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参道入口の門の上部に架けられた、柱と柱を渡すアーチ状の柱石には、アルテミスへの賛辞を謳った銘文が刻まれている。へロストラトスは、かつて諸ポリスの雄にして中心地であるアテナイに、遊学していた頃のことを思った。栄光と享楽と青春の、オリーブの園での学園生活のことを。
アテナイでは、都市の名のいわれである女神がもたらしたとされる、オリーブの植生など珍しくもなかったが、そのオリーブ園の門戸には、“幾何学の何たるかを知らぬ者決してこの門をくぐってはならない”と、そんな趣旨の大げさな言葉が掲げられていたことだけが、他とは異なった。
が、門の中でやったことといえば、やたら肩幅のある学頭に、レスリングの相手をさせられてしこたま投げ飛ばされるか、学友に安いワインをしこたま飲まされ、オリーブの根元にいたずらに堆肥するか、老年生に、『無知の知』の自覚を口実にしこたま論駁されるか、日々どれかを選択することであった。
とはいえ、そこで学んだ数年間は彼にとって、人生の最も愉快で、最も充実感に満ち、最も最先端を感じられた、有頂天の輝かしい日々であった。毎日くぐったであろう学園の門のスローガンも、当時は目に入ることは稀であったが、今となってはその言葉は、単に懐かしいという以上に狂おしくさえ思い出されるのであった。
哲学の高等カリキュラムを修めた後も、へロストラトスは出来ることならアテナイに留まりたかった。しかし、学園で教授候補として研究を続けられるのは、本当に素養のある一握りの秀才に限られた。へロストラトスと同時期に学園に在籍していた者で、その栄誉に預かったのは、実家が医者だという流れ者のマケドニア人ら数名だけであった。
ならば次善の道である官僚を目指そうと、へロストラトスはアテナイで仕官の口を得ようと奔走した。しかし、エフェソスの富農の家の出とはいえ、アテナイでの猟官に役立つような縁故を持たないヘロストラトスには、思うような職はついに見つけられなかった。
そうこうしている内に、エフェソスの家業の方で、致命的とまでは言えないが、今後に少なからぬ影響を及ぼすであろう問題が発生し、これ以上仕送りの継続を頼めない状況になってしまった。そのため、志半ばでやむなく帰郷せざるを得なくなった。
ギリシア本土アッティカ地方のアテナイから、東方のイオニア方面のエフェソスへと下っていく船上、へロストラトスはひどく憂鬱な気分で波に揺られていた。これから帰って行くイオニアの灰色の空に、どんなに明るい兆しを見つけようとしても無駄だった。何ひとつ、心躍るようなことは思い浮かばなかった。
甲板のへりに立ち、ほとんど泣き出しそうなほど心細くなっていたが、同客の中に見知った顔を見つけてぎょっとした。裸同然の格好に、髪も髭も伸び放題、ただでさえ短い首だが、肩をすくめているのでさらに短く見える中年男であった。明らかに常の人ではない。
その言動も非常識であった。船のマストにもたれかかって寝転んでいた。傍らには大きな布の袋があるのに、下半身を隠そうともせず、さながら一物を天日干ししているかのようであった。昼夜を問わず船の舳先で自慰行為をしていた、などと噂されれば、「波濤がさすらせるのだ」と、わけの分からない屁理屈を言って同客を不快がらせた。相変わらずな人だな、とヘロストラトスは苦笑した。
この変人は、へロストラトスと起源を同じくする名門筋の学派に属する哲学者で、アテナイでは有名人、それもその破天荒な振舞いにも関わらず非常な人気者であった。オリーブの園にも度々顔を出し、講義を茶化し、妨害することしばしばであった。教授連は教室に闖入してくる彼を見かけると、舌打ちして表情を曇らせた。が、逆に生徒たちは、今日はどんな刺激を与えてくれるのかと、期待でぱっと顔を輝かせた。
彼自身、あたかも犬のように、住居も構えず、衣服も着用せず、好きなときに寝食し、性欲も往来で満たすような暮らしがしたい、と標語して生きていた。生徒たちは、諧謔と親愛とを込めて『犬先生』と呼んでいた。
ある時、学頭自らの講義に犬先生がお出ましになった。現れるやいなや、羽がしっちゃかめっちゃかにむしり取られた雄鶏を、教壇に向けて投げ込んだ。
「見よ諸君、これが学頭のおっしゃる人間だとよ!」
学頭の提唱する、『羽のない二本足の動物』という人間の定義にかこつけた悪ふざけであった。たまたま聴講生の最前列にいたヘロストラトスは、どこで捕まえてきたかも分からない畜生の羽を、まともにかぶるという被害を被った。が、そんなに悪い印象は持たず、かえってその大胆不敵さに驚嘆し、軽い羨望さえ覚えた。
この行為には、学園内でもさすがにやりすぎだと非難する声が強くあがった。数日後、彼の一時的な住処としていた樽が、何者かによって全壊させられた。学園の関係者と噂されるのは必然だった。しかしこのときほど、犬先生の人気の程が知れることはなかった。即座に有志によって新たな樽が用意され、進呈された。樽を運ぶのにオリーブ園の学生が何人も手伝ったが、へロストラトスも担ぎ手に加わっていた。
「樽は、本当はもっと日当たりのいい場所にあったんだがな」
犬先生は、これ聞こえよがしにつぶやいた。
へロストラトスのことを覚えていてくれたのだ。へロストラトスは少しの感激を禁じ得なかった。驚いているヘロストラトスを手招きしながら、下半身丸出しの男は続けた。
「どうせなら、大きな甕の方が雨漏りしなくてよかったわい」
相変わらずの皮肉屋であった。
ヘロストラトスは、彼にしては珍しいことだが、顔を赤くしてくしゃくしゃにはにかみながら、揺れる甲板の上をマストの方へ近づいて行った。アテナイによすがのあるものなら、何でもいいからすがりつきたい心境だったのだ。
まともに話してみるとこの変人は、意外にも柔らかな物腰を備え、相づちの一つ一つにも深い知性を滲ませる、正真正銘の有徳の人であった。ついついヘロストラトスは、アテナイを去り、地元エフェソスで羊飼いをしなければならなくなった身の上を明かすこととなった。
「憐れ、理想ある若者よ。いくらよく羊の子を増やしたからといって、殿堂が建てられた例もないだろうに」
いかにも燕雀の考えよ、と痛罵されるような事態まで覚悟していたが、何か彼の心の琴線に触れることでもあったのだろうか、犬先生は、ヘロストラトスの境遇に感極まり、終いには涙さえこぼしながら同情してくれた。
残念なことに、犬先生はさらに南を目指す用向きがあり、途中で船を乗り換えて行かなければならなかった。僥倖で得た思いがけない邂逅とそれに続く離別は、結果的には帰郷の旅情を一層もの悲しいものにしてしまった。
エフェソスに戻ってからへロストラトスは、一応市民議会の運営に関する特別職的な役人の職には就いたが、実際はほとんど実家の畑仕事や放牧を手伝って過ごした。要は、傍から見ればその辺の青年牧童と大差はなかった。帰郷した当初は、地方で求職活動を継続し、アテナイでの職を得て舞い戻るという可能性を模索していた。
しかし、元来へロストラトスは一度環境が定まってしまうと変化を好まない性分であったことと、時間の経過とが悪循環となり、数年経つうちには、アテナイへの返り咲きの可能性はどんどん低くなっていった。いつの間にか、現実味を帯びて考えることはほとんどなくなってしまっていた。
本格的に取り組んでみて分かったことだが、農業や牧畜業というのは、決して自然に依拠するだけの隷属的な単純労働ではなかった。高い管理能力を始めとする総合的な能力、季節の天候や日々の細やかな気温の変化を注視する科学的思考、ときには創造性をすら必要とする仕事であった。へロストラトスは、数年間従事して慣れてくると、それなりに面白みを感じ、やりがいを覚えるようにもなっていた。
一方、その間にオリーブ園での学友の多くは、アテナイで皆それぞれひとかどの世間人になっていった。彼らの活躍を遠くエフェソスで西からの風の噂に聞くにつけ、ヘロストラトスは、頼もしいような妬ましいような何とも複雑な感情を持て余した。自分はこのまま小アジアの片隅で、農牧家の仕事もばかにできないなどと、誰に対してかよく分からない言い訳を、一生繰り返しながら老いていくのかと、何かの契機に自虐的に思ったりもした。
また、齢30を超え、とっくに適齢期を迎えていたため、周りからは、結婚し、家庭を設けて落ち着くよう勧められていた。
かつて程の勢いがないとはいえ、名門と言ってもよい家柄や、アテナイで受けた高い教育からいって引く手がないわけではなかった。しかし、へロストラトスは首肯しなかった。
毒なのか、毒にもならぬのか――交配によって自らの能力や特性を、子と子の子らに引き継ぐところの共通因子が人にも存在するはずだが、ヘロストラトスは、自分で自分のその因子をまだ認めてはいなかった。
ひとり近郊の丘陵で羊を追いながら、西方の最果てで、この灰色の天空を支えているという神話のティタン族のアトラスのように、いっそ我と我が身を神話的規模の犠牲に供するような機会は訪れないものかと、具にもつかない空想をして西の空を仰ぎ見たりした。
はるか西方にはアッティカの地があった。