ラウラの研究室2
「しかし、グスタフ殿が亡くなっていたとは…!」
少し長い語りを終えて、ラウラは頭を抱えた。
けれどもすぐさま顔を上げてディアナをじっと見据えてきた。
「さあ、そういうわけだ。私たちはこの丸薬の入手経路が知りたい。協力してくれないか」
ラウラの眼差しは真剣そのものだった。恋する相手に言い寄るような、熱っぽい表情。
固体になった聖気に取り憑かれた研究者は今にもディアナにつかみかかるんじゃないかという勢いだった。
しかし、ディアナは、何も言えない。
ラウラの語った経緯は、あまりにもディアナの想像の範囲外すぎた。
ヘレナも、何か言おうと口を開いては首を傾げてやめたり、頭を抱えたりしながらラウラの話を聞いていた。
その話が終わった今、ディアナ同様何も言えないようだった。
反応のないディアナにラウラは焦れたようで、もぞもぞ動きながら
「まあ、あまりの前代未聞さにな、言葉を失うのは私としてもよくわかる。しかしだね、やはりここは手を取り合ってだね」
などなど、喋りはじめた。
ディアナは、その喋りを右から左に流しながら、少しずつ少しずつ、情報を咀嚼していった。
一人で喋り続けるラウラをディアナが軽く挙手して止めたのは5分ほど経ってからのことだった。
「シャンデラ先生、先に一つだけ、聞かせてください」
ラウラは、食い気味に
「煩わしいからラウラと呼んでくれ。もちろんなんでも答えよう」
と頷いた。
そうは言っても、ラウラは固体になった聖気の手がかりが目の前にいるせいか、瞬きの回数も多く、鼻息も荒かった。
興奮と焦りが隠しきれていないなかで、ディアナの質問を先に済ませた方が話が早く済むと判断したのだろう。
ディアナは、片手を挙げたままラウラを見据えた。
「それなら、ラウラ先生。グスタフがこちらに来たのは、8月26日なんですね?」
声が震えるのを止められないまま問う。
その質問が予想外だったようで、目をぱちくりと瞬いてから、ラウラは頷いた。
「ああ、そうだ」
そして手元にあったメモ帳をパラパラとめくって言葉を続ける。
「8月26日の午後3時に約束していた。時間通りに来て、1時間半ほどで出ていった」
隣でヘレナがごくりと喉を鳴らしたのがディアナにもわかった。
やっと、やっと、分かった。
ディアナは、そうですか、と頷いて、ふーっとため息を漏らす。
ラウラは、二人の様子を怪訝そうに見るも、それもほんの一瞬で、すぐさま先ほどのような熱っぽさを取り戻した。
けれども、やはり気にかかるようで、口を開いては閉じ、二人の様子をきょろきょろ見ては首を傾げ、押し黙り、最終的には二人の様子を上目遣いで窺うことを選んだ様子だった。
ヘレナが、ディアナの膝に置いた手に手を重ねてきた。
ディアナは、顔を上げてヘレナを見る。
話すかどうか、ディアナ次第だというように、ヘレナはゆっくり頷いた。
「グスタフは8月26日の午後10時にビルスレビヴを出発した列車に乗っていました。
そして27日に聖気に魅了された状態で発見されました」
ラウラに何をどう伝えるべきか、考えたけどわからなかった。
だから、静かにそれだけ言葉にした。
セリヴォーンからビルスレビヴまでは馬車で移動するしかない。
どんなに急いでも6時間はかかる距離だ。
15時から1時間半セリヴォーンにいて、ビルスレビヴを午後10時に出る寝台列車には乗れない。
昨日、ヘレナと二人で話していたことは、正しかったのだろう。
ディアナはそんな確信を持っていた。
ラウラはディアナのことばに最初は眉を寄せた。
なぜ今そんなことを言うのか。
あり得ない話をするディアナの真意を窺うようにじっと見据えてくる。
けれども、冗談を言ったり嘘をついているようには見えなかったのだろう。
それから目を閉じて、なるほど、と一言つぶやいた。
「今そんなことをわざわざ言うということは、つまり君は、グスタフ殿がここからの帰りに何らかの事件に巻き込まれたと考えている。
どうやってかはわからないが、その事件に巻き込まれた末に寝台車に乗せられた。
そうでなければ、グスタフ殿が寝台車で発見されるはずがない。
そういうことだね?」
ディアナは察しのいいラウラに驚いた。
ヘレナと顔を見合わせて、それから、はい、と頷く。
ラウラは、はーっとため息をついて天を仰いだ。
「おそらく、その犯人はこの丸薬の存在を知っていただろうね。と言うより、この丸薬を作った者か、それに近い者のはずだ。
丸薬とは全く関係なしに、突然グスタフ殿がここからの帰りに襲われるなんて、出来過ぎにも程がある」
ディアナは、膝に乗せた手でドレスをギュッと握りしめていた。
グスタフがあの日どこに何のために出かけていたかは、ずっと知りたかったことだった。
それが、こんな得体の知れない物体のために、そしてそれを理由にして殺されたかもしれないだなんて。
ずっとディアナの頭にあった『どうしてグスタフが死ななければならなかったの?』という疑問の答えが、少しずつ迫ってくるごとに、足が震えて、声も出ないような感覚に襲われていた。
ラウラは、ディアナの様子を察してか、単により話が通じそうな方を選んだのか、ヘレナに視線を向けた。
「ヘレナ殿、あなたはグスタフ殿の件をどこまで知っている?
話してほしい。私たちは聖気の丸薬の正体を一刻も早く突き止めたいんだ」
そんな言い方、とヘレナが憤慨した。
ラウラは、目をぱちくりさせたあと自分の失言に気づいたのか、失礼した、と軽く謝ってみせた。
そのやりとりを聞きながらディアナは、ラウラにグスタフの件を最初から最後まで話したいと思った。
協力してもらえるなら、この上なくありがたい存在だろう。
そう思うのに話そうとしても、うまくことばにならなかった。
ヘレナがディアナの様子を窺うように目線を向けてくれたので、話してください、とお願いする。
ヘレナは、頷いてラウラに話し始めた。
当初はライターの故障で聖気が漏れ出したと思われていたが、ラダイア警察署でそうではないとわかったこと。
当時の車掌に話を聞いたら、ビルスレビヴを出発してからラダイアまでグスタフの個室への出入りは誰もしなかったこと。
そのグスタフはビルスレビヴで乗ったときには帽子を目深にかぶっていて、タバコの匂いもせず、むしろ香水の香りがしていたこと。
突然の予約だったこと。
これらのことから、ヘレナとディアナは犯人がグスタフのふりをして乗りこんだのではないかと考えていること。
どこにいたかはわからないが全く違う場所にいたグスタフを転移魔法を使って列車に乗せ、その犯人はまた魔法を使って逃走したのではないかと考えていること。
そう考えていたところに、ラウラからの手紙が転送されてきたということ。
ヘレナは淡々と穏やかに話した。
ラウラもまた口を挟まず、淡々と相槌を打ちながら聞いていた。
最後まで聞き終えたラウラは、そういうことだったのか、とつぶやいた。
「やはり、舅殿に丸薬を飲ませていた者と、グスタフ殿を殺した者は同一だろう。少なくとも関係はある。
別人のふりして列車に乗って転移魔法を使って事故死に見せかけるなんて、相当手の込んだ方法だぞ。
いくらなんでも、ここに来た帰りに偶然全く無関係の奴がグスタフ殿をうっかり殺したなんてことは考えられん。
そんなややこしいことをするような奴がこの世にそう存在してたまるか。
それに、こんなものを作れるような奴だ。転移魔法くらいなんてことなく使えるだろう。
君たちが言うように、本当に犯人が転移魔法を使ったのだとしたらな」
ディアナもヘレナも頷いた。
同意見である。
「そうなると我々の目的は一致している。一刻も早くその者を特定することだ。
ディアナ殿、医者からこの薬を処方されたあと瓶をすり替えることができたものはいなかったか?」
ディアナは、少しだけ落ち着いてきていた。だから少しだけ冷静にラウラに質問をし返した。
「ラウラ先生、お医者さまが処方したのがそもそもその聖気の丸薬だったというのはあり得ませんか?
お薬は、ずっと家の中にあって」
ディアナが言い終わるより早くラウラは首を横に振った。
「ま、あり得ないだろう」
ヘレナも、そうでしょうね、と言うように頷いている。
ついていけていないのはディアナだけらしい。
ラウラは、ディアナがどうしてと言うより先に少し身を乗り出して話し出した。
「いいか、ディアナ殿。
まず、その医者にはこんなことをする理由がない。
こんな前代未聞のものを、よくある薬と変わらない値段で売りつけるなんて、信じられない。『特効薬だ』とかなんとか言って法外な値段で売りつけないと割に合わないぞ。
そしてもし私がその医者なら、余命をもっと短く診断する。診断された余命と実際に舅殿が死ぬまでの期間が短かったというところからグスタフ殿は疑問を持ったんだ。そんな疑問の芽、医者なら先回りして摘んでおけるだろう」
確かにそうか。
そうなると、誰かが薬の入った瓶をすり替えたことになる。
ディアナは、舅であるルドルフの闘病中、どんな生活をしていたかを振り返り始めた。
「普段舅のベッド横に置いていたんです、この瓶。だから、舅の部屋に入った人であれば、誰でもすり替えられたと思います」
目の前のテーブルに置かれた話題の瓶を手に取って、貼られたラベルを確認した。
確かにルドルフ・ノヴァークの飲んでいた薬の瓶で、見覚えのあるラベルだった。
いつもルドルフのベッドの横に置いてある小さな棚に置いてあって、薬の時間になると自分で取り出して飲んでいた。
「舅殿の部屋に入れたのは誰がいる?」
ラウラは、メモを取りながら話を聞き始めた。
「私と、グスタフと、時計工房に勤める職人2人と見習い3人は、舅さえ良いと言えばいつでも。それからお医者様と、見舞いにきた人たちです。ただ、見舞いにきた人の数は、とてもじゃないけど数えきれません…」
交友関係が派手だったルドルフには、ひっきりなしに見舞いが来ていた。
誰のことも疑いたくないのに、疑心暗鬼になってしまう。
「そうか。いや、でも、思い出せる限りで構わない。教えてくれ」
ラウラに懇願され、ディアナは思い出せる限りの見舞客を答えた。
ご近所をよく一緒に散歩していたカシュパルさん、酒飲み仲間のエレオノラさん、教会の司祭さまに、昔の兵役仲間のミロシュさん、それから商売仲間のオルドジフさん。
それから、取引先のフィリプ・ペトラーチェク様…。
ディアナは、指で数えながら答えていったが、20人を超えたあたりで、それ以上思い出せなかった。
「今思い出せるのは、これくらいで…。まだいると思うんですけど…」
ラウラは、分かったと頷いて、メモをざっと見返しているようだった。
「ありがとう。
君の知り合いを疑うようで悪いが、セリヴォーン観測院の方で、このリストにある人たちを調べさせてもらうよ。これは人類の歴史に関わることだから、承知してくれ」
ラウラの淡い青の眼差しは真剣そのもので、ディアナは、はい、と頷くほかなかった。
「舅にそんなものを飲ませた人が分かるなら、グスタフをあんな目に合わせた人がわかるなら、私としても嬉しいです」
間違いなく本心だ。
けれども、見知った誰かが、そんなことをしたなんて、考えたくなかった。
知りたくなかった。
そして、自分たちが何かとてもとても大きな渦の中にいて、しかもそれが自分が思うよりもずっとずっと前から始まっていたのだということを、ディアナは知ってしまった。
足の着かない水の中にいるような不安からディアナはなんとか目を逸らしていた。




