高位貴族の穏やかな舌戦
「……どういたしまして……」
頬が熱い。
お礼を言われただけなのに。
でも。
女が知識をひけらかすのは生意気だ、とマックスはよく言っていた。
女は男の言う事を聞いていればいいんだ、とも。
素直に聞き入れた上で、お礼を言うなんて、寛容で進歩的な男性ではないだろうか。
私は心を落ち着けるように、震える手で紅茶をそっと口に含んだ。
「エラ、貴女の見立ては流石ですわね。良いでしょう。貴女の希望を叶える助力を致しますわ」
「貴女ならそう仰ってくれると思ったわ、ヨナ」
まるで年若い令嬢達の様に、愛称を呼び合いながら笑い合う公爵夫人と侯爵夫人。
二人の間には何か密約があったようだ。
でも、さっぱり分からない。
不思議に思って二人を見ていると、侯爵夫人はディオンルーク様に優しく訊いた。
「気持ちは定まったかしら?」
「はい。是非、アリーナ嬢を妻に迎えたい」
えっ?
今、決めてしまって良いのですか?
私は驚きすぎて声も出せなかった。
残った私以外の候補、モニカ嬢を見れば、ため息と共に頷いて、慎ましやかな笑顔を浮かべる。
マリエ嬢は、俯いていた顔を上げて、淑女らしい微笑みを浮かべた。
「まさか、由緒あるファルネス侯爵家、王妹であらせられるエレクトラ様の御子息の花嫁に、片親が平民で、育ちが平民の女性をお選びになるとは思いもよりませんでしたわ」
ですよね。
そうなのですが、もう少し複雑な事情があるんです。
私が今口に出すことは憚られる内容なので、何とも言えないけれど。
レオナ様はもっと深く調べていて、私はそれを聞いていたので若干印象が違う。
それに、今の言葉は侯爵家に対する嫌味だ。
しかも歯に衣を着せ忘れている。
「それについては結婚までに整える予定なの。誰にも文句を言わせないようにね?楽しみにしていらして」
侯爵夫人は淑女の笑みを浮かべた。
これもまた宣戦布告だ。
マリエ様はちら、とフェンブル公爵夫人に目を向けた。
「公爵家の養女に格上げでもされるのですかしら?」
薄い、氷の様な笑みを唇に乗せ、マリエ様が嗤う。
まるで、それでは無理だと言わんばかりに。
「ふふ。これ以上は内緒ですのよ」
余裕で返した侯爵夫人と、ヨナと呼ばれた公爵夫人も扇で口元を隠して笑う。
まるで、見当違いの指摘に失笑するように。
あああ。
これが、高位貴族の戦い……!
何が起こっているのか全然分からない。
分からないので仕方なく、私はもう一枚クッキーに手を伸ばした。
甘い物で心と身体を満たしておこう。
お腹が空いていたら戦に勝てない、って何かの本にも書いてあったもの。
そんな私を見て、ディオンルーク様は優しく微笑む。
あっ!
そうだ、私はさっき、ディオンルーク様に花嫁に選んで頂いたのだったわ!
そう思い出すと、何だか胸が閊えたようになって、三枚目に伸ばそうとしていた手を引っ込める。
見られているだけで恥ずかしい。
私なんかを見ていたら、あの美しい目が汚れてしまうのではないかしら?
美しく生まれつかなかった私を、初めて呪いたくなってしまった。
けれど、ディオンルーク様は、そんな私の心も知らず、とんでもない事を言い出した。
「母上、公爵夫人、少しアリーナ嬢に庭を案内してきても?」
「ええ、勿論よ。行っていらっしゃい」
えええええええ!
そ、そんな、突然、そんな事を言われても、心の準備が!!!
けれどしかし、私は声を発する事が出来なかった。
優雅な足取りで近づいてきたディオンルーク様が、手を差し出す。
「アリーナ嬢、君にとっておきの場所を案内しよう」
「……はい」
私はその手に、ゆっくりと自分の手を重ねた。
手を引かれて、庭を歩いて行く。
誰かと手を繋いで歩くなんて久しぶり。
幼い頃妹と手を繋いだくらいしか、記憶にないわ。
恥ずかしすぎて、顔も上げられず、庭というより足元の草を見ていた。
さすが、侯爵家の草は綺麗ですね。
ツヤツヤして生き生きとしております。
「嫌だったかい?」
頭上から声が降ってきて、私は懸命に頭を横に振る。
でも、声の主は近すぎて、顔を上げられない。
「いえ、その、わたくし、殿方と手を繋いだのは初めてで……不慣れなもので……申し訳ございません……」
「ああ、そうか……そういう事か。平民の方はもっと、こう……奔放なものだと……こちらも物語や噂程度にしか知らないのだが」
あああ。
気を使わせてしまっている。
どうしよう。
嫌ではないと、お伝えしないと!
「人によっては、そうでございますね。でも、決して嫌ではなくて、嬉しいのですが、恥ずかしくて……」
「そ、そうか。そう言われると、何だかこそばゆいな」
顔を上げられないまま無様な言い訳をしてしまった。
穴があったら入りたい。
もう穴を掘るしかなくない?
大きなスコップがないとね!
 




