第48話 許されぬ例外
ヤナキは包丁を強く握りしめて神官の下へ駆け寄る。彼は特段、対処をする素振りを見せない。それならそれで好都合だと、ヤナキは手にした包丁を振るう。狙い通り胸元へ刃先が突き刺さる。
神官の胸へ吸い込まれるように滑り込んだ刃先。瞬間、鮮血が彼から滴る。しかし、痛む様子はない。ヤナキはすかさず2撃目を行う。再び飛び散る血。だがやはり、神官の顔は痛みで歪むことはない。
それどころか、傷口がみるみる塞がっていく。
「………こりゃあ、一体…。」
ヤナキは驚き2,3歩後退る。それを見た神官はやや口の端を歪めて自嘲気味に言う。
「儂をそんな陳腐なもので止められると。本気で思っておったのか?」
後ろへ下がったヤナキに近付く。彼の握る包丁の刃先をわざわざ掴む。その手からは当然血が流れる。それでも、少しすれば切れた皮膚は当然のように繋がった。
可能性としてないわけではなかった。『つくも様』とやらの力で島民に洗脳まがいのことをしていたのだ。ならば、その不思議な力を自身の防衛に使うのではないかと。だとしても。まるで不死身のような肉体になるとは思いもしなかった。これはヤナキの浅い見解が招いたことだ。
今回の作戦は失敗か。もはやここまでと腹をくくったヤナキ。しかし、神官は彼の命を狙うこともなく、背を向けてしまう。
「これで分かったじゃろう。儂に噛みつくべきではないとな。お主はただ、与えられた役割をこなしておればよいのじゃ。」
去りゆく後ろ姿に声を掛ける。
「待てよ!俺を殺さねぇのか!俺はお前を攻撃した!神官に楯突いたやつは殺すんじゃねぇのかよ!」
「…………………お主を殺すつもりはない。これは儂の決定じゃ。」
食いかかるヤナキをよそに、神官はその場を去ろうとする。しかし、冷たい声が彼ら二人に降りかかった。どちらのものでもない。今しがたこの場に到着した第三者のものであった。
「どういう、ことです。」
「!タチバナ!」
ヤナキの驚きに付き合うことなく、タチバナはあくまで冷静さを保とうとしながら神官へ詰め寄る。
「神官殿。ヤナキは貴方に無礼をはたらいたではありませんか。それを、見逃すと言うのですか。」
「………………そうじゃ。」
「っ!不敬な人間は処罰すると、貴方が定めたのではないですか!」
遂に感情的になったタチバナ。彼は初めてと言ってよいほど大きな声を出す。その圧に押されることなく、神官はタチバナに目をやらず答える。
「ルールを定めたのが儂なら、例外を認めるのもこの儂だ。………」
「…………………例外………。」
例外。イレギュラー。狂い。それら全て、彼が受け入れ難いもの。許してはならないもの。だからこそ、タチバナは寸分の狂いなくルールに従ってきた。
毎晩行われる『贄の儀式』に参加すること。神官や『つくも様』に不躾な人間は生贄にすること。与えられた役割をこなすこと。それらが彼の、いや、籠目島の島民が行うべきルールだ。にも関わらず、ルールを定めた張本人が、今しがた語った。ひとりの少年を見逃すと。なんて、馬鹿馬鹿しい。例外などあっていいはずもないのに。
そんなものが許されるなら、今まで自分は何のためにルールに従ってきたというのだ。
タチバナは立ち尽くす。その片手は強く握りしめられ、爪が深く食い込んでいた。




