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清めの祈り

作者: ティアナ
掲載日:2026/11/01

神殿の床にえがかれた魔法陣が、まばゆい光をはなった。


王国の神官たちは、息をのんで光のまんなかを見つめた。この国は、いま、おそろしい疫病にくるしんでいる。古い言いつたえにしたがい、異世界から聖女を呼びよせる儀式をおこなったのだ。


聖女とは、若く、美しく、手をかざすだけで病をいやす乙女である。言いつたえには、そう書いてあった。


光がおさまると、そこには、ひとりの女が立っていた。


年は五十に近かった。うす青い、上下そろいのそっけない服を着ていた。髪はひっつめにして、目の下には、くっきりとくまがあった。片手に、湯気の立つ紙のコップを持っていた。


女は、まわりの神官たちをぐるりと見まわして、言った。


「……夜勤明けなんだけど」


  *


神官たちは、がっかりした。


女に手をかざさせてみたが、何の光も出なかった。女は、自分は前の世界で看護師という仕事をしていたのだと説明した。病人の世話をする仕事だという。神官たちは顔を見あわせ、つまり召使いのようなものだろうと話しあった。


女は、疫病のいちばんひどい下町へ送られた。役に立たない聖女を、王宮に置いておくわけにはいかなかったのだ。


  *


下町に着いた女は、しばらく、だまって通りを歩いた。


井戸のまわりは、泥と汚物でぬかるんでいた。病人と元気な者が、同じ部屋で、同じ器から水を飲んでいた。町の治療師たちは、病人の腕を小刀で切って血を抜いていた。そして、その小刀を、ふかずにつぎの病人に使っていた。


女は、紙のコップをくしゃりとにぎりつぶした。


「まず、お湯をわかして」


その日から、女はねむらずに働いた。


水は、かならずわかしてから飲ませた。病人と元気な者の部屋をわけた。窓をあけて風を通させた。治療師たちから小刀を取りあげ、煮え湯に入れた。


そして、何より、手を洗わせた。


病人にさわる前と、さわったあと。食事の前。便所のあと。灰と油でつくった石けんで、ゆっくり三十数えるあいだ、指のあいだまで、ていねいに。


町の人びとは、ふしぎがった。


「聖女さま。なぜ、そんなに手を洗うのですか」


「手には、目に見えない小さな悪いものがついているの。それが、病気をうつすのよ」


人びとは、首をかしげた。目に見えないものなど、信じられなかった。


女は、少し考えてから、言いなおした。


「じゃあ、こうしましょう。これは、お祈りです。病の悪魔をはらう、清めのお祈り。三十数えるあいだ、心をこめて手を洗うの」


その言い方なら、人びとは、すなおに手を洗った。


ひと月たち、ふた月たつうちに、下町の病人は目に見えてへっていった。半年後、疫病は、王国からすがたを消した。


  *


女は、それから三十年、この国で暮らした。


王宮には、とうとう住まなかった。下町に小さな療養所を建て、死ぬまで病人の世話をした。神官たちは、女の言う「清めの祈り」を、正式な儀式として国じゅうに広めた。


女が死ぬと、王国は大きな神殿を建てた。神殿の中央には、湯をわかす大きな銅の釜が置かれ、壁には、女が教えた手の洗い方が、ひとつひとつ浮き彫りにされた。


  *


それから、三百年がたった。


王国の人びとは、いまも、毎日かならず清めの祈りをささげている。


食事の前と、便所のあと。神殿の釜でわかした湯と、聖なる灰の石けんで、三十数えるあいだ、心をこめて手を洗う。子どもたちは、数え歌をうたいながら、指のあいだまで洗うことをおぼえる。


この三百年、王国では、一度も疫病がはやらなかった。


なぜ手を洗うのか、知っている者は、もうだれもいなかった。病の悪魔をはらうためだと、だれもが信じていた。


  *


ある年、若い王子が、王位をついだ。


王子は、外国で新しい学問をおさめてきた、かしこい青年だった。王子は、即位の式でこう宣言した。


「目に見えない悪魔など、迷信である。毎日、湯をわかすための薪も、手を洗うための時間も、国のむだづかいだ。今日をもって、清めの祈りを廃止する」


学問のある貴族たちは、拍手をした。神殿の銅の釜は、とかされて、大砲になった。


二年後、王国に、疫病がもどってきた。


  *


神官たちは、三百年ぶりに、古い儀式をおこなった。


神殿の床の魔法陣が、まばゆい光をはなった。光がおさまると、そこには、白くて長い上着を着た、眼鏡の若い女が立っていた。手には、小さなガラスの板を持っていた。


女は、まわりを見まわした。神殿の外から、うめき声が聞こえてくる。女は、すぐに事情をさとったようだった。


女は、言った。


「まず、お湯をわかして、手を洗ってください」


神官たちは、どっと泣きだした。


「伝説のとおりだ。聖女さまは、かならず、まずそうおっしゃるのだ」


青い顔をした若い王が、女の前にひざまずいた。


「聖女さま。清めの祈りを、すぐに復活させます」


女は、眼鏡をおしあげて、王に言った。


「祈りじゃないんです。手を洗うのは、目に見えない小さな……」


王は、あわてて手をふった。


「いえ、聖女さま。それ以上は、けっこうです」


王は、心からほっとした顔で言った。


「理由など知らなくても、祈りは、ちゃんと効くのですから」


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