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スケアクロウの翼   作者: 甲斐 雫
第3章 公爵領と王宮

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19/21

3 眠りの中で

 アリスヴェルチェは、深い眠りの中にいた。


 ジークは彼女を王宮の自室に運び、それ以来ずっと傍にいる。

 アリスヴェルチのケアは、彼が全てを行っていた。侍女の手さえ借りず、着替えも身体を拭くことも、髪をとかすことも全て自分だけでやっている。

 あれからもう、ひと月の時間が経っていた。



 ジークは、繰り返し思い出す。

  ディアルナの魔法で癒され、酷い胸の傷も塞がり、顔色も良くなったアリスヴェルチェ。

 その身体を胸に抱いたまま、自分は砦の広間の床に座り込んでいた。


 異世界の美しい魔物は、唄うように告げる。

「愛と裏切り・・・多くの事を知って、こんな世界は酷いとさえ思っていました。ですから、それにケリをつけられて気が済みました。けれど、最後に貴方達と会えたことは素晴らしかったと思います。まだまだ、知らないことが沢山ある・・・人の愛は、きっと色々な形で存在するのでしょう。とても惹かれますが、やはり(わたくし)は帰ります。きっと沢山叱られて、罰を受けるかもしれませんけどね」

 ディアルナはそう言って、静かに微笑んだ。

「それでも、遠い将来、また来たいと思います。貴方達と会うことは、もう無いと思いますが、全てが良い方向へ動き、お二人が幸せに暮らすことを祈っています」


 窓の外から、門をこじ開けるような音が聞こえて来た。

「誰か来たようですね。それでは・・・さようなら、そして、ありがとう」

 ディアルナは、優雅に身を翻し、本来のラトラーダの姿になる。そして一度だけ、ジークとその胸の中のアリスヴェルチェに暖かな視線を向けると、軽やかに窓から飛び出していった。


 その姿を、駆け付けたユールフェストとパンサは、しっかりと見届けていた。

 黄金色の美しい鹿の様な魔物が、空を飛ぶように遠くへ駆け抜けていった姿を。

 そして2人は、この事件の重要な証人となった。


 彼らが広間に駆け込むと、パンサはゲェッと呻いた。床に転がった白骨の山。床に染みた血の跡。そしてその周りに散らばる、衣類の切れ端や幾つものOrareと剣。

 アルアイン公爵の、成れの果てだった。



 ユールフェストは公爵の足止めに見切りをつけた後、急いで王都に戻ろうと馬を返したが、直ぐに王都から駆けて来たパンサと出会った。異例の早さで公爵の謀反に関する対応を進めた国王は、パンサに勅諚を持たせて寄越したのだ。

 国王の勅諚を持って、砦に至る道の門を開かせた2人は、信じられないほどの速さでやって来ることが出来たのだった。

 その後は、2人の働きで、速やかに王都に運ばれたアリスヴェルチェとジークだった。



 眠ったままのアリスヴェルチェの周囲では、沢山の出来事があった。

 先ずは、公爵の謀反に関する調査と断罪。

 そして、それらを迅速に進めるために、既に準備がと整っていたレイラ王女の院主就任を急ぎ行う。そしてめでたく新院主となったレイラは、国王と共に精力的に働いた。


 やがてアルアイン公爵の謀反は、正式に開示された。以前ジークがコツコツと集めた様々な証拠や資料は、公爵に与していた貴族たちに反論の余地も与えなかった。

 公爵の領地は没収され、その資産も全て一旦国王の預りとなる。

 妾腹の息子2人は、国外追放となった。無一文で追い出された彼らは、大した才能も気概も無いので、自らを養うのも大変になるだろう。

 正妻の娘で、かつては王妃候補にもなったイレーネは、本家とは殆ど縁も無い、遠い遠い親戚の男爵家に預けられた。身の回りの品と僅かな宝石だけを持たされて追放されたイレーネだが、それでも男爵家が受け入れを承諾したのは、彼らが貧乏だったからに違いない。元、とは言え公爵令嬢だったイレーネなら、支度金を払ってでも嫁、或いは妾に貰いたいと言う相手はいるだろうと踏んだのだ。

 こうして、アルアイン公爵家は完全に王都から消えた。

 成功に至らなかった謀反だが、王国に与えた被害が大きかったことと、済んでのところヌーディブランチのブレスで死を覚悟した国王の怒りが激しかったことが、処分の厳しさの原因だったのだろう。



 レイラは、院主として多忙な日々を送ったが、それでも1日おきに侍女を連れて、ジークの部屋に来た。

 眠ったままのアリスヴェルチェの、健康管理のためだ。お伽噺の眠り姫のように、眠ったまま魔法で守られているわけでは無いので、体調を維持する必要がある。

 アリスヴェルチェは食事も取らずに眠ったままだが、レイラと侍女たちの癒しのお陰で、寝息は規則正しく、ただ健やかに寝ているだけのように見えた。


 ある日、いつものようにやって来てアリスヴェルチェのケアを行った後、レイアは侍女を先に返すとベッドの傍の椅子に腰を下ろした。

「今日は少し、話があるの」

 ジークは怪訝そうな顔で、けれど自分も椅子を持って来て腰を下ろす。忙しい姉が、改まって話があると言うなら、それは大事なことなのだろう。


「クローネ叔母さまが、聖別院を退かれたわ。諸々の手続きがやっと終わったので、これからは毎日ご家族と一緒に暮らすのよ」

 前院主となったレイラの叔母、クローネ・ブルーメンは仕事を離れて家に戻ることになる。今後は一貴族の奥方として、悠々自適の生活になるだろう。院主となってからの結婚で、政治的な意味合いも強かったが、夫は温厚で真面目な性格で妻への理解もあった。聖別院の仕事で留守がちな妻を支え、授かった男児の教育にも気を配るという、珍しいくらいによく出来た貴族男性だ。

 クローネは聖別院の直轄領をレイラに譲り、以後は功労金として年金のように決まった額を国から与えられる。それは直轄領から得られる収益に匹敵するほどのもので、死ぬまで裕福なくらいが出来るはずだ。

 もしその年金が無くなったとしても、夫の領地から入る収入で充分暮らしてはいけるのだが。

 どちらかと言えば家庭的で、大人しい性格だったクローネは、これからの生活を寧ろ楽しみにしていたそうだ。


「それでね・・・クローネ叔母さまから、一度貴方とアリスヴェルチェに会って、謝りたいと言われたの」

「・・・は?」

 謝られることなぞ無いと、ジークは首を傾げた。


「私ね、これからする自分の仕事は学び終えたわ。で、その中で一番重要な役目である『胎児洗礼』の事も、詳しく知ったの。『胎児洗礼』って実は凄く難しくて・・・詳細は部外者には言えないけど、大まかに言えば2段階に分かれているのよ」

 姉の話に、ジークはその意図が解らず曖昧に頷くばかりだ。

「まず初めに、胎児の性別を判断するの。でもそれって、コツと言うか技と言うか、経験やサポートが必要だったりする。それは主に、前任者が伝授するんだけど・・・私は叔母さまがそれをしてくれたけど、叔母様自身にはそんな助けは無かったそうなの」


 クローネが院主を継いだのは、急な事だった。前院主が、不慮の事故で亡くなってしまったのだ。それゆえ研修期間も無く、側近の助けはあったが、殆ど資料を読んで後はぶっつけ本番な場合も多かったと言う。


「院主の座を降りて、やっと告白できるようになったって仰って、私に打ち明けたの。『胎児洗礼』の性別判断を間違えてしまったことをね。それがジーク、貴方とアリスヴェルチェだったって」


 そこで漸く、ジークは合点がいった。

 つまり自分は、胎児の時に女児と間違われ、その結果『癒しの力』を与えられたのだ。そしてアリスヴェルチェも同様に、『戦う力』を授けられた。


「今までずっと謝りたかったけれど、聖別院の信用にも関わるからって止められていたそうよ。でも院主を退いた後なら、謝罪だけでも出来るのではないかって、私に尋ねてこられたの。私としては、構わないと思うのだけど」

 レイラの言葉に、ジークはポツリと呟いた。

「・・・今更」


 彼の姉は、その呟きを拾うと、そうよねとだけ答えて黙る。

 けれどジークは、暫く考えて口を開いた。


「いや、謝罪は受け取るけど会いに来る必要は無いって、叔母さまに伝えて置いて欲しい。確かに子供の頃なら、そんなの酷いくらいは思ったかもしれないが、今はただ納得がいったと思うだけなんだ。今の自分が、それなりに気に入ってもいるしね」

 落ち着いた口調で話すジークは、自分の中で折り合いをつけたのだろう。

「それに、今の自分とアリスヴェルチェがいたから、アルアイン公爵の謀反を防げた訳だし」


 もしジークが『戦う者』でアリスヴェルチェが『癒やす者』として成長していたら、2人は幼馴染にさえなっていなかったかもしれないのだから。


「確かに、そうね。今頃アルアイン公爵が、玉座に座っていたかもしれないのよね」

 レイラは、少しだけ笑みを浮かべて頷いた。

「多分、アリスもそう言うんじゃないかな。でも・・・」

 ジークは、眠る彼女に優しく視線を送る。

「それでも・・・今は、アリスがこんな状況になっていることだけは・・・」


 アリスヴェルチェが、辿った運命を、その結果を、ジークはあまりにも悲しすぎると思うのだ。だからそれ以上は言えない。けれど彼は、最後にきっぱりと言った。


「叔母さまがそれで楽になるのなら、アリスが目覚めてから会いに来て欲しいと伝えて欲しい」


 会って謝罪をすることで、きっと彼女の心は安らぐのだろう。けれど、アリスヴェルチェが目覚めるとは限らない。いや、もしかしたらずっとこのままである可能性も大きいのだ。それならば、このくらいのことは言っても良いだろうとジークは思った。


「・・・解ったわ。そうお伝えしておくわね」

 レイラは弟の心中を察して、優しい笑みを浮かべる。

「私はね、子供の頃は『戦う者』になりたかったの」

 椅子に深く腰を沈め、遠くを見るようにレイラ院主は語り始めた。


「男の子と遊ぶ方が楽しかったし、身体を動かす方が好きだった。でも私は、自分の進む道を理解していたし、周囲の期待にも応えたくて、誰にも言わずに『癒す者』へと進んだの。でも時期院主に決まった時、目の前が開けたような気がしたわ」


 生まれる前から、胎児洗礼によって性別による区別された祝福を受けること。それによって、使える魔法が決まってしまうこと。それこそが、正すべき事なのでは無いだろうか。

 長年続いている因習を、変えることは難しい。けれど院主としてなら、出来ることはある筈だ。


「アリスや貴方を見ていて、その気持ちは益々強くなった。生まれる前から男女の人生を決めてしまうのは、間違っているって。だから私は、『胎児洗礼』の在り方を変えるつもり」


 研修や訓練で、ここ1年の間に多くの事を学んだ。だから、出来ると思う。


「先ず『胎児洗礼』では、性別に関係なく、魔力の開放のみを行うようにする。そして10歳の『魔法検定』で、本人の適性や希望を重要視し、『戦う者』に進むか『癒す者』に進むかを決めるようにするの。

幸いなことに、今妊娠中の王族貴族はいないから、時間の余裕があるわ。陛下と諮って、実現にこぎつけるつもり。実現したら、新しい『胎児洗礼』を受けた子たちが『魔法検定』を受けるまでには10年あるから、それぞれの学院を共学の体制にすれば良いと考えているわ」


 バイタリティー溢れる瞳で語るレイラは、輝いていた。

 制限のある身分で育ち、けれど自分がやりたかったことを忘れず、新しい目標を掲げ、それに向かって精一杯努力する。自分が出来なかったことを、未来の子供たちが出来るように。この国が、より良く続いてゆくように。

 新院主レイラ・シュバルグランは、後世に残る偉業を達成するのだろう。



 一息つくと、レイラは再び姉の顔に戻り、ジークに向き直った。


「それと、気休めにしかならないかも知れないけど、ここ1か月のアリスのことで、気づいた事を伝えておくわ。ケアを始めた当初は違和感・・・うまく言えないけれど、『癒しの力』がスムーズに伝わらないような感じがあったの。多分それは、『魔物の癒しの力』の余韻なのかもしれないわね」


 ジークはレイラに、ディアルナのことも詳しく話していた。

 現在レイラは、聖別院の院主として、『癒しの力』に関しては最も知識がある人物でもある。その判断なら、確かなものだろう。


「でもここ数日、スムーズに癒せるようになったような気がするの。ジークも、解っているのではないかしら?」

 レイラは意味深な笑みを見せて、弟の顔を覗き込んだ。

「・・・・ああ、そうだな。うん・・・」

 ジークはそっと、ベッドの掛け布団の上に手を置いた。アリスヴェルチェの義足は、外している。



 毎日身体を拭いていたジークだが、最初の頃は気づかなかった。けれどある時、ふと首を傾げた。

(・・・あれ?・・・こうだったか?)

 膝の直ぐ下から無くなっていた左足が、いつの間にか脹脛の上の方辺りまで存在している。

(再生・・・しているのか?)


 これが魔物であるディアルナの、『癒しの力』の副作用の1つなのかもしれない。レイラは、魔物の力の余韻がまだあると言っている。

 そして今現在、再生は更に進み、左足で残っている部分は爪先だけだ。

 これが終わったら、余韻は全て消えるのだろうか。


「僥倖だと良いわ。・・・解るのは、まだ先になるけど・・・また、来るわね」

 レイラは腰を上げて、静かに部屋を出て行った。



 姉を見送った後、ジークはアリスヴェルチェの傍に寄り、その寝顔にそっと手を差し伸べた。

 頬に指を滑らせ、額に掛かった髪を優しくかき上げる。

「・・・アリス、愛してるよ」

 慈しむように見つめ、静かに唇を合わせた。

 応えることも無いが、暖かさだけは伝わる。彼女は生きている、と感じるだけで、じんわりと喜びを感じていた。

「あの時の事を、思い出すたびに胸が苦しくなる。君を失うと思った時の、恐ろしい絶望感を思い出すんだ。だから・・・これからの人生は、君のために使おうと誓った。これからどうなるのか、全く解らないけれど、何が起こっても傍にいるから」


 そしてジークは、再び彼女にキスをする。

「・・・寝ぼすけ眠り姫、キスだけじゃ目覚めないのかい?」


 お伽噺の眠り姫のように、王子のキスで目覚めてくれるなら、どれほど嬉しいだろうか。


「抱きしめたくなるよ・・・腕の中に閉じ込めて・・・髪に顔を埋めて・・・傍に寝そべって(・・・って、ええっ! 何を考えているんだっ!)」

 ジークは思わずパッと跳び退いた。


(い、いくら想い合ってるからと言ったって、眠っている彼女の布団に潜り込むって言うことじゃないか!)

 頭の中に、自分の姿を想像して、ジークはギョッとした。

(それはある意味、いや明らかに・・・不同意・・・)

 不埒な行為に進んでしまったら、犯罪と変わらないではないか。

(そ、それで・・・万が一にも、子供を授かってしまったら・・・眠ったまま出産・・・)


「な、何を考えてっ・・・・」

 ジークは首がもげそうなほど激しく頭を振って、暴走する考えを必死に振り払う。

(ダメだっ・・・こんな変態みたいな想像・・・)


 何度も深呼吸して、何とか気持ちを落ち着かせると、ジークは大きなため息をつく。

 沈着冷静な頭脳派が、キャラ変した時間だったかもしれない。


「・・・勘弁してくれ」

 明日から、どんな顔をして彼女のケアをすれば良いのだろう。

 着替えも、身体を拭くことも・・・


 自制心と忍耐力の厳しい訓練になりそうだ、とガシガシと頭を掻きむしる王弟殿下だった。



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