手紙
一緒にいたかった。だけどもう一緒にはいられない。
「別れよう」
賑やかだった店内からまるで音が消え去ったように感じた。テーブルに置かれたグラスの中で、カランッ、と氷が音を立てる。
「………どうして?」
呟いた君の声は僕を苦しくさせる。
「………ごめん」
僕は振り絞るように言葉を吐き、席を立った。
見ていられなかった。君の静かに涙を流す表情など。
扉の鈴の音が虚しく響く。空はこんなにも快晴なのに、僕の頬は雨に濡れていた。
『手紙』
「はあっ!?」
ヤケに響く野太い声が食堂を満たす。そりゃあ他の学生さんはこちらを見ますよ。
「ダイ、声が大きいよ」
苦笑いを浮かべながら僕が軽く頭を下げると、再び食堂には喧騒が戻る。
「だってお前……別れたって言わなかったか?」
「……言いました」
「……美月ちゃんと?」
「………うん」
ここにいる蔵元 大は僕こと高柳 春樹と高校の時からの友人であり、ご覧の様に大学も同じ。学部は違うものの、たまに食堂で飯を食べる。
「どうしてまた……」
「……いろいろあって」
「だーかーらー、その『いろいろ』を話さんかい!!」
また学生さん達がこっちを見ている。僕はやっぱりただ苦笑いを浮かべるだけだった。
大輪の太陽は憎らしく輝き、音楽科の講堂のそばの大樹は僕等を包み込んでくれる様に影を揺らす。食堂から移動した僕等は講堂そばの芝生の上にいた。
目を瞑ると聴こえてくる。馴れ親しんだこの場所で聴く演奏。蝉の声にも邪魔をされないそれは、いつ聴いても美しい。ただ一つだけ違うのは、その中にいつもの『音』が足りないこと。
「……で、理由って?」
ダイの声で僕は目を開ける。枝の隙間から日光が僕を照らす。
「………パリに行くんだ」
「………はっ?」
一瞬消えた蝉の声は直ぐに戻ってきた。
僕自身が留学の話を聞いたのは一週間程前だった。
国際的にも有名な画家の目に僕の作品が止まった、ということから始まり、そういった留学の話が出てきた。
画家として食べて行こうとしている僕にとっては、留学の話は願ってもない話で。
両親は、あっさりと了承してくれた。我ながら良い親に恵まれたと思う。
本来ならこのままフランスへ直行したいのだけど。僕にとっては最重要なことがあって。
「……それで美月と別れることにしたんだ」
「いや、意味がわかんねぇよ」
「フランスに行くってことは何年後にこっちに帰ってこれるかわからないんだ。だから………」
静かに聞いていたダイは、静かに立ち上がり僕の胸ぐらを掴み無理矢理立たせた。
「だから……なんだ?」
「ダ……ダイ?」
「どうせ、『美月を縛りつけておきたくない』とか言うんだろ?」
言葉に詰まる。正にその通りだったからだ。
「それでお前は本当にいいのかよ!!」
「だって仕方が……」
「『仕方がない』で済ませられるほどの関係かよ!!」
「………」
「好きなんだろ!!美月ちゃんの事が!!」
蝉の声は既に消えていた。いや、聴こえないだけなのかもしれない。
「……すまん」
ダイの手から解放される。
「いや、悪いのは僕だから……」
二人の間を抜ける様に風が吹く。草の匂いを含ませながら。
「なぁ、春樹」
「………なに?」
「今からでも美月ちゃんに……」
「いや、もういいよ。結局僕は自分に自信が無かったんだ。だからもう……これでいいんだ」
そう、僕が美月にしてあげられる事はもう無いんだ。一つだけ……一つだけしてあげられる事があるとするならそれは………
「僕は遠くから美月の幸せを祈るだけだよ」
そう、愛する君が幸せになってくれればそれで………
初めて出逢ったのはある夏の夕暮れ時。僕は久しぶりに土手で絵を描くことにしていた。
夕焼けは、見ていると暖かくて、だけどなんだか切なくて。だから無性に描きたくなったのかもしれない。
土手沿いは風が涼しく吹き、野草がそれに合わせて踊る。すれ違う子供は元気よくかけっこをしている。犬の散歩をしている老夫婦もどこか和む。
橋の近くに場所を取り、口笛を吹きながら準備を始める。流石にYシャツのままだと汚れてしまうから、Tシャツに着替えをする。
「あー!!」
不意に聞こえた大きな声に、振り返る。
「ねぇ、ここ私の場所なんだけど!!」
明らかに彼女の土地では無さそうだが口論とかは面倒なため、仕方なく道具を片付けようとする。
「じょ、冗談よ、冗談!!」
何故か彼女は少し慌てて僕を引き留める。よく見るとウチの学校の生徒の様だ。
さらさらのストレートな髪は夕焼けに染まり少し茶色っぽい。大きな瞳にも夕焼けが映っている。整った眉と、スッと伸びた鼻。淡い赤色な唇、白い肌。総合すると、美人さんである。
「高柳君……でしょ?」
「………ええ」
よほど怪しい目をしていたのだろうか、彼女は笑いながら
「やぁねぇ、そんなに変なモノを見るような目で見ないでよ。ホラ、この前表彰されてたでしょ?」
確かに一週間程前に絵画コンクールで優秀賞に選ばれて表彰されたっけ。あの時ダイが『春樹最高ー!!』とか大声で言うもんだから印象が深かったのだろう。
「で……どちら様でしょうか?」
「私?私は高嶺 美月、二年D組よ」
「隣のクラス?………ああ」
ダイに聞いたことがあった。D組の高嶺は名前の通り高嶺の花らしくて、告白撃墜者が後を絶たないって話。……確かに美人だが。
「で、その高嶺さんはどうしてここに?」
「えっ?……えっと、その……」
何を考えてるのだろうか、顎に人指し指を乗っけてあれこれ言っている。彼女専用の場所なのだから直ぐに答えればいいのに。
「……そう、コレよ!!」
効果音がつきそうな勢いで目の前に差し出されたのは少し小さめな黒いケース。
「………なに、コレ?」
待ってましたと言わんばかりに得意そうな顔をしてケースを開ける高嶺さん。中から取り出されたのは美しい銀色。
「………フルート?」
「ピンポーン!!」
フルートに夕日が反射する。彼女同様眩しいくらいに。フルートは吸い込まれる様に彼女の手に収まり、彼女はそっと口づけをする。
流れる音は美しかった。体の内側まで響く音、だけどうるさいわけでもなく、逆に安らぎを与えてくれる。
フルートを吹く彼女は、本当に楽しそうで。彼女の背後にある夕日が彼女を照らし、それが本当に綺麗だった。
気付けば僕はそんな彼女を描き続けていた。不意に演奏が止まる。
「ちょっと、私を描くなんて止めてよ!!」
「……どうして?」
「だって……恥ずかしいじゃない」
彼女の頬は夕日と同様に赤く染まっていた。
「………夢、か」
美月と初めて出逢った日の事を思い出していたからだろうか、夢にまで美月が出てくるなんて。
土手で出逢ってからずっと土手に通ってたっけ。あの頃は付き合ってもらえるなんて考えてもみなかったな。
カーテンを開くと朝日が視界いっぱいに広がった。……出発の朝だ。
いつもの様に身支度を整え、朝食を食べる。父は会社に行く寸前に握手を求めてきた。握ったその手はとても熱かった。
母は『頑張って』と一言だけ言ってくれた。その一言に全てが含まれてることを理解して、僕は『ありがとう』と一言だけ言った。
「迎えに来たぞー!!」
朝からダイの野太い声が響く。町内の皆様、ごめんなさい。トランクを持ち、玄関を開ける。
「おはよう、朝から元気だね」
「なんだか嫌味に聞こえるが?」
「気のせいだよ」
トランクをダイに渡して、我が家に向けて一礼をした。お世話になりました、そして行ってきます。
空港には直ぐに着いてしまった。国際便の搭乗口付近では、僕と似たような人達がちらほらいた。
「ホラ、準備出来たぞ」
「ありがと。でも良かったの?ホントに航空費出してもらって」
「まぁ俺からのささやかな留学祝いだ。ほい、航空券。おっと、それから……」
ダイは航空券の他に鞄から封筒を取り出した。
「これは?」
「留学祝いのプレゼント第二弾ってとこかな?」
少し怪しい感じがしたけど封筒を手持ちの鞄にしまった。
「絵が出来たら送れよな」
「……ダイに似合わないけど」
「何か言ったか?」
「ううん、なにも」
放送が流れる。もう時間だ。
「……じゃあ、また」
「おう、きっとまた」
最後にハイタッチを交し、僕はダイに背を向けた。後ろは振り向かない。きっとダイは今の僕と同じ様に涙を我慢しているはずだから。
座席に座った後で、ダイに渡された封筒を開ける。 中には折り畳まれた二枚の紙、それとお金。
一枚目の紙には殴り書きの様な筆跡、つまりはダイの字で『プレゼント第三弾かな?』と書かれていた。
「……貧乏人の癖に……」
涙を抑えながら二枚目を取り出す。表面に『プレゼント第四弾』と、これまたダイの筆跡で書かれていた。次はなんだよ、と思いながら開ける。そこには見慣れた字があった。
「………美月……」
貴方に手紙を書くのは初めてですね。付き合ってからこんなに連絡をとらなかったのも。
ダイ君から全部聞きました。……どうして『待ってて』って言ってくれなかったの?私がそんなに信じられない?
この際ハッキリ言っておきますけどね、私はまだ別れを承諾してませんからね!! そんな勝手な理由で別れるなんて許さないんだから!!だから……だから私をまだ好きでいてください。
私は貴方が大好きです。
文字は所々滲んでいた。そして今、新たに染みを作る。もう僕に涙を止める術は残されていなかった。
「大丈夫ですか?」
隣の乗客が僕に話しかけてきた。隣の席の人にまで心配させるのは悪いと思い、僕は涙をぬぐった。
「……ええ、だいじょ……」
………は?
「はぁぁぁぁぁ!?」
僕の叫びは機内に響き渡った。
フランスの夕暮れも日本の夕暮れもどこか似たような雰囲気がある。違うのは街並みくらいだろうか。
「いやぁ、長かったねぇ」
「………そうですね」
「おいおい、元気がないぞ少年よ」
「………ドッキリは体に毒だ」
「まぁまぁいいじゃない、それとも………いや?」
「………う」
正直反則だろ、コレ。夕日を浴びながら上目遣いで僕を見る美月は僕の心臓を叩き続ける。
機内でいきなり現れた美月。ダイのプレゼント最終弾だということだ。それから聞いた話では、美月もフルートの勉強の為に留学申請したらしく、とりあえず下見でついてきたそうだ。
「さってと、早く春樹が住む家に行こ?」
「いや、先にお前の荷物をホテルに……」
「ホテル?予約してないよ」
「………は?」
「春樹ん所に泊まるんだもん」
「『だもん』って……お前なぁ」
美月は髪をなびかせながら振り向いた。
「私を振ろうとした罰よ」
「………すいません」
確かにこちらに非があるので謝ることしか出来ない。僕の言葉に満足したのか、再び振り返る美月。そのままゆっくりと歩きだした。
「………もう離れないんだから」
「ん?何か言ったか?」
「うっ、ううん、なんでもないよ」
何故か美月はいきなり足早に道を歩く。人に荷物を持たせておいて自分はとっとと行っちゃうんですか。しかも家だってわかんないだろうに先に行くなんて。
「………やれやれ」
もう何度目かわからないため息を吐いて、美月の後を追う。
これからの僕達に少し胸を膨らませながら。
久しぶりの投稿でした、いかがだったでしょうか?
多分今年最後の作品となります。来年はちゃんと連載が出来ればいいなぁと模索中です。
評価、批評、アドバイス、お待ちしております。
あと私事ではありますがホムペを開設しました。興味があったら覗いてやって下さい。作者紹介ページから飛べますので。