【第八話】水族館
「あの、西条さん、でしたよね?」
「ああ、あの時の」
コーヒーショップでバイトをしていた神崎さん、だっけな。
「何か?」
「いえ。今度、遊びに行きませんか?」
「唐突だな」
「あ!すみません。かなめちゃんも一緒にです!」
「そういうことか」
僕はスマホでスケジュールを確認したら来週の日曜日なら予定が空いている。どこに行くのか分からないけど、断る理由もないので了承したら神崎さんは満足そうに去っていった。
「真尋ちゃん、何か用事だったの?」
入れ違いでかなめちゃんが撮影から戻ってきた。ちょっと胸が強調された衣装なのでどうしてもそっちに目線が飛んでしまう。
「あ、また見てる」
「いや、不可抗力だから」
「いいですよ。もっと見てても。グラビアの仕事も受けようかな……」
「や。それは保護者としては……」
「保護者、なんです?」
「両親がいないんだから、そういう感じでしょうに」
「まぁ、そうですけど……」
実際、この問題は解決しなければならないと思っている。大概のことは僕が受ければなんとかなっているけども、行政関連のことはままならないだろう。かといって、この状況でその辺を解決する方法なんて思いつかないのだけれど。
そして、日曜日の朝になって朝食を食べているとかなめちゃんがこんなことを聞いてきた。
「坂下さん、私が健一くん、って下の名前で呼んでも何も言わないんですね」
「ん?なんで?」
「だって。名前で呼び合うなんて恋人みたいじゃないですか」
「そんなもんか?坂下さんだって僕のこと、名前で呼んでるでしょ」
「だって彼女なんですよね?」
「ん?ああ、そうだな。そうだった」
どうも坂下さんが恋人になるっていうのが実感がない。まぁ、告白とかそういう儀式めいたものが何もないのだから当然と言えば当然なんだが。しかし、坂下さんはなんでこんなことを言い始めたのかな。あの時のかなめちゃんの行動を止めるため?それとも僕がかなめちゃんに手を出さないようにするため?なんにしてもこの設定は続けている方が良い気がする。
「健一くんは、坂下さんのどんなところが好きなんですか?」
「好きなところ?うーん。そうだなぁ……。面倒見が良いところかな?」
「お世話されちゃうのが好きなんです?」
悪くはない。そういうのは嫌いじゃない。自分で話して、やけに納得してしまった。
「かなめちゃんは他人を世話するのって苦手でしょ」
「なんでですか。そのくらい出来ますよ。それじゃ、今日は真尋ちゃんのお世話、して見せましょうか」
「お世話って……。相手の方が年上じゃないのさ。世話される方なんじゃないの?」
「今回は私の方が年上っていう設定でいけば良いだけじゃないですか」
「設定って……」
とまぁ、そんなくだらない話をしていたと思っていたのだが。かなめちゃんが神崎さんに、その設定の話をしたら年齢を入れ替えるのは面白そう、という話になって芝居は始まってしまった。
「ところで、今日はどこに行くつもり?」
「うーんっと。水族館に行きたくて」
「水族館?」
神崎さんは意外なところを指定してきた。確かに一人水族館は寂しいかも知れない。それにあの薄暗い中ならかなめちゃんが目立って囲まれるということもなさそうだし。良いかも知れない。
「ここからだとしながわ水族館が一番近いかな?」
「あー。そこは……」
「ん?なにかあるの?」
かなめちゃんが何か引っ掛かりがあるような反応を示した。
「そこ、私ちょっとトラウマがあって……」
「そうなの?それじゃ、ちょっと足を伸ばして観覧車のあるところ……なんて言ったかな」
「葛西臨海公園のところですか?」
「あー。そこそこ。でもあそこ、イルカもアシカもいないからショーて感じのものはないけどいい?」
「なんか詳しいですね」
神崎さんが聞いてきたので、僕は素直に大学生の頃に行ったことがある、と答えたのだが、そこからの追及が凄かった。誰と行ったのかとか、季節はいつなのかとか。そんな詳細なことを聞いてどうするのか、という感じで聞いてきた。それに対して僕は覚えている範囲で答えたのだけれど、それを聞いていたかなめちゃんが横から質問を投げてきた。
「その時の友人って坂下さん、なんですか?」
「坂下さん?」
「ああ、真尋ちゃんは知らないのね。彼女なんだって」
「ええ⁉︎西条さんって彼女さんいたんですか⁉︎」
なんだその反応。まるで僕が年齢イコール彼女なしのような驚きようじゃないか。
「流石に坂下さんじゃないよ。坂下さんは会社に入ってから知り合ったから」
「なんだ。つまんないの。学生時からの付き合いとか良いなぁって思ったのに」
「なんで?そういうの憧れるの?かなめちゃんはまだ若いんだし、いくらだってそういうのはいけるんじゃないの?」
「若い……。今日はお姉さんのつもりなんだけども?」
「それでも十分に若いでしょ。にしても設定上の年上って何歳の設定なの?」
「ふふーん。なんと三十五歳!」
なんでそんなに自信ありげな返事なんだ。三十五歳に何かあるのか?なんて思って聞いてみたら自分の母親がその年齢だと聞かされた。その歳で女子高生の娘がいるなんて、とか思ったけども、学生時代からの付き合いに憧れるというのは、自分の母親を見ていたからだろうか。
水族館に到着して暫くしたら、年齢の設定はどこに行ったとばかりに神崎さんに付きっきりである。神崎さんは海洋生物に関してちょっと詳しいらしくて、展示の内容についてかなめちゃんに説明していた。僕はそれを眺めながら考え事をしていた。
このまま、かなめちゃんと同棲しているのはマズイし、何か考えないといけない。でも身分を証明するものがない状況で部屋なんて借りられるのだろうか。僕が保証人になれば良いのか?いや、でも一人暮らしさせるのは、なんか不安だな……。なぜか、こう、突然居なくなってしまうような……。
〜♪
「あ、館内はマナーモードですよ!」
かなめちゃんに怒られてしまった。僕はすまん、とジェスチャーした後に画面に目を移した。着信は坂下さんから。僕は館内の端に行って応答した。
「どうしたの?」
「あ。やっぱり。今、どこにいるの?家に行ったら誰もいないから」
「ああ、かなめちゃんと神崎さんで葛西臨海公園の水族館に来てる。なにかあった?」
「あったもなにも。ニュース見てないの?」
「ニュース?」
僕は通話を続けながらニュースサイトを開いた。そして、そこには目を疑うような事が書かれていた。
「なん……だ、これ。坂下さん、これって一体どういう事なの?」
「それを知りたくて家に来たんだけど……。っていうか、今かなめちゃんは一緒に居るのよね?」
「あ、ああ。そこに居る」
「それって絶対に本人?」
「だと思うけど……。何を確認したら本人なのか分からん。それに、ニュースの内容が本当だとしたら、ここに居るかなめちゃんは何者になるんだ」
「とにかく、他の誰かに分かるような事があったら混乱するだろうし。マスクとか持っていないの?」
「持ってるけど……」
「そう。それなら一旦、家に帰ってきて。待ってるから」
そういって電話は切れた。そして僕はかなめちゃんを呼び止めて館内の薄暗い端っこに寄ってニュースサイトを見せた。
「え……」
その画面に踊っていたのは『人気女優、一条かなめ、自殺を図る』という文字。そして、救急車が横付けしたブルーシートに覆われた踏切の写真。
「健一くん、これってどういう事だと思う?」
「いやに落ち着いてるな」
「うん、ちょーっとビックリしたけども」
「なにか事情知ってるの?」
「たまに出てたの。ドッペルゲンガー。私の影みたいなの。最初に気がついたのはプロデューサーなんだけど、私が楽屋を出て行った後に、私が戻って来た、みたいなことを言ってて。でもその時間は私はスタジオで撮影中で」
「なんだそれ。幽霊みたいだな」
「まぁ、今の私の存在自体が幽霊みたいなものだし。最近は気配を消したり出来なくなってるみたいだけども。でもそのドッペルゲンガーちゃんがなんで自殺なんだろ?」
「まだ死んだかどうだか分からないけどね」
〜♪
「あ、だからマナーモード」
「いや、すまん」
そう言って画面を見るとプロデューサーからの連絡だ。
「はい。西条です」
「あ、西条さんですか。ニュース、見ましたか?かなめちゃんは今そちらに居ますか?」
「えっと……」
このプロデューサーは信用しても良いのだろうか。かなめちゃんの秘密を知っている一人ではあるが、今回の件はさらに秘匿性が高いものだ。と、僕が返事に困っていたら僕の手から、かなめちゃんはスマホをヒョイと持っていって通話に出てしまった。
「聞こえてましたよー。ニュースも見ました。なんか私が死んじゃったみたい。うん。こっちにいるよ。うん。分かった」
そう言ってスマホを返して来たので、プロデューサーに状況を確認したら、向こうのことは対処してくれるとの事だった。
僕とかなめちゃんが端っこでコソコソやってるのを見ていた神崎さんは僕が通話を終了させたのを見て、こちらにやって来た。
「なにかあったんですか?」
説明すべきかどうか。でもかなめちゃんが目の前にいる状況、その時間に事件が起きたことを後から絶対に知る事になる。そこから騒ぎになっても困るし……。と、僕が受け答えに困っていたら、かなめちゃんが「自分にはドッペルゲンガーがいて、そっちが死んじゃったみたい」とあっけらかんとした口調で答えてしまった。
「え?大変じゃない!ドッペルゲンガーって分身でしょ?そっちがそういう状況になったんならこっちも危険なんじゃないの?」
「あ、神崎さんはドッペルゲンガーとか信じてくれるんだ」
「普通は信じませんけども、かなめちゃんのいつもの行動を見ていたら自ずと」
「そうか。近くにいると分かるものなのだな。それで、僕たちは一旦家に帰るけど、神崎さんはどうする?」
「事務所に行ってみます。それで、状況を連絡しますね」
「助かる」