3 二日酔いと家宝のOrare
翌朝、アリスヴェルチェはとんでもない頭痛と共に目を覚ました。
魔物討伐の疲れもあったのだろう。夕食も取らずに爆睡したあとのことだ。
「う~~~~頭・・・イタ・・・・何、これ?」
陽は既に昇り、窓から日差しが降り注いでいる。
(眩しい・・・でも・・・頭痛いし、気持ち悪いし・・・)
瞼を上げるだけで、頭の中で教会の鐘が連打されるような気分になる。酷い風邪でも引いたのだろうかと思いながら、両手で頭を抱えて呻くしかないアリスヴェルチェだ。
「目が覚めた?」
何とか寝返りを打って、枕に顔を埋めたアリスヴェルチェに声が掛けられる。
(ジーク?・・・何時から傍にいたの?)
そうは思っても、声も出せずに呻くばかりだ。
「はい、水」
「う~~~あり・・・がと・・・」
ガンガンする頭を必死でこらえて、何とか起き上がって水を飲む。粘ついていた口の中が冷たい水で洗われて、少しだけ気分が良くなった。
「それと、こっちはミリッサが作ってくれた。二日酔いの薬だって」
(・・・二日酔い?)
ミリッサとは、この館の家事全てを担ってくれている夫人で、夫ハーピン・ブリックスの妻だ。王都の屋敷に居た時からずっと、アリスヴェルチェとアーネストの世話をしてくれていた。
(これが・・・二日酔い・・・)
それまで酒を飲んだことが無かったアリスヴェルチェにとっては、これも初体験だ。
何やら妙に酸っぱ苦い液体を飲み干して、もう一度水を飲むと、彼女は再び枕に顔を埋めた。
ジークは何も言わず、そっと掌を彼女の後頭部に乗せる。
優しく爽やかな波動が、じんわりと伝わって来た。
1時間くらい経つと、アリスヴェルチェの二日酔い症状は大分緩和されてきた。
「・・・ありがとう、ジーク。いつも迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」
もぞもぞと寝返りを打って口を開いたアリスヴェルチェに、彼女の幼馴染は苦笑交じりに言う。
「昨日のこと、覚えているかい?ワイン、何杯飲んだ?」
「・・・ええと・・・2杯・・・」
2杯目を飲んだ辺りまでは覚えている。しかしジークの顔を窺い見て、彼の顰めた眉に気付くとおずおずと言葉を足した。
「・・・以上・・・」
「ワインの瓶は、空になったよ」
「ぅ・・・ぅわ・・・ごめんなさい。1本全部私が飲んじゃったってこと⁉」
「最初の1杯は、俺が飲んだけどさ・・・それよりも、聞きたい事と言って置きたい事があるんだけどね。どこまで覚えてるの?酔っぱらってた間」
「ええと・・・」
アリスヴェルチェは、言いにくそうに答える。
「ワインが凄く美味しくて・・・何だかすっごく楽しかったのは覚えてる。花や蝶々や・・・小鳥が飛び回ってるみたいな世界で・・・」
「実際、飛び回ってたのは、ワインボトルとグラスやクッションだったけどな」
「・・・・へ?」
思わず珍妙な顔になるアリスヴェルチェに、ジークは溜息をついて説明した。
「アリスは、酒に弱いと思う。ワイン1杯で、もうおかしくなってたからさ。で、酔うと理性が吹っ飛んで、普段は抑えている魔法がダダ洩れになるんだよ。今回は被害も大きくなかったからいいけど、炎や電撃が飛び出してたら大惨事になったぞ」
「ひ・・・・ひぇ・・・っ」
我ながら、とんでもない状況を引き起こしたようだ。覚えていないという辺りも、危険極まりない。
「ご、ごめん・・・なさい・・・」
「うん、だからアリスは今後、お酒の類は一切飲まないほうが良い。お菓子類に酒が使われることもあるから、注意して。勧められても、身体に合わないとか何とか言って、絶対に口にしない事だね」
「・・・・はい」
あの美味しかったワインは、もう二度と味わえないんだな、と残念には思うが、仕方が無いと諦めるしかない。
アリスヴェルチェは、しょんぼりと俯いて答えた。
午後になると、昨日の言葉通り、ベリル・スレーブ村長がやって来た。ビッグボアの肉を大量に持って来た彼は、少年を1人連れて来ていた。
「早速ですが、ご報告させてもらいやす」
訛りが強い話し方で口を開いた村長は、個人的な話の時は普段通りにしゃべってくれて良いとアリスヴェルチェに言われている。
「このお館を探っているヤツがいるってことでしたが、俺1人じゃ難しい時もあるんで、息子にやらせてみたんでサァ。おい、自己紹介しな」
村長は連れて来た少年を見て、話すように即した。
「うん、父ちゃん。ええと・・・オレ、パンサって言います。年は13で、ええと・・・末息子っつうんだけ?」
陽気そうな雀斑だらけの顔に笑顔を浮かべ、パンサと名乗った少年は臆する様子も無く話す。
「父ちゃんに言われて、毎日お館の周りを見て回ることにしてたんだ。父ちゃんは、村長の仕事や畑仕事に忙しいからさ」
村長は苦笑いで、息子の言葉に付け加えた。
「パンサは末っ子なんだけんども、はしっこくて、息子たちの中では一番機転が利くんですわ」
スレーブ村長と息子の話を、ジークも一緒に聞いていた。アリスヴェルチェは彼にも事情を説明しておく。
「こっちに来てから、年に1~2回くらいだけど、館の中、つまりアーネストと私のことを探っていく人が来ていたの。気づいたのは去年くらいだけど。私が王都に行っている間に来る事もあったから、いない時は注意して置いて欲しいって村長に頼んでいたのよ」
「・・・なるほど。で、どうだったのかな?」
ジークに問いかけられた少年は、人差し指で鼻の下をこすりながら得意そうに答えた。
「うん、来たよ。アリスヴェルチェ様が王都に行ってから暫くして・・・先月くらいだったかな。何だか妙に怪しい・・・チンピラ風って言うのかな・・・ちゃんと働いてないような男がサ、お館の周りをうろついてて、村の酒場に入って行ったんだ」
ポタジェ村には、食堂兼酒場の様な店が1軒だけある。
「そんで、こっそり付いて行って、酒場のオバチャンに手伝わせてって言って、こっそり様子を見てたんだ。そしたら、他のお客の話を盗み聞きしてたみたいなんで、コイツがそうかって思ったんだよ。そんで、家に帰ってロバを連れて来て、そいつが村を出ていくから後を付けたんだ」
男は途中荷車に乗せて貰ったりしながら、王都を目指していたそうだ。
「後をつけていくのは、大変だっただろう?」
ジークの言葉に、パンサは自慢げに胸を逸らせて答える。
「ロバ、連れて行って良かったんだ。親のお使いに行く子供みたいでサ、追い抜いたり立ち止まってたりしても、変な目で見られることも無いジャン。そいつが荷車に乗った時は、オイラもロバに乗ったし」
そしてパンサは、賢そうなとび色の瞳をキラキラさせて、最後に言った。
「王都に入ったら、そいつは真っ直ぐスゲェでっかいお屋敷の裏口に入って行ったんだ、歩いてる人に誰のお屋敷かって聞いたら、アルアイン公爵っつう貴族のだって教えてもらったよ」
「・・・アルアイン・・・か」
ソファーに深く座り直して腕を組んだジークに、アリスヴェルチェは淡々と呟く。
「やっぱりね。両親が亡くなってからずっと、少しずつ調べていたけど、これで確定したようなものだわ。アルアイン公爵が、人を雇ってアーネストと私の様子を窺っていたんだわ。没落したフォーゲル家の最後を見届けるために」
何の力も持たない没落貴族の最後を、確認する程度のことだったのだろう。復讐など出来ないと思っているだろうから、念のため程度のことかもしれないが、やはり気分が悪いものだ。
険しい顔になったアリスヴェルチェに、ジークは少し考えてから口を開いた。
「・・・そう言う目的もあったかもしれない。いや、それならそれでも良いが、年に1~2度でも様子を窺っていたのは、フォーゲル家が存続しそうなら乗っ取るつもりもあったんじゃないかな。由緒ある家柄だしね」
「・・・え?」
「アーネストが健康になれば、アルアイン公爵家の血筋の誰かと結婚させて、子供が出来れば後見役として思い通りに出来るし、子供が出来なければ同じように一族の子供を養子に迎えさせればいい。あの公爵は、そうやって勢力を広げてきているんだ」
成程、とアリスヴェルチェは頷く。
「アーネストはまだ15歳だから、まだ様子見の段階なんだろうな。アルアイン公爵には、まだ嫁いでいない娘が1人いるが、今は王妃候補として推しているところで、そっちが上手くいかなければアーネストの方に乗り換えさせるかもしれないな」
国王ヨハネスは、まだ独身だ。前国王である彼の父が、魔物との戦いで負傷し急遽退位する事態になったために、彼が即位する運びとなったのだ。『戦う者』のトップである国王なので、戦えなくなればその地位を退く。それが王国の習わしで、珍しい事ではない。
「・・・イレーネ・アルアイン公爵令嬢ね」
アリスヴェルチェは、思い切り眉を顰めた。あのイ・ジ・メ トリオの筆頭だったのだから、嫌な記憶しかない。
「そうだな。今は王妃候補を集めている段階だが、分が悪そうだぞ。もっと『癒しの力』に優れている令嬢や、他国の王女も候補にあがってるからな」
アリスヴェルチェは、ゾッとして身震いした。そんな事は、御免被る。
イレーネが義妹になるなんて、考えたくもない。
けれどそこで、ハッと現実に戻り、パンサと村長に向き直った。
「ありがとう、パンサ、村長。お礼をしなくちゃね」
すると村長は、目の前でブンブンと両手を振って辞退する。
「いや、そんなお礼なんて・・・アリスヴェルチェ様には、本当にお世話になっていやすから。あ・・・でも図々しいとは思いやすが、お願いがございますんで」
首筋をポリポリと掻きながら、申し訳なさそうに村長は続けた。
「このパンサを、都へ連れて行って貰えませんでしょうか。親の眼から見て、コイツは畑仕事や狩りには向いてないと思うんでさぁ。ウチの仕事は兄たちがやってくれてるんで、そっちの心配は無ぇし、だったらコイツにはもっと自分に合った仕事をさせてやりてぇと思ってますんで。コイツ自身も、以前から都に行きたいと言ってますし」
どちらにしても、あと数年後には行かせるつもりだった、と村長は言う。
けれどやはり親としては心配もあるので、丁度良い機会でもあるし、王都のフォーゲル家の屋敷で働かせてもらえたらありがたいと思ったのだろう。
「コイツが慣れるまででも構いませんので、お屋敷の下働きにでも使ってやっていただけませんでしょうか?」
頼み込む村長に、隣のパンサも慌ててピョコンと頭を下げた。
「お、お願いしますっ!オイラ、何でもやりますからっ!」
「・・・向こうの屋敷に来るのはイイのだけれど・・・はっきり言って、使用人は誰もいない荒れ放題の屋敷なのよね・・・」
王都ヘデントールにあるフォーゲル家の屋敷は、由緒ある公爵家に相応しい立派な物だった。
・・・・・・過去形だ。
没落した後、経費節減のため使用人は全て解雇し、中にあった家具調度の類は、カーテン1枚も残さずに売り払っている。屋敷ごと売り払う事が出来なかったのは、買い手が付かなかったからだ。裏で誰かが画策していた可能性もあった。
社交シーズンの時だけ屋敷に寝泊まりするアリスヴェルチェだが、その時は勝手口から入り、厨房を使っている。掃除・洗濯・簡単な料理くらいは、自分で出来るようになっている彼女だ。
公爵令嬢とは、とてもじゃ無いが言えない生活ぶりである。
アリスヴェルチェから、今の屋敷の様子を説明されると、パンサは意外にも大張り切りで答えた。
「それじゃ、オイラは今日からここで、ミリッサおばさんに掃除や洗濯や料理を習うよ!向こうに行ったら、少しでも役に立てるようにサ。時間がある時だけ、都の中を見て回るだけでイイんだ。最初は、その方がイイだろうし」
するとジークも、横から助け舟を出す。
「そうだな、俺も街に出ることは多いから、顔を出すさ。何なら、街中を案内してやるし」
実は常々、アリスヴェルチェがたった1人で屋敷に寝泊まりすることを心配していた彼なのだ。
元気な弟が1人、出来たと思えば問題はない。
アリスヴェルチェは、少しだけ考えると、ゆっくりと首を縦に振った。
「解ったわ。それじゃ、次のシーズンの前に向こうに行くから、その時に一緒に行きましょう」
村長が帰り、パンサが厨房の方へ行くと、ジークは徐にアリスヴェルチェに問い掛けた。
「アルアイン公爵が冤罪を掛けた相手だと解ったわけだが、今後はどうするつもり?」
「・・・フォーゲルの翼・・・フォーゲル家の家宝のOrareを、取り返すわ」
Orareとは、王族や貴族だけが持つことを許されている『畜魔力器』の総称だ。
王家は強力なOrareを複数所有し、貴族は家宝として代々受けつぐOrareを1つ持っている。
ジークの姉レイラも、大きなエメラルドの様なOrareを所持していた。ただしジークは、王族でありながらも、魔力検定を通らなかったことで所持することが出来ずにいる。
「取り返す・・・って?」
ジークの疑問に、アリスヴェルチェは声を潜めて話し出した。
「今まで誰にも言っていなかったんだけど、お父様とお母様が亡くなった時、そこにあったはずのOrareが、どこにも無かったのよ」
フォーゲル伯爵夫妻は、謹慎処分を受けて護送される途中、馬車の事故で亡くなった。
馬車ごと崖下に転落し、御者も含めて全員が死亡するという悲惨な出来事だった。
「転落事故自体にも、不審な点はあるんだけど、目撃者もいないから探るのは難しくて・・・Orareの方から調べようと思ってた。ジークも知ってると思うけど、Orareって普通は所有者が身に着けているものでしょ。お父様も、いつも身に着けていたの。でも、亡骸は勿論、事故現場にも無かった・・・誰かが、どこかのタイミングで持ち去ったのよ。誰かって言うのは、事故に見せかけて両親を殺害した犯人で、今はそれがアルアイン公爵だと思ってるわ」
ジークは口元に拳を当て、暫く考えてから再び口を開く。
「・・・フォーゲル家のOrare・・・フォーゲルの翼って、結構知られているよね?」
「そうね、古い物だし・・・形も珍しいから。サークレットで、翼の飾りが付いてるから、見れば直ぐ分かるかもね」
銀色の細いサークレットには、翼の意匠の飾りがついている。家名の『フォーゲル』も古い言葉で、翼の意味があった。
「アルアイン公爵がそれを持ち去ったとすると、彼はそれを隠しておくしか出来ない筈だ。多分、時期を待って・・・例えばフォーゲル家が断絶するとか、完全に支配下に置くことが出来たらとか・・・それから表立って使うつもりなんだろう。だから今は、自分の屋敷のどこかに隠していると思うな」
「うん、私もそう思う。だから・・・先ずは、色々調べないとね」
次に王都に行くのは、きっとシーズンが始まる前になるだろう。
アーネストの専属『癒し手』も、契約が終わる前に新しく見つけなければならない。
アリスヴェルチェは、窓の外の雪を見ながら気を引き締めた。
「いつも、ありがとうね・・・」
ふいに、アリスヴェルチェが声を掛ける。
「ジークには助けて貰ってばかりなのよね。私は何もお返しできてないけど・・・」
少し素に戻って、年相応の娘らしい雰囲気になったアリスヴェルチェに、ジークは歩み寄ってその肩に手を置いた。
「そうかな?そんなことも無いと思うけど・・・アリスがいるだけで、俺は嬉しいし・・・」
目が離せないくらい危なっかしいし、世話が焼けると思う時もある。
けれど幼い時からずっと、長い時間を過ごしてきて、互いのことを一番よく知っている間柄だと思う。
それに気づいた時、これからも傍にいたいと思う女性は、彼女だけだと感じた。
「そう?・・・それは嬉しいけど・・・何時かジークに縁談が来たら、私はもう会わないつもりでいるのよね・・・」
「えっ?」
「だって、いくら男女関係はない幼馴染だって言っても、妻にとっては気が休まらない存在だと思うわ。夫婦関係に波風立てたくないの。変に誤解されてジークが困ったりするくらいなら、会わない方が良いと思ってる」
彼に惹かれつつある気持ちを、自分なりに理解しているアリスヴェルチェだが、同時に今は恋愛よりも優先すべきことがあると解っていた。
けれどジークは、あっさりと言った。
「・・・じゃあ、これからも、縁談話は来た瞬間に断るさ」
「これから・・・も?」
「ああ、実は今までもそれなりにあったんだ。落ちこぼれでも王族だし、俺自身に価値は無くても、子供が産まれれば胎児洗礼を受けられるだろう?それを目当てに、縁談を持ってくる貴族がいるんだ。つまり、種馬として役に立ってくれと言われているようなものなんだな。それが不快で、ずっと断って来てたんだが、これからは断る理由が1つ増えたってことだよ。アリスに会えなくなるくらいなら、縁談は即刻断るの一択だ」
「私も・・・ジークと会いたいって思うけど・・・私がこんな面倒くさい幼馴染じゃ無かったら良かったのにって・・・」
彼は、俯いたアリスヴェルチェの前に立った。
「だから、それでも・・・・」
君が好きなんだ、と言いながらいきなり抱き寄せて、彼は唇を重ねた。
「ウォッチイッ!」
ジークの声よりも先に、重なった2人の唇の間に火花が散った。
「ああっ!ごっ、ごめんなさいっ!」
悲鳴のようなアリスヴェルチェの声を聞きながら、ジークは口を押えて尻もちをついた。
「び、びっくりして・・・その・・・」
驚きすぎて一瞬理性が飛んだのだろう。
電撃か炎かは解らないが、少なくともジークの唇は多大なダメージを受けた。
アリスヴェルチェの方は、申し訳なさと居たたまれなさに泣き出しそうになり、パッと背を向けて逃げ出そうとする。
「ま、待って!」
ジークは咄嗟に手を伸ばして、触れたものを掴んで引き留めようとしたが、それは彼女が日常的に使っている杖だった。
「キャァッ!」
ドテッと、バランスを崩して転ぶアリスヴェルチェ。
「あっ!ご、ごめんっ!」
床に転がった同士、何とも言えない表情で謝り合う2人だったが、最期はプッと吹き出してしまう。
その辺りは、流石に幼馴染だからかもしれない。
それでもアリスヴェルチェは、直ぐに真顔に戻って、彼の顔を覗き込んだ。
「ホントにごめんね・・・大丈夫?」
真っ赤に腫れ上がった唇に指を近づけるが、触れる寸前で止める。
泣き出しそうなその表情に、ジークの胸がキュンとなった。
「大丈夫。直ぐに治るから・・・」
ゆっくりと腕を回して、彼女をそっと抱きしめた。
「驚かなければ大丈夫・・・多分・・・だから、その・・・次はきっと・・・」
ジークの胸に頭を預けて、アリスヴェルチェは小さく呟いた。
「うん・・・解った」
けれど流石に、今は無理そうだ。
ソーセージのように腫れ上がった唇が、ジンジンと痛みを訴えて来るから。
(・・・脅かさないように、次はちゃんと先に言葉を掛けてからにした方が良さそうだ)
キスやハグをする時は、前もって伝えておいた方が良いだろうとジークは思う。
(・・・あ、だけど・・・その先は?)
キスやハグより先の行為については、大丈夫なのかと思ってしまった。
アリスヴェルチェの場合、理性が吹っ飛ぶと何が起こるか解らない。という事は、彼女が理性を保てるように行動しないといけないのではなかろうか。
少しだけ、想像してみる。
理性を保って淡々としている女性と、いつ何が起こるか解らないとおっかなびっくりコトを進める男性。
そんな2人のラブシーン・・・
(・・・考えるのは、止めておこうかな)
とりあえず今は、腕の中に閉じ込めた大好きな幼馴染を、恋人の感触として精一杯味わおう。
彼は彼女のふわふわした黒い髪に、そっと鼻先を埋めた。
髪の香りは甘く、どこか懐かしい想いを感じさせた。




