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第50話 理性と激情と

 ヤナキは石段を下り、鳥居を潜ろうとしていた。しかし目前のあるものを認識した途端に歩みが止まる。それは、人であった。頭からは血を流し、円を描くように地面を染めている。付近には握っていたであろうデッキブラシが転がっていた。

 

 「…………………タカヤ………。」


 件の人物へ呼び掛ける。応答はない。


 考えなかったわけではないのだ。タカヤが足止めしていたタチバナが姿を現した時、きっと彼は無事ではないのだろうと思った。それでも、いざ横たわる様子を見ると自身の無力さがありありと込み上げてくる。同時に、彼をこうしたタチバナへ恨みつらみが募る。

 なんにせよ、このまま死体を野晒しにはしたくない。タカヤの体と転がるデッキブラシを抱える。その瞬間、ヤナキの耳にはあるはずもない声が聞こえた。


 『…………終わりだ。』


 それはタチバナの声である。無論、周囲に彼の姿はない。これ即ち、デッキブラシが付喪(つくも)として過去の記憶を、声を、聞かせているのだ。


 『そうだね。でも、終わらせるのは君じゃない。』


 次に続いたのはタカヤの声。静かに聞き入るヤナキは彼の言葉に引っかかりを覚える。終わらせるのはタチバナではない。一体どういう意味なのだろうか。死の間際の意地なのか。


 『なに。』


 タチバナも同様に意図が掴めなかったようだ。先の言葉を聞き返す。しかし、応答はなくしばらく沈黙が広がる。付喪(つくも)の記録もここまでか、とヤナキはデッキブラシから手を離そうとした。が、最後にぽつりと声がする。


 『タチバナくん。僕は、君に殺された訳じゃないよ。…………………君は僕の命を奪ってなんかいない。』

 「…………………。」


 それっきり声は聞こえなくなった。恐らく、記録は終わったのだろう。


 ヤナキは黙り込む。タカヤの最期の言葉。それは、タチバナを想ってのことなのだろうか。本人が答えることはない。故に、ヤナキが感じたもののみ、彼にとっての真実になる。つまりは、タカヤはタチバナを責め立てることはしたくない、と考えたのだろう。

 であれば、彼を恨むことはできない。ヤナキの意思が無駄になってしまうから。


 纏まる思考とともに踵を返す。引き返した先には、タチバナがいた。彼もまた何処かへ向かおうとしていたようだ。それを制止するように立ちはだかり、ヤナキは言う。


 「タチバナ。この島のことについて知るために、手伝ってくれ。」

 「…………………俺が、か?」


 目を伏せてタチバナは戸惑いを見せる。それもそのはずだ。タカヤを殺したというのに、手伝いだなんて都合が良すぎる。そう思った彼を引き込むために、ヤナキは見聞きしたことを話す。


 「タカヤは自分の意志でああなったんだ。だから、お前を責めるつもりはねぇ。それに、島について調べるっつうのは不敬にはならねぇだろ?」

 「…………………。」


 タチバナは瞼を閉じる。ヤナキの小さな、されど確かな最期の言葉が繰り返される。


 『タチバナくん。僕は、君に殺された訳じゃないよ。…………………君は僕の命を奪ってなんかいない。』


 なんて心地よい言葉だろう。これによって、タチバナはタカヤの死の責任を背負う必要はないのだ。そのように、彼は言ってくれた。  

 ならば、好意に甘んじてしまおうか。今までの行為は全て神官のせいだと、彼に課された役割のせいだと、押し付けてしまおうか。いや。それはいけない。思考を止めて、ただルールに従っていたのはタチバナの責任でもある。責任というのは背負わなければならない。


 だからこそ。だからこそ、タチバナは決意する。


 「………俺も手伝おう。たとえ、神官へ不敬をはたらいても構わん。それでも、俺は、俺がしてきたことの理由を知りたい。知るべきだ。」


 ルールを離れ、自身の行いの意味を探しに行くことを。

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