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Ⅳ・帰郷(1)

 扉をくぐった瞬間、引き裂かんとする瘴気の渦に巻き込まれた。吐気と嫌悪を堪えて必死に破邪の印を空に切り、翼を引き絞って一気に飛ぶ。そうして、無意識のうちに遥か上空へと昇った。

 ひたすらに天高く昇り――…。瘴気が薄まってきたので、おそるおそると目を開ける。眼下へと目を向けて…、愕然とした。

 大地の全てが暗く不気味な雲に覆われ、地面はおろか山さえも見えない。雲が穢れの塊である事は明白だ。

 ――…この中に天使が生きているとは、到底…。

 リオンは首を振る。絶望に沈むわけにはいかない。

 気合いを入れ直そうと深呼吸して、息苦しさに気が付く。想像以上の高さにまで昇っていたらしい。

 少しずつ高度を下げ…、穢れの雲とギリギリの場所で深く呼吸し、リオンは再び雲の中へと入る。

「…っ」

 霧と化した瘴気が体にまとわりつき、思うように前へ進まない…。穢れがじわじわと魔力と体力を奪っているのだが、そうとは気付かないリオンには、この穢れの霧が夢に見た手のように思えた。振り払おうとしても振り払えず、自分を絡めとろうとする手を…。

 翼の力が抜け、リオンは一度地面に降りた。体の倦怠感からしばらくその場に座り込む。

「…。よし、行ける」

 破邪の印を再度切って気合いを入れ直し顔を上げると、前方の丘に見覚えのある大木が見えた。あの丘の向こうには街があるはずだ。

 重い足を奮い立たせ、前へと進んだ。



 動く影も生活の気配も生き物の気配もない街。…これがあのケルの街か、とリオンは愕然とした。

 ここは染織物で有名な大きな街だった。多くの家と店が立ち並び、各地から美しい染織物を求めて多くの旅人がやってくる。それに併せて宿屋や土産物屋や娯楽施設も増え、ここはかなりの規模の街だった。

 ――…それが、こんな…。

 何があったのか…。通りに並ぶ全ての店の戸はこじ開けられ、窓は割られ、中は嵐に遭ったかのような惨状だ。金品狙いの犯罪ではない。形ある物は破壊され、肖像画は人物の顔を中心にズタズタに裂かれている。店の中だけではない。外壁も強い衝撃により壊され、看板は叩き落とされている。

 ――これらを行った者の目的は、破壊。破壊こそが目的なのだ、と見るだけで伝わってくる。

 異様なのはそれだけではない。血痕らしき茶色の染みが至る所に見られ、それらは意図的に付けられたかのように感じる。壁や床にインクをぶちまけたような血痕もあれば、手や足の形で天井にまで残されたそれもある。…不気味だ。

「誰かいないのか!?」

 静寂の街に響くリオンの声…。応える声もなければ、動く影もない。…この異様な雰囲気には、さすがに寒気を感じる。

 もしかしたら、家の中に隠れて生きている者がいるかもしれない。そう思い立ったリオンは多くの住宅が並ぶ地区へと向かい…、考えが甘かったと思い知らされた。

 家々も先程の商店同様に――否、それ以上に破壊し尽くされていた。何か大きなモノに圧し潰されたように落ちた屋根、竜巻が襲った後のように大部分を抉られた家…。何がどのように襲えばこのような状況になるというのだろう…、その見当が付かない事もまたこの不気味さを醸し出しす要因となっている。

 比較的原形をとどめている家が目に留まった。戸には何かがぶつかって強引に開けようとした痕跡が残されている。ひしゃげた戸を開け――無意味ながらも一応は断りの言葉を呟きながら、リオンは中へと入った。

 倒れた箪笥。絨毯ごと裂かれた床板…。床に転がっていた家族の肖像画を見つけ、拾った。両親と幼子二人が笑っている。とても幸せな光景だが、あの血痕が子供達の顔を塗り潰し、更にその体は刃物か何かで裂かれていた。

 居間と思われる部屋に入る。家具が木片となり、足の踏み場もない。出窓のカーテンに外側から付けられた、子供のものらしい小さな血の手形が残されていた。

 そういえば…、とリオンは子供部屋に向かう。先程も訪れたのだが、家中を見た上で考えると、この部屋が一番酷く荒らされている。

 壁に貼られた子供が描いた絵、家具に衣類…、その全てが粉々だ。中でも気になるのは、部屋中にべたべたと残された血の手形。その大きさからして、子供の手形だとわかるが…、この家の子供のものではないだろう。肖像画の子供達は、この手の主よりもっと大きかった。ならば――…一体何者が、どのような状況で、あの手形を残したのだろう…。

「誰かいないのか!?」

 外に出たリオンは、生存者を捜しながら何度も叫んだが…、返ってくるのは静寂だけ。息苦しさを感じる。

「……なんなんだよ…これ…」

 生存者が見つからないのは残念だが――…ならば、あるべきはずのモノがない。つまり、死体――イシュヴァの民の亡骸である白き砂が見当たらないのだ。それが不思議で、不気味で…。

 テリョウの御守を無意識に握り締め――…、ハッ、とした。

「そうだ! 神殿になら…」

 どの町や村にも必ず神殿がある。イシュヴァの中心にある大神殿、そこに在る大天使長に祈りを捧げるための、民の心の拠り所。そこに避難をしている者もいるかもしれない。

 ほんわかとして頭が花畑になっている天使達だが――…最後は結局シロンを頼るのだ。救いを求めて神殿に向かうのは、自然だろう。

 翼を広げて街を一望する高さにまで昇り、街を見下ろす。…改めてこの惨劇の状態を、まざまざと見せつけられた。綺麗な街並みは跡形もなく、街の中心にある広場には、赤茶色の液体が奇怪な図を描いている。

 バハールドートでは満月に血が騒いだ者が破壊行動をとる事がしばしあった。それで破壊された場所を目にする機会も何度かあったが…、それでもこのような奇怪な破壊は見た事がない。奇怪で、不可解で、不気味…。



 神殿には外見上破壊の気配はなく、リオンはどこかホッとしながら空から降り立った。地方の神殿とはいえ、その佇まいは自分が育った大神殿と雰囲気が似ている。

 少しだけ懐かしさを感じながら階段を上がって――…途中で足が止まった。

 風のない空気。淀むその中にどんよりと存在する、この…酷く濃い血と死臭はなんだ…?


 ――…嫌な予感がした。


 神殿の大扉の前に立てば、どんなに自分をごまかそうとしてもわかる。

 これは、中から…。

「…ぅ…」

 ――…見たくない。嫌な予感がする。

 でも…、でも…確かめなければ……。



 吐き気を堪え、リオンは一気に扉を開け放った――。



 ――――…見なければ、よかった…。

 街から離れた河原でうずくまり…。リオンは、ギュッ…、と目を瞑る。

 あの神殿の中には――…亡骸が、白き砂が、天井にまで積もっていた。

 本来ならば白いはずのそれらは、血によって赤茶けた色となっていた。むせ返る程に濃厚な血の臭いは、思い出すだけで吐きそうだ。…実際、リオンはあの場で嘔吐してしまった。

 高い天井に届くまで積もった砂――。あれはどう考えても、あの街の者達全ての亡骸だ。


 ――…何故…?


 街を破壊した何者かが律儀に亡骸を神殿に運んだ、というはずはない。イシュヴァの民は死と同時に砂と化す。生身の肉体ならば可能かもしれないが、砂粒一つ残さずに運び込むなど不可能だ。

 ならば、異常事態に街の全員が神殿に逃げ、その後に死を――?

 いや…、それも違う。あの神殿の大きさでは、街の者が全員入れるはずがない。どんなにギュウギュウに入ったとしても。

 それでも、あの中には間違いなく街の者全員の亡骸があった…。


 ――――生きたまま、無理矢理に神殿の中へ収納された。


 それしか、考えられない。

 街を襲った何者かは、街の全ての天使達を神殿に押し込み、閉じ込めた。たとえ折り重なる事があったとしても。

 …多くの圧死者が出ただろう…。半狂乱になった者も、自害した者もいただろう…。生き延びた者達は外に出る事が許されず…、そして、じっくりと時間を掛けて――…。

 …バハールドートの魔族でも、ここまで残酷な真似はしない。少なくとも、リオンはこんな異様な行為をする魔族を見た事がない。

 もし…、このような事が、イシュヴァ全体で起きているとしたら――…。どれほどの数の天使達が、どれほどの恐怖と絶望の中で死んでいったのだろう…。

「…ぅあぁ…っ」

 ――…ほんわかと、まるでぬるま湯のような世界。のほほんと悩みなどないように生き、頭がお花畑のような天使達。争いや争乱は過去の伝承にあるのみ、という日常。

 そう、ここは――…平和という言葉を具現化させたかのような、天国や楽園と呼ばれる世界…。

 そこが、こんな…。


 ――――…急に、怖くなった。


 ここはもう、自分が知るイシュヴァじゃない…。爽やかな風は淀んだ死臭に、大らかな天使達は無惨な亡骸になっている。

 イシュヴァに異変があった事も、多くの死者が出た事も覚悟していた。覚悟していたが…、まさか…まさか…こんな……。


『貴様に何が出来る? 何も出来ないだろう?』


 ――…だって…、こんなに酷い事になっているなんて…。

 どこまでも澄んでいた川の水は腐敗臭を放つ汚水となり、年中甘い香りを楽しませていた河原の花々は枯れ果て腐っている。ここにいる事も嫌になり、リオンは空へと戻った。


 …これから自分は、どうすればいいのだろう…。


 シロンがいるはずの大神殿に行こうと、何度も上空を旋回した。だが…、大神殿の方角からはとてつもない瘴気を感じ、そこへ向かう事が恐ろしい。

 それでは、駄目なのに…。



 小高い丘に存在する大扉。リオンはいつの間にか自分がその前に立っている事に気が付いた。

 気が付いて――…自嘲する。

 ――…そう。バハールドートに戻れば、自分は安全だ。自己保存の本能に従い、無意識にここへ戻ってきてしまった。

 扉は開かれたままだ…。あの彼はまだ、この《向こう》にいるのだろうか…。

「…」

 ――…戻るなど、出来ない。兄を助けたい、という想いは、紛れもない本心だから。

 大神殿に行こう。瘴気の少ない高度を行けば、大神殿の上空まで行けるかもしれない。そうすれば、後は降りて中に入るだけ。そうだ、そうしよう。

 怖じる心に言い聞かせていると――…錆びた蝶番が軋む音が響いた。リオンは慌てて扉を見る。


 扉が…閉まっていく……。


 バハールドート側へと押し開かれた扉が、音を立てて閉まっていく。…おそらく《向こう》にいる彼が閉めているのだろう。

 扉が完全に閉ざされて…、再び沈黙だけが支配する世界が訪れて――…急に、不安と寂しさが胸を満たしてきた。


『……私は行かぬぞ』

『構わない』


 ――…バハールドートから開く事が出来ない扉は閉じた。タオはここへは来ない。

 それをさせたのは…、この、自分…。


『リオン…お前どっか行かねぇよな? そんなの、俺は…嫌だからな』


 ――…あのタオが、あんな事を言った…。

 行かない、と応えた自分に、彼はまるで小さな子供のように照れて…喜んで……。

 それなのに…自分は……。


『…どこへも行かぬと言ったその口でそれを言うのか?』

『あの時とは…状況が変わった』


 ――…状況で覆す希薄な友情だったのか…?

 そんな事は、絶対に――。



『ここで私と貴様の縁は終わりだ』


『……。構わない』



「う…、うぐぁあああァァー…ッ!! 俺の馬鹿野郎! タオ…、タオ…ッ!!」

 何という言葉を言ってしまったのだろう…ッ!! とてつもない後悔と自己嫌悪がぐるぐると渦を巻き、てリオンの心を支配していく。絶望が希望を蝕んでいく――。


 ――…イシュヴァを覆う赤黒い穢れの渦が、一欠片の光も残さずに喰いつくそうとしていた…。




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