1 義足の公爵令嬢は、女騎士になる
その姿は、右足だけで地を蹴って宙を跳んだ。
軌跡を追うように、深紅の花弁が舞い落ちる。
レイピアを握った彼女は、国王の前に跳び下りる。
咄嗟に護衛兵が、弓を引いた。
矢は彼女の肩を貫通したがが、不意を突かれた国王の胸にも、細身の刃が突き刺さった。
「グギョァーーーッ!」
叫び声は、人間のそれとも思えなかった。
そして見る見るうちに国王の姿はぼやけ、頭に牛の様な角が生え、同じく牛の様な尾が伸びる。
牛と異なっているのは、その角と尾が、禍々しい色とぬめりを帯びているところだ。
駆け寄った護衛兵が、ギョッとして足を止める。
けれど彼女は、肩口を射抜かれたことも無視して、レイピアを刺したまま声を上げた。
「本物の国王は、どこっ!」
「ウ・・・グググ・・・ゥ・・・」
呻き声だけを上げレイピアの刃を抜こうとする魔物だが、その瞬間レイピアの刃が黄金色に光った。
一瞬の雷光のようなそれに、牛に似た魔物は悲鳴を上げる。
「ギョアァァーーーッ!」
彼女は、レイピアを更に抉りこんだ・
「答えろ!」
気迫を籠めた声に、魔物は切れ切れに答える。
「・・・え、謁見の間の・・・隠し・・・扉の中・・・」
駆け寄って来た長身痩躯の男が、魔物の声を聞いて怒鳴った。
「謁見の間に、急げ!陛下を救出せよ!」
次の瞬間、レイピアの刃が灼熱の色を帯びる。
魔物は断末魔の声を上げながら、ボロボロと崩れ落ちていった。
「アリスっ!しっかりしろっ!」
男が叫ぶ中、彼女の身体が前のめりに倒れ込んだ。手からレイピアが、滑り落ちてゆく。彼女のドレスの裾からは、大量の血が流れ落ちていた。
男は急いで裾を持ち上げ、自分のスカーフを外して彼女の左足の太腿を固く縛る。
国王に化けた魔物を仕留めた彼女の脚の1本は、膝から下が無くなっていた。
「癒し手は、まだかっ!」
彼女を王宮の一室に運び込み、応急手当を施したが、左足と肩を覆う包帯には、まだじわじわと赤い染みが広がりつつある。
(俺の力じゃ、これ以上はどうしようもない!)
ぐったりと横たわる彼女の身体に手をかけて、低レベルの癒しの力を与え続けても、多少出血が弱まって痛みが少し弱まる程度なのだ。
その時、開け放したドアの向こうから足音が聞こえてきた。
「ここが、国王に化けた魔物を倒した勇者の部屋ねっ!」
部屋に入ってきたのは、豪華な衣装に身を包んだ妙齢の美女だった。
「あ、姉上っ!助かった・・・」
「大怪我をしたって聞いたから・・・って、女性なのっ?・・・平民?」
姉と呼ばれた女性は、ベッドに駆け寄ると眉を顰めて問い掛ける。
「いや、アリスヴェルチェ・フォーゲル・・・公爵令嬢だ」
その答えに、身分の高そうな女性は更に困った表情になった。
「拙いわね・・・癒しの力がぶつかり合う可能性があるわ。この令嬢の、癒しの力の傾向は解る?」
王族・貴族の女性は、普通は胎児洗礼によって『癒しの力』、すなわち回復系の魔力を与えられる。その力には個性があり、10歳になってから行われる魔力検定によって、専門的な教育が与えられるシステムだ。また『癒しの力』を持つ者は、常に無意識に自己回復が出来るのが特徴的だった。
『癒しの力』を持つ者同士で、回復魔法を使った場合、傾向が同じなら反発しあう場合が多い。そうなると、両者にとって良くない結果が生じる。この場合だと、怪我人が貴族の女性で自己回復で治癒を行っている状態なら、そこに他者から回復魔法を掛けられたら反発が起こる。
姉と呼ばれた女性は、それを危惧しているのだろう。
「彼女は『癒しの力』を持たない。・・・俺と同じなんだ」
少しだけ自虐気味に言う男の言葉に、意志の強そうな美女はそれだけで意味を理解した。
「そう・・・それで、取れた足は?あるなら、繋げるけど」
「グーロウに食い千切られて、飲み込まれた」
グーロウとは、あの出来事が起こった時に数頭出現していた魔物だ。食い千切られた部分は、もうとっくに胃袋の中で、消化が始まって居る頃だろう。
「そうすると、このまま癒すしか無いわね。流石に再生までは出来ないわ。それじゃ直ぐに始めるから、ジークは私の詠唱が終わったら、包帯や止血帯を外してちょうだい」
「ああ、よろしく頼む。レイラ姉上」
レイラと呼ばれた女性は、胸元に輝くペンダントの宝石を握ると、目を閉じてゆっくりと口を開いた。
「癒しの大地 古より世界を慈しむ緑 厳しき冬を耐えて 春に芽吹く生命の力 その内に秘められた生命力を 今解き放つ この手を通じて『癒しの力』となれ」
高レベルの力を使おうとすればするほど、高い集中が必要になる。長い詠唱もそのためのもので、文言は使い手によって異なっていた。それは専門教育を受ける間に、それぞれの持つ力を高めながら、自らの身体に刻み込むように作り上げる呪文のようなものだった。
レイラの詠唱が終わると、その左手に握りこまれたエメラルドから、新緑の色をした光があふれ出す。
そしてその光は、癒し手の身体から掌、そして横たわる重傷者の身体へと伝わって行った。
「・・・ふぅ・・・終わったわ」
レイラは、傍の椅子に腰を下ろすと、疲れたように言った。
「ありがとう、姉上。お疲れ様」
ジークはアリスヴェルチェの身体に毛布を掛けながら、ホッとして言葉を返す。
「後から、貧血に対応できる力を持つ侍女が来るわ。私はそっちの方は苦手なのよ」
レイラは国内随一の癒し手だが、外傷の治癒が専門だ。今で言うなら、外科医の様なものかもしれない。
「解った、助かるよ」
ジークの言葉に、レイラはふと何かを思い出したように言葉を続けた。
「ねぇ、アリスヴェルチェって、もしかして子供の頃に一緒に遊んだことがある、あのアリス?」
王族貴族の子供たちは、魔力検定がある10歳になるまでは、時折王宮の庭で一緒に遊ぶ機会があった。
「そう、あのアリスだよ。姉上が検定後に来なくなってからも、俺たちはよく遊んでいた」
「懐かしいわね。今でも思い出すわ・・・小さいアリスが、虹を取ろうとして噴水に落ちた時の事とか」
レイラはクスクスと笑いながら言った後、真顔に戻って言う。
「ジーク、貴方が魔力検定に通らなかったのと同じように、アリスも弾かれたっていうことなのね」
「そう言うこと。だから他の遊び相手達が魔法学院に行くようになってからも、アリスとは手紙をやり取りしていた。そのお陰で、俺も随分前向きに考えられるようになったんだ」
魔力が無いわけでは無く、性別に合致しなかったこと。けれどそれが解っても、2人とも専門教育が受けられる学院には入れないこと。『癒す者』の学校は女子校で、『戦う者』の学校は男子校のようなものなのだから。
それらを受け入れて、2人が独学で魔法を学んだのは、互いに交わした手紙が支えになっていたのだろう。
「アリスヴェルチェ・フォーゲル・・・フォーゲル公爵家の話は、私も聞いているわ。謀反の疑いが掛けられて、一旦僻地に蟄居謹慎になったのよね。でも公爵夫妻は、そこへ行く途中に事故で亡くなったのよね。事件はそのままうやむやになって、でも由緒ある公爵家だったから家名はそのまま息子が継いだけど、領地は蟄居予定だった僻地の方にさせられたそうね」
「ああ、彼女の弟アーネストが一応公爵を継いでいるけど、産まれた時から病弱で魔力検定さえ受けられない身体なんだ。しかも、領地のポタジェ村周辺は、魔物の襲来も多くて酷い土地らしい」
「やっぱり、苦労してるのね。私、アリスの明るい笑顔が好きだったのよ。無鉄砲で手が掛かったけど、可愛かったわ。一度ゆっくり話がしたいわね。・・・それじゃ、私は帰って休むわ。その後は、陛下に話をしないといけないわね」
現国王ヨハネス・シュバルグランは、レイラの1歳下の弟になる。彼の専属『癒し手』は、現在姉のレイラが務めているし、彼女の性格や実力もあって、ヨハネスはこの姉に頭が上がらない状況だった。
(・・・ここ・・・どこ?)
目を開けたアリスヴェルチェは、かなり豪華な室内の様子に視線を巡らせた。
「あ、気が付いたか。気分はどうだ、アリス?」
駆けられた声の方向へ目を向けると、そこには幼馴染の顔がある。
「ジーク・・・殿下?ここは、王宮ですか?」
「ああ、部屋には誰もいないから、大丈夫だ」
いつも通り、幼馴染同士の会話で良いという王子の言葉に、アリスヴェルチェは小さなため息をついた。
「ごめんなさい、ジーク。面倒なことになっちゃって」
「いや、それはいいけど・・・無茶なこと、したな」
ジークは水差しからグラスに水を移し、彼女が上体を起こすのに手を貸してグラスを渡した。
水を飲んで礼を言うと、アリスヴェルチェは自分に掛けられた毛布に目をやる。左足の膝から下の毛布は、平らになっていた。
「やっぱり、無くなっちゃったのね・・・でも、後悔はしてないわ」
アリスは吹っ切るように視線を外し、彼に向かって話し始めた。
「あの野外演劇場には、招待状が来たので行ったんだけど・・・」
秋の社交シーズン、略してただ「シーズン」とだけ呼ばれる期間、王国の貴族たちは領地を離れて王都に集まる。領地経営を他者に任せられるゆとりがある貴族たちは、通年王都で暮らす者もいるが、シーズンの時だけ王都で暮らす貴族は多い。
アリスヴェルチェ・フォーゲルも、その1人だ。今回王都に来たのは、別の大事な目的があったからで社交の為では無いが、国王からの招待状は無視するわけにもいかない。
「演劇が始まっても退屈で、こっそり退席しようと思って通路を歩いていたら・・・」
没落貴族であるアリスヴェルチェに、話しかける者など誰もいない。寧ろ遠くでコソコソと陰口を叩き、貶めるような憐れむような視線を投げて来る。そんな場所に、長居などしたくはないのは当然だ。
「急に悲鳴が上がって、振り返って舞台を見ようとしたら、国王陛下の様子に気付いたの」
その時、舞台には突然飛来したグーロウたちの姿があった。基本夜行性で、単独行動をするグーロウと言う魔物は、コウモリの様な翼をもち、サルの身体とオオカミの頭を持っている。口は大きく裂け、ずらりと並んだ大きな牙は、彼らが貪欲な肉食系の魔物であることを物語っていた。
グーロウたちは、舞台上の役者たちに襲い掛かり、その中の1匹は客席の上を飛んでいた。
「グーロウたちを見ながら、陛下は薄ら笑いを浮かべていたのよ。それに、頭に薄っすらと角が見えたの。多分、気づいたのは私だけだったんじゃないかな。でもその時、陛下の方も私に気付いて、目が合ったの」
あれは国王じゃない!魔物だ!
そうと気づいたアリスヴェルチェは、隠し持っていたレイピアを抜き放って跳んだ。
普通、演劇観戦に帯刀して来る貴族はいない。けれどアリスヴェルチェは、経済的事情から護衛や侍女を付ける余裕はないので、自分の身は自分で守るとして、常にレイピアを離さずにいた。
そして彼女の持つ魔法、グラビティ(重力調節)を掛けてひと飛びで偽国王の前に跳んだ。
アリスヴェルチェの『戦う力』は、独学ゆえ専門的に学んだものではない。けれど高レベルの魔法が使えない代わりに、様々な種類の魔法を使うことが出来た。手当たり次第に学んでみた、というのが本当のところなのだが。
そして彼女の特異性は、魔法を使う時に詠唱を必要としないという事だった。
集中時間を必要とせず瞬時に使えるのが強みだが、全て低レベルで威力は低く効果時間は短い。また、自分自身に掛ける魔法以外はコントロールに難がある。他者に掛ける魔法は、練習することさえ迷惑極まりないものだからだ。
低レベルだが瞬時に使えるグラビティは、効果が短時間でも移動距離はかなり取れる。
「でも、目が合った瞬間、偽国王も気づいてグーロウに指示を出したのね、きっと」
魔物同士の心話なのか、人の耳には聞こえない声なのか。
その指示に従って、アリスヴェルチェの一番近くにいたグーロウが、地を蹴った彼女の左足に噛みついたのだった。
グーロウの牙と顎の力が、強すぎたのかもしれない。
アリスヴェルチェの左足は千切れて、その口の中に飲み込まれた。
「あの時は・・・痛いっていうのもあまり感じなくて、偽国王・・・クサリクみたいなあの魔物に、本物の陛下の居場所を聞き出さないと、ってそれだけを考えてたの」
ストレングスの魔法を自身に掛け、レイピアを魔物の胸に深々と埋めて、電撃の付与系魔法を使った。痛みと苦しみでクサリクが白状した後は、レイピアに炎の属性を付与させた。
「まぁ、足1本が代償になっちゃったんだけど・・・」
自嘲気味に笑うアリスヴェルチェだが、それでも悲観的にはなっていないように見える。
ジークは一瞬、痛ましそうな表情になるが、彼女が慰めを望んでいない事を知ると、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「クサリクは、門番とも言われるような大人しい魔物だったはずだが」
人との共存が出来る、数少ない魔物の1つだ。
「・・・あれは、一種の突然変異のようなものかしら。色も気配も、禍々しくて残忍そうだったわ」
何故そんな魔物が、国王に成りすますことが出来たのか。
疑問は膨れあがるが、今はその回答は得られないと解る。
「そう言えば、癒しには姉上が来てくれたんだが、君とゆっくり話がしたいって言ってたよ。昔の事を、思い出したって」
「レイラ王女様が!・・・何か、凄く畏れ多いiんだけど。でも、ちゃんとお礼を言いに行かないといけないわね」
一応国王を救ったことになるから、手当てはして貰えるだろうとは思っていたが、まさか王国随一の癒し手である王女殿下が癒してくれるとは、思ってもいなかったアリスヴェルチェである。
「子供時代の遊び仲間ってことで、そんなに仰々しく考えなくてもいいさ」
素に戻り、コロコロ表情が変わるアリスヴェルチェの様子が嬉しくて、ジークは楽しそうに答えた。
数日後、大怪我とその後の治癒による疲労から回復したアリスヴェルチェは、用意して貰った松葉杖をついて、レイラ王女の部屋を訪ねた。
「この度は、本当にありがとうございました。お陰様で、足の方はもうすっかり良くなっております」
両手が松葉杖で塞がっているので、淑女としての作法を行う事は出来ないが、それでも精一杯頭を下げて礼を述べるアリスヴェルチェだ。
「あら、いいのよ。それより、お掛けなさい。立っているのは、ツラいでしょう?」
優しい姉の様な口調で言うレイラに、アリスヴェルチェはありがたく腰を下ろした。王女の弟でもあるジーク王子も同席している。
少しばかり昔話をして、和やかになった雰囲気の中で、レイラ王女は話題を変えた。
「そう言えば、叙勲の話は届いている?」
「あ、はい。昨日、連絡を受けました。色々とご助力くださったと聞いています。そちらも、ありがとうございました」
「助力と言うか・・・当然のことをするよう、陛下を諭しただけなのよ」
レイラは「諭した」と言ったが、その時の状況は「叱りつけた」に近い状況だった。
国王ヨハネスは、魔物に幽閉されたという状況を、出来るだけ隠しておきたいという意向だったのだ。
「まだ王位に就いて長くはない今、こんな不祥事で評判を落としたくはない」
そう言う国王の隣には、王国内で最も勢力があるアルアイン公爵の姿があった。
「陛下の仰る通りです。しかも魔物を倒したのは、女性ではないですか。女に助けられたなどという事が広まれば、陛下の恩名に傷がつきます」
したり顔で口を挟む公爵に、レイラは冷淡に言葉を発した。
「アルアイン公爵、貴方は野外演劇場でグーロウたちが出現していた時、何をなさっていたのかしら?」
「わっ、私は・・・飛来したグーロウから陛下をお守りするために、防御呪文の詠唱を・・・」
「という事は、偽国王である魔物を守ろうとしていたということになりますよね。まさか、魔物だと知っていたわけではございませんよね?」
「そっ、そんな訳はあるはずございません!」
「まぁ、そうでしょうとも。でも、詠唱している間に、全ては終わっていたというのは事実ですわね」
はっきり言えば、何の役にも立っていなかったという事だ。
押し黙ってしまった公爵は放っておいて、レイラ王女はヨハネス国王に向き直った。
「今更、だと思いなさい、ヨハネス。野外演劇場で、招待した貴族たちは皆、全てを見ていたんですよ。演劇場で働く平民たちも見ていたんだから、噂はとっくに王都中に広がっています。隠し通したり、うやむやに済ませようとしたら、かえって貴方の名に傷がつくんです」
ウッ、と国王は言葉に詰まった。
「確かに魔物に幽閉されたのは不祥事ですが、起こってしまった事なら、その後の対応が大事なのだという事を知りなさい。自分が悪かったことを認め、真摯にやるべき事を行った方が、民衆は尊敬するものです。慣例通り、勇者には騎士の叙勲をし、報奨を与えるべきです。女だろうが男だろうが、関係ありません」
そこでアルアイン公爵は、しぶとく口を挟んだ。
「し、しかし、女騎士と言うのは・・・しかも、彼女はフォーゲル家の者ではないですか。かつて、前国王に謀反の疑いがあった・・・」
「女騎士のどこが悪いのです?アリスヴェルチェ・フォーゲルは、それに値する働きをしました。前例が無くとも、正しいならばそれをするという国王の決定は、寧ろ英断だと言われるでしょう。それにフォーゲル家の一件は、疑いで終わっているだけですよね」
フォーゲル公爵夫妻が亡くなり、結果的に没落した公爵家の事件で最も得をしたのは、このアルアイン公爵であることを、レイラは知っていた。
けれど、今それをここで言うほど馬鹿では無い彼女である。
「没落しているフォーゲル家に対して、何も思う事が無ければ、令嬢を叙勲しても構わないでしょう?寧ろ助けの手を差し伸べる方が、色々と特になるのでは?アルアイン公爵」
グッと詰まった公爵だが、頭の中は目まぐるしく動いていた。
(女騎士か・・・確か片足を失ったと聞いたな。そうすると、今後騎士として働けるわけでは無かろう。つまりは、名目だけの騎士で、せいぜい何かの儀式のときに列席する程度だろう。それならば、あの事件とアルアイン公爵家は何も関係がないのだという事を、世間に知らせるにも良いかもしれない)
公爵は、レイラの「色々と得になる」と言う部分は聞こえなかったふりをして、鷹揚に答えた。
「レイラ王女様の、仰る通りでございますな。勇者が女でも、問題はありますまい」
公爵を制したレイラは、再度ヨハネスにきっぱりと申し伝えた。
「姉として言いますけど、アリスヴェルチェ嬢には、最大限の報奨を与えなさいね。それと、王室一腕の良い技師に命じて、彼女の義足を大至急作らせること。儀式に参列する時の、鎧と剣も与えることも忘れないように」
今まで何度も、レイラの『癒しの力』の恩恵を受けて来たヨハネスは、この厳しく怜悧な姉の言葉に従った。
レイラ王女の掻い摘んだ話を聞いた後、アリスヴェルチェは丁寧にお礼を言って、まだ慣れない松葉杖でぎこちなく部屋を辞した。
さり気なく彼女を介護して部屋に送り届けたジークが戻ってくると、レイラは溜息をついて彼に話しかける。
「彼女は、随分変わってしまったのね。仕方がないことだけど、あの子供の頃の様な笑顔には、もう会えないのかしら」
「アリスにとっては、厳しい状況が続いているからな・・・」
自分と2人だけの時は、幼馴染として素直に振舞っているとは思う。
けれど子供の時の様な、明るく快活な笑顔は見せない。やらなければいけない事が多すぎて、その為に賢く振舞うしかないのだろう。人前では落ち着いて冷静に、礼儀正しく穏やかに。
まだもっと、アリスヴェルチェと話がしたいと思うレイラとジークだった。
半月後、アリスヴェルチェは再びレイラ王女の部屋を訪ねた。
数日前に女騎士として叙勲式を終えた彼女は、義足を付け、片手で杖をついている。
コッ・コッ・・・・・・コッ・コッ・・・・・・
独特のリズムでゆっくりと、室内に入るアリスヴェルチェは、まだ少し動作がぎこちないが、かなり自由に動き回れるようになっていた。
「失礼いたします。お忙しいところ、お時間をいただきまして、ありがとうございます」
律儀に挨拶をするアリスヴェルチェは、室内に侍女がいることを見て取っていた。
「いいえ、いらしてくれて嬉しいわ」
レイラは鷹揚に言って、次女を下がらせた。それと入れ違いに、ジークが入って来る。
(ジークって、結構暇なのかな?)
最初の頃は介助をありがたいと思っていたアリスヴェルチェだが、もうその必要は無い。それなのに、何故かちょこちょこ会う事がある今日この頃だ。
だが流石に、面と向かってそれを言うほど失礼ではない。
「やあ、アリス。義足の具合はどう?」
気さくに声を掛ける王子様は、彼女が何を思っているかは知りようもない。
「お陰様で、だいぶ慣れました。レイラ様には、本当に感謝しております」
そう言って、杖を持たない方の手でドレスの裾を摘まんで頭を下げたアリスヴェルチェだ。
だがレイラは、少し眉を顰めて言った。
「他に誰もいない時は、私も貴女をアリスって呼んで良いかしら?私の事も、子供の時のように呼んで欲しいのだけれど。私は、女兄弟もいないし」
目を見開いて驚いたアリスヴェルチェだが、レイラの気持ちも解らないでもない。少し考えて、アリスヴェルチェは口を開いた。
「・・・・おねぇちゃま?」
(そこまで原点に戻るのか?)
そう思ったのは、ジークだ。
「そこまで遡らないで・・・もう少し、後の方で・・・」
レイラも、苦笑するしかない。
確かに出会って最初の頃、アリスヴェルチェは3歳くらいだったけれど。
アリスヴェルチェは、記憶を辿ってみる。そして思い出したのは、レイラが魔法学院に入る前、最期に会った日の情景だった。
「レイラお姉さま、また遊んでくださいませね」
あれは5歳くらいの時だっただろう。精一杯大人びた口調で、アリスヴェルチェは、大好きな年上の女の子に告げたのだ。
「ええ、またきっと・・・いつか」
そしてレイラに抱きしめてもらったその温もりを、はっきりと思い出した。
「レイラお姉さま・・・ありがとうございます」
アリスヴェルチェは、穏やかな笑みで答えた。それは子供の頃の様な明るく快活な笑顔では無かったが、今の彼女の素直な微笑みだった。
「今日お伺いしたのは、義足のお礼と、明日領地に戻るということをお伝えしたかったからです」
勧められるままに、ゆっくりとソファーに腰を下ろしたアリスヴェルチェは、笑みを浮かべたまま口を開いた。
「あら、もう?」
「はい、本来なら野外演劇が終わった翌日には、帰る予定でした。今回のシーズンの目的は、全て終わっていたので」
「目的?」
横から口を挟んだジークに、アリスヴェルチェはさらりと答える。
「馬車に積んできた色々な品を、馬車ごと売り払うことよ」
「えっ?」
アリスヴェルチェは、淡々と説明した。
「知っての通り、うちは財政難だから、売れる物は売ってお金に換えるのが目的。それでアーネストのために、住み込みの『癒し手』を半年くらい雇う予定だったの。馬車なんて、御者の賃金も含めたら維持費が掛かり過ぎるし、私だけの移動なら馬で事足りるじゃない?それで『癒し手』の方も良い人が見つかって、もう向こうに行っているはずだから、後は私が帰るだけだったの。それが今回の事で遅くなっちゃったから、アーネストも待ってると思うのよね」
それを聞いたジークは、流石に驚いた。
「馬に乗って帰るって・・・その足で?」
「鐙に足を掛けることは出来るし、何より私のグラーネは賢い馬だから、ちゃんと解って乗せてくれるわ」
アリスヴェルチェの愛馬は、葦毛の牡馬で相棒と言っても良い間柄だ。
「それは知ってるけど・・・馬車を売るほど財政難だったら、いくらでも力になるのに・・・」
それまで微笑ましく弟とアリスヴェルチェのやり取りを眺めていたレイラも、同じ意見のようだったと見えて、身を乗り出してきた。
けれどアリスヴェルチェは、真剣な顔で答える。
「何度も言ってるけど、ジークは私にとって大切な幼馴染なの。謀反の疑いが掛けられても、没落しても、全く態度を変えずにいてくれた。だからこそ、そんな大事な関係に、お金のことは絡ませたくないの」
「ああ、解ってるけど・・・でも・・・」
「大丈夫。それに今回の事で、報奨金も頂けたから、贅沢しなければ当分は暮らしていけるわ。『癒し手』を雇う費用を差し引いても、数年は困らないはずよ。領地の方も、ここ数年で状況が改善されてるしね。今年の冬は、餓死者が出ることも無さそうだし」
それでもまだまだ、頑張らなければならないことは沢山ある。
だからこそ、少しでも早く領地に戻りたいと考えるアリスヴェルチェを、引き留めることは出来ない。
「そうか・・・だが、道中は大丈夫なのか?」
義足で身分が高そうな女性の一人旅では、心配になるのは当たり前だろう。
「心配してくれて、ありがとう。でも大丈夫。グラーネと旅をするのは慣れているし、自分の身を守るくらいの魔法なら使えるから」
気負うことも無く答えるアリスヴェルチェは、ニッコリと笑って見せた。
いつしか王宮の中では、片足の女騎士の仇名がこっそりと流れた。
カカシの女騎士
騎士Ritterに対して、女騎士はRitterinと呼ばれるが、片足を失った女騎士は、でくの坊で飾り物だという意味が込められていた。