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スケアクロウの翼   作者: 甲斐 雫
第3章 公爵領と王宮

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2 アルアイン公爵の最後

(あのユールフェストとか言う騎士にを振り切るのに、随分と時間が掛かってしまったな。侯爵家の者だと思うが、全てが終わったら処分を考えないといかん・・・だが、先ずはディアルナだ。集められるだけの魔物を全て呼び寄せさせ、質より量で攻めさせる!)

 この王国内にいる魔物でも、そこそこ強力なヤツは多い。ヌーディブランチの討伐で疲弊した『戦う者』たちが相手なら、充分すぎる戦力になるはずだ。


 砦に来たアルアイン公爵は、まだ意気軒高と言った様子で、広間に足を踏み入れた。

 数歩足を進めた時、螺旋階段から駆け下りる足音が聞こえ、直ぐにアリスヴェルチェが姿を現す。


「・・・! 女騎士(リッテリン)・・・フォーゲル家の娘か。先回りしたのか」

 一瞬驚愕の表情になった公爵だが、直ぐに平静を取り戻した。

「上から来たということは、ディアルナに会ったのだな。で、どうするつもりだ?」

 アルアイン公爵は、腰の剣を抜きながら、不敵な笑みを浮かべて問う。

「・・・聞きたい事が、あります。フォーゲル家に謀反の濡れ衣を着せて、事故に見せかけて両親を殺害したのは、貴方ですね?」


 既に抜き放っているレイピアを構え、けれど無表情で問いかけるアリスヴェルチェだが、既に自分の中の魔力は尽きている。

 今まで心の奥に秘めていた公爵への憎しみと恨みだけが、気力の原動力になっていた。


「何だ? 今ここで、仇討でもするつもりか。女だてらに、威勢がいいことだな。だが、見たところ『フォーゲルの翼』も持っていないようだ。盗み出したは良いが、ヌーディブランチとの戦いで使い切ったと見える。返り討ちに遭うとは、思わないのか?」

 公爵は片手で剣を構えながら、胸元に光るOrareにそっと触れた。彼のOrareには、まだ充分な魔力があるようだ。

「答えろっ!」

 アリスヴェルチェは、声を張り上げた。


「まあいい、冥土の土産と言う言葉もある。教えてやろう、その通りだ。私が全て実行した。謀反に関しては、完全な証拠をでっちあげるのは難しかったのでな、疑惑に関して申し開きをせよと言う王命に応じて、夫妻が急いで自領を出たところを狙ったのだ。なかなか上手くいったと、自負しているよ」


 アリスヴェルチェの頭の中に、カッと炎が燃え上がった。

 何の落ち度もない両親。思慮深く穏やかで、家族を大切にしていた父。優しく思いやり深く、家族を愛していた母。誠実で領民にも慕われていた両親を、己の欲だけのために排除した男。


「・・・許さない」

 アリスヴェルチェは、いきなり距離を詰めてレイピアを突き出した。


 ガツッ!

 鈍い音を立てて、彼女の一撃は弾き返される。


「ハハッ! 無駄だよ。私は常に、防御魔法を自分にかけ続けているからな。王宮にいる時も、寝る時も、ずっとだ。命を狙われることは、日常茶飯事なのでね。長時間の魔力消費を賄うだけのOrareも、常に所持しているよ」

 公爵は、寧ろ面白そうな態度で言う。

 胸のOrare以外にも、服のポケットに幾つも詰め込んでいるのだろう。彼は、これまでに集めたOrareを、全て自分のために使うつもりなのだ。

 常に自分を守り、敵を攻撃する時は他者の力を利用する。それが、彼が選んだ生き様だった。


 幼い頃から、強くなりたかった。誰よりも強くなって、人の上に立ちたかった。そんな少年時代の公爵だったが、魔力検定後に入った学院では、適性が防御魔法であることが解る。

 幾ら優秀でも、防御魔法では敵を倒すことなど出来ない。けれど彼は、人の上に立つことを諦められなかった。

 利用する相手は、人間でも魔物でも構わない。利用できるものは何でも使うと決めて、何とか国王の側近まで上り詰めた。そして得たものが、結果的に高位種の魔物であるディアルナだったということなのだ。


 どう足掻いても、彼を傷つけることは出来ない。

 アリスヴェルチェは、観念したように項垂れて膝をつきレイピアを落とした。


「そうそう、諦めは大事だな。せめて、一息であの世に送ってやるとしよう。こんな所まで来なければ、もう少し生きていられたのだろうが、これも運命だ」


 アルアイン公爵は、下げたままだった剣を徐に上げて、そこにある邪魔な物をどけるような雰囲気も露わに歩み寄る。

 アリスヴェルチェは、静かに顔を上げた。


(チャンスは、この時だけ・・・)

 彼女は右手を、そっと服の間に入れていた。公爵が剣を突き下ろす瞬間だけ、彼の防護壁は解除されるはずだ。武器も持たず魔力も無い今の自分なら、油断してくれるだろう。



 伯爵は、女騎士(リッテリン)の薄い鎧の胸元に切っ先を当てると、斜め上から突き下ろすように力を籠めた。

 その瞬間、アリスヴェルチェは、弾みをつけて伸びあがった。

 左手で彼の手首を掴み、右手を公爵の二の腕に伸ばす。

 剣が、鎧を貫いて胸にめり込んだ。

 けれど血しぶきの音よりも早く、小さな金属音が響く。


 カチッ・・・


「ぅ・・・わっ! 何だ!」

 数歩下がったアルアイン公爵の腕には、あの魔力封じの足輪が着けられていた。


(・・・今だ・・・っ・・・)

 アリスヴェルチェは、レイピアを拾って立ち上がろうとした。

 けれど、貫かれた胸の傷は深く、激しい痛みと出血で眼が眩む。必死で立った瞬間、膝から崩れ落ちた。

(これから・・・なのに・・・っ・・・)

 急激に身体から力が抜け、意識が霞んでくる。


 今まで何度も、苦しさを乗り越えて運命に抗ってきた。それなのに、一番大事なこの時に力が尽きるのか。

 絶望と悲しみが沸き上がったその時、声が響いた。


「アリスっ!」


 螺旋階段を駆け下りて来たジークは、広間の床に倒れ伏しているアリスヴェルチェに駆け寄る。

 その後ろから、ディアルナが付いて来ていた。


「ジ、ジーク殿下・・・ディアルナっ!」

 アルアイン公爵は、王弟の姿に驚き、更に人の姿に戻っているディアルナにも驚愕する。

 そして、彼女が戒めから解き放たれていることを理解すると同時に、その呪具が今、自分に装着されていることに気付いた。


 ディアルナは、裸身のままだったが、妖艶な美女の姿を捨て、神々しいほどの清らかさを纏っている。

 恐らくジークが彼女を落ち着かせ、説得してその姿になって貰ったのだろう。彼女が最初に、この世界に来た時の姿に。


 無表情で公爵に歩み寄るディアルナは、かつて愛しあった相手に手酷く裏切られ、与えられた憎しみと恨みを内に秘めているようにも見える。

 そして彼女は、やはり誇り高き高位の魔物なのだ。


 ディアルナの歩みに慄くように、公爵は顔を歪ませながら後ずさりした。その様子を見て、捌きを下す女神のように、ディアルナはその唇を僅かに開く。


 音とも言えぬ微かな振動が、歌のようにその口から零れた。

 直ぐに広間の外、開け放たれた窓や扉から、不穏な音が響く。


 ザワザワザワ・・・・


 それは大量のシロダゴが、湧き出るように広間に入って来る足音だった。

 30㎝ほどもある虫型の魔物は、ダンゴムシかフナムシの様な体型をし、普段は大人しい性格だ。けれど今は、ディアルナの命を受け、真っ直ぐに公爵へ向かってゆく。


「や、やめろ! やめさせろ! ディアルナっ!」

 公爵は必死になってシロダゴを蹴り払うが、次々と纏いつく大きな虫に足を取られて床に転がった。

「グッ・・・ウッ、ウワァ! た、頼む、ディ・・・ギャァッ!」


 悲鳴と懇願が入り混じる彼の言葉の合間に、不気味な音が聞こえた。

 ガリガリ・・・モザモザ・・・

 それは、シロダゴの小さな口が起こす咀嚼音だった。

 必死にもがく公爵の身体に取りついて、雑食の魔物は規則的に口を動かす。壮絶な痛みと恐怖に、彼はこの世の物とは思えない声を上げ続けた。



「アリス!しっかりしろ!」

 ジークはアリスヴェルチェを抱き起し、その傷の深さに息を飲んだ。

(こ、これは・・・・)

 致命傷に近い胸の傷からは、絶え間なく血が溢れている。直ぐに止血をし、治癒を始めなければならない。

 けれど、ジークにはもう魔力の残量は無かった。

 アリスヴェルチェから預かった『フォーゲルの翼』は、蓄積していた魔力を全て放出し、鉛色になっている。


「アリス!頼む、目を開けてくれ。アリス!」

 ぐったりと眼を瞑り、力なく抱かれているアリスヴェルチェに、ジークは必死で声を掛ける。

 何も出来ないのだと言う絶望感が沸き上がり、せめて彼女の気力を引き出せないかと思った時、口から言葉が飛び出した。


「アリス!・・・見届けろ!アイツの最後をっ!」

 仇敵の最後を、見届けなければならないだろう、と。

 そうする資格も権利もある筈だ、と。


 微かに体が震え、アリスヴェルチェは僅かに瞼を上げる。

 その視界の中に、アルアイン公爵とその身体を貪り食らうシロダゴたちの様子が映った。


 言葉にならない苦鳴と、宙に突き出された腕。

 けれどやがて、彼が挙げる声はパタリと止み、後には不気味な魔物の租借音だけが響いた。


「アリス! 君の両親を殺め、君とアーネストを苦しめたヤツは、これで報いを受けた」

 無表情に公爵の最後を見ていたアリスヴェルチェだが、ジークの言葉を聞いて、彼に視線を向ける。

 けれどその様子は、最期の力を振り絞るようだった。

「・・・アーネスト・・・」

 小さく呟いた彼女の瞳に、涙が溢れてくる。


「・・・ジーク・・・アーネストのこと・・・お願い・・・」

 これから先の、病弱な弟の事を、頼めるのはジークしかいない。

 今までずっと、陰になり日向になり、助け支えてくれた幼馴染。そして無償の愛を捧げてくれて、けれどそれに応えることも出来なかったが、それでも自分にとってはただ1人の愛する人。

 そんな彼に、図々しいような願い事しか出来ないのが、ただ悲しい。


「アリス・・・駄目だ・・・アリス・・・」

 ジークの頬には、涙が零れ落ちていた。

「・・・ごめん・・・なさい・・・」


 アリスヴェルチェの胸には、後悔だけがあった。

 何故あの時、彼に声を掛けてから階段を駆け下りなかったのか。彼の判断を、仰がなかったのか。

 自分だけで、決着をつけようと行動してしまったのか。

 そして何より、こんな結果になって、彼に悲しみだけを味わわせてしまったことが悔やまれる。


「・・・・・・ジーク・・・・・・あ・・・」

 そこまで呟いて、彼女はふぅっと眼を閉じる。

『ありがとう』と続けたかったのか、『愛しています』と告げたかったのか。

 けれど、その眦から涙を流しながら、アリスヴェルチェの身体から力が抜けていった。


「アリス! アリスっ!」

 その名だけを呼びながら、愛する人の身体を抱きしめるジークの傍らに、静かにディアルナが歩み寄った。



「命を繋ぐことなら、出来ます」


 抑揚の無い声で、けれどディアルナは微かに眉を顰めて告げた。

 ジークは一瞬、意味を把握できなかったが、直ぐにカバっと顔を上げて彼女を見る。

「出来るのかっ⁉ 助けてくれ、早く!」

 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ジークは叫んだ。


「出来ますが、(わたくし)の『癒しの力』は魔物ものです。人に対して、どんな副作用が起こるか解りません。命を取り留めても、目覚めないかも知れないし、身体が変化するかもしれない。それでも、良いのですか?」


 ジークは、間髪入れずに答えた。

「構わない! アリスが生きていてくれるなら、それだけで良いんだ!」


 ディアルナは、ハッと目を見開いたが、直ぐに静かに頷く。

 傍らに膝を折って屈むと、彼女は静かにアリスヴェルチェに手を伸ばした。



 暖かく神々しい光が、血生臭い広間に広がってゆく。

 清らかな光は、凄惨な出来事を吹き払うように、室内の空気を変えていった。


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