ラダイアに帰ろう
馬車との待ち合わせ時間が近づき、ディアナたち4人はセリヴォーン観測院前の広場で馬車を待っていた。
観測院の時計塔は、夕陽を浴びて昼間見たときとは全く違う印象でディアナはつい見惚れた。
11月の夕方は少し冷えるが、それがあまり気にならないほど夕焼けに包まれる白亜の街は美しかった。
「ディアナ殿の舅、えー、たしか、ルドルフ・ノヴァーク殿だったか」
ラウラが、ベンチで足を組みながらメモ帳を開いた。
ええ、とディアナは頷く。
街が美しいわ、なんて呑気なことを考えている場合じゃなかったことを思い出した。
一番最悪の想像があり得ないことがわかって、つい気が抜けている。いけない、いけない、と自省した。
「改めて言っておくが、ルドルフ殿の見舞客のリストを調べさせてもらうよ。
聖気の丸薬を作れた人物がいなかったかどうか」
お願いします、とディアナは頷いた。
「でも、それで何かわかるでしょうか…? どうしても、そんなことをする人がいるなて思えなくて…」
ラウラは、きょとんとして肩をすくめた。
「このリストの人物は関係ないと言うことがわかる。なんの手がかりも無いより一歩前進だろう」
確かにそうだけれど。
ディアナは、唇を尖らせた。
ラウラのように前向きには考えられない。
「ねえ、思ったのだけれど」
ヘレナがディアナの横から身を乗り出してきた。
「フィリプさんに連絡しましょうよ。ね?」
ディアナは、えっ、と声を上げた。
けりがつくまで言わないってお話ししたのに。
「正直、ここまで大きな話になると思っていなかったの。
でも、転移魔法の件にしても、聖気の丸薬の件にしても、何か大きな思惑が裏にあるに違いないわ。
ね、ディアナさん、フィリプさんに伝えて、協力してもらった方が絶対にいい」
ヘレナが、ディアナの両手を握って、力強く目を合わせてくる。
でも、と言おうとしたが、それより先にラウラが口を開いた。
「なんだ、フィリプ・ペトラーチェクには今回の件、言ってないのか?
それなら早く伝えて、ディアナ殿の安全を確保した方がいい」
「私の安全…?」
「だってそうだろう、ルドルフ殿についでグスタフ殿が殺されて、次に君が狙われていると考えたっておかしくはない」
けろっとした顔で言われて、ひえっとディアナの喉が鳴った。
「ね、やっぱりラウラ先生もそう思うでしょう?
ディアナさん、危ないことはしないって約束したわよね?
もうこれで私たちが動くのはやめた方がいいわ。
ラダイアに戻ったらすぐフィリプさんに連絡しましょう。それで、王都に戻っていいか聞きましょ?」
疑問符のついたイントネーションではあるが、有無を言わせないヘレナの様子にディアナは思わず頷いた。
「でも、もしフィリプ様が犯行に関わっていたらどうするんだよ?」
マティアシュの懸念はディアナの頭にもあった。あまり考えたくはない可能性だが、あり得なくはない。
「私もそれは考えたわ。
でも、フィリプさんが関わっていないなら彼の力は大きな助けになるわ。
伝えずにいて、もしディアナさんに何かあったら、私はきっと後悔する」
じっとディアナの目を見るヘレナ。
握られる手の力からもヘレナが本当に自分を心配してくれているのがよくわかった。
ラウラもマティアシュも、ヘレナの主張に納得したようで頷いているのが見える。
「分かりました…。旦那様に、伝えます」
ディアナは、圧倒されて思わず頷いた。
ヘレナがほっと息を吐いて、手の力が緩んだ。
ヘレナの提案に、ぜひそうしよう、と頷けない自分の内心にディアナは気づいていた。
グスタフをあんな目に合わせた犯人に自分の力で辿り着きたかった。その思いが自分で思っているよりずっと大きかったようだ。
けれども、犯人を見つけるためにも、自分たちで動かずに観測院やフィリプの力を借りるべきだというのはよく分かる。
でも悔しい。
誰よりも先に犯人を見つけたかった。
なぜこんなことをしたのか、ディアナが直接犯人に聞きたかった。
それで、犯人に『なぜ自分はこんなことをしてしまったのか』と嘆いてほしかった。
唇を引き結んで俯くディアナの内心に気づいたのかは定かではないが、マティアシュが底抜けに明るい声で言った。
「そのうち王都に遊びに行きたい。
ね、ディアナさん、改めてフィリプ様と引き合わせてよ。また話してみたいんだ」
「え、ええ。ぜひいらしてください」
「ラウラも一緒に行こう。
それで、ディアナさんとヘレナさんに王都を案内してもらえばいい。僕はその間フィリプ様と研究の話をしてるからさ」
マティアシュはよほどフィリプのことが気に入っているらしい。
この喋り好きの男性と外行きの胡散臭いフィリプが話すところを想像すると少し笑えた。
話を振られたラウラは、露骨に顔を歪めた。
「行かない。
特にこの時期は立憲記念日の式典が続いて王都は人が多いじゃないか。
少なくとも、立憲記念日が終わるまでは私は行かない」
「立憲記念日って今月の10日じゃないか。てことは、ラウラもすぐ王都に行けるね」
ラウラは目をぱちくりさせた。
それからまた険しい顔をして、行きたくない、と短く宣言していた。
「まあまあ、ラウラ先生。気が向いたら遊びに来てちょうだい。いくらでも王都を案内するわ。
セリヴォーンと雰囲気は違うけれどそれはそれでいいところだから」
ヘレナがそう言ってラウラに微笑みかける。
「そうは言っても。
どちらにしろしばらくは無理だ。
聖気の丸薬の件を調査しなければならないし、結果が出れば論文を書きたい。
まあ、王都に遊びに行けるのは早くて1年後だ」
まあ残念、とヘレナが言った。
それから馬車が来るまでの間、他愛もない話をして時間を過ごした。
主に喋っているのはマティアシュだったが。
セリヴォーンを出てラダイアに向かいはじめたのは日も随分傾いて真っ赤な夕焼けになる頃だった。
馬車に乗ったディアナたちをラウラとマティアシュは広場で見送ってくれた。
進展があったら連絡する、と約束しあって別れてきた。
セリヴォーン滞在は時間にしてわずか数時間だが、その収穫の多さのせいか、ディアナもヘレナも疲れ切っていて、馬車に乗った途端あくびが止まらなくなった。
お互いに笑い合って、それからすぐヘレナは寝てしまった。
ディアナも寝てしまおうかしらと考えながら窓の外を眺めた。
うつらうつらしながら、8月のセリヴォーンに思いを馳せた。
グスタフが最期に来た場所。
断崖絶壁の白亜の大聖堂と、迷宮のような研究の街。
彼と親しかった人たちに彼の本当の最期の場所を伝えたい。
時計工房の可愛い見習いたちに、生意気な赤毛のヴラディーミルに、少し泣き虫になったクリシュトフに…。
そんなことを思いながら、馬車に揺られているうちにいつのまにかディアナも眠っていた。
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「もう一度言って、モニカ?
どなたが訪ねていらしたって?」
グランドホテルに戻ると、モニカが信じがたいことを言った。
目をぱちくりさせながらモニカはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「アルブレヒト・ペトラーチェク様が、今日の午後、奥様を訪ねていらっしゃいました」
アルブレヒト・ペトラーチェク。
フィリプ・ペトラーチェクの父親だ。




