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不機嫌な恋人旅館  作者: 雪紅葉
3/4

トンネルをぬけると。

××駅を出てしばらくは意外に普通の景色。


住宅は疎らになり、田園風景を抜け、小高い山々の谷間を縫い、いよいよ渓谷と呼べるような場所に来ると、トンネルに入った。


どこかの窓が開いているのか、ひんやりとした空気が身体をさらい、冷房とは違う清涼感がある。


運転席越しにトンネルの出口の光が見えていたので、抜けた先にはどんな景色が広がるのだろうと待ちわびた。


“逆に言えばそこが現世との境目なのかもしれない”


余計なことを言ってくれる部長だ。

そんなところに記者を送り出して、帰ってこなかったらどうするつもりなのだろう。

新人ちゃんを送り込もうとしていたこととか、人の郵便物を勝手に開けたこととか、なにかつくづく見ていてあげなきゃいけない人だ。


「まもなく、終点、終点です」


時計を見ると、走った時間はここまで30分に満たない。電車はさほど速くもないので、地図上の直線で見れば××駅からも遠くないのかも。


私の知っている文明からあまり離れていないことに安心感を得た頃、トンネルの出口の光がまばゆくなっていた。


広がった景色は幻想的でも何でもない、ただただ、温泉旅館としては最高のロケーションだった。


ほどなく小さな無人駅があり、ホームから渓谷の対岸に橋が伸びている。渡った先の斜面には木造3階建てほどの温泉旅館があった。


なんだろう、ワクワクしてきた。これは旅行として普通に楽しい。


武骨なブレーキ音を響かせて、最後におっとっと、と合いの手を入れたい停車の仕方。ごく最近の電車にはなさそうな素直な停車が、妙に心をくすぐった。


ホームに降りると駅の表示には「終点」と書かれていた。

ここが終点ですよと言っているのか、まさか終点という名前の駅なのか、よくわからないけれど。


そういえば切符を買っていない、どうすればいいんだろう、と立ち止まった瞬間、運転していた鉄道員が声をかけてくれた。


「招待客専用の電車です。招待券があるのですから、改札もありません。そのまま旅館へおいで下さい」


「あ、ありがとうございます」


鉄道員はまたニコリと笑って、電車の中へと戻っていった。


プラットホームから直接、橋が対岸に渡っている。覗くと下は沢だった。


緑と土の生々しい匂い、ほのかに水の香り、そして沢のせせらぎ。

橋を渡り切るかという頃に、乗ってきた不思議な電車が警笛を二回鳴らして渓谷にこだました。振り返ると電車はゆっくりとトンネルに入っていくところ。自然と軽く手を振ってしまった。

……人が来るたびに一日何往復もするのだろうか?


ゆれる木々の音を感じながら、眼前にある旅館の敷居をまたいだ。



初めてあがる他人の家のような、固有のにおいと緊張感。


『こんにちは』と言いかける頃には番頭さんが声をかけてくれた。

父親くらいの年齢で、目元がやさしく、白髪交じりの整った髪型。

旅館の佇まいに相応のおじさんという感じであった。


「静馬様ですね。おいでくださってありがとうございます。道中疲れましたでしょう」


「ええと、気疲れみたいなのが大きいですね」


正直に言ってしまった。


「ははは! 不思議な招待状ですから、仕方ないですね」


自覚あるんだ。


「おもてなしのためにお呼びたてしたのは事実です。驚いたことも気になることもあるでしょうが、まずはお部屋に入られて、移動の疲れをお取りください」


左右と正面に延びる廊下のうち、左の廊下を番頭さんに続いて進む。


廊下の左側はガラス。少し覗いてみると沢が見える。


「いいところですね」


「ええ、私共は住み込みですが、この景色に飽きたことはありません。思い出に残ることでしょう」


斜面に沿って建物の形も変わるのか、二度三度と廊下を曲がり、一番突き当りの部屋に着いた。


途中、右側には部屋の入口がいくつもあって、時に廊下が分岐していたりもした。思っていたよりも大きい旅館らしい。

景色のいいところには立っているが、立地がいいとは言えない。こうした場所で大きな木造建築を維持するのは修繕などもあって並大抵ではないだろう。

もしかして、バックには巨大旅行会社とか…?


部屋に入ると八畳ほどの広さ。広縁(ひろえん)の先には夏の木漏れ日と沢の音。


取材、どうでもよくなってきた。


リュックを下して窓の外に見とれていると、番頭さんがお茶を入れてくれていた。


促されて座布団に座ると、番頭さんが挨拶をしてくれる。


「改めまして当旅館にようこそおいでくださいました。なあに、浮世の旅館と何も変わりません。お部屋でおくつろぎ頂いて、お風呂で疲れを取って、山の幸も召し上がって、静かな時間を()()()()()()()()()()()()


な、何泊でも…!?


「あの、ご招待ありがとうございます。その……聞きたいことはたくさんあるのですが、何泊でもというのは、文字通りですか?」


「ええ、お気の済むまで。売店商品などお売りしているものもございますが、それ以外は料金をいただいておりません。館内は共用の広縁や談話スペースもありますので、他の宿泊者さまとも交流しながら静かな時間をお楽しみくださいまし」


いつまでも居て結構なことはないだろう、経営は大丈夫なのか?


「お気の済むまでと申しましたが、これぞ文字通りでございます」


「……と仰いますと?」


「なにも無作為に招待状をお送りしているわけではございません。今、抱えていらっしゃる悩みや疲れを取って頂きたい方にお送りしております。悩みがほぐれて静馬様が納得されるまで、ご滞在頂きたいと私共は思っております」


まあ、大学の夏休み初日ということもあって時間は潤沢にあるのだが、さすがにずっといる訳にもいかないし。

いやしかし、あの都市伝説の渦中にいるのだ。

まずは一泊して様子を見てもバチは当たらないだろう。


「ありがとうございます、まずはゆっくりさせていただきます」


私が頭を下げると、番頭さんも少し後ろに下がって頭を下げた後、襖を閉めて去っていった。


“悩みがほぐれて静馬様が納得されるまで”


私、なんか悩みあったっけ。

部長がうざい、とかかなぁ……。

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