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当時のことを整理しよう

「まず、そうね。

 ディアナさん、あなたがやるべきことはグスタフさんについてわかっていることを整理することじゃないかしら。

 その後改めて不審な点を洗い出しましょう」


 ヘレナの言葉にディアナは素直に頷いた。

 

「わかりました」


 女探偵は捜査の初めにはいつも関係者たちに、当時の状況を聞いたり、殺害された被害者がどんな人物だったかを聞いたりしていた。


 グスタフが殺害されたのだとは思いたくない。

 でも、その可能性が高い。

 犯人を見つけるため、ディアナは記憶を辿る。


「グスタフは、8月26日の朝、『人に会ってくる』と言って出かけて行きました」


 ディアナは言いながら、ノートに『8月26日 朝 家を出る。人に会ってくる』と書き記す。


「人って、だれだったかディアナさんはご存知なの?」


 ヘレナの問いにディアナは首を横に振る。


「いえ。でも、それもあんまり珍しいことではなくて、グスタフは普段から誰と会うかとか言わずに出かけることが多かったんです」


 そうなのね、とヘレナは頷いた。


「それで、その後のグスタフさんは?」


 続けて問われてディアナは肩をすくめた。


「警察から知らせを受けました」


 それだけでヘレナは分かったようで、そう、と頷く。

 ディアナは当時警察に説明したことを思い出して、付け足す。


「グスタフは家を出るときにいつ帰るとも言わなかったんですけど、トランク、さっき見たトランクを持っていたので、きっと泊まりなんだろうと思ったんです」


 警察には、『夜帰ってこなかったことを不審に思わなかったのか』と聞かれた。

 だからディアナはそのまま思っていたことを答えた。

 普段からそういう人だったのだ。


「ほかの人は?工房には職人や見習いもいるでしょう?グスタフさんはその人たちにも何も言わなかったの?」


 ディアナは首を傾げた。

 どうだったろう。


「誰に会いに行ったのかは、誰も知らなかったです。それは確かなんですけど、グスタフが泊まりで出かけていること自体、みんな知ってたかしら…」


 あのとき警察署まで一緒に行ったクリシュトフは、知っていたような気もする。

 ヴラディーミルや見習いたちはどうだったろう。

 グスタフの姿を朝から晩まで見かけないことは、そこそこの頻度であった。月に2、3回かそれ以上かくらいには。

 彼らがグスタフの不在の理由を知らなかったとして、疑問に思わなくても不思議はない。


「でも、どちらにしても誰もグスタフが会う予定だった『人』は誰なのか知らなかったです」


 ディアナの結論にヘレナも頷く。

 『工房の職人たちもたぶん知らない』とノートに書く。

 

「あら?

 そういえば、警察はどうしてグスタフさんの身元がわかったの?

 持ち物の中には、身元を示すようなものはなかったわよね?」


 ヘレナの疑問にディアナは尤もだと思って頷くながら口を開く。


「グスタフが事前に客室を予約していたみたいで、きちんと名前や住所を鉄道会社が把握していたんです。

 自分の客室で、亡くなったから、とてもスムーズに連絡ができたと警察が言ってました」


 8月27日の朝、グスタフの遺体が発見されてすぐに工房に電報が来たことをディアナは思い出す。

『グスタフ、客室の予約をとっていた』と一応メモをする。

 ヘレナは、そう、と呟いて、頷いた。


「ひとつ、質問してもいいかしら?」


ヘレナのおずおずとした物言いにディアナはちょっと首を傾げながら、もちろん、と頷いた。


「グスタフさんの交友関係を知りたいわ。その、要は、恨まれるようなことがあったのか」


 ディアナは、えっ、と思わず声に出して言った。


「そんな、グスタフが恨まれるようなことありません!そりゃあ、無愛想でぶっきらぼうで無口ですけど、決して悪いことはしませんでした!

 だって、洗礼だって受けているし、そりゃ滅多に教会なんて行きませんけど、でも、工房のみんなをいつも真剣に考えていて…」


 つい感情的になって言う。

 でも、ヘレナが、そうよね、そうよね、と頷いているのを見て、言葉が詰まった。

 感情的な自分が急に恥ずかしくなった。


「そうだと思うわ。

 だって、ディアナさんの幼馴染で、旦那様だったんだもの。悪人なわけないわ。

 でも、どんなことで恨みを買うかわからないわ。

 たとえば、ノヴァーク工房が時計を売ったお相手が、実は借金まみれの浪費家で、その方の奥様から『ノヴァーク工房が素晴らしい時計を作るからよ!』みたいに」


 言い聞かせるようなヘレナに、ディアナはますます恥ずかしくなる。


「ええ、そう、ですよね…」


 ただ、そうは言ってもグスタフの交友関係なんて、ほとんどないに等しい。

 生まれた頃から同じ家で育って、結婚までしたディアナだが、グスタフが工房の人以外と親しくしているのを見たことがない。

 ご近所さんには彼なりに丁寧に接してはいたが、親しい人はいなかったように思う。

 友人のような存在もいたにはいたが、最近は疎遠だった。


 ディアナはヘレナにそう伝えた。


「そうねえ。グスタフさんにお会いしたことはないけれど、ディアナさんから聞いた雰囲気で恨まれるような方ではないというのもイメージがつくわ。」


 ヘレナの言葉にディアナもそうでしょう、と頷く。

 恨まれるほど関係の深い人はいなかった。


「あとは、さっき例に挙げたようなお仕事関係の方かしら?ディアナさん、何かご存知?」


 ヘレナに聞かれて頭を捻る。


「そうですね…。誰かいたかしら」


 考えてみて、すぐに身近な人が思い出された。


「そうだわ、関わりといえば旦那様がいらっしゃいました」


 気軽に口に出して他に誰かいなかったかしらと続けて考えようとした。

 けれども、ふとヘレナの顔を見ると、彼女の口元が若干引き攣っているように見えた。


「ヘレナ先生?」


 不思議に思って声をかけるとヘレナはハッと我に帰ってニコッと笑った。


「なんでもないわ」


 なんでもないようには見えなかった。

 ディアナは、自分が何か変なことを言っただろうか、とちょっと考えた。

『旦那様がいらっしゃいました』というだけで…。

 それであの反応。


「ヘレナ先生、まさか、旦那様を…?」


 疑っているのか、とはことばにして言いづらかった。

 だって、そんなわけないから。

 疑うことすらあり得ないくらいいい人なのに。


「いえ、違うのよ。

 確かにそうよね、と思ってびっくりしたというか、ハッとしただけなの」


 ヘレナの笑みに、そうですね、とディアナは頷いた。


「ありえません」


 ディアナがそう言い切る。


「そうね、ありえないわ。

 だって、フィリプさんにはなんの得もないもの。

 ええ、ない、わ」


 得がどうとか以前に、フィリプはそんなことをする人じゃない。

 ディアナはそう思ってちょっとだけ眉をしかめた。


 ヘレナは、ディアナの顔をじっと見た後、ぎゅっと目を瞑って浮かんだ考えを振り払うように頭を振る。


「それなら、身近なところで怪しい人はいないということね」


 ヘレナの切り替えた声音に、ディアナはちょっと釈然としない思いを抱えながら頷いた。


「それならもう、今できることはひとつしかないわ」


 すでに気持ちを切り替えたようなヘレナの声にちょっと視線をあげる。


「当日のことを知る人に、話を聞きにいく…?」


 ディアナは自分の考えを整理するようにつぶやき、ヘレナもまた満足げに頷いた。

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