第37話 夕暮れ時の別れ
低い音が響き渡る。落雷のような音はしかし、空から鳴ったものではない。発信源はミキの腹からだった。それ即ち、
「………お腹がすいたようだ…。」
空腹である。腹を押さえ、ミキは呟く。彼女の前にいる少年はやや戸惑いつつ、ポケットへ手を伸ばす。何かつまめるものはないかと思ってのことだったが、残念ながら中には何も入ってはいなかった。
「『ヨモの湯』に戻る…?一応、食べるものはあるから。」
「いや。ありがたいが遠慮しておくよ。そろそろ夕飯の時間だからね。『タチバナ荘』へ行くとするよ。」
「そっか。」
そう言ってミキは少年へ背を向ける。本当ならばこれからのことを相談したかったのだが、仕方がない。タイムリミット、というわけだ。ほんの少し息をついて、話をする。
「ひとつ、頼みごとをしても良いかな。」
「………?うん。」
やけに真面目なミキの様子に違和感を覚える。嫌な予感がした。
「神官の力のことを『付喪』に残してくれないかい?」
「『付喪』に残すって?」
「簡単さ。君の知ってることを『付喪』の前で話せばいい。そうすれば『付喪』に触れた者へ情報が渡る。」
どこか寂しそうに笑う。少年は謎の焦燥感にかられる間、ミキは言葉を継ぎ足す。
「もしかすると私は今日、タチバナさんに始末されるかもしれない。」
「え。…どうして…。」
「私がコユキさんと接触したことを知られてしまったからね。もしコユキさんを始末したのがタチバナさんだったら、彼女の助言を受けた私も標的になり得るだろう。」
淡々と告げる。そこには恐怖もなく、ただの事実のみが存在した。少年はそんな彼女の様子が不思議でならなかった。なぜ、命の危機が迫るというのにそう平然としていられるのか。
「……なら、逃げよう。『タチバナ荘』に近付かないようにすれば…。」
「いや、それは出来ない。」
言葉を遮ったミキは微笑む。
「約束したからね。夕飯前には帰ると。それに、彼とは一度腹を割って話したかったんだ。」
「………………。」
傾く夕日を背にした彼女の顔は死地に赴くような険しいものではなかった。むしろ穏やかで、憑き物が取れた表情だ。少年とは正反対である。
「それじゃあまた。次会うときは旅行客としての私ではないかもしれないが。」
また、と返すことは出来なかった。神官が次も彼女に役割を与えるか定かではないから。つまり、再び会えるかは分からないからだ。少年は結局、手を振り返すことなくミキを見送る。
彼の胸中では、名乗ることすら出来なかったと後悔ばかりが広がった。




