セリヴォーンへ行こう
「奥様方、見えてきましたよ!」
御者の声に、ディアナとヘレナは窓から外を覗いた。
「わあっ…」
入江の向こうには白亜の断崖絶壁。
その崖の上には、大きな聖堂が見える。聖堂の周りには、大小さまざまな建物の並ぶ街並みだが、そのどれもが外壁を石灰で塗られているようで、太陽光を受け、光り輝いていた。
本の挿絵で見た通りの街並みにディアナは興奮して釘付けになった。
「セリヴォーンまではあとどれくらいかしら?」
ヘレナが声を張り上げて尋ねると御者はじっと白亜の街並みを見てから答えた。
「この入江をぐるっと回って、丘を上って、ですんで、あと30分ほどかかりますよ!」
「そう。ありがとう!」
30分か。
ディアナは、なんとも言えずため息を吐きながら首を引っ込めた。
向かいのヘレナも、同じようなため息をついていたのでお互い笑ってしまう。
太陽が昇る頃にラダイアを出てきて、3時間ほど馬車に揺られていた。
いくらグランドホテルが手配してくれた馬車とは言え、ラダイア・セリヴォーン間の道は整備があまり進んでおらず、道の凹凸が全て振動となってディアナたちに伝わってきた。
30分と聞いて、『あともう少し』という気持ちと『まだそんなに』という気持ちの狭間で、ディアナもヘレナもため息を吐いたのだった。
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セリヴォーン観測院前の広場で馬車が止まり、ドアが開いた。
ディアナは御者にお礼を言いながら馬車から下りる。
道行く人々のほとんどは、白いローブを羽織った研究者のようだった。
皆歩きながら考え事をしていたり、ノートに何か書きつけていたり、前が見えないほど積み重ねた大量の本を抱えていたりで、それぞれ周りを見ていない様子なのに、ぶつかり合ったりせずに歩いていく。
広場には修道士や修道女の姿もちらほらと見えた。
大聖堂付属の修道院とこの街は結びつきが強く、彼ら彼女らが奉仕活動としてこの街の労働の大半を担っていると本で読んだ。
そして、街を守る聖門を出入りする際には全ての人が記名をしなければならない。
そうすることで、聖職者たちの信仰と学者たちの研究を邪魔されないように守っている。
王都とは全く異なる人々の様子にディアナは一気に緊張し始めた。
広場には何十人か人がいるように見えるのに図書館よりも静かで、その静けさがより一層緊張を引き立ててくる。
「こちらがセリヴォーン観測院の入り口だそうです。事務室も入ってすぐとのことで」
そんな静けさの中、御者の能天気な声にディアナは口から心臓が飛び出そうになった。
なんとか心臓を落ち着けてから、示された建物を見上げると、時計台だった。
それほど背は高くない建物だが、星や星座の意匠が施された大きな時計が掲げられている。
美しい濃紺の文字盤に、白銀色の長針と短針、散りばめられた星々。白亜の塔と、夜空のような時計が美しくて、荘厳で…。
ディアナは思わず、「わぁ…」と小さく声を上げた。
時計台を中心にしていくつも回廊が伸びているが、その回廊がどこにつながっているのか、いくつあるのか、どこまで続くのか、その全容は今いる広場からでは全く想像がつかない。
実際、セリヴォーン観測院は、時代や研究内容に合わせて増築と改築を重ねてきたために、誰もその全容を把握していないらしい。
観測院を抜けると、入江の向こう側から見えた大聖堂があるらしいが、ここからではその尖塔の先さえ見えなかった。
研究と信仰が守られてきた真っ白な街。
ディアナは、その異空間のような場所で、つい、自分がこの街に暮らす修道女になることを夢想した。
どんなに穏やかで、素敵な暮らしだろう。
きっと、毎日お祈りをして、ちょうど良いくらい働いて、食事や恵みに感謝して…。
妄想の世界に入りかけ、いけない、いけないと頭をふる。
そのまま、行きましょうか、とヘレナに声をかけようとして振り向いたが、彼女はいなかった。
それどころか、御者が馬車の中を覗きこみながら「奥様、奥様?」と声をかけている。
どうしたのかしら、と思いながら再び馬車に近寄って覗くと、ヘレナが青白い顔をしていた。
「大丈夫ですか、ヘレナ先生!?」
ディアナの呼びかけに、ヘレナは力無く微笑んだ。
「ごめんなさいね、ディアナさん。坂道と、迷宮みたいなこの街で、少し酔ってしまったみたい。
でも大丈夫よ。行きましょうか」
そう言って下りようとしながら、ヘレナは口元を抑えた。
「むむむ無理しないでください…!ど、どこか入って、休みましょう…!!」
ヘレナを支えながら慌てるディアナに対して御者は、あちゃーと額を抑えていた。
「セリヴォーンに初めていらっしゃる方だとよくあるんです」
そう言って御者は、座って休めるようにすぐ近くのカフェに話をつけてくれた。
カフェの方も慣れているようで、修道女の店員が、テラス席と飲み物を用意してくれる。
親切な御者に感謝しつつ、帰りの時間に迎えをお願いして、一旦解散となった。
ディアナがテラス席へ戻ると、ヘレナは少しずつ出されたハーブティーを飲んでいた。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさいね。だいぶおちついてきたわ」
「とんでもない!私の方こそ付き合っていただいているんですから…。
ゆっくりおやすみしましょう」
そもそもラダイア観光のはずだったのに、探偵ごっこにセリヴォーン訪問と大幅な予定変更を繰り返しているのはディアナだ。
感謝こそすれ、これくらいのことで迷惑なんて思うわけがない。
これ以上謝ったところで、同じやり取りになると思ったのか、ヘレナは曖昧に頷いただけだった。
ディアナは、本当に気にしてないのに、と歯痒く思った。
妄想していて、ヘレナの体調が悪いことに気づくのが遅れたのも、ディアナとしてはとても申し訳なかった。
ディアナもハーブティーを注文し、1時間ほどがたった。
場違いなんじゃないかとディアナはそわそわしていたが、ここの住人は全く周りに関心を示さないようだった。
周りのテラス席にも研究者らしい風貌の人たちが増えてきても訝しげな視線を向けられることもなく過ごすことができている。
ディアナは、この異世界のような街をすでに満喫していた。
なにしろ周りから聞こえてくるのは、
『聖気は気体相で、位相転移が安定しないために、固体相として保持するのは極めて困難というのがこれまでの通説だったが』とか、
『旧王家は祈祷歌を三声で書いているだろう。現王家は四声に拡張して、分散和音で聖気濃度を分けているんだ。これによって』とか、
『果実の樹座流星群の輝線変動は既存の模型では説明がつかん。もし聖気粒子が寄与しているなら整合するが』とか、
難しい話題ばかりで、ディアナは何もわからなかった。
それがまた全くわからない外国語を聞いているようで、尚更異世界のようだったのだ。
ディアナがハーブティーを飲み終わる頃にはヘレナの顔色も随分良くなってきていたため、改めて会いに行く相手の名前を確認しておこうと手紙をハンドバッグから取り出した。
「一体グスタフは何を頼んでいたんでしょう…」
ディアナは手紙を見ながらひとりごちた。
こんな異世界のような場所で、依頼しなければならない何かがグスタフにあったのだろうか。
「さあ…。でもグスタフさんの持ち物に、確か聖気に関する本があったわよね?
何か調べていたのかもしれないわね」
ヘレナに言われてディアナは、確かにそうだったと思い出した。
警察署に置いてきたグスタフの荷物の中には聖気学の本が入っていた。
思い返すと、もともとあまり本を読むたちではなかったグスタフが、ある頃から熱心に本を読むようになっていた気がする。
確か、昨年の終わり頃、グスタフの父が病を患った頃からだった。
どうしてこれまで思い出さなかったんだろう。
ディアナはなんだか不思議な心地だった。
「そろそろ行きましょうか、ディアナさん」
ヘレナに微笑まれてディアナは頷いた。
「ヘレナ先生、もうお体の調子は大丈夫ですか?」
「ええ、おかげさまで。お待たせしてごめんなさいね」
テーブルチェックを待つ間、ディアナがもらった手紙を眺めていることに気づいたヘレナ。
「お相手はなんていう方だったかしら?」
そう確認をしてきたので、ディアナも改めて差出人の名前を見た。
「ラウラ・シャンデラ、さん、ですね」
ディアナがそう言った途端、隣のテーブルでこちらに背を向けて座っていた客が突然立ち上がってこちらを振り向いた。
ディアナもヘレナも驚いて、その客を見上げる。
「ラウラ・シャンデラは私だが、あなた方は?」
その客は近づいてきて、ぶっきらぼうにそう言ってきた。




