表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スケアクロウの翼   作者: 甲斐 雫
第1章 王都ヘデントール
11/11

8 レイラ王女 聖別院へ

 遠くに連なる山並みを眺めながら、アリスヴェルチェは岩の上に腰を下ろした。

「ふぅ、今日はこの辺で終わりにしようかな。グラーネ、お疲れ様」

 ここは王都ヘデントールから、少し離れた荒地だ。人の気配さえも無い。

 彼女の愛馬グラーネは、主人の言葉に応えるように鼻を鳴らした。


 葦毛のグラーネは、近頃大分白っぽくなって来ている。以前は濃い灰色の地毛に黒っぽい部分が斑にあるような毛色だったが、今は白に近い灰色の中に、濃い灰色の斑模様がある。葦毛の馬は、成長するに従って毛色が変化してゆくのだ。何故か顔だけが真っ白になっているのがご愛敬だが、見た目は決して美しい馬では無い。けれど賢さにおいては、馬の中でもピカイチだろう。


 草を食み始めたグラーネから視線を外し、アリスヴェルチェは遠くを眺めた。

「・・・これから先は・・・どうすれば良いのかな・・・」



『フォーゲルの翼』を取り戻して直ぐ、アリスヴェルチェはポタジェに向かい、弟アーネストに渡した。

 アーネストは心から感謝を伝え、姉の長かった苦労や奪還するための努力を労った。

「姉様、本当にお疲れ様でした。ジーク殿下にも、よろしくお伝えください」

 ベッドの上で座ったままだが、アーネストはしっかりとアリスヴェルチェの眼を見て言う。

「でもこれは、姉様が持っていてください。僕は使うことが出来ないし、ここで保管するのは危ないと思うので」

「え・・・でもこれは、当主が所有する物でしょう?」

 今のフォーゲル公爵家の当主は、アーネストだ。病弱であっても、それは公的な地位である。

 けれど彼は、真っ直ぐに姉の顔を見て言った。

「では、当主として命じます。『フォーゲルの翼』は姉上が持つように、と」

 それは彼が初めて、当主として発言した言葉だった。

 そしてアーネストは直ぐに、悪戯っぽい笑顔になってアリスヴェルチェに言った。

「姉様に、似合うと思うんだ」



 そしてアリスヴェルチェは、『フォーゲルの翼』を持って帰って来た。

 弟の言う事は尤もで、特に安全面では、ポタジェの館には置いておかない方が良いだろう。まだアルアイン公爵は気づいていないようだが、無くなっていることが解れば、内密で捜索をする筈だ、そうなった時、正当な所有者であるフォーゲル家の関係者を探るのは当たり前だ。

 けれど現在王都にあるフォーゲル家の屋敷は荒れ放題で、使用しているのは裏の厨房付近だけだ。アリスヴェルチェとパンサしか住んでいないそこは、家宝を隠して置ける場所など無い。


 岩の上に座ったまま、アリスヴェルチェはスカートの下に手を突っ込んで、袋を取り出した。そして下着の腰に付けた細いベルトに下げてあった布袋を出すと、着けていたサークレットを外して中に仕舞う。


「自分で持っている方が安心と言えばそうなんだけど・・・」

 繊細な造りだがOrareなので、滅多なことでは歪むことも無く頑丈ではある。けれど、目につくところに出しておくわけにはいかない。身に着けることなど、以ての外だ。

「これを持っているって、宣伝するわけにはいかないしね」

 アリスヴェルチェは『フォーゲルの翼』が入った袋を、スカートの下へ隠しながら呟く。

 だから誰もいない場所まで来て、Orareの力を使う練習をしていたのだ。


 今はそれ以外、することが無かった。



 両親を亡くし弟と2人きりでポタジェ村の館に来てからは、ただ生活することに必死だった。

 領地は貧しく民は困窮し、税など取れるようなものでは無い。当面の生活費と弟の医療費を確保するために、館と屋敷にある物は全て売り払った。そんな中で、幼馴染との文通だけが心の支えだった。

 やがてある程度生活が安定して来ると、少しずつ両親が亡くなった前後の状況が解って来る。黒幕がアルアイン公爵だと知ってからは、憎しみと恨みが芽生えた。優しかった父母の、仇を討ちたいと思った。


 けれど現実的に、それは難しい事だと解っている。

 地位も力も相手の方がはるかに上で、正攻法では太刀打ちできない。相打ち覚悟で命を奪うことなら出来そうな気はするが、例え達成できたとしても、後に残される弟の事を考えると実行など出来ない。

 以前手紙の中で、ジークも書いてくれていた。

『ご両親はきっと、天国でアリスとアーネストの幸せだけを願っているよ』と。

 それは確かにそう思う。父も母も、そういう人たちだったのだ。


(お父様もお母様も、私に仇討ちなんて望んでいないわよね。それは解っているの・・・アイツを許せないけれど)

 ではこれから、自分は何を目標に生きていけば良いのか。

 アリスヴェルチェは、結論が出ないままゆっくりと立ち上がって、王都の上に広がる空を眺めた。



 そのまま数日が過ぎ、長い期間お妃選びを慎重に行っていた国王が、漸く結婚を発表する。

 相手は王国の男爵家の令嬢で、『癒しの力』が抜群で気立ても良かった。素晴らしい美女では無かったが、暖かく穏やかな性格が容姿に出ている。そんなところが、国王も大いに惹かれたらしい。


 これによって、レイラ王女は弟でもあり国王でもあるヨハネスの専属『癒し手』の任を、新しい王妃に譲ることとなった。そして彼女は、聖別院の次期当主として王宮を出ることになる。

 忙しくなる前に、レイラ王女は末の弟であるジークと、妹のように可愛がっているアリスヴェルチェに会いたいと伝えてきた。


「この度は、おめでとうございます。レイラお姉さま」

 王女の私室に入ったアリスヴェルチェは、恭しく頭を下げた。

「ありがとう、アリス。数日後には聖別院へ移るけど、これからも今までと同じように遊びに来て欲しいわ。暫くは、研修やら引継ぎやらで忙しくなると思うけど、息抜きは必要だと思うのでね。ジークも同じだから、足を運んでくださいね」

 このところ王宮にいることが増えたジークは、素直に承諾の意を表す。


 聖別院は、院主が女性で、その仕事内容が『癒しの力』に負うことが多いため、沢山の貴族女性が仕事を担っている。けれど男性がいないわけでは無く、男子禁制の場所では無い。『戦う力』が低い場合や性格的に合わない男性貴族などが、事務仕事などをメインに働いている。


 レイラが今後行う予定の研修は、院主としての最も大切な仕事、胎児洗礼に関する魔法の習得がある。勿論それ以外にも、院主としての仕事のノウハウを全て覚えなければならない。

 過去の例から見れば、全てが終了するまでに1年近くは掛かるだろう。


 現在の院主は、レイラの叔母に当たるクローネ・ブルーメンだが、彼女は前院主の急逝によってその地位に就いたと言う事情があった。研修や引継ぎは、聖別院の補佐で何とか出来たようだが、相当な苦労があったのだろう。就任後も特に積極的に何かを手掛けるというようなことが無かったのも、そんな経歴故かもしれない。


 院主と国王は、基本的に同等の地位を持つ。貴族を含めた平民の生活に関することは院主、魔物討伐や国民の安全に関することは国王が担う。けれど最終決定と施行は、国王の名において行われている。

 国王に直轄領があるように、院主も領地を所有する。どちらも基本的には世襲制だが、院主が女性である以上、男性である国王より自分の子供に跡を継がせることが難しくなる場合が多い。国王なら妾腹の子供でも後を継がせることが出来るが、院主だとそれが出来ないからだ。

 現院主であるクローネ・ブルーメンも、結婚しているが子供は出来なかった。なので、最も血縁的に近い、姪のレイラに白羽の矢が立っていたのである。


 院主と国王の力関係は、その時の院主と国王の性格によって変わってくるのが普通だった。なので今後、レイラが院主になった時、ヨハネスとの関係がどうなるかは見ものだろう。



「私が向こうへ行って少し落ち着いたら、2人とも出来るだけちょくちょく来てね。特にジークは、『癒しの学院』の視察には同行して貰おうと思ってるの。男子禁制とは言っても、王族の視察で私が一緒なら問題ないわ。勉強になるでしょ?」

 レイラは彼が、独学で『癒しの力』を学ぼうとしているのを知っていた。教本を貸したが、実際に授業を見学したり、教官に質問出来たら随分と助けになるだろう。

「それは助かります。ありがとう、姉上」

 ジークは、素直な弟の笑顔で、意欲で輝いている姉に答えた。


「私はね、院主になったらやりたい事があるの。詳しい事はまだ言えないし、達成するには長い年月が必要になるだろうけれど、やり遂げようと思っているわ。もしダメでも、せめてその道筋だけでも作って、後世に繋げていきたいの」

 それは何だろう、とジークもアリスヴェルチェも思ったが、レイラの表情を見て、2人とも何故か明るい気分になった。



「ところで、もう1つ大事な話があるわ」

 レイラ王女は真顔になり、秀麗な眉を少しひそめて話題を変えた。

「今朝の事だけど、陛下から話があったの。王妃が決まって、結局アルアイン公爵の娘は選ばれなかったでしょう? イレーネ嬢だったわね。それで公爵は、それなら王弟殿下はいかがでしょうかって言って来たらしいわ」

「ええっ! じ、自分ですかっ!」

 ジークはソファーから飛び上がらんばかりに驚いた。

「兄がダメなら弟で、ってところでしょうね。露骨でイヤらしいけど・・・」

「・・・・いや、ちょっと待って」

 驚愕から何とか気持ちを落ち着けて、ジークはじっくりと考えた。


 普通なら、正妻がダメなら側室で、と思うのでは無いだろうか。実際今回決まった王妃の実家は男爵家で、イレーネが側室になれば実家の地位は遥かに上になる。上手く男子を先に設けることが出来れば、王室内では明らかに勢力が強くなるだろう。謀略を図って王妃を退位させ、娘をその地位に押し上げることも不可能ではない。

 それなのに何故、あっさりと国王を諦め、王弟の自分に嫁がせようとしているのか。


『戦う力』を持たないジークは、シュバルグラン王国では王位継承権を持たない。それでも一応は王家の血を引く人間だから、男子が産まれて『戦う力』を普通に持てば、その子には王位継承権が与えられる。それを狙っているとしても、やはりイレーネを側室にする方が容易だろう。


 アルアイン公爵が、王国内での勢力拡大だけを求めているのならば。


 ジークは更に考える。

 アルアイン公爵は、壮年期を迎え益々意気盛んだ。現時点で、国王に次ぐ資産と勢力を確保している。

 人生のピークを迎え、ここが野心の達成時だと考えたなら・・・


 公爵がクーデターを目論んでいると仮定するなら、娘を国王の側室にするよりも、王弟に嫁がせておいた方が良いのかもしれない。国王夫妻は命を落とすだろうし、側室たちも追放されるのが倣いだからだ。

 自分が国王になれば、当面後継者はイレーネが産む男子になるだろう。前王室の血を引く子供ならば、箔が付くと言うものだ。色々とメリットもあるだろう。今後自分に男子が産まれる可能性も無いわけでは無いし、妾腹なら息子もいる。


(あれだけのOrareを貯め込んでいるくらいだしな・・・)

 公爵の思惑を推し量ると、どうしてもそう考えざるを得ない。

 ジークは、自分の考えを、レイラ王女に全て説明した。


「・・・慎重に動かないといけないわね。私が王宮を離れたら、今までみたいに彼の動向に目を配るのは難しいでしょうし。そうすると、それはやっぱりジークの役目になるわ。陛下には、その旨お伝えしておくから、お願いね。アリスも、出来る範囲で良いから、助けてくれると嬉しいわ」

 レイラの言葉に2人は頷くが、ジークは不審げな顔で姉に尋ねた。

「公爵は、姉上にはまだ何も言ってこないのですよね?」

「ええ、兄弟だから先に陛下の意向を、って言うのは解るとしても、私に直に言うつもりは無いのでしょうね。私が公爵を嫌っているのは、向こうも知っているだろうし、多分陛下から聖別院へ話を通して欲しいと思っているんじゃないかしら」


 そう遠くない未来に、レイラは院主になる。そうなったら、ジークとイレーネの結婚はそう簡単には進まないだろう。何かと忙しい院主交代期間の間に、どさくさに紛れて許可を出して貰おうというつもりなのかもしれない。王族貴族間の婚姻に関しては、聖別院の管轄なのだ。


「それで、陛下は何とお答えしたのですか?」

「一存では決められない。本人の意向が第一と考える。親族として、姉の意向も聞かなければならない、と答えたそうよ。公爵は納得したみたいだけど、とりあえずは貴方にアプローチするのではないかしら」

「う~~~・・・」

 受け入れるつもりは全く無いが、関わることさえ厄介だ。

 それでも、何とかしなければならないだろう。ジークは苦虫を噛み潰したような顔になった。



 今後ジークは今までメインで暮らしていた王都の屋敷から、王宮の自室で過ごさなければならないだろう。アルアイン公爵やその娘と、顔を合わせる機会も多くなりそうでいささか憂鬱になるが、これも務めだと割り切るしかない。

 幸い『フォーゲルの翼』を奪還した後なので、公爵の屋敷に関する情報収集は終わりだ。あえて言うならば、アリスヴェルチェの家に足しげく通うことが出来ない事だけが寂しい。


 アリスヴェルチェは、とりあえず『戦う者』の訓練施設、ステーブルベースに通うことを考えていた。ジークが王宮内で公爵の動向を見るのなら、自分は『戦う者』たちの動向を押さえておこうと思うのだ。

 アルアイン公爵がクーデターを起こすのなら、他の貴族の動きを知っておくことは重要だ。

 ジークに会える機会は少なくなるが、会いたくなったら王宮へ行けばいい。

 やるべきことが出来た、とアリスヴェルチェは寧ろホッとしていた。



「ご無沙汰してしまって申し訳ありません、ライアン様」

 アリスヴェルチェは、早速ステーブルベースに赴くと、責任者であるライアン・ユールフェストに挨拶に行く。

「おお、アリスヴェルチェさん。お待ちしておりました。お忙しかったのですか?」

「はい、でもひと段落したので、今後はこちらに通わせていただいて、訓練させていただきたいと思っています。出来れば、多くの他の皆様とも、お手合わせいただければ嬉しいです」

 アリスヴェルチェの言葉に、ライアンは嬉しさを隠せない様子で答えた。

「喜んで、お力添えさせていただきましょう。こちらの受け入れ態勢は、既に整えております。規則も明文化し、周知させましたのでご安心を」


(だったら、これはもうお返しないと・・・)

 アリスヴェルチェは、以前ライアンから借りていた紋章付きの剣の下げ緒を取りだす。けれどライアンは、それを遮って答えた。

「よろしければ、それは持っていてください。何かの役に立つかもしれないので」


 会えずにいた間、ライアンは折に触れてはアリスヴェルチェの事を思い出していた。それはまだ、淡い恋心だったのかもしれないが、彼女が自分の紋章入りの品を持っていてくれると言うことが、心に温もりを与えていてくれたのだ。

 だからこれからも、ずっと持っていて欲しい。


「そうですか・・・では、お言葉に甘えて」

 アリスヴェルチェがそう言って、下げ緒を仕舞うと、ライアンはふと思い出したように話を続ける。

「そう言えば、レオ・リーフの事ですが、今はもうここには来ていないです。兵たちも配下に入るのを拒む者ばかりですし、誰も相手にしませんしね。聞いた話ですが、屋敷に閉じこもって母親と喧嘩ばかりしてるらしいです。怒鳴り声や物が壊れる音が、頻繁に聞こえるそうです」

 収入も激減し、このままでは家を手放し、路頭に迷うのではないだろうか。助けてくれるような親戚もいないらしい。それまで、あのバカ息子と母親が五体満足ならば、だけれど。


 少し前に関わった出来事の、最後の場面を見たような気になって、アリスヴェルチェは安堵した。

「色々と、ありがとうございました。では、早速ですが、少し手合わせをお願いできますか?」

 穏やかに微笑むアリスヴェルチェに、ライアンはパァッと明るい笑顔になって答えた。

「はい、喜んで!」



 そしてアリスヴェルチェとジークは、町娘と学者と言う立場の生活を終えた。

 彼女は女騎士(リッテリン)として、彼は王弟として、以前の様な生活に戻る。

 それは、新しい務めに向けてのことだが、彼らを取り巻く全てが変わってゆく序章に過ぎなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ