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ラウラの研究室

「そうだったのか、グスタフ殿がすでに…」


 ラウラは、目元を手で覆ってため息を吐いた。

 そして、すぐに両手を三角に組んで、グスタフの安らかな眠りを祈り始めた。


 セリヴォーン観測院の、数多ある研究室のうちの一つがラウラに割り当てられたものらしく、ディアナとヘレナはカフェで会ったラウラにそのまま案内されてきた。


 ラウラ・シャンデラは、とても美人だった。


 歳の頃はおそらくディアナと同じくらい。

 淡い青の瞳に、透けるような白い肌、伸ばしたグレーの髪。

 女性にしては高い背に、華奢な体つきで、研究者然としたメガネと白いローブを纏っていた。


 その全体的に薄い色味と体格、それに古風な喋り方が、伝説のエルフや妖精を連想させた。


 けれども、その全てを台無しにするほど、ラウラ自身は自分の見た目にも、研究室の衛生環境にも気を遣っていないようだった。

 腰まであるグレーの髪は、傷みまくって絡まりまくってぼわんと広がっているし、白いローブはおそらくケチャップだろうと思われる赤いシミや擦り切れたのであろう穴だらけで、サイズもあっていないのかはたまた切ってしまったのか、袖も裾も随分短いようだった。

 メガネも瓶の底かと思うほど分厚く、曇っている。

 中に着ているドレスは、ディアナの母の世代が若かった頃に流行ったような型で、フィリプのセンスに慣れたディアナからしたら、ダサいと感じるものだった。


 研究室内は、さまざまな文献や、薬草らしき乾燥した植物の詰められた小瓶や、飲みかけの飲み物が入ったカップなんかが所狭しと並べられ、積み重ねられ、広げられ、踏まれ、埃が積もっていた。


 ディアナは、なんとなく昔の時計工房の作業場に似ているなと感じ、こんな美人さんがこんな場所にいるのねとほっこりしたが、ヘレナは非常に嫌な顔をしそうになるのを一生懸命耐えている様子だった。


 お祈りを終えたラウラにソファに座るよう促されるも、ソファの上にすら文献やメモが広がっているのでなかなか難しい。


 軽く退けて座るも、座った途端にばふっと埃が舞って、ディアナもヘレナも咳き込んだ。


「それで、あなたがグスタフ殿の奥方のディアナ殿。今はペトラーチェク商社の副社長と再婚。で、そのご友人のヘレナ・パラツキー殿だな?」


 ええ、と頷く。


 ラウラは、ふむ、と少し考えてから、一つの小瓶と何かが記された紙を取り出してディアナに渡した。


「本来であればグスタフ殿から依頼されたものを、他の人間に見せるわけにはいかないのだが仕方がない。依頼された丸薬についてはこのような結果だった」


 小瓶の中身は白い丸薬だった。


 見せられた紙は「分析結果」「聖気 96%」と書かれている。


 他にも色々書いてあるが、読めないのと良くわからないのとで、ディアナは顔を上げてヘレナに助けを求めた。


 けれどもヘレナも首を傾げている。


 ディアナは、一度小瓶と紙を目の前のローテーブルに置いてラウラに向き直った。


「あの、これっていったい…」


 ディアナが控えめに尋ねようとするとラウラの方が目を丸くした。


「『これっていったい』だって!?

こっちが聞きたいくらいだ。固体化した聖気なんて前代未聞だぞ…!どこで手に入れたものなんだ…!?」


 固体化した聖気。


 その言葉にヘレナが隣で息を呑んだのがわかった。

 

 しかし、ディアナがなんのことだか全くわからず目を白黒させていると、ラウラは目をぱちぱちとさせて首を傾げた。


「もしかして、聞いていないのか?」


「え、ええ。グスタフからは何も聞いていなくて…。ラウラさんからのお手紙で初めて夫が何かを依頼していたことを知ったんです」


 ラウラは、ふむ、と少し考えながらデスクの椅子に腰掛けた。


「それなら、一度経緯をご説明しよう」


 そう言ってラウラが話した内容は、ディアナにとって少々信じがたいものだった。


♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦


 ラウラ・シャンデラは、聖気と人体についてを研究している学者であり、医者である。


 彼女が主に研究しているのは、聖気耐性喪失症、通称「魅了病」と呼ばれる病であった。

 この病にかかると、空気中に含まれるごく微量の聖気すらも毒となり、呼吸の苦しさや手足のしびれに始まり、やがて全身の痛み、そして衰弱へと進んでいく。

 病が進行すると肌は赤く火照ったように常に染まり、末期には起き上がることもできなくなる。

 

 原因はいまだ不明であり、うつる病でもないとされるが、確かな治療法は存在せず、せいぜい痛み止めなどの対症療法で苦しみを和らげるしかない。


 発症から1〜5年ほどは持ちこたえるのが一般的だといわれている。


 そして、ラウラの代表的な論文としては『聖気中毒症候群の初期兆候と呼吸機能低下に関する一考察』や『耐性喪失者における微量聖気の致死作用――臨床観測報告』があり、若いながらもこの国の学会で広く名が知られるようになってきていた。


 そんなラウラにある日1通の手紙が届いた。


『父が魅了病で亡くなった。

発症当初は余命は2〜3年と言われていたが、結局5ヶ月で亡くなった。

なぜそんなに早まったのか調べていて、日記を見返したら呼吸を楽にする薬として処方されたものを飲み始めた頃から悪化のスピードが早まっていたようだった。

シャンデラ先生は魅了病の研究をしていると聞いた。

父がなぜあれほど早く死ななければいけなかったのかを知りたい。協力していただけないか』


という内容だった。


 差出人はグスタフ・ノヴァーク。


 ラウラの元には、よく『魅了病にかかった息子を助けてくれ』とか『魅了病にかかって苦しい』とか、そういった手紙が来る。

 残念ながらラウラにはしてやれることはなく、せいぜい労りと祈りの気持ちを込めて手紙を返すくらいだった。


 次に多いのは『魅了病で死んだ身内がいる。あの医者はヤブ医者だ。あいつをどうにかしてくれ』という内容で、これもラウラにはどうすることもできない。

 それに対しては、聖気耐性喪失症が不治の病であり、今の医学ではどうにもできないこと、そのために自分がどんな研究をしているかを記載したパンフレットを送り返してやっていた。


 そんななかグスタフの手紙でラウラの目を引いたのは、『余命2~3年と言われていたのに、5ヶ月で亡くなった』というところだった。


 聖気耐性喪失症で余命宣告された場合、宣告された期間と実際に亡くなるまでの期間にそこまで差があることは通常え考えづらい。

 進行スピードや症状にあまり個人差がないのもこの病の特徴の一つだからだ。


 よほどのヤブ医者であれば話は別だが、グスタフの手紙に記載されていた医者の名前は、名医ではないがそこまでの間違いをするような医者ではないはずだった。

 

 興味を持ったラウラは、グスタフにぜひ一度話を聞いてみたいと手紙を返した。


 そこから数度手紙をやりとりして、8月26日にグスタフが研究室にきて直接話をすることになった。

 そして、当日。


 やってきたグスタフから直接聞いた彼の父の症状の進行は、明らかに異常だった。


 どう考えても早すぎた。

 特に発症してから1ヶ月をすぎたあたりからが特に早い。


 稀に、発症したあと療養のためといって引っ越しをしたら引っ越し先が聖気濃度の高い場所で進行が早まった、とか、マジックツールの使用を誤っていて進行が早まった、とかいう不幸な事故は起こることがある。


 けれども、ノヴァーク家の場合、そのような様子もない。


 これはぜひ実際に診察をしていた医師に話を聞きたいぞ、と思っていたところにグスタフが丸薬の詰まった小瓶を差し出した。


 グスタフ曰く、その小瓶の中身は父が発症してから1ヶ月ほどして、呼吸がしづらいことが多くなってきたと医者に相談した際に処方された薬だという。


 医者を疑いたくはないが、もしかして間違った薬を処方されたのではないか、とのことだった。


 見たところ、どこにでもありそうな白い丸薬だ。

 仮に、間違った薬を処方されていたとして、どんな薬が聖気耐性喪失症の進行を早めることになるのか?


 聖気への耐性を下げる薬なんて聞いたこともない。


 しかし、進行が早まった時期と飲み始めた時期が一致しているため、なんらかの関係があってもおかしくはない。

 そう思ったラウラは、グスタフからこの小瓶ごと預かって、中身を調べてみることを約束したのだ。


 グスタフは「もし何か分かったらご連絡ください」と言って帰って行った。


 そこからが大変だった。


 丸薬を調べても調べてもそのほとんどを構成する成分が何かわからない。

 成分の一部は、飲みやすくするために周りをコーティングしているものだったり、ほんの少しの甘味料だったりで、よくあるものだったからすぐにわかった。


 けれども大部分を構成する白くてサラサラしたものがなんなのかわからない。

 色々な検査をしてみたが、どれも反応を示さなかった。


 そして、まああり得ないとは思いながら、他にできる実験もなかったので、聖気の有無を確かめる時に行う指示紙法をやってみた。

 聖気に触れると、青から金色に変化する『ヨダジュ紙』という特別な紙がある。


 真空にしたベルジャーの中でヨダジュ紙に丸薬をすりつぶして粉にしたものを振りかけた。


 すると、ヨダジュ紙は青から美しい金色へと変わった。


 最初は何かの間違いかと思った。


 聖気は気体でしかないはずだ。


 目の前にあるものは粉。つまり固体。


 これまで人類は幾度となく聖気を留めようと試みてきた。

 気圧や温度を変えても気体のままで、限界を超えればただの「無」と化した。


 水にも油にも溶けず、金属にも石にも吸い込まれず、祈祷や呪法すら効かなかった。


 ただ流れ、ただ消える。


 そして、その実験結果を支える理論がいくつも提唱されている。

 それが聖気であり、だからこそ「固体化」など夢物語にすぎないと信じられてきた。


 そう。

 固体化された聖気などあり得ない。


 それなのに、目の前の実験結果は丸薬の主成分が固体化した聖気だということを示している。


 ラウラは、預かった小瓶の中から3粒を同じ実験に費やした。


 結果は全て同じ。

 丸薬が聖気だということを示していた。


 さらにセリヴォーン観測院にいる他の研究者3人にそれぞれ3粒ずつ丸薬を分け与えて、『信じられないかもしれないが、騙されたと思ってこの丸薬が聖気かどうか確かめる実験をしてくれないか』と伝えた。


 3人とも持ってきた結果は同じだった。

 

 丸薬は、聖気が主成分。


 ラウラと3人は、研究者としての血が湧き立っていた。


 この丸薬を気体に戻す方法がわかれば固体化することも可能になるだろう。

 そうしたら、聖気とは一体なんなのか、その研究が一層進むだろう。


 ラウラの専門である聖気耐性喪失症の治療薬も作れるようになるかもしれない。


 研究者たちは、それぞれこの丸薬が喉から手が出るほど欲しくなった。

 けれども、残りの丸薬はわずかである。


 この小瓶を持ってきた人物に一刻も早くどこで手に入れたのかを聞かなければならない。


 そうしてラウラはグスタフ・ノヴァークに急いで手紙を出したのだ。

 グスタフがラウラの元を訪れてからちょうど2ヶ月が経っていた。


 ところが10日経ってもグスタフが現れずやきもきしていた。


 むしろこちらから出向こうかとしていたところにディアナたちがやってきたというわけだった。

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