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聖気の波形

「ん、そういえば、グスタフ殿が来たのは8月26日か…」


 ラウラはメモ帳を見てつぶやいた。


 改めてどうしたのかしら、とディアナが表情を伺うと、ラウラはぱっと顔を上げてにやりと笑みを見せた。


「確実に関係があるかはわからないが、もしかしたら何かヒントが得られるかもしれないん。興味あるか?」


 自信たっぷりのラウラに、興味がないとはとてもじゃないが言えなかった。


 正直興味のあるなしが判断できるほど、ラウラの話が何なのか全くわからない。

 ヘレナと顔を見合わせると彼女は彼女で困ったように眉を下げていた。

 ええ、まあ、みたいに曖昧な返事をしようとしたところ、突然研究室のドアが開いた。


「聞いてよ、ラウラ。また事務室のおっさんに申請書の書き方がなってないって怒られてさ…。

あ、ごめん、来客中か」


 入ってこようとした男性は、ディアナとヘレナの姿を認めるとそのままドアを閉めて出ていこうとした。


「ああー!待て待て、マティアシュ・セリスカ・ヴァーヴラ!ちょうどいいところに!」


 ラウラが座ったまま声を張り上げて呼び止めると、マティアシュと呼ばれた男性は心なしか嬉しそうに微笑みながらひょこっと顔をのぞかせた。


「僕に何か用事?」


「ああ、大事な用事だ。入ってくれ、話が聞きたい」


 ラウラの招きに応じて入ってきたマティアシュは、ディアナたちに対してにこやかに、こんにちはと挨拶をしてきた。


 突然の闖入者に戸惑いはしたものの部屋の主人たるラウラが招き入れているのだから異論はない。

 軽く会釈を返した。


「紹介しよう、マティアシュ・セリスカ・ヴァーヴラだ。

私と同じくここの研究者で、専門は、えー、なんだったか」


「専門分野は、三次元的に観測された聖気波形を基に、転移魔法発動時における物体の移動過程と、その際の聖気位相変化の理論化。

何度も説明してるじゃない」


 異国語のようでさっぱりわからない。

 

 マティアシュは、まったくもう、とため息をついているが、ラウラはつんとそっぽを向いた。


「マティの研究は私には難しすぎるんだ」


 ラウラにもわからないのであればディアナに分かるわけがない。

 ディアナは安心して、分からないことを認めた。


 えー、と不服そうなマティアシュを無視して、ラウラは、


「こちらはディアナ・ペトラーチェク殿。例のグスタフ・ノヴァーク殿の奥方らしい。

それでこちらは、ヘレナ・パラツキー殿。ディアナ殿の友人で、子爵夫人だそうだ」


と簡潔に紹介をした。

 

 マティアシュから握手を求められ応じる。

 

 ディアナは、研究者と言われると、男性であっても細身で不健康そうな人をイメージしがちだったが、マティアシュ・セリスカ・ヴァーヴラはそのイメージには当てはまらない男だった。


 歳の頃は30代前半くらいだろうか。

 背はそれほど高くはないものの、よく日焼けしており、全身に筋肉がついていて、よく笑う姿は健康そのものな印象だった。

 握手をした際には手に豆もあり、まるで農家や、もしくは自給自足の生活をする修道士のようで、研究者だという紹介となんだかチグハグな感じがした。


 着ているシャツやズボンやローブは、折り目でしっかり折られていて、シワもなく、物は古そうなのに手入れが行き届いていることが一目でわかった。


 不健康そのもの、適当そのものなラウラと並ぶと対照的でなんだか面白かった。


 でも笑っては失礼だわ、と思ってディアナは、少しだけ下を向いて唇を噛んで堪えた。


 そうしている間に、ラウラが、マティアシュに、これまで話したことを語り出した。


 マティアシュも、聖気の丸薬の件は知っていたようで、グスタフがここを訪れた帰りにおそらく亡くなったことを知ると、


「丸薬を作った人と、グスタフさんを襲った人は同一人物じゃない?」


と推測した。


 そして、グスタフが発見された場所とラウラがここでグスタフに会ったという事実の辻褄が合わないことを知ると、彼は、なるほどね、と膝を打った。


「だからラウラは僕に用事があるといったのか」


「ああ。それで、マティはどう思う?」


「ラウラの推測は当たっていると思う。グスタフさんは、ここから列車まで転移魔法で移動させられた。8月26日の聖気の記録とも矛盾しない」


 ラウラはそうか、とにんまり笑ったが、ディアナとヘレナは何のことかわからず、顔を見合わせた。


「聖気の記録ってなんのことかしら」


 二人きりでそのまま難しい話をし始めそうなラウラとマティアシュをヘレナがとめる。


 マティアシュはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの笑みを浮かべて語り出した。


 曰く。


 マティアシュの専門は『三次元的に観測された聖気波形を基に、転移魔法発動時における物体の移動過程と、その際の聖気位相変化の理論化』である。

 要するに、魔法が使われたときに聖気がどのような波形になるのかを研究しているらしく、その中でも特に転移魔法が専門だという。


 そもそも聖気が波形を記録する物質だということは一般的にはまだまだ知られておらず、さらに言えばその波形が実は二次元的なものではなくて三次元的なものであるということは研究者ですら、まだまだ受け入れ難いというものはいる。

 けれども、近年、三次元的に記録された聖気の波形は使われた魔法によって変化するのだという説が提唱され、多くの研究者がその虜となった。

 

 マティアシュもまたそのひとりであり、特に転移魔法が使われた際の波形に並々ならぬ情熱を注いでいる。


 この辺りをマティアシュは非常に熱心に解説していたが、ディアナにはさっぱりわからなかった。

 それどころかヘレナもさっぱりわからなかったようで、2人して盛り上がっていくマティアシュをぼんやり眺めていた。

 止めるまもなかったが、ラウラが『いい加減にしろ!』と、マティアシュの頭をぽかんと殴ったことにより止まった。


 ところで、セリヴォーンの街に入るとき、聖門で記名の他にマジックツールの所持を確認された。

 ディアナもヘレナも特に持っていなかったのでそう答えたが、マティアシュによると、持っている場合には聖門で預けなければいけないらしい。

 セリヴォーンは町中至る所に聖気の観測装置を置いていて、天気と聖気の関係の研究や人間の生活と聖気の関係の研究などのために、観測結果を随時記録している。

 そのために、ノイズデータとなる私的なマジックツールや魔法の私用は原則的に禁止されている。

 聖門でのマジックツールの預かりはそれを徹底するためらしい。


 そんなある日、マティアシュは、セリヴォーンの司教館付近に設置されている観測装置に大規模な魔法が使われた形跡を見つけた。


 事前に申請のない魔法の使用は一応禁止されているものの、研究者たちは自身の思いつきをすぐさま試さずにはいられないことも多々あり、申請のない魔法の使用が記録に残っていること自体はそう珍しくない。


 マティアシュが興味をひかれたのは、その記録が司教館付近だったことと、転移魔法らしき波形であったことの2点による。

 やらかす研究者は大抵自分の研究室か、少なくともセリヴォーン観測院付近のことが多い。けれども、司教館という街の奥の大聖堂近くでの記録であり、研究者のやらかしにしては珍しい位置だった。


 そして、記録された波形がより複雑ではあるものの、転移魔法の波形とほぼ一致していた。

 転移魔法は使用できるものが限られており、セリヴォーンの街にもそれほど多くはない。


 そんな魔法がなぜ使われた?

 それから波形が一致していない部分は何の魔法だ?


 その疑問を追求すべく、マティアシュは本業とは別にその波形の記録を研究対象としている。


 そしてその記録がされたのが8月26日であり、グスタフの来訪があった日のことだった。


 これまでラウラもマティアシュもグスタフの来訪と転移魔法を全く結びつけていなかったため思い至らなかったが、ディアナたちの話からほぼ確実に関係のある事象だろうとなったというわけだった。


「一部、転移魔法ではない魔法も使われたみたいだから、それを今解析中だけど、8月26日に転移魔法が使われたのは間違いないよ」


 マティアシュは話し終えて一息ついた。


「質問してもいいかしら」


 ヘレナが切り出すと、マティアシュはどうぞと促す。


「もしその転移魔法がグスタフさんを移動させるのに使われたとして、グスタフさんはどうして司教館の近くにいたのかしら。その近くには何があるの?」


これにはラウラが答える。


「宿だよ。昔からセリヴォーンの司教館は巡礼者のための宿を兼ねているんだ。

簡素なベッドしかないが一泊だけなら十分過ごせる」


 セリヴォーンと王都は、馬車で行き来するほかない。

 グスタフが夕方までここにいたというのなら宿泊せずに馬車で王都に帰れないこともないが、まあ一泊する方が自然だろう。

 そう思えば、司教館にグスタフが泊まろうとしていたというのは頷ける話だった。


「それと、大事な点がもう一つ。おそらく転移魔法は3回使われている」


「3回?」


「そう。

波形から、転移魔法が使われた向きも大体わかる。この街に来た向きの転移魔法が1回、出た向きの魔法が1回、さらにもう一回来る向きの魔法が1回の計3回」


 ヘレナは、ふむ、と考えて口を開いた。


「その出た向きの1回はグスタフさんを連れて出たときでしょうね。

来た向きのうち一回は、犯人が列車から逃亡するときに使ったのかしら。それでグスタフさんのフリをしてこの街から出た。

そうなるともう一回の、この街に来た向きの魔法って?どこから来たかはわからないの?」


 マティアシュは肩をすくめた。


「流石にそこまではまだわからない。技術が追いついてないんだ」


 そう、とヘレナはつぶやいて考え込む。


「素直に考えると、グスタフ殿を狙った犯人がこの街にやってきたのが最初の1回だろうな。たまたまこの街にいた人間がグスタフ殿を狙った、より、グスタフ殿を狙っていた犯人が彼を追いかけてきた、という方が自然じゃないか?」


 ラウラの案にヘレナはちょっと首を傾げた。


「でもグスタフさんはディアナさんにすら、セリヴォーンに来ることを伝えていなかったのよ。その犯人がどうやってグスタフさんがセリヴォーンにいたことを知ったのかしら」


 それもそうか、とラウラは唸った。


「あのー」


 控えめにマティアシュが手を挙げる。


「なんだ?」


「ラウラ、そろそろ昼の礼拝の時間じゃない?行かなくていいの?」


 ラウラは、懐中時計を取り出して時間を確認し、にっこり微笑んだ。


「行かないとまずい。もっと早く言え」


「無茶言うなよ。僕だって今気づいたんだから」


 ラウラは、立ち上がってディアナに対して手を差し出した。


「一緒に行こう。大聖堂の礼拝の時間だ」


 ディアナは、マティアシュに転移魔法の波形の話を聞いているときから、事態の恐ろしさに何も言えなくなっていた。

 転移魔法が実際に使われた証拠が残っていると聞くと、グスタフが誰かの悪意に晒されたということが現実として迫ってくるような感覚になった。


 推測はしていたのに。

 勇気を出さなきゃ。


 そうは思っていても3人が目の前で話をしているのをただ聞いていることしかできなかった。


 それに、犯人はルドルフを殺し、グスタフを殺した。

 まだこれで終わりでないのかもしれない。


 犯人の目的が分からない今、強大な魔法の力を使って、誰かの命をまた奪うのかもしれない。


 また大切な人の命が奪われてしまうかもしれない。


 そう思えてならなかった。


 そうして固まっているディアナに、ラウラは手を差し出した。

 それでも動けずにいるディアナ。


「あら、セリヴォーン大聖堂での礼拝?行ってみましょうよ」


 明るい声のヘレナは膝の上に置いていたディアナの手を取って、ラウラの手に乗せた。

 ぎゅっと握られて引っ張られて立ち上がらざるをえなくなる。


「さあさあ、急がないと始まっちゃうよ」


 マティアシュの声に背中を押されるようにしてラウラの研究室から連れ出された。

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