1 古い砦の塔の中
塔の最上階の小部屋に囚われている獣は、ラトラーダのディアルナと名乗った。
頭の中に直接響く言葉に、アリスヴェルチェは驚いたが、落ち着いて対応しているジークを見て安心する。
(ただの獣じゃないわね。魔物?・・・でも、ジークに任せておけば大丈夫よね)
それでも一応警戒だけはしておくことにして、アリスヴェルチェは彼の斜め後方に立った。
一方ジークは、ディアルナの左後ろ肢に装着されている足輪を注視していた。
(これは・・・もしかして・・・)
以前アリスヴェルチェと一緒に、アルアイン公爵の隠し部屋に忍び込んだ時、奇妙な空き箱を見つけた。中には足輪の形に窪んだクッションと、メモ書きが入っていた。
『呪具? 全ての魔法を封じる。 装着した者だけが解除できる。
装着された相手が死んだ場合、または装着場所が切り離された場合は、自動的に解除される。』
ジークは文面を思い出し、ディアルナに尋ねた。
「この足輪を着けたのは、アルアイン公爵ですね?つまり、貴女は魔力を持つということですね?」
傷ついている魔物は、黙って頷く。
「・・・我々を信じてくれるなら、事情をお聞かせいただきたいのですが、とりあえず先に怪我を治癒させて下さい」
先ずは信じて貰う事が先だ、とジークは申し出る。
知性もあって魔力を持つ魔物は初めて見る、とアリスヴェルチェは思ったが、それならばと『フォーゲルの翼』を外して彼に差し出した。
「ジーク、使って。魔物の治癒は、魔力消費が大きいのでしょ。まだ蓄えは残ってるから」
『フォーゲルの翼』は、あの美しい銀色の輝きを失って、鉛色になっている。ヌーディブランチとの戦いで、かなりの魔力を消費してしまっていた。けれどまだ、ある程度の蓄積はある。
「ありがとう、アリス。助かる」
ジークは『フォーゲルの翼』を受け取って被ると、軽く目を閉じて集中を始める。そして彼に治癒が始まると、ディアルナの傷ついた身体は、見る見るうちに美しい姿になった。
輝くような毛並みは金色で、長い尻尾と鬣は虹色。頭の羽飾りも七色に輝いて、眩いばかりだ。
そこに突然、窓から白い物体が飛び込んできた。
『キュフッ』と鳴いて、ディアルナの前肢の間に跳び込んできたのは、1匹のマルムだ。
スリスリと体を擦り付ける小さな毛玉は、何かを訴えているように見えた。
『ありがとう・・・ございます』
ディアルナは、信頼の眼差しをジークに向けた。
『この子が教えてくれました。貴方達が以前、助けてくれたと。木の股に挟まれて動けなくなっていたところを助け出してくれて、傷を癒してもらったと。ですから、私は、お二人を信用致します』
そしてしっかりとした言葉で、2人に伝えた。
『私は、こちらの言葉で表すならば、・・・ネイバーフィールドと言う表現が近いと思いますが・・・この国と境界を接する世界から来ました。世界と言うか、国と言うか・・・そう言う空間です。こちらの国の事は、私たちは『お隣さん』と呼んでいます』
ネイバーフィールドから来たと言うディアルナは、出来るだけ人間の言葉で伝えられるよう考えてくれている。異世界に近い場所なのだろう。
『ネイバーフィールドは、貴方達が言う魔物の世界です。私はラトラーダと言う種族で、支配層に当たります。遠い昔、ラトラーダはこちらの世界との間に、境界を作りました。人間が、まだ未成熟な種族だからと言うことでした』
高位の魔物である古のラトラーダが、普通に使える魔法。それらの本質を知らない人間の、正しい進化を守るためだったと言う。知性がある魔物たちは人間との接触を断ち、強い力を持つ魔物たちを統治して生活している。人間が対処できる程度の弱い魔物たちは、境界を自由に移動できるそうだ。人間たちが、魔法と言う物を少しずつ理解できるように、と。
現時点で、人はある程度魔法と言う物を理解し、それを使って生活してはいるが、国や地域によってかなり偏っている。例えばこのシュバルグラン王国では、属性付与魔法と回復系魔法はかなり進んでいるが、それ以外の魔法に関しては全く無いと言って良い。おそらく他の国や地域でも、そのような傾向があるのだろう。
『まだネイバーフィールドと『お隣さん』の間には、魔力に関しては大きな隔たりがあります。障壁が取り払われるのは、まだまだ先の事でしょう。けれど私は、掟を破ってこっそりと来てしまいました。人間に対する興味を、抑えられずに。今にして思えば、若気の至りだったと思っています』
ディアルナは、俯いて話を続ける。
『こちらに来て、人の姿になって、最初に会ったのがアルアイン公爵でした。森の中で出会って・・・それからは幸せでした。彼はここで私に言葉や文化を教え、恋や愛も教えてくれました。幸せな日々が続き、私は人の愛を知り、ずっとここで暮らしたいと思いました。けれど、魔物と人では寿命や老化か全く違うということに、気づいていなかったのです。そして年月が過ぎるうちに、私の姿が変わらないことに彼は疑問を持ち、結局正体を知られてしまったのです』
激しく問い詰められ、最期は白状してしまったが、それでもディアルナは伯爵を信じていたのだろう。例え真の姿では無いとしても、彼の望むままに、その生涯に寄り添いたいと想うほど、彼を愛していたのだ。
けれど伯爵は、魔物である彼女を生理的に受け入れられなかった。
一旦は変わらぬ愛を告げ、王都の屋敷に戻った彼は、隠し部屋から1つの呪具を持って戻って来た。
魔物を愛人としていた、自分に対する嫌悪感もあったのかもしれない。ディアルナは既にそんな対象ではなく、魔力の高い恐ろしい魔物であり、しかも自分を深く愛しているという、ある意味脅威的な存在になっていた。
別れたり追い出したしたりすれば、どう恨まれるか解らない。
それならば、その魔力を封じて閉じ込めるしかないだろう。そして、他に利用価値があるならば、生かしておいても良いだろう。
そんな風に、考えたのだ。
公爵は騙すようにして、呪具である足輪をディアルナに着け、その魔力を封じた。彼女はラトラーダの姿に戻り、自由を奪われた。
『それからはずっと、ここに囚われて、彼の命令に従う時間でした。私は、魔法を使わなくても魔物たちとの意思疎通が出来ます。指示して行動させることも。彼はここに来るたび、私に魔物たちを呼び寄せ命令を下すよう求めました。『お隣さん』にいる魔物たちならば、容易に呼び寄せられるのです』
(それが、このところ続いていた魔物襲来の原因か。・・・いや、もっと前からあったのだろう)
最初はアルアイン公爵も、色々と試していたに違いない。
アリスヴェルチェが片足を失った事件でも、不自然な魔物の襲来があったのだ。おそらく公爵は、その頃から謀反の計画を立てていたのだろう。
『そして公爵は、少し前に、ネイバーフィールドから、もっと強い魔物を呼び寄せよと命じました。私が、それは出来ないと伝えると酷く痛めつけられて・・・最後は従うしかありませんでした。ただ、時間がかかるということだけは納得してもらえましたが』
ネイバーフィールドの力の強い魔物は、本来ならば障壁を通過できない。けれど実は、ディアルナがこちらへ来る時に作った裂け目があると言う。その裂け目近くをたまたま強い魔物が通りかかれば、こちらに呼ぶことは出来る。偶然に頼らなければならないので、直ぐには無理だと伝えたのだ。
『けれど、意外にも早くその機会が訪れて・・・それが、あのヌーディブランチなのです。私は直ぐに伝令用のグーロウを呼んで、公爵の元に知らせを届けさせました』
(なるほど、そう言うわけか)
ジークは納得した。
公爵自身は、もっと先、イレーネと自分の結婚が済んだあたりを想定していたのだろう。けれど思いの他早くヌーディブランチが来てしまったので、計画を決行するしか無くなったのだ。
巨大な魔物を、自領内に留めておくことも出来ない。こうなったら、多少計画を変えても、実行しようと。それでも充分、成功する確率は高いのだからと決めたのだ。
ヌーディブランチが砦を去った後、ディアルナはただただ落ち込むばかりだった。
今までもずっとそうだったが、干渉するべきではない『お隣さん』に、多大な被害や迷惑を掛けているのだから。
「ヌーディブランチは、討伐されました。彼女の功績でね」
ジークはアリスヴェルチェを見ながら、ディアルナに告げる。
『・・・そうですか・・・良かったです。でも、被害はあったでしょう』
あの巨大な魔物の力を知っているディアルナは、驚嘆の眼差しで女騎士を見ながら、けれど悲しそうに続けた。
『私はもう、帰りたい・・・人の愛と幸せを知ったけれど、それ以上の苦しみと痛みを・・・裏切りを知りました。やはり私は、ここに来るべきでは無かった。けれど・・・逃げることさえ出来ないのです。・・・どうか、助けて下さい』
ディアルナは、懇願するように大きな黒い眼を潤ませた。
ジークは難しい顔になり、アリスヴェルチェに視線を投げる。
「難しいと思うけど、アリスはどう思う?」
「・・・・・・・」
何とも答えようがない。ディアルナに関しては、とりあえず危険はないと思う。伝えてきた内容は、信じられるものだと判断していた。
「方法は、あるの?」
アルアイン公爵は、ユールフェストによって足止めされたはずだが、時間稼ぎ程度にしかならないだろう。そうなると、時間の猶予はあまりない。
「足輪を外せるのは、公爵だけだ。だがヤツは、死んでも解除しないだろうな。外した途端に何が起こるか、解らないほど馬鹿では無いだろう。装着した者が死んだ場合、呪具が外れるかどうかは、メモにも書いてなかったから解らないしな」
例え公爵を捕縛し、命と引き換えに足輪を解除しろと言っても、無駄ではないかと思う。虐げられた高位の魔物が、どう反撃するかは予測できるだろうから。
「そうなると、他の方法を取るしかない。ディアルナ殿、貴女に再生能力はありますか?」
ディアルナは、少し怯えたように頷いた。
「は、はい・・・魔力が戻れば直ぐに再生できます。身体の一部分ならば」
「足輪ごと切り落とすしかないな。頼めるか、アリス? その瞬間の激痛は、抑えておく。彼女が気を失ったりしないように」
それにはおそらく、『フォーゲルの翼』の残りの魔力を全て使うことになるだろう。空になったOrareが、再び魔力を蓄えるには時間が掛かる。それでも良いか?と、ジークは尋ねてもいた。
「解った。そうする以外に無いのなら、やるしかないでしょう」
アリスヴェルチェは、自分の中に残る魔力を集めた。
レイピアは切るよりも突きに秀でた武器なので、足を1本切断するとなると、魔法で補わなければならない。出来るだけ苦痛を与えないようにするならば、一刀両断しなければならないのだ。
自分自身の中にある魔力は、ここまでの移動に使った分もあり、底が見えつつある。
けれど、今はやるしかない。
ストレングスで力を強化し、グラビティでレイピアに重力を与える。
そして、気迫を籠めて刃を振り下ろした。
「ハァッ!」
ゴッ!
と、鈍い音が響き、鹿のように細い足首は、足輪の直ぐ上から切断される。血しぶきさえ飛ばないのは、ジークが掛けている魔法のお陰だろう。止血と鎮痛の『癒しの力』を全力で与えている彼に額には、汗の粒が浮いていた。
アリスヴェルチェは、ガクッと膝を折った。
自分の中の魔力は、ほぼ底をつき、気を緩めたら眠ってしまいそうなほど疲労が沸き上がる。
それでも何とか顔を上げると、そこには目も覚めるような光景が浮かんでいた。
足輪の呪縛から切り離されたディアルナの後ろ肢は、直ぐに再生を始めている。
肢全体が暖かな色の光に包まれ、徐々に強くなる眩しさの中で、鹿のように優美な肢が見る見るうちに元通りになった。
既に手を引いて見守るジークの目の前で、美しいラトラーダは4本の肢でしっかりと立つ。そして一度、ブルっと胴震いをすると、再び今度は全身が光に覆われた。
切り落とされた肢が再生した時と同じように、光は徐々に強くなり眩しくなる。アリスヴェルチェとジークは、声も無くその様子を見守った。
やがて光がスゥっと引いてゆくと、そこには美しい金髪の女性の姿があった。
裸の・・・
(美しい・・・けど・・・これは)
波打つ金髪は、腰のあたりにまで零れ落ちている。
豊満な胸と細いウエスト。豊かで柔らかそうなヒップ。なよやかな手足と、薄っすらピンクに染まった肌。大きな瞳は濡れて、艶やかな唇と紅潮した頬が煽情的だ。
「ありがとうございます!」
ディアルナは、人の言葉でそう言うと、そのままジークに腕を回して抱きついた。
(うわっ!ちょっと待て!)
ディアルナの姿は、恐らく足輪を着けられた直前の物だろう。
公爵を愛し、彼が望むまま、少しずつ彼の好みに合うように自らを変えていった姿。
そしてそれは、彼が彼女に求めた愛人としての、女の色気を溢れさせた姿なのだ。
慌てるジークと抱きつくディアルナの様子を見ながら、アリスヴェルチェは気まずそうに目を逸らす。
流石に、全裸の女性が男性に、色仕掛けのように抱きついている様子は、見ていたいものでは無い。
アリスヴェルチェは立ち上がろうとして、床に転がった足輪に目を止めた。
切り離された肢は、サラサラと砂のように崩れていたが、魔力を封じる呪具は、対象となる相手が無くなったことで働きを停止していた。
留め具が外れ、パカッと開いた形の輪は、半円の弧だけが2つ繋がったような形で、静かに床に転がっている。
アリスヴェルチェは呪具を拾い上げ、そっと服の間に押し込むと、ふらつきそうな足を叱咤して立ち上がった。
「ディ、ディアルナ殿! そ、その姿は、公爵の要望に応えるためのものでしょうかっ?」
ジークはディアルナの腕を何とか引き離しながら、状況を何とかしようと奮闘しているようだ。
(ここは、ジークに任せておいた方が良いわね・・・ん?)
アリスヴェルチェは、開け放った窓から聞こえて来た微かな物音と気配に気づいた。
急いで窓から下を覗くと、見慣れぬ馬が1頭、玄関前に佇んでいた。
(アイツが、来た!)
足止めされていたアルアイン公爵が、遅れてやっとここまで来たのだ。
アリスヴェルチェは、部屋を飛び出した。
疲れ切っている頭では、理性的な判断など出来はしない。
ただ、アルアイン公爵に対する憎しみだけが沸き上がって来る。
罪を認めさせたい。
謝罪など求めてもいないが、報いを受けさせたい。
何の罪もなかった父母が命を失った事件の、真実を知りたい。
頭の中に浮かぶのは、ごちゃごちゃとした思考の断片だ。
アリスヴェルチェは、握っていたレイピアをもう一度ギュッと握り締めて、塔の螺旋階段を駆け下りた。




