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スケアクロウの翼  作者: 甲斐 雫
第1章 王都ヘデントール
8/10

5 『戦う者』の訓練施設

 男爵夫人ヒルダを助けた翌日、アリスヴェルチェは『戦う者』の訓練施設を訪ねた。

 ステーブルベースと呼ばれるそこは、以前デビルクロウの襲来を食い止めた公園に隣接している。広い馬場や屋外グラウンドがある中に、堅固で大きな建物が幾つもある。


「アリスヴェルチェ・フォーゲルと申します。こちらの責任者の方にお会いしたいのですが、取り次いでいただけますか?」

 門番にそう告げるが、あっさりと却下されてしまった。

「女性は入れない。知らないのか?」

 押し問答している時、背後から馬に乗った青年貴族が現れた。

「どうした?」

「あ、ユールフェスト様。この女性が、責任者に取次ぎを申し出ているのですが・・・」


 ユールフェストと呼ばれた男性は、馬上からアリスヴェルチェを見下ろした。

「私はライアン・ユールフェスト。ステーブルベースのアドミニストレーターだが、用件は何ですか?」

 施設の管理者であるアドミニストレーターは、要は訓練所の管理者であり責任者だ。


「私はアリスヴェルチェ・フォーゲルと申します。お尋ねしたい事があって参りました。お忙しいところ申し訳ございませんが、お時間をいただけませんでしょうか」


「フォーゲル・・・公爵家の方ですね。女騎士(リッテリン)でもある」

 ユールフェストは、思い出すようにゆっくりと尋ねた。

「はい、その通りです」

 アリスヴェルチェの返事を聞いて、若い侯爵は門番に告げる。

「女性でも騎士であるならば、ここに入る資格はあると思うが、今日のところは私の客人ということにしておけ」

 門番に軽く会釈をして、アリスヴェルチェは彼の後ろに付いて中に入った。



「ところで、尋ねたい事とは何でしょうか?」

 長い廊下を歩きながら、ユールフェストが問いかける。自然にアリスヴェルチェの歩調に合わせ、穏やかな声で話す彼は、立場を鼻に掛けることも無い、礼儀正しい人物だと解った。

「レオ・リーフ男爵についてなのですが・・・ここにも来ていると聞きましたので」

 とりあえずそれだけを答えた彼女に、彼は足を止めて考え込んだ。

「リーフ男爵?・・・リーフ・・・リーフ・・・名は聞いた事があると思うが・・・いや、その前に、何故彼の事を知りたいと思われるのでしょうか?一応ここの責任者ではありますが、失礼ですがその情報をそう簡単にお伝えするわけにはいかないと思うのです」


(確かにその通りだわ。どうしましょう・・・)

 考え込んでしまったアリスヴェルチェに、ユールフェストは穏やかな口調のまま、更に続けた。

「貴女の事は、実は王宮内で何度かお見かけしたことがあります。レイラ王女様と、親しい間柄ではないかと思っていました。もしかしたら、ご用件はその関係のことでしょうか?」


 女騎士(リッテリン)とは言え、彼女が義足であることは知っている。侯爵家の次男であるライアン・ユールフェストは、彼女が王女の密命で動いているのではないかと勘ぐっていた。『戦う者』として働けないならば、その肩書で何かの仕事をしているのではないだろうか、と。


 アリスヴェルチェは、彼の質問に黙って意味深な笑みを浮かべておいた。

(そう思っていただいても、良いかしらね)


 ユールフェストは更に考え、やがて口を開く。

「どちらにしても、アリスヴェルチェ様がこの施設に通えるようにしたほうが良いでしょうね。騎士と言う資格はあるのですが、女人規制の様な不文律があるところなので、私自身も納得した形が欲しいところです。貴女の騎士としての力量を、はからせていただけませんか?訓練室にご案内しますので」

 ステーブルベースの管理者として融通を利かせる権力はあるが、納得できる形にしたいという彼は、職務に対して真面目なのだろう。

「はい、解りました」

 アリスヴェルチェとしては、そう答えるより他は無かった。


「ここは完全防音で壁も魔法に耐えうるくらい強固です。魔法も使っていただいて構いませんが、実戦形式で行いたいので、そのおつもりでどうぞ」

 何も無いがらんとした空間で、ユールフェストは上着を脱ぎながらアリスヴェルチェに伝える。つまり、魔法を使う場合は詠唱時間も考慮にいれろということだ。実戦中に、魔法の詠唱を待ってくれる敵などいない。

 アリスヴェルチェは、自分も上着を脱ぎながらしっかりと頷いた。


「刃は潰してありますが、武器は何を選びますか?」

「では、レイピアで」

 ユールフェストが差し出した細い剣を受け取ったアリスヴェルチェは、白い飾り気のないブラウスと地味で質素な色合いのスカートだ。町娘の様な姿になり、彼女は杖を置いてレイピアを構えた。


(魔法使用可だと言ったが、武器のみの練習試合のようになるだろう)

 ユールフェストは剣を構えて礼をしながら、そう考えていた。

 女騎士(リッテリン)でも女性なのだから、『戦う者』の魔法は使えない筈だ。そうなると、こちらが使うのは騎士道に反する。とりあえずは、通常の剣さばきで様子をみよう。

 相手が魔法を使うと解っていた場合、彼女はどのように動くのだろうか。少なくとも、国王に化けた魔物を倒すくらいだ。剣技は相当の物だと思う。

(こちらの詠唱が始まったら、即座に距離を詰めて攻撃を仕掛けるのがセオリーだが・・・)


 けれどアリスヴェルチェは、礼を返した直後に、レイピアを突き出した。

(おっと!)

 意表を突かれたユールフェストは、それでも剣で攻撃を受け流す。

 アリスヴェルチェは、いつも通り瞬時の魔法をかけ、体勢を立て直すと流れるような動作でレイピアを操った。

(な、何だ⁉ これはっ!)

 義足であることなど微塵も感じさせない動きは、素早く無駄がない。

(手加減している場合では無い、か)

 ユールフェストは、気合を入れ直して立ち合いを続けた。


 激しい剣戟の音が響く中、10分ほどの時間が流れた。

 けれど唐突に、立ち合いは終了する。ユールフェストの剣が、音を立てて砕けたのだ。


 アリスヴェルチェは、彼の剣がレイピアに当たる寸前、火の付与魔法を掛けた。そして返す刃で、氷の付与魔法を掛ける。超高温から超低温への変化に、鋼の刃はもろくなっている。そこへ、最大威力のストレングスで強い打撃を与えた。


 アリスヴェルチェが、詠唱なしで高威力の付与魔法を、連続で短時間に掛けたことを、ユールフェストは気づかなかった。

 砕けた剣を見ながら、漸く彼はその破片が冷やされていることに気づく。

(付与魔法が使えるのか・・・しかも攻撃の重さや強さは、自己強化もしているな・・・何時、詠唱したのだ?)


「失礼致しました。ここまで、よろしいでしょうか?」

 軽く息を弾ませながら、アリスヴェルチェは申し訳なさそうに言った。

「あ・・・はい。お疲れさまでした。それでは、応接室にご案内いたしましょう」

「ありがとうございました。私が怪我をしないよう、お気遣いいただいたことも、合わせてお礼申し上げます」

 アリスヴェルチェは、素直な笑みで答えた。


「先ほどの剣さばき、見事でしたが、どなたに師事されたのですか?」

 運ばせた冷たいレモン水を飲みながら、ユールフェストが尋ねる。アリスヴェルチェは、飲み物をありがたく飲み干すと、懐かしそうに答えた。

「先代からフォーゲル家に仕えていた、ドレフォン・ステート騎士です。今もポタジェという村で、私や弟を助けてくれています」


「ステート騎士!やはり、そうでしたか。太刀筋に、見覚えがありました。私の父であるユールフェスト侯爵が、尊敬していると語っておりました。私も子供の頃、何度か教えを受けさせてもらったことがあるのです」

 ユールフェストは、目を輝かせて話を続けた。

「それに、驚きました。貴女は女性であるにも関わらず、『戦う力』をお持ちなのですね」

 女性が持つ魔法は『癒しの力』だけなのが普通で、『戦う力』を持つ女性を見たのは初めてだ。ただ純粋に驚く彼に、アリスヴェルチェは少し俯いて答えた。

「ですから、魔法検定には通りませんでした。私の魔法は、全て独学です」

 淡々とした口調に、ユールフェストはハッと気づく。

(そうか・・・そうなるか。だが、独学でここまで出来るのは、凄い事じゃないか)


 そして彼は、きっぱりと告げる。

「アリスヴェルチェ女騎士(リッテリン)、貴女はここを利用する資格が充分にあると認めます。貴女の従卒や配下の兵たちも、同様ですのでお連れ下さい」

 けれどアリスヴェルチェは、微かな苦笑いを浮かべた。

「そういう人材はおりません。ご存じだと思いますが、フォーゲル家は絶賛没落中ですので、給料が払えないのです」


(あっ、そうか・・・という事は、生活も困窮しているのか)

 確かに、公爵令嬢とは思えない身なりのアリスヴェルチェなのだ。


「こ、これは失礼致しました。ええと・・・先ほどお尋ねの件ですが」

 ユールフェストは、慌てて立ち上がり本棚から名簿を持ってくると、本題に入った。

「貴女が女騎士(リッテリン)として『戦う力』を持つならば、お互いの情報共有は必要です。レオ・リーフでしたね・・・名簿に載っていることは、今お教えします」


 年齢・住所・家族構成を教えたユールフェストは、最後にこう言った。

「騎士では当然ありませんし、戦歴もほぼ無いですね。配下の兵士は3名で、規則上の人数ですが、実働年数から見ると、はっきり言って無能ではないかと」


(やはりね・・・何か、そんな気がしていたわ)

 神妙に頷くアリスヴェルチェに、ステーブルベースの責任者は笑みを浮かべて言葉を続けた。

「リーフ男爵の人となりは、彼を知る人たちに聞いておきましょう。明日まで、時間をいただけますか?」

「はい、ありがとうございます。お願いいたします」

 ユールフェストは穏やかに頷くと、腰の剣から下げ緒を外して差し出した。

「いずれは施設使用規則を明文化するなどして、貴女が施設に入りやすくしますが、時間が掛かると思います。それまでは、これを門番に見せて取次ぎを頼んでください。ユールフェスト侯爵家の紋章が付いていますから」


 小さな紋章のメダルが付いた下げ緒を受け取って、アリスヴェルチェは丁寧な礼を言うと、応接室を辞した。静かに閉まるドアを見つめながら、ユールフェストは考えた。

(あのような女性も、いるのだな)

 それは、畏敬の念にも近い感情だった。



 アリスヴェルチェは、屋敷に帰る前に、ウルの店へと向かった。

 人目に着かないよう気を付けて裏口のドアを叩くと、若い大工が顔を見せる。

「今日はお休みですか?」

 開けて貰ったドアから体を滑り込ませて問うアリスヴェルチェに、ウルは明るい笑顔を見せて答えた。

「いや、イイ端材があったから、ちょいと抜けさして貰うって言って運んできたんだ。直ぐに戻らねぇといけねぇんだな。ヒルダさんは、上にいるぜ。大分良くなっているよ。俺はもう出るけど、良ければゆっくりしてってくれや」

 アリスヴェルチェは、彼の言葉に甘えて2階へ上がった。


「こんにちは。ご気分はいかがですか?」

 アリスヴェルチェの問いかけに、ヒルダはまだ少しオドオドと返事をする。

「ア、アリスヴェルチェ様・・・その・・・昨日は、ありがとうございました。お陰様で・・・痛みは殆ど引きました」

 顔は俯いているが、殴られた頬の赤みは大分引いている。切った唇も、かさぶたが出来ていた。

「ここではアリスで構わないわ。私もヒルダと呼ばせてもらうから」

 アリスヴェルチェは、にっこりと笑って椅子に腰を下ろした。そしてベッドに腰かけるヒルダに、向き合って言葉を続けた。

「少しは落ち着いたみたいに見えるけど?」

「そう・・・ですね。今は・・・家に帰るのが、ただ怖いです」


「それが当り前よ」

 アリスヴェルチェは、きっぱりと言った。

「殴られて蹴られて、罵倒されて虐まれるような場所が怖いのは当然だわ。帰りたくないと思うのが、普通の人間よ」

 ヒルダは、ひと晩1人になって、ある程度落ち着きを取り戻しているらしい。虐待され続けていた場所から離れたことで、洗脳に近いマヒしたような思考が正常に戻って来たのだろう。


「ヒルダ、貴女は決してダメなんかじゃないと思うわ。リーフ家で料理や掃除なんかも、こなしていたのでしょう?」

「でも・・・私は家事をするのが遅くて、テキパキやろうとすればするほど、ミスばかりで・・・」

「でも、出来るのでしょう?私なんて、誰かに食べさせるような料理なんて出来ないわ。掃除や片付けなんて、必要最小限しかしないし」

 親し気に話すアリスヴェルチェに、ヒルダも微かに笑顔を見せた。


 決して美人ではないけれど、丸い鼻と下がった眉に愛嬌がある。ごく普通の暮らしが出来れば、人好きのする顔立ちになれそうだ、とアリスヴェルチェは思った。


「貴女も知っていると思うけど、フォーゲル家は没落していて、はっきり言って私は貧乏なの。でも足が不自由でも健康だから、何とか生活しているわ。『癒しの力』も無いけど。ヒルダは、どうなの?」

「・・・え・・・ええと、私は・・・学院でも落ちこぼれで、嫁いでからも『癒し』の役にも立たないって叱られていました。お義母様には、おまじない程度の力しかないって言われていました」


「あら、『痛いの痛いの飛んでけ~~』っていうおまじないだって、効果はあるのよ。心を籠めたおまじないは、それだけでも相手が安心するのだから」

 大真面目なアリスヴェルチェに、ヒルダは小さくプッと吹き出した。


「貴族以外の人々は、そうやって暮らしてる。不便だったり苦しかったり、ツラい事もあるけれど、助け合って幸せに暮らしてる人たちもちゃんといるの。ヒルダが嫁いだ男爵家に、貴女が囚われる必要は無いと私は思うけど」

「あそこを追い出されたら、惨めに野垂れ死ぬだけだと・・・そう言われてきました・・・」

「人間、死ぬ気になれば何でもできそうだけどね。その気になるか、ならないかが自分次第ということよ」

 考え込み始めたヒルダに、明日また来ると言ってアリスヴェルチェは帰って行った。



 翌日ユールフェストは、執務室で書類を持ったまま考えていた。

(・・・そろそろ来る頃だろうか)

 彼女から頼まれた調査は、すっかり終わっている。レオ・リーフの人となりは、しっかりと把握できていた。

(この結果に、彼女はきっと満足するだろう)

 昨日、名簿の内容を知らせた時、やっぱりと言うような雰囲気だった。


 ステーブルベース内の、リーフを知る者たちは、皆口を揃えて言っていた。

 大言壮語ばかりで自己中心的な男だと。

「有能な自分は、チャンスを与えられないだけだ」

「討伐の魔物レベルが低すぎる」

「配下の兵が無能すぎて、結果が出ない」

「その気になれば、俺は誰よりも強い」

 馬鹿々々しいほどの台詞を声高に言い放って、ろくに訓練もしないリーフは、誰からも嫌われていた。配下の兵たちも短期間で辞め、入れ替わりが激しい。理不尽な要求と飛んでくる拳や罵声に、嫌気がさすのは仕方が無いことだろう。

 しかもリーフは討伐の場面でも、自分は怒鳴るばかりで、配下の兵たちに全てを任せていた。それは一緒に討伐に向かった、他の『戦う者』たちの証言だった。


 アリスヴェルチェと言う女騎士(リッテリン)の役に立てた、と思いながら、ユールフェストは、彼女の来訪をワクワクと待っていた。



「詳しい調査、本当にありがとうございました。お忙しい中、お手数をお掛けしてしまい、申し訳ありません」

 アリスヴェルチェは、渡された書類に目を通すと、礼儀正しく頭を下げる。

「いや、お役に立てて光栄です。こちらでも、色々と考えさせられました。もっと、ここに通う『戦う者』たちのことを、知っておかなければならないと思っています。リーフについては、その詳細を陛下にご報告申し上げるつもりです。魔物討伐の戦力編成について、大きな影響があると思いますので」

「・・・戦力編成?」

「そうです。魔物が出現した時、誰を討伐に向かわせるかを命令するのは陛下ですからね。おそらく今後、リーフ男爵は干されることになるでしょう」


『戦う者』が魔物討伐をすると、その対象に応じて国から報奨金が下される。これは貴族にとって、領地から上がる収益以外の臨時収入となるのだ。今後、リーフ男爵家は、かなり厳しい経済状況になるだろう。


 黙って頷くアリスヴェルチェは、穏やかな空気を纏うだけだが、その様子をユールフェストは大層好ましく思っていた。

 やがてアリスヴェルチェは、徐に口を開いた。

「レオ・リーフ男爵についてお尋ねしたのは、彼の妻である女性を助けたからなのです」

 ここまできちんと調べてくれたユールフェストに対し、事情を伝えておくべきだと思う。

 詳しい話を聞いた後で、彼は思い切り眉を顰めて吐き捨てるように言った。

「クズ野郎め!」


 母親に甘やかされ、努力することもせず、現実から目を逸らして横暴に振舞う男。母の期待に添えない自分のストレスを、弱い者にぶつけて晴らしプライドを保つ。

 そんな最低の男に、ユールフェストは純粋な怒りを感じていた。


「あの男に関しては、私も少し対応をしておきたいと思います。処遇も含めて、結果が出たらご連絡いたしましょう。貴女がここに気軽に来れるよう、手立てを打っておきます」

 彼の言葉に礼を言った後、アリスヴェルチェはふと思いついたように尋ねる。

「あの・・・こちらでは、ユールフェスト様や他の方々を、どうお呼びすればよろしいのでしょうか?」

 いわゆる尊称のことだ。


「え?・・・ああ、そうですね。ここは互いに対等に訓練をする場所なので、爵位は通用しません。ですので親しさに応じて、名前の呼び捨てだったり『君』をつけたり、敬意を払いたい場合は『様』とか『殿』でしょうか。私の場合は、責任者でもあるので『様』を付けられることが多いですかね」

「では、ユールフェスト様でよろしいのですね」

「・・・・・・」

 ユールフェストは、少し言いよどみ、やがて意を決したように言った。

「できれば、名前の方でお願いしたいのですが」


(あ、言ってしまった・・・)

 親しくなりたいと言う気持ちだけで、馴れ馴れしいことを言ってしまったと思う。


 けれどアリスヴェルチェは、あっさりと答えた。

「解りました。では、ライアン様、私の方も名前でどうぞ。『嬢』も不要ですね」

「では・・・アリスヴェルチェ・・・さんで、今後はそのように・・・」

 ぎこちない会話は、まるで交際したての男女のようだ。

 そう思うのは、ユールフェストの方だけだったが。


「ところで・・・もしよろしければ、この後また手合わせなどはいかがでしょう?」

 もう一度、あの時間を過ごしたい。少年のように期待に満ちた顔つきだが、ユールフェストはアリスヴェルチェ・フォーゲルより5歳以上は年上だ。


 けれどアリスヴェルチェは、申し訳なさそうに断った。

「この後、助けた女性のところへ行こうと思っています。出来るだけ早く、決着をつけたいと思いますので。ですが、また機会があれば、ここで訓練をさせて頂きたいと思います。その節は、どうぞよろしくお願いいたします」


 立ち上がって頭を下げる彼女の前に、ライアン・ユールフェストは右手を差し出した。

「では、楽しみにしています。国を守る者の盟友として、今後ともよろしく」

 残念そうではあるが礼儀を弁えた彼の言葉に、アリスヴェルチェはハッと顔を上げた。


『国を守る盟友』

 それは、『戦う者』として認められたという事だ。

『癒しの力』を持たない、貴族女性としては落ちこぼれの自分が、初めてその力を認められた。

 アリスヴェルチェは、心からの喜びを溢れさせ、輝くような笑顔でユールフェストの手を取った。


 その瞬間、彼の胸の中に小さな音が響く。

 トクン・・・と

 しっかりと握手をした彼女の手は、小さく柔らかい。

 卓越した技量を持つ女騎士(リッテリン)の手は、たおやかな女性のものだ。


 ユールフェストの胸の中に芽生えた感情は、恋と呼べるものだった。



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