第33話 ハゼ釣り
『ヨモの湯』を出たミキはすっかり真上に移動した太陽に照りつけられていた。時計を確認していないので定かではないが、腹の空き具合からして昼に差し掛かっているのだろう。『つくも様』について調べようとしていた彼女は、まず腹ごしらえをするために『タチバナ荘』へ戻ることにした。
山を下り、浜辺へ着く。そこには竿とクーラーボックスを持ったタチバナがいた。ミキの予想では彼は嘘をついている。『つくも様』を信仰し、生贄の用意を率先しているに違いない。そんな彼に勘付かれないよう取り繕いつつ話しかける。
「やぁタチバナさん。そろそろお昼になるが、お出かけかい?」
「昼飯の用意だ。」
「へぇ。何を釣るんだい?私も手伝おう。」
もとより『タチバナ荘』でお昼を頂く予定だったので、ミキは手伝う提案をする。対するタチバナは無愛想に答えた。
「ハゼを釣る。着いてくるのはいいが、騒ぐなよ。魚の餌にするからな。」
「了解。自分で言うのもなんだが、魚の餌としては美味しくないからね。静かにしておくよ。」
正直なところ、タチバナの魚の餌にするという脅し文句はミキに効果てきめんであった。何せ、『つくも様』とやらを信仰しているのだ。下手をしたら明日の朝日は拝めないかもしれない。ミキはやや頬を引きつらせてタチバナについていくのだった。
***
荒々しい波風などたたない青い海。その上には一隻のボートが浮かんでいた。こじんまりとしたボートからは、2つの糸が垂れている。先に重りを付けたそれは海の底へ沈み、魚がかかるのを今か今かと待っていた。静かな海上。そんな空間を裂く存在が、ただひとりいた。
「うっ。もう駄目だタチバナさん!やはり帰ろう!人間は海になんて来るべきじゃなかったんだ!」
口に片手を当てて、ミキはひとりで騒ぐ。
「………騒ぐなら魚の餌に、」
「あー、無理だ。すまない。少し吐く!」
「おい!」
見事船酔いをしたミキは右手に竿を持ちつつも、下を向き嗚咽する。タチバナの制止虚しく、彼の船はミキの吐瀉物によって汚されてしまった。幸い、胃袋の中身はほとんど入っていなかったので外界へ出されたのは胃液のみだ。
ミキの行動に顔をしかめていたタチバナ。その時、彼は目にする。ミキの竿から垂れる糸が揺れていることに。
吐くことですっきりした彼女も反応に気付き、竿を引っ張る。それほど大物ではないらしく、あまり苦労せず獲物は引き上げられた。しかし、問題はそこからだった。
「吐いた場所に魚を置くな!」
「ど、どうせ洗うんだ。問題ないだろう?」
「大アリだ!お前が吐きだした液体付きの魚なんぞ触るのもおぞましい!」
タチバナは己の竿を持ちながらミキへ注意をする。しかし、当の本人は悪びれもなく釣れた魚を拾い上げて言う。
「まぁまぁそう言わずに。」
「近付けるな!おい!聞いてるのか!」
顔に汚物付きの魚が接近する。偶然にも魚がかかったタチバナは反応が出来ない。悲しいかな、彼は叫びながら竿を必死に引くのだった。




