シラフの拳は岩をも砕く
楽園の朝は、本来なら小鳥のさえずりと花の香りに包まれた、至福の時間のはずだった。
けれど、その静寂は、金属が擦れる不快な音と、傲慢な男たちの足音によって無惨に切り裂かれた。
「……いたぞ! 報告通りだ、死の森が忌々しいほどに色づいてやがる。おい、聖女アリシア! 貴様、ここで何をしている!」
森の境界線を強引に突破し、現れたのは王国の先遣騎士団――その数、およそ二十名。
先頭に立つのは、かつて王宮で私を「役立たず」と嘲笑っていた騎士の一人だ。
「……私の楽園に、何の用ですか? 私はもう、あなたたちの国の聖女ではありません」
私は一歩前に出て、毅然と言い放つ。
背後では、シノブがクナイを握りしめ、フェリシアが不機嫌そうに目を細めていた。
「ふん、相変わらず生意気な女だ。カイル王子からの温情だ。大人しく投降し、その森を浄化する魔力の秘密を差し出せば、地下牢に繋ぐだけで済ませてやる。……さあ、そこの女共もろとも捕らえよ!」
騎士たちの下卑た視線が、私の仲間たちに向けられる。
シノブの豊かな胸元や、フェリシアの細い脚、そして私の後ろで小さくなっているメイリン。
「……アリシア様。下がっていてください」
不意に、消え入りそうな、けれど芯の通った声がした。
メイリンだ。
今の彼女は、昨夜の酔っ払った「アイヤー!」な面影は微塵もない。
顔を真っ赤にし、視線を地面に落としたまま、恥ずかしそうに指をもじもじと動かしている。
「……メイリン? 無理しなくていいよ、シノブたちが――」
「……いえ。昨夜の、あ、あんな、破廉恥な振る舞いの、お詫びを……させてください」
メイリンは、私に背を向け、一歩ずつ騎士たちの方へ歩み寄る。
その背中は小さくて、震えているように見えた。
「ははは! なんだその小娘は! 恥ずかしがってまともに顔も見れんのか? そんな貧弱な体で、我ら重装騎士に勝てると思って――」
騎士が嘲笑いながら、剣を振り上げたその瞬間だった。
◆ ◆ ◆
――ドォォォォォォォン!!
空気が爆ぜた。
メイリンが踏み込んだ足元の地面が、クレーター状に陥没する。
目にも留まらぬ速さ。
メイリンの小さな拳が、先頭の騎士の盾を――鋼鉄で作られたはずの重盾を、まるで紙細工のように粉々に打ち砕いたのだ。
「え……?」
騎士が呆然とした声を出す暇すらなかった。
メイリンの裏拳が、彼の重厚な鎧の胸当てに突き刺さる。
分厚い鋼鉄が「V字」にひしゃげ、騎士の巨体は後方の木々を三本なぎ倒しながら吹き飛んでいった。
「……ひ、一人。……すみません、今の……ちょっと力が入りすぎました……」
メイリンは、顔を真っ赤にしたまま、蚊の鳴くような声で呟く。
けれど、その構えには一分の隙もない。
「な、なんだ今の突きは!? おい、総員かかれ! 魔法を使え!」
騎士たちが慌ててスペルを唱え始める。
放たれた火炎球と氷の礫が、メイリンを包囲するように迫る。
「……遅いです。……あ、あまり見ないでください……っ」
メイリンは恥ずかしそうに顔を背けながら、信じられないほどの身のこなしで魔法の嵐をすり抜けた。
舞うような動き。けれど、その一撃一撃は、山をも砕く破壊力を秘めている。
ドゴォッ! バキィッ!!
彼女の拳や蹴りが当たるたびに、屈強な騎士たちが、まるで木の葉のように空中に舞い上がる。
「アイヤー……じゃなかった。……私の流派、天界酔拳の真髄は、無我の境地。……シラフの私なら、もっと精密に、骨を断てます……」
メイリンの瞳に、一瞬だけ鋭い「武」の光が宿る。
最後の一人が地面にめり込んだ時、戦いは始まってから一分も経っていなかった。
◆ ◆ ◆
「……ふぅ。……お、終わりました、アリシア様……」
メイリンが振り返る。
そこには、またいつもの、顔を真っ赤にして指をもじもじさせている「超絶シャイ」な美少女がいた。
「め、メイリン……凄すぎるよ!」
私が駆け寄ると、彼女はヒッ、と小さく悲鳴を上げて一歩後退した。
「……そ、そんなに近くに寄らないでください……。昨夜の……アリシア様の、あ、あの感触が……手に残ってて、まともに顔が見れません……っ!」
「あはは、まだ気にしてるんだ。でも、助けてくれてありがとう」
私が微笑むと、メイリンはそのまま「ううう……」と顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
どうやら、戦闘中の凛々しさと、終わった後の羞恥心の落差でパンクしてしまったらしい。
「ニシシ! シラフのメイリン殿、派手な強さでござるな! 拙者も負けていられないでござるよ!」
「……ふん。わたくしも、あんな野蛮な男たちなら一瞬でしたわ。……でも、アリシアを守るために戦ったことだけは、認めてあげなくもありませんわね」
シノブとフェリシアも、メイリンの強さを認めたようだ。
けれど、その時。
倒れていた騎士の一人が、懐から不気味に輝く「黒い水晶」を取り出し、砕いた。
「……ぐ、ふふ……。笑っていられるのも今のうちだ……。聖女ミーナ様の……呪いが、お前たちを……」
砕け散った水晶から、どす黒い霧が噴き出し、森の木々を蝕んでいく。
「……! みんな、下がって!」
私は咄嗟に世界樹の枝を伸ばし、黒い霧を遮断しようとした。
けれど、その霧は物理的な障害物をすり抜け、まっすぐに――。
「……あ、アリシア様……?」
ルナリアが、自分の胸元を押さえて膝を突いた。
彼女の瞳から光が消え、不気味な紫色の紋章が浮き上がる。
「精霊たちが……叫んで、います……。……壊せ、と。……この森を、アリシア様を……私のものにするために、すべてを焼き払え、と……」
「ルナリア!? しっかりして!」
ミーナが仕掛けた「ヤンデレ増幅の呪い」。
平穏を取り戻したはずの楽園に、最大の危機が訪れようとしていた。




