5 白馬の女騎士
白馬は蹄の音を響かせて、地を蹴った。
そして、軽やかに宙を掛ける。
翼の無い、天馬のように。
背に乗せた女騎士は、片手にレイピアを持ち、巨大な魔物に向かってゆく。
それは、アリスヴェルチェの魔法、グラビティーとストレングスの効果だった。
自らに課した厳しい訓練で、彼女はその魔法の継続時間を大幅に伸ばし、効果範囲も自分だけではなく、その愛馬も含まれるようになっている。
愛馬グラーネも訓練によって、地にある時と同じように、主の意のままに動けるようになった。
詠唱無しの同時掛けは、人馬一体の動きを可能にし、その姿は天馬に跨る女戦士だ。
「あれが・・・女騎士」
「アリスヴェルチェ殿・・・」
「・・・カカシの女騎士」
周囲の人々は、思わず呟いた。
ステーブルベースで、訓練の相手をした『戦う者』たちも、その名だけを知る兵卒たちも、彼女の姿を目で追う。
そしてヌーディブランチも、空中から接近する騎馬に気付いた。
白馬は真っ直ぐに、巨大な化け物の側面から宙を掛けて接近する。魔物はカッと口を開いて、高圧力の水ブレスを吐いた。
鋭い刃にも似たブレスだが、アリスヴェルチェは軽い手綱さばきで難なくかわし、更に距離を詰める。それを追うようにブレスを吐き続ける魔物だが、グラーネは軽々とそれを交わして、一気に巨大な背中に近づく。そしてその背中の上を通り過ぎる時、アリスヴェルチェは愛馬の背から跳び下りた。
白馬はそのまま、真っ直ぐに宙を掛ける。ヌーディブランチの反対側の首は、それを追うように氷のブレスを吐いた。
背後からの攻撃は、グラーネの横腹を掠めたが、その動きを止めることは出来ない。白馬はあっと言う間に離脱し、事前に受けた指示通りジークの元へ駆けた。
(硬くて、ぬめってるわ。でも、滑り落ちることは無いわね)
ヌーディブランチの背に乗ったアリスヴェルチェは、それを覆う鱗の凸凹を踏みながら、中腰で急所を探す。そしてジークに教えられた、背中の中心部分にある筈の脳の真上に来ると、鱗の隙間を探った。
その時、魔物の頭の1つが、無理やり首を曲げてアリスヴェルチェに向かって来た。ブレスを吐くと自分に当たってしまうと解っているのだろう。大きな口をパカッと開けて、噛みつくような気配を見せる。
けれどアリスヴェルチェは、それより先に気配を察し、レイピアを思い切り横に薙いだ。
刃はヌーディブランチの口を、横に広げるように切り裂く。
発声器官を持たない魔物は、大きく体を震わせてその場で悶えた。
「陛下、ヤツの正面に回り込んで、胸元へ最大威力の一撃を与えましょう!」
動きを止めて苦し気に見悶えするヌーディブランチの様子を見て、アルアイン公爵は傍らの国王に進言した。
アリスヴェルチェの邪魔をするなと告げたユールフェストの声は聞こえていたが、統帥権は国王にある。無視をしても構わないし、何ならあの女騎士がどうなろうと知ったことではない。
まだ若い国王は、巨大な魔物へ痛恨の一撃を与えられるチャンスを、『戦う者』の頂点に立つものとして、逃したくないと思ってしまった。それに、正面からならば、あの勇敢な女騎士を傷つけることも無いだろう、と。
「よし、正面に行く。防御は頼むぞ」
国王ヨハネスは、馬を進め、胸元に輝くOrare、『シュバルグランの栄光』を握り締める。
「御意」
アルアイン公爵も、身に着けたOrareを握って、忠臣の所作で答えた、
(あの女騎士・・・『フォーゲルの翼』を身に着けていた。やはり、盗み出したのはアイツか)
アルアイン公爵は、自領から戻ると直ぐに、屋敷の隠し部屋から全てのOrareを手元に戻していた。その時、『フォーゲルの翼』が無くなっていることに気付いていたのだ。けれど、犯人を捜す時間は無かった。
(いずれはまた、こちらに取り戻すとして、今は目の前のチャンスに集中しなければならん)
待ちに待った、千載一遇のチャンスなのだ。
ヨハネスはヌーディブランチの正面、ブレスの範囲内にまで馬を進めた。万一気づかれても、公爵が張った防御壁で防ぐことが出来るだろう。彼の防御魔法の能力については、信頼を置いている。
最大威力の炎の付与魔法を纏わせた槍を投げると同時に、彼はその瞬間だけ防御壁を解く。そのタイミングを掴むことに関しても、公爵は熟練していた。
ヨハネスが呪文の詠唱を終えて槍を構えた時、アリスヴェルチェは巨大な魔物の弱点箇所を探り当てていた。
(・・・ここ・・・・・・ッ)
レイピアの切っ先をその場所に当てた途端、ヌーディブランチの身体が激しく揺れた。
ヨハネスの槍は、怪物の胸元で激しい音と灼熱色の炎を纏って砕け散った。
流石にダメージを受けたようで、その部分の鱗は黒く焦げている。けれどヒビさえ入ってはいない。
思ったほどダメージを与えられ無かったと見て取ったヨハネスだが、次の瞬間ハッと気づく。
(防御壁が張られない!)
「アルアインっ!」
叫ぶながらパッと横を見たヨハネスは、気づいた。
彼は自分の周りにだけ防御壁を張り、国王を見て微かにニヤリと笑う。
ヨハネスは、全てを悟った。
首をもたげ、真っ直ぐに正面を見て、ヌーディブランチはカッと口を開く。
その中に、赤く燃える炎が見えた。
その瞬間、国王は己の最後を覚悟した。
一瞬だけ体勢を崩したアリスヴェルチェだが、直ぐに立てなおしてレイピアを鱗の隙間に立てる。
『フォーゲルの翼』の魔力を借り、最大威力の雷撃を付与させ、自らの力を強化する。
「・・・ハァッ!」
レイピアは、薄青い光を放ちながら、ずぶずぶとヌーディブランチの体内へ入る。
刃の隙間から、稲妻のような鋭い光が、幾筋も漏れ出して彼女の顔を照らした。
そして、レイピアを柄までめり込ませたアリスヴェルチェは、祈るように叫ぶ。
「届けっ!」
巨大な胴体の中にある、動きをコントロールする第2の脳まで、この攻撃が届け、と。
そして次の瞬間、ヌーディブランチの身体がビクンと大きく跳ねる。
アリスヴェルチェは咄嗟に両手でレイピアの柄を握り締めて、体勢を維持した。
(・・・・っ・・・?)
片腕を顔の前に掲げてしまっていた国王は、目を開けた。
今にも炎のブレスを吐きだそうとしてた魔物の口が、天を仰いでのたうつように蠢いている。
(何が、あった?)
アリスヴェルチェは、強化魔法を続けながら、ヌーディブランチの背中を走って4つ首の根元に来ると、再びそこにレイピアを突き立てる。
(ここに、第1の脳があるはず!)
ジークが言っていた、4つの首を統率する中枢がある場所。
彼女は再び、先ほどと同じように、レイピアをヌーディブランチの内部にめり込ませた。
「ぼぉぉぉ~~~~ぶぉぉぉ~~~ぶほっ・・・・」
ヌーディブランチの4つの口から、音が漏れた。
声の無い魔物の、断末魔の呼吸。最後の息が、吐き出された瞬間だった。
(た・・・助かったのか・・・)
ヨハネスは、全ての首をだらりと地に落とし、動かなくなったヌーディブランチの背に立って、レイピアを空に掲げる女騎士の姿を呆然と見ていた。
周囲の『戦う者』たちや兵卒らが、歓声を上げる。
過去に見たことも無い巨大な魔物、ヌーディブランチを討伐した歓喜に、疲弊しきっていた身体も忘れて立ち上がった。
国王も素直に、喜びの表情を浮かべたが、そこでやっと思い出せた。
「アルアイン! どういうことだっ!」
けれど公爵は、既に姿を消していた。
(クソッ・・・忌々しい女騎士め。まさか、あのヌーディブランチが倒されるとは・・・)
アルアイン公爵は、東に向かって馬を駆りながら、必死に考える。
計画通りならば、国王を魔物のブレスで亡き者にし、その後、自分が前に出て、ヌーディブランチを大人しくさせて帰す筈だった。
そうなるよう、予め命令を刷り込ませていたのだから。
(だがっ・・・まだ手立てはある。今ならば、『戦う者』たちはこれ以上戦えないほど疲弊しているし、ヨハネスの予備のOrareは、ここにあるのだから)
アルアイン公爵は、傍らで防御役を務めるので、国王が王宮から持って来た高レベルのOrareを幾つも預かっている。必要ならば、何時でも差し出せるように。
つまり公爵は、自分が用意したOrare以外にも、今は国王のOrareも所持したまま逃げていると言うわけだ。
(中程度の魔物でも良い。急いで送り込めば、勝機はある。もう、なりふりなど構ってはいられない)
国王を亡き者にしようとした、と嫌疑は、例え幾ら弁解しようとしても不興は免れない。色々と面倒なことを処理するよりも、疲弊している今の状況を利用して、一気にクーデターへと持ち込む方が楽なように思える。
アルアイン公爵は、馬を急がせて東へ駆けた。
アリスヴェルチェが、ふわりと地に降り立つと、ユールフェストが駆け寄って片膝をつく。
「アリスヴェルチェ・フォーゲル女騎士、お見事でした」
恭しく頭を下げ、最大限の賛辞を表す騎士が顔を上げた時、ジークがグラーネを伴って駆けつけた。
「アリス、怪我は無いか⁉」
主の元へ駆け寄った白馬は、先ほど受けた横腹の傷は、跡形もなく消えている。ジークが治癒していたのだろう。
「ジーク・・・殿下。はい、無事です」
アリスヴェルチェが、答えた時、遠くから声が聞こえる。
「アルアイン公爵が、逃亡しましたっ!東の方角です!」
それはパンサのメガホンからの声だった。
伝令の仕事がひと段落した後、彼はジークの指示により、アルアイン公爵の近くでその動向を監視する役目を貰っていたのだ。
「追うわ!」
アリスヴェルチェは、グラーネに跳び乗る。
「パンサ!これを陛下に渡せ」
ジークは馬に括りつけていた鞄から、分厚く大きな封書を取り出してパンサに渡す。その表書きには、レイラ王女とジーク王子の正式なサインがあった。
「畏まりました!」
ユールフェストも、移動用に連れて来た駿馬を呼び、乗り換えて叫んだ。
「自分も参ります!」
先に駆け出したアリスヴェルチェの後を追うジークと、国王の元へ走るパンサ。そして新しく馬を替えたユールフェストが、遥か先を掛けてゆく2人の後を、猛然と追いかけた。
「国王陛下に、お渡しするべき物がございます!」
パンサは未だ憤懣やるかたないヨハネスに、馬から跳び下りて叫んだ。
「レイラ王女様とジーク王弟殿下からの、正式な書簡でございますっ!」
国王と直々に話が出来るような身分では無いパンサだが、レイラとジークの名が周囲の動きを止めた。
側近が恭しく封書を受け取り、国王に渡す。つらつらとそれを読み、じっくりとその内容を理解したヨハネスは、キッと顔を上げて下知した。
「急ぎ、王都に戻る。聖別院のレイラ王女に、先触れを出せ」
巨大な魔物の後始末を臣下に任せ、ヨハネス国王は直ちに王都ヘデントールに向かった。
全速力でアリスヴェルチェ達に追いついたユールフェストは、駒を並べて疾走しながら、大声で告げる。
「先に行って、公爵の足止めをします!その間に、お二人は例の聖域へ向かって下さい!」
侯爵の企ての要である、あの聖域と噂される場所。それに関しては、ユールフェストも情報を共有している。この状況では、アルアイン公爵よりも先に、その場所に行った方が良いはずだ。
「ありがたい! よろしく頼む!」
大声を返したジークに続いて、アリスヴェルチェも叫んだ。
「後をよろしくお願いします」
そして疾走するグラーネの首を軽く叩きながら、力強く励ました。
「グラーネ、疲れていると思うけど、お願いね」
背に負う主の方こそ疲れているはずだ、と理解する白馬は、声に応えるように力強く大地を駆けた。
アルアイン公爵の、若い頃の愛人の墓所があると言う噂の山には、麓に門があり門番がそこを守っている。古い砦に続く道は1本しかなく、迂回することも出来ない場所だ。
アリスヴェルチェとジークは、門の近くまで行くと、馬を止めた。
「ジーク、私と一緒にグラーネに乗って」
「解った」
ジークは自分の馬から降りて、彼女の後ろに乗る。
白馬は2人の人間を背負ったが、ここから先は、アリスヴェルチェが魔法を使った。
グラーネは、彼女の重力軽減と筋力増加の魔法で、軽々と岩場を跳び、鹿のように崖を登ってゆく。
そしてやがて、2人の前に蔦が絡まった古い砦の門が見えた。
「ここだな・・・」
最後にふわりと塀を飛び越えたグラーネが庭の中に着地すると、周囲からザワザワと音を立てながら、沢山の魔物たちが逃げていく。
「・・・マルムとシロダゴが多いな」
マルムとは、ボール状の毛玉で良く跳ねる魔物だ。以前も出会ったことがあるが、大人しく賢い性質である。
シロダゴは、マルムと同じく白い魔物だが、虫型でダンゴムシに似ている。雑食性で攻撃性も低いが、弱った生き物も襲って食べることがもある。体調は30㎝くらいでかなり大きく、フナムシのように壁面を登ることも出来た。
「こちらが手出ししなければ、問題ないだろう」
グラーネから降りながら、ジークが呟く。
「もう何十年も、手入れしていないみたいね」
砦の壁は汚れ、所々ヒビも入っている。庭は生い茂って、草ぼうぼうだ。
アリスヴェルチェも下馬し、この近くで待っているように命じる。賢いグラーネは、近くの藪に中に身を隠す。それを見送って、彼女は正面の扉に手を掛けた。
鍵も掛かっていない扉は、あっさりと開き、2人は中に入る。内部は荒れ果て、人気も全く無いが、床に積もった埃には幾筋もの足跡が続いている。
「・・・多分、公爵の足跡だな。これを辿って行こう」
足跡は奥へ進み、広間の様な部屋を通って、狭い螺旋階段へ続いていた、
「塔へ上がる階段ね」
どうやらこの先に、目指すものがありそうだ。2人は気配を消して階段を上り、行き止まりの扉の前に立つ。
そして目配せをすると、アリスヴェルチェが先に立って、静かに扉を開けた。
薄暗く狭い部屋には、小さな窓から入る陽の光だけが差していた。
そして窓の傍の壁に寄り掛かるように、1頭の鹿が寝そべっている。
『だ、誰・・・です?』
怯えたような声が、頭の中に直接響いた。
一見鹿に見えた四つ足の獣だが、目が慣れてみると、逆光の中でもそれは違うと解る。
多分美しかったであろう毛皮は、傷だらけで乾いた血がこびり付き、四肢を曲げて伏せる姿は弱々しい。
そして明らかに違うのは、その長い尻尾と頭だった。
もつれて絡まってはいるが、馬よりも長い毛の尻尾。
頭部には角の代わりに、ぺしゃりと潰れて折れ曲がったクジャクの尾羽の様な飾り毛がある。
馬の様な鬣もあるようだ。
ジークが前に進み、穏やかに声を掛けた。
「私は、ジーク・シュバルグラン。国王の弟で、怪しい者ではありません。危害を加えるつもりも無いので、安心して下さい」
続いてアリスヴェルチェも、静かに名乗った。
「アリスヴェルチェ・フォーゲルと申します。女騎士です」
穏やかで静かな佇まいの侵入者に、鹿に似た獣は少しだけ力を抜いた。
すると、その左後ろ肢にある足輪と鎖に、ジークは気づく。
「囚われているのですか?」
『はい・・・私は、ラトラーダのディアルナ・・・』




