些細なきっかけ
いつものように起床して動物達の世話をした彩桜は、元気に犬達を連れて勝手門から出た。
「おっはよ~♪」「おはよう♪」一斉。
ショウ達を連れてサーロンと陽音(=響)も勝手門から出て来たので、昇ったばかりの陽に向かって走り始めた。
「今日もいい天気~♪」「だねっ♪」
―・―*―・―
ザブダクルは久し振りに目を覚ました。
操禍持ちの闇神なザブダクルは神光に弱く、特に浄化は毒が如くの弱点なのだった。
すっかり忘却の彼方なのだが、腹に隠している封珠からの光浄化で弱りきって昏睡に近い状態になっていたのだった。
「朝……なのだな」
窓の外を確かめて呟き、起き上がって執務室に神眼を向けるとマディアは居なかった。
神眼を拡げていくと、マディアは死司最高司ナターダグラルとして中位以上の死司神達の前に居た。
定例集会か。
マディアは儂として忙しくしておるのだな。
……ふむ。
ならば儂も執務くらいは加わるとしよう。
ナターダグラルになった最初こそ神王殿から書庫を移設してまで記録書を読み漁っていたザブダクルだが、嘘ばかりだと知って以降は読む気も起こらず、起き上がれると暇をもて余すようになっていた。
だからこそ執務をと考えたとザブダクルは疑いもしていなかったが――
あの書類から幻聴を聞かせ、
封珠を思い出させれば、
此奴は頼りの綱を自ら断つであろうよ。
――その魂内では、呪を強め、意のままに動かしている者が居た。
ザブダクルは居室から執務室に来たものの、執務はマディアに任せきりだったので机には近寄り難かった。
マディアは執務が好きだと言った。
毎日、飽きもせず熱心にしているのも
知っておる。
邪魔だとは思われないであろうか?
だがしかし……書類は全て最高司宛ての筈。
本来ならば儂が成すべき仕事の筈であるな。
死司最高司補エーデラーク不在の執務室をうろうろと歩き回った末、死司最高司ナターダグラルは机上の書類を手に取った。
悩み処は昔も今も然程の違いも無いのだな。
……ふむ。儂でも加われそうだ。
ん? 何やら違和感か?
この気……マディアか?
まさか獣語か? 込めているのか?
相手は誰だ!? 何の為に!?
儂以外の誰と話しておるのだ!?
数枚 捲ったところで違和感を感じて探ると、マディアが楽しそうに言葉を込めているとだけは伝わってきた。
その案件は何度も差し戻されていたので過去のものも参考資料として添付されていたのだった。
ごく初期に込めた『手紙』が戻ってくるとは、忠告を聞いて せっせと王との遣り取りを消していたマディアでも考えが及ばなかったのだ。
そうか……あの小童、本当に
裏切っておったのだな。
ならば引き出してやろうぞ。
ザブダクルの心中では焦りやら苛立ちやら悔しさやらが綯交ぜになって噴き出していた。
それがオーロザウラの呪の発動を連鎖させているとは気付かずに、全力で込められているものを紐解こうと知る限りの術を次々と唱えていった。
そうだ。もっと唱えよ。
焦れ、怒れ、呪中に堕ちよ!
暴走は始まった!
オーロザウラは自身の笑い声をマディアの声に置き換えてザブダクルに聞かせていた。
そうしているうちにザブダクルが唱えていた術が偶然にも『手紙』の一部を開いた。――そうオーロザウラは信じ込ませた。
《今日もエーデは笑ってるよ。
だからユーチャ姉様も笑ってるハズ。
大丈夫だから安心してくださいね》
それだけがザブダクルの神耳に届いた。
エーデラークが笑っているだと?
ユーチャとは?
マディアの姉……今ピュアリラか!
何を笑っているのだ?
誰にそれを伝えている?
まさか儂を嘲笑っているのか!?
それを知られていないから安心せよと!?
煮えたぎった感情が渦巻き荒れるがままにザブダクルは唱え続けていた。
《グレイさん、頑張ろうね!》
グレイ? そうか王か!
確かティングレイスという名であったな!
書類ならば全て王に回る。
それを利用して……マディアめ、
儂を裏切っておったのだな!
《マディア、無理はしないでね》
やはり王の声!
返事は差し戻しの書類か!
大した内容ではないのだが、ザブダクルにとっては、マディアが自分以外の者と親しげに話していたという事実が衝撃的で許し難い事なのだった。
戻りおったな。マディアめ――
扉の外に気配を感じたザブダクルは、殺気を感じてか開けようとしないマディアの首輪に繋がる見えない鎖を引いて寄せた。
「っ……最高司様、何を……」
「この裏切者めが……」
「裏切って、なんて――」
「王と話しておったのが裏切りだ!!」
「……そんな……」
マディアの苦し気な泣き顔を見たザブダクルは出会った頃にもよく見た表情だと思い、ハッと思い出した。
「裏切れば妻を滅すると言った筈だ」
腹から封珠を取り出した。
「エーデだけは……滅するなら僕をっ」
そうか。エーデとは妻の名であったか。
大粒の涙を溢しながらも真っ直ぐ見詰めてきた瞳を見ているうちに、ザブダクルの ごく僅かに残っていた冷静な部分が、尽くして護ってくれていた事や、マディアの笑顔を次々と思い出していた。
しかしそれでも暴走した煮えたぎる思いは収まらなかった。
「ならば選べ。滅するのは妻か記憶か」
「記憶を! エーデだけは助けてください!」
「よかろう。
マディアの記憶を消し、魂のみとして封じる。
その身体は儂の乗り物として存分に使ってやろう」
「えっ……」
「記憶を選んだのはマディアだ。
しかし、記憶だけで償えるなんぞと思うな」
「エーデが助かるなら……どうぞ」
「ふむ。妻には手出しせぬと約束しよう」
「ありがとう、ございます……」
と、時間稼ぎをして、マディアは記憶の写しを魂尾に込めていた。
「エーデ……大好きだよ……」
「言いたい事はそれだけか?」
「はい」
「では唱える間、おとなしくしておれ」
「はい」
詠唱が始まる。
頭を喰われているかのような激痛が記憶を引き千切っているものだと知ったマディアは思わず咆哮を上げた。
僕……獣姿? だから吼えてる?
詠唱は止まらず、ザブダクルは睨んでいるが悲鳴も止められそうになかった。
そうだ! エィムに知らせないと!
ザブダクルは神世を滅ぼすよねっ!
〔みんな逃げて!!
エィム!! チャム!!
職神みんなを連れて人世に!!
同代のみんなも!!
お願いだから大至急!!
人神も!! 封じてでも連れて逃げて!!
早く、逃げ、て……〕
気を失うまで吼え伝え続けた。
―・―*―・―
マディアの咆哮は人世にも僅かにだが届いていた。
始まってしまった、と皆が身構えた。
―・―*―・―
人世の空に居た獣神には、より明瞭に聞こえていた。
【エィムこれってマディア兄様よね!?】
【チャム急ごう!!
僕は里に伝えるからチャムは職神を回収して!!】
紅火に増やしてもらっていた修行用の『賽子』を渡した。
【うん!!】【手伝うよ】【【ミュム!】】
【滝に伝えようか?】【お願い!】
エィムとミュムは同時に瞬移した。
【私だって頑張るんだからっ! えいっ!】術移!
――職域の再生域側、永遠の樹へと術移したチャムの前にロークス ラナクス タオファが現れた。
【お兄様とお姉様~♪】
【喜んでいる場合か。賽子を貸せ】【はい!】
ロークスとラナクスが消えた。
【チャム、私達は人神達を眠らせて集めましょう。網をお願いね】
【まっかせて! 遠い奥からねっ】術移!
―◦―
【マヌルヌヌ様! カウベルル様!】
マヌルの里に着いたエィムが叫んでいると、現れたカウベルルが微笑み、エィムを宥めるように抱き締めた。
【エィム、落ち着いてくださいね。
マディアの声は届いておりました。
私達は此処を避難所として維持します。
小動物神を保護区域にお願いね】
【はい! では――】瞬移!
――兎の里に出ると、龍神達が兎神達を集めていた。
【僕はサーブル。マディアの同代。
小動物神は皆様、逃げ惑っていたから父様の教えの通りに仲間達と出て、里ごとに集めたトコだよ。
連れて行ってもらえる?】
【兄様も一緒に!】
【龍は戦えるからね。
それにマディアを助けないと。
だから残るよ。早く行ってね】
【同代なら……そうですよね。
では、お気をつけて!】
【うん。必ずマディアを助けるよ】
―◦―
【兄様! 姉様!
お早く人世に避難してください!】
禍の滝に着いたミュムが叫んだが、兄姉達は笑顔を向けただけで離れようとはしなかった。
【人世に行き、父様を支えてもらいたい】
【俺達は此処がいいんだ♪
禍も増えるだろーからなっ♪】
黄金と白銀の兄達がミュムを押し返した。
【僕はマディアの同代でエメルド。
コッチはユーリィ。
必ずマディアを助けるから小動物神達を逃がしてあげて】
濃淡緑の兄達も決意を秘めた笑顔だ。
【そうですか……では姉様だけでも――】
【見くびらないでよね】
【私達だってドラグーナの子よ】
姉達も逃げる気は皆無だと笑みを強めた。
【さ、早く行った行った♪】
【それでは……】
【来てくれたのはマジ嬉しいからなっ♪
ありがとなっ♪
……そんじゃあ互いに無事であれ、だな】
【はい!】エィムへ!
――【エィム!】【ラスト、鼠の里!】【了解!】
瞬移し、集めてくれていた龍神達に礼を言っている間に鼠神達には乗ってもらった。
【何処に?】【任せて!】手繋ぎ術移!
オーロザウラに誘導されたザブダクルがとうとう暴走してしまいました。
封珠を思い出させたのも勿論オーロザウラです。
まだ今は神世にも何も起こってはいませんが、とにかく避難を急ぎます。




