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スケアクロウの翼   作者: 甲斐 雫
第3章 公爵領と王宮

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17/21

1 古い砦の塔の中

 塔の最上階の小部屋に囚われている獣は、ラトラーダのディアルナと名乗った。

 頭の中に直接響く言葉に、アリスヴェルチェは驚いたが、落ち着いて対応しているジークを見て安心する。

(ただの獣じゃないわね。魔物?・・・でも、ジークに任せておけば大丈夫よね)

 それでも一応警戒だけはしておくことにして、アリスヴェルチェは彼の斜め後方に立った。


 一方ジークは、ディアルナの左後ろ肢に装着されている足輪を注視していた。

(これは・・・もしかして・・・)


 以前アリスヴェルチェと一緒に、アルアイン公爵の隠し部屋に忍び込んだ時、奇妙な空き箱を見つけた。中には足輪の形に窪んだクッションと、メモ書きが入っていた。


『呪具? 全ての魔法を封じる。 装着した者だけが解除できる。

 装着された相手が死んだ場合、または装着場所が切り離された場合は、自動的に解除される。』


 ジークは文面を思い出し、ディアルナに尋ねた。

「この足輪を着けたのは、アルアイン公爵ですね?つまり、貴女は魔力を持つということですね?」

 傷ついている魔物は、黙って頷く。

「・・・我々を信じてくれるなら、事情をお聞かせいただきたいのですが、とりあえず先に怪我を治癒させて下さい」

 先ずは信じて貰う事が先だ、とジークは申し出る。

 知性もあって魔力を持つ魔物は初めて見る、とアリスヴェルチェは思ったが、それならばと『フォーゲルの翼』を外して彼に差し出した。

「ジーク、使って。魔物の治癒は、魔力消費が大きいのでしょ。まだ蓄えは残ってるから」


『フォーゲルの翼』は、あの美しい銀色の輝きを失って、鉛色になっている。ヌーディブランチとの戦いで、かなりの魔力を消費してしまっていた。けれどまだ、ある程度の蓄積はある。


「ありがとう、アリス。助かる」

 ジークは『フォーゲルの翼』を受け取って被ると、軽く目を閉じて集中を始める。そして彼に治癒が始まると、ディアルナの傷ついた身体は、見る見るうちに美しい姿になった。


 輝くような毛並みは金色で、長い尻尾と鬣は虹色。頭の羽飾りも七色に輝いて、眩いばかりだ。


 そこに突然、窓から白い物体が飛び込んできた。

『キュフッ』と鳴いて、ディアルナの前肢の間に跳び込んできたのは、1匹のマルムだ。

 スリスリと体を擦り付ける小さな毛玉は、何かを訴えているように見えた。


『ありがとう・・・ございます』

 ディアルナは、信頼の眼差しをジークに向けた。

『この子が教えてくれました。貴方達が以前、助けてくれたと。木の股に挟まれて動けなくなっていたところを助け出してくれて、傷を癒してもらったと。ですから、(わたくし)は、お二人を信用致します』

 そしてしっかりとした言葉で、2人に伝えた。


(わたくし)は、こちらの言葉で表すならば、・・・ネイバーフィールドと言う表現が近いと思いますが・・・この国と境界を接する世界から来ました。世界と言うか、国と言うか・・・そう言う空間です。こちらの国の事は、(わたくし)たちは『お隣さん』と呼んでいます』


 ネイバーフィールドから来たと言うディアルナは、出来るだけ人間の言葉で伝えられるよう考えてくれている。異世界に近い場所なのだろう。


『ネイバーフィールドは、貴方達が言う魔物の世界です。(わたくし)はラトラーダと言う種族で、支配層に当たります。遠い昔、ラトラーダはこちらの世界との間に、境界を作りました。人間が、まだ未成熟な種族だからと言うことでした』


 高位の魔物である古のラトラーダが、普通に使える魔法。それらの本質を知らない人間の、正しい進化を守るためだったと言う。知性がある魔物たちは人間との接触を断ち、強い力を持つ魔物たちを統治して生活している。人間が対処できる程度の弱い魔物たちは、境界を自由に移動できるそうだ。人間たちが、魔法と言う物を少しずつ理解できるように、と。


 現時点で、人はある程度魔法と言う物を理解し、それを使って生活してはいるが、国や地域によってかなり偏っている。例えばこのシュバルグラン王国では、属性付与魔法と回復系魔法はかなり進んでいるが、それ以外の魔法に関しては全く無いと言って良い。おそらく他の国や地域でも、そのような傾向があるのだろう。


『まだネイバーフィールドと『お隣さん』の間には、魔力に関しては大きな隔たりがあります。障壁が取り払われるのは、まだまだ先の事でしょう。けれど(わたくし)は、掟を破ってこっそりと来てしまいました。人間に対する興味を、抑えられずに。今にして思えば、若気の至りだったと思っています』


 ディアルナは、俯いて話を続ける。

『こちらに来て、人の姿になって、最初に会ったのがアルアイン公爵でした。森の中で出会って・・・それからは幸せでした。彼はここで(わたくし)に言葉や文化を教え、恋や愛も教えてくれました。幸せな日々が続き、(わたくし)は人の愛を知り、ずっとここで暮らしたいと思いました。けれど、魔物と人では寿命や老化か全く違うということに、気づいていなかったのです。そして年月が過ぎるうちに、(わたくし)の姿が変わらないことに彼は疑問を持ち、結局正体を知られてしまったのです』


 激しく問い詰められ、最期は白状してしまったが、それでもディアルナは伯爵を信じていたのだろう。例え真の姿では無いとしても、彼の望むままに、その生涯に寄り添いたいと想うほど、彼を愛していたのだ。

 けれど伯爵は、魔物である彼女を生理的に受け入れられなかった。

 一旦は変わらぬ愛を告げ、王都の屋敷に戻った彼は、隠し部屋から1つの呪具を持って戻って来た。

 魔物を愛人としていた、自分に対する嫌悪感もあったのかもしれない。ディアルナは既にそんな対象ではなく、魔力の高い恐ろしい魔物であり、しかも自分を深く愛しているという、ある意味脅威的な存在になっていた。


 別れたり追い出したしたりすれば、どう恨まれるか解らない。

 それならば、その魔力を封じて閉じ込めるしかないだろう。そして、他に利用価値があるならば、生かしておいても良いだろう。

 そんな風に、考えたのだ。


 公爵は騙すようにして、呪具である足輪をディアルナに着け、その魔力を封じた。彼女はラトラーダの姿に戻り、自由を奪われた。


『それからはずっと、ここに囚われて、彼の命令に従う時間でした。(わたくし)は、魔法を使わなくても魔物たちとの意思疎通が出来ます。指示して行動させることも。彼はここに来るたび、(わたくし)に魔物たちを呼び寄せ命令を下すよう求めました。『お隣さん』にいる魔物たちならば、容易に呼び寄せられるのです』


(それが、このところ続いていた魔物襲来の原因か。・・・いや、もっと前からあったのだろう)


 最初はアルアイン公爵も、色々と試していたに違いない。

 アリスヴェルチェが片足を失った事件でも、不自然な魔物の襲来があったのだ。おそらく公爵は、その頃から謀反の計画を立てていたのだろう。


『そして公爵は、少し前に、ネイバーフィールドから、もっと強い魔物を呼び寄せよと命じました。(わたくし)が、それは出来ないと伝えると酷く痛めつけられて・・・最後は従うしかありませんでした。ただ、時間がかかるということだけは納得してもらえましたが』


 ネイバーフィールドの力の強い魔物は、本来ならば障壁を通過できない。けれど実は、ディアルナがこちらへ来る時に作った裂け目があると言う。その裂け目近くをたまたま強い魔物が通りかかれば、こちらに呼ぶことは出来る。偶然に頼らなければならないので、直ぐには無理だと伝えたのだ。


『けれど、意外にも早くその機会が訪れて・・・それが、あのヌーディブランチなのです。(わたくし)は直ぐに伝令用のグーロウを呼んで、公爵の元に知らせを届けさせました』


(なるほど、そう言うわけか)

 ジークは納得した。

 公爵自身は、もっと先、イレーネと自分の結婚が済んだあたりを想定していたのだろう。けれど思いの他早くヌーディブランチが来てしまったので、計画を決行するしか無くなったのだ。

 巨大な魔物を、自領内に留めておくことも出来ない。こうなったら、多少計画を変えても、実行しようと。それでも充分、成功する確率は高いのだからと決めたのだ。


 ヌーディブランチが砦を去った後、ディアルナはただただ落ち込むばかりだった。

 今までもずっとそうだったが、干渉するべきではない『お隣さん』に、多大な被害や迷惑を掛けているのだから。


「ヌーディブランチは、討伐されました。彼女の功績でね」

 ジークはアリスヴェルチェを見ながら、ディアルナに告げる。

『・・・そうですか・・・良かったです。でも、被害はあったでしょう』

 あの巨大な魔物の力を知っているディアルナは、驚嘆の眼差しで女騎士(リッテリン)を見ながら、けれど悲しそうに続けた。


『私はもう、帰りたい・・・人の愛と幸せを知ったけれど、それ以上の苦しみと痛みを・・・裏切りを知りました。やはり(わたくし)は、ここに来るべきでは無かった。けれど・・・逃げることさえ出来ないのです。・・・どうか、助けて下さい』

 ディアルナは、懇願するように大きな黒い眼を潤ませた。


 ジークは難しい顔になり、アリスヴェルチェに視線を投げる。

「難しいと思うけど、アリスはどう思う?」

「・・・・・・・」

 何とも答えようがない。ディアルナに関しては、とりあえず危険はないと思う。伝えてきた内容は、信じられるものだと判断していた。

「方法は、あるの?」


 アルアイン公爵は、ユールフェストによって足止めされたはずだが、時間稼ぎ程度にしかならないだろう。そうなると、時間の猶予はあまりない。


「足輪を外せるのは、公爵だけだ。だがヤツは、死んでも解除しないだろうな。外した途端に何が起こるか、解らないほど馬鹿では無いだろう。装着した者が死んだ場合、呪具が外れるかどうかは、メモにも書いてなかったから解らないしな」

 例え公爵を捕縛し、命と引き換えに足輪を解除しろと言っても、無駄ではないかと思う。虐げられた高位の魔物が、どう反撃するかは予測できるだろうから。

「そうなると、他の方法を取るしかない。ディアルナ殿、貴女に再生能力はありますか?」


 ディアルナは、少し怯えたように頷いた。

「は、はい・・・魔力が戻れば直ぐに再生できます。身体の一部分ならば」


「足輪ごと切り落とすしかないな。頼めるか、アリス? その瞬間の激痛は、抑えておく。彼女が気を失ったりしないように」

 それにはおそらく、『フォーゲルの翼』の残りの魔力を全て使うことになるだろう。空になったOrareが、再び魔力を蓄えるには時間が掛かる。それでも良いか?と、ジークは尋ねてもいた。

「解った。そうする以外に無いのなら、やるしかないでしょう」



 アリスヴェルチェは、自分の中に残る魔力を集めた。

 レイピアは切るよりも突きに秀でた武器なので、足を1本切断するとなると、魔法で補わなければならない。出来るだけ苦痛を与えないようにするならば、一刀両断しなければならないのだ。

 自分自身の中にある魔力は、ここまでの移動に使った分もあり、底が見えつつある。

 けれど、今はやるしかない。


 ストレングスで力を強化し、グラビティでレイピアに重力を与える。

 そして、気迫を籠めて刃を振り下ろした。


「ハァッ!」

 ゴッ! 

 と、鈍い音が響き、鹿のように細い足首は、足輪の直ぐ上から切断される。血しぶきさえ飛ばないのは、ジークが掛けている魔法のお陰だろう。止血と鎮痛の『癒しの力』を全力で与えている彼に額には、汗の粒が浮いていた。


 アリスヴェルチェは、ガクッと膝を折った。

 自分の中の魔力は、ほぼ底をつき、気を緩めたら眠ってしまいそうなほど疲労が沸き上がる。

 それでも何とか顔を上げると、そこには目も覚めるような光景が浮かんでいた。


 足輪の呪縛から切り離されたディアルナの後ろ肢は、直ぐに再生を始めている。

 肢全体が暖かな色の光に包まれ、徐々に強くなる眩しさの中で、鹿のように優美な肢が見る見るうちに元通りになった。


 既に手を引いて見守るジークの目の前で、美しいラトラーダは4本の肢でしっかりと立つ。そして一度、ブルっと胴震いをすると、再び今度は全身が光に覆われた。

 切り落とされた肢が再生した時と同じように、光は徐々に強くなり眩しくなる。アリスヴェルチェとジークは、声も無くその様子を見守った。


 やがて光がスゥっと引いてゆくと、そこには美しい金髪の女性の姿があった。

 裸の・・・


(美しい・・・けど・・・これは)

 波打つ金髪は、腰のあたりにまで零れ落ちている。

 豊満な胸と細いウエスト。豊かで柔らかそうなヒップ。なよやかな手足と、薄っすらピンクに染まった肌。大きな瞳は濡れて、艶やかな唇と紅潮した頬が煽情的だ。


「ありがとうございます!」

 ディアルナは、人の言葉でそう言うと、そのままジークに腕を回して抱きついた。

(うわっ!ちょっと待て!)


 ディアルナの姿は、恐らく足輪を着けられた直前の物だろう。

 公爵を愛し、彼が望むまま、少しずつ彼の好みに合うように自らを変えていった姿。

 そしてそれは、彼が彼女に求めた愛人としての、女の色気を溢れさせた姿なのだ。


 慌てるジークと抱きつくディアルナの様子を見ながら、アリスヴェルチェは気まずそうに目を逸らす。

 流石に、全裸の女性が男性に、色仕掛けのように抱きついている様子は、見ていたいものでは無い。


 アリスヴェルチェは立ち上がろうとして、床に転がった足輪に目を止めた。

 切り離された肢は、サラサラと砂のように崩れていたが、魔力を封じる呪具は、対象となる相手が無くなったことで働きを停止していた。

 留め具が外れ、パカッと開いた形の輪は、半円の弧だけが2つ繋がったような形で、静かに床に転がっている。

 アリスヴェルチェは呪具を拾い上げ、そっと服の間に押し込むと、ふらつきそうな足を叱咤して立ち上がった。


「ディ、ディアルナ殿! そ、その姿は、公爵の要望に応えるためのものでしょうかっ?」

 ジークはディアルナの腕を何とか引き離しながら、状況を何とかしようと奮闘しているようだ。


(ここは、ジークに任せておいた方が良いわね・・・ん?)

 アリスヴェルチェは、開け放った窓から聞こえて来た微かな物音と気配に気づいた。

 急いで窓から下を覗くと、見慣れぬ馬が1頭、玄関前に佇んでいた。


(アイツが、来た!)

 足止めされていたアルアイン公爵が、遅れてやっとここまで来たのだ。


 アリスヴェルチェは、部屋を飛び出した。

 疲れ切っている頭では、理性的な判断など出来はしない。

 ただ、アルアイン公爵に対する憎しみだけが沸き上がって来る。


 罪を認めさせたい。

 謝罪など求めてもいないが、報いを受けさせたい。

 何の罪もなかった父母が命を失った事件の、真実を知りたい。


 頭の中に浮かぶのは、ごちゃごちゃとした思考の断片だ。

 アリスヴェルチェは、握っていたレイピアをもう一度ギュッと握り締めて、塔の螺旋階段を駆け下りた。



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