬をそっと撫でる。

「私がお前に施した不死の呪いの存在を知らず、《彼ら》はお前を殺そうとしたんだ。

 一年程前に、正体のわからない何かに襲われて大怪我をしなかったかい?」

「…あァッ!!」


 約一年前、自分は風邪に効く薬草を採りに出掛けた。その後、捜しにきたタオが倒れている自分を連れ帰り、自分はそのまま半年もの間眠っていた。――…そうだ。薬草畑で見つけたリオンの体は見事に裂けていた、とタオは話していた。

 未だにあの時に何が遭ったのかは思い出せていないが…、この《彼ら》はどのような手段で自分を裂いたのだろう…。考えたくもない。


 表情を強ばらせて黙り込むリオン。恐怖から無意識にリオンが握り締めた拳に、気遣うようにシロンがそっと手を置いた。

「その後も《彼ら》は、幾度となく、別の手段でお前を仲間にしようと試みた。だけど、その度に失敗して…」

「別の、手段…」


 あの後から起きた異変――…あの夢だ。

 夢はじりじりとリオンに恐怖を植え付け、最終的には強引にイシュヴァへと引きずり込もうとした。

 夢の恐怖をタオが緩和させてくれなければ…、強引に引きずり込まれそうになった自分をタオが引き戻してくれなければ――…。自分もまた、あの壇上で蠢く塊の中に在たのかもしれない…。


 弟の頬を撫で、シロンがそっと目を伏せる。

「最初にお前を仲間にしようとして失敗した時に…、逆上したかのように、恐ろしい破壊と殺戮が始まった…。

 私のチカラなど効果がなかった。《彼ら》の憎悪は多くの民を死なせ、穢れを生んだ。

 永遠に続くような殺戮と破壊――。このままでは、天使はおろか、イシュヴァは完全に滅んでしまうと思った…」

 だからね…、と。

 シロンが少し苦く自嘲した。

「――…私は《彼ら》に提案したんだ。民を無駄に殺すより、大天使長の私を嬲らないか、って。その方が気分がいいだろう? って」

「…!?」

 リオンは唖然としたが、シロンはとても静かな表情で続ける。

「だから、ね? 《彼ら》はこうして私に憎悪をぶつける事で、民には手を出さないでいてくれているんだよ…。

 この世界の民は、もはや死に絶えたも同然だ。でもね…、本当に僅かだけれども、残っているんだ。間違いなく、生きているんだよ…。

 民が一人でも生きている限り、私は民を守りたい。それが、大天使長である私の勤めだから…」

「な――…馬鹿野郎ッ!! こんな行いが大天使長の勤めのはずがないッ! 兄貴、頼むからやめてくれよ…ッ!」

「リオン、それは出来ない」

「何でだよ!? こんな馬鹿げた兄貴の犠牲で民が生き延びたとしても、そんなの駄目だッ!」

「いいんだよ、リオン…」

 シロンは何故こんなに穏やかな微笑みを浮かべられるのだろう…。

 どうすればこの兄の考えを改めさせる事が出来るのかを必死で考えていたリオンは――次の言葉に耳を疑う。

「リオン、お前はバハールドートに戻るんだ。このままイシュヴァにいては駄目だ」

「な…ッ!? そ、それこそ駄目だッ! 俺は兄貴を助けたい…ッ」

「お前の意見は聞いていない。

 ――これは、大天使長が再度命じる追放命令だ。即刻、イシュヴァを去りなさい」

 厳しく言い――…シロンはまた兄としての優しい顔をする。

「…命令だ、従えるね? 私はお前を巻き込みたくない…、いいね?」

「よくない! 追放だろうが何だろうが、そんなもん知るかよッ!!」

「リオン…。頼むから、私の気持ちもわかって…」

「わかんねぇよッ!!」

 リオンは声の限りに叫ぶ。

「兄貴の犠牲で取り戻した平和なんかに、何の意味がある!? 俺は絶対に認めねぇッ!」

「…《彼ら》の犠牲の影であった今までの平和こそ、偽りの平和だ」

 シロンは辛そうに呟いて壇上で蠢くモノ達に慈愛の眼差しを向け…、そして弟を見つめる。

「私は、もういいんだ。――…いいね?」

「シ…シロン……?」

 優しく微笑んで目を伏せる大天使長。…リオンの胸の中で、言い知れぬ不安が膨らんでいく。

「私は――…いいや、私だけじゃない。歴代の大天使長達は、これまで民を甘やかし過ぎてきたんだと思う。自分の足で立とうとする赤子が心配で、自分の足で立ち上がる事をやめさせてきた――…そう思うんだ。

 求めれば求めるだけ与えられるから、民はその安寧に慣れてしまった。慣れて、同然だと思ってしまった。その結果が――…」

 シロンは一度言葉を止め、壇上に眼差しを向ける。

「…今になって手を放しても、民には自分の足で立ち上がる方法がわからないかもしれない。…でもね、リオン。それでも生きようとするのが、生命の素晴らしさなんだと私は思う」

「…」

「でも、せめて民が自分で立ち上がる事が出来るように――私はその環境だけは整えないとね。ぐらつかない手すりを用意して、頼りない足元に危険がないようにして…。それだけはやらなければならない義務だと思うから…、だから――…」

 壇上の《彼ら》を見つめ――…、シロンはどこまでも穏やかな声音でこう続けた。

「だから…《彼ら》の想いを充分に受け止めて、《彼ら》が落ち着いた暁には――…私は《彼ら》と共に冥府へ逝き《彼ら》を導かなければならない…」



 リオンの思考が止まった。


 ――…兄は、今、何と言った…?


「あ……あ…あにき……?」

「《彼ら》も私が守るべき民だ。導く義務がある」

「な…ッ、馬鹿かお前はッ!」

「傷を負った子供の手当てをするのも、出口のない怒りの吐け口になる事も、親としての大事な役割だ。

 私は《彼ら》を冥府に誘う。そうすれば《彼ら》も救われる。《彼ら》の脅威が去れば、生き残った民達もまた生きていける」

「な…にをマジで言っていやがるんだよ、この馬鹿兄貴ッ!!」

 痛々しい兄を抱える手に思わず力が入る。

「ふざけんなッ! 俺は絶対に認めねぇッ!! てめぇがこんな馬鹿な真似しやがって死ぬなんて、俺は絶対に認めねぇッ!」

「リオン…」

「俺は…俺は絶対に認めねぇからなッ!」

「――…リオン、待って」

 兄の制止を無視したリオンは、自力では動けないシロンを床に下ろし――…壇上を睨みつけた。

「俺は認めねぇ! 絶対に認めねぇッ!!

 ――…そう…そうだよ…、そもそもは俺が原因なんだ。俺が馬鹿やって追放されちまったから、だから兄貴が俺を捜しにあの空間に行って…それで――…それであんたらを起こしちまった! そうだよ、全部俺が悪いんだ!

 兄貴は関係ないッ! 大天使長なんてのは、所詮は慈悲の塊の大天使サマだ。どんな悪人だろうが、何だろうが、助けようとすんのは当たり前だッ。でもな――!」

「リオン…」

 シロンの掠れた声など、もはやリオンには届いていない。

 刺すような視線を向けるモノ達に臆せず睨み返し、ズカズカと階段に歩み寄るリオン。そして自分の胸をグッと指し、喚いた。

「あんたら、俺が憎いんだろ!? 自分達と同じく追放されたくせに、大天使長が御自ら迎えに行き、ましてや追放先で俺はとっくに不自由も苦痛もなく平穏に生きていて――…、俺はあんたらの裏切り者なんだろッ!?」

「リオン、おやめ…!」

「兄貴に八つ当たりしやがるのは間違いだッ! やるなら俺をやれッ!! ほら、どうした!? 俺が憎いんだろ!?」

「リオン、やめなさい…!!」

「この慈悲深い大天使長なんざ、どうでもいいだろッ!? ほらほら、どうした!? 憎いんだろ、俺が――!!」

「リオン、やめ――…ッ!!」


 刹那――。

 黒い塊から瞬時に伸びた触手のようなモノがリオンを絡め取り、一瞬で壇上の塊へと引き込んだ!


「だ…だめだ駄目だ駄目だダメだだめだぁァァァー…ッ!

 リオンは関係ない! その子は関係ないんだッ!! その子もイシュヴァの犠牲者なんだッ!! やめてくれええぇぇぇェェーーーー…ッ!」


 シロンの悲鳴をかき消す程の――皮膚が裂ける音、肉が潰れる音、血飛沫が上がる音、骨が砕かれる音、断末魔のごとき凄まじい絶叫…!



 ――…溢れた涙で歪むシロンの目に映る階段で、生暖かい血が這っていた…。



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