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Ⅲ・赫に近い黒の光(2)

     * * *


 無の空間に唯一存在する大扉。リオンは自分がその前に立っている事に――。

「…。もうこの夢は見ないもんだと油断してたな」

 四回目。もはや驚きもしない。

 だが…何故、今頃になって?

 自分は特に変わった事などしていないはずだ。風呂の後に自室で眠りについた…までは覚えているのだが。

「何なんだよ…」

 ぼやきつつ扉を仰ぎ見て――…眉をしかめる。


 扉が、赤黒くなっている…。


 これまでに夢で見た扉は白だった。実際に見に行った扉も、濁ってはいたが白だった。こんな色では…。

「気持ち悪りぃ色…」

 一瞬満月の赤い光を連想したが、これはあの比ではない。どす黒くて忌まわしい。

 動揺しつつも扉を観察するリオンは、込み上がってくる胃液を感じた。目にしただけで気分が悪くなる、あまりにも凄まじい不浄。

「…不浄?」

 天国や楽園や聖地と称されるイシュヴァに続く、この扉が…?

 見ているだけでこの様だ、近寄る事などとても出来ない。大天使は穢れに弱い体質が…などと言い訳する余地もない。血と死と怨恨が、深く暗く渦を巻き、瘴気を放っている。

 後退る事すら出来ず、リオンはその場で硬直していた。頭が混乱して、どうすればいいのかわからない…。


 誰かが隣を通った。


「え…?」

 気のせいではなかった。白い影がリオンの脇を通り、扉へと近寄っていく。

 ――それも、ひとつではない。

 風も光も存在しない空間。影はリオンの背後で次々と忽然と出現し、リオンの隣を通り、扉へと向かっていく。

 ぼんやりとしており、当初は男女も年齢もわからない程に曖昧であったが…、意識をして観察すると、それらは徐々に間違いなく人の形へと変化していく。長身の影、体格のいい影、女性のシルエットをした影、幼さを感じさせる子供の影もある…。

「…な…」

 やがては何百という数に膨れ上がった影達。扉の前にたどり着くと、それぞれが扉に張り付き始めた。

 全身を使い、他の影を踏み台にしてまで、我先にと争うように扉にすがりついている。この異様な光景と雰囲気は――…何とも形容しがたい。

 呆然と見つめるリオンの耳に――…声が聞こえ始めた。


  …あけて…

  かえりたいの…


 か細くて今にも消えそうな声…、しかしリオンには何故か鮮明に届く。必死なその声音達は…、とても哀しい思いをさせる。

 開けてくれ、お願いだから帰して、何でもするから助けて、という懇願。親を恋しがる幼子の悲鳴。嗚咽。苦しみを訴える掠れた声。悲痛なそれらは徐々に膨れ上がり、やがては空間全体でうねるように響き渡っていく。リオンは思わず耳を塞ぐ。――…聞きたくない。

 聞きたくない。こんな、心を抉るような悲痛な悲鳴は――…イシュヴァの民のこんな叫びは…。

「…イシュヴァの、民…?」

 自分の心に自然と浮かんだ言葉を、呆然と己に問い返す。

 何故そう思ったのか、リオンにもわからない。…だが、わかるのだ。この影は、彼らは、自分と同じイシュヴァの民だと。

「どうして…」

 何があったのだろう。何が起こっているのだろう。何故イシュヴァの民が、このような姿で、この空間で、このような悲鳴の叫びをあげているのだろう。


  いや… もういや…

  おねがい… たすけて…

  くるしいよ…


「…ぅあ…っ」

 ――…リオンの目から涙があふれる。

 同胞達の悲鳴を聞いたためか。その悲鳴に共鳴したのか。不思議で胸を締め付ける痛みが、苦しみが――…。

「や…だ…、いやだ…」

 その場にしゃがみ込み、震える自分を強く強く抱き締める。


  あけて… かえりたいよ…

  たすけて…

  わたしは ただ…


「いッ…嫌だいやだいやだああぁぁあアアーッ!!」

 聞きたくない聞きたくない聞きたくないききたくない――…もうやめてくれぇぇ…ッ!!

 絶叫してうずくまり震えるリオンは――…錆びた蝶番が軋むその音に気が付かなかった。

 周囲に満ちていた悲痛な叫びが、苦痛の気配が、フッ…、と消える。

 異変に気が付き、リオンはおそるおそる顔を上げる。


 白い手が、手招いている…。


 優しく、ゆっくりと。傷付いた心を癒やすかのように――…。

 その優しい手招きに、影達は安堵に満ちた安らかな気配で、ひとつ、またひとつと、扉の《向こう》へと消えていく…。

 最後の影が消えても、手はまだ手招き続けている。

 ――…見えない床に力なくへたり込み、それらを呆然と見つめていた…リオンを。

「………」

 …思考が停止したリオンは、手招かれているのは自分である事に、しばらく理解が出来なかった。

 動かぬリオンに苛立つ気配もなく、白い手は優しく柔らかく手招き続けている。

「…」


 帰っても…いいのだろうか……?


 この十年、タオのおかげで孤独や寂しさを感じる事は少なかった。だが…それでも故郷を懐かしく思い、胸を痛める時は幾度もあった。だからこそ扉の夢に懐かしさを感じたのだし、ふとした瞬間にイシュヴァでの記憶がよぎったりもした。

「………」

 大罪を犯し追放された自分が…帰っても…いいのだろうか……?


 ――――…帰りたい…。


 無意識のうちに体が動いた。

 頭には何も浮かばず、目に映る物は意味をなさない。自分の意思とは違う遠い何か。ふらふらとしたおぼろげな足取りで、少しずつ扉へと近付いていく…。

 扉を潜れば――…ただそれだけで、あのイシュヴァに帰れるのだ。自分が生まれ育ったあの場所に…、懐かしい者達の元に……。


 ――…タオは…どうするだろう……?


 空っぽだった頭に浮かんだ不安に、扉まで残り数歩だった足がピタリと止まった。

 ――…自分がいなくなったら、タオは…?

 自分と出会う以前の彼は、友と呼べる存在を持たず、孤独を当然として生きる存在だった。そんな彼を、この十年の中であんな無邪気な姿に変えたのは――…紛れもなく、この自分だ。

 俺がいなくなったら…、タオはまたひとりになる……。

 ひとりきりで生きるなんて、一生孤独だなんて…。そんな哀し過ぎる事は――…絶対に、駄目だ。

 タオは、構わない、と言うだろう。たとえそれが偽りの心であっても。どんなに自分が傷付こうとも。彼はまた当たり前のように孤独を受け入れしまう。

 ――…十年も一緒にいれば、それがわかるのだ。

 あいつをそんな哀しい目には、遭わせたくない…。


 それなら――――。


 リオンが『帰らない』という答えを明確に抱いた――刹那。

 扉の《向こう》から複数の白い手が瞬時に伸び、リオンの手足を掴んだ!

「い…っ!?」

 動揺した一瞬の隙にグイと引かれ、リオンは派手に倒れ込んだ。その間にも手はリオンを《向こう》に引きずり込もうとする。その強引な力に骨が悲鳴をあげた。

「この…ッ、やめ…ッ!」

 解こうとするが歯が立たない。それどころか、虚空から更なる手が絶え間なく次々と伸びてくる。

「――ッ!!」

 目前に迫った扉。その隙間から見えた《向こう》に、リオンは声にならない悲鳴をあげた。

 そこはもはや…、リオンの知る場所ではなかった。

 闇が混沌と広がった世界…。あの光や輝きの欠片もない。そして、扉以上に感じる――…とてつもない穢れの渦。

 こんな無茶苦茶な場所に無理矢理入ったら――! たとえ不死の身とはいえ、大天使である自分はひとたまりもないッ!

「ひぃ…っ! た…っ、助け――…タオッ! タオ頼むッ!! タオオォォぉぉぉーーッ!!」





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