ディアナの決意
「ヘレナ先生!」
ディアナは、部屋を訪ねてきたヘレナを明るくで迎えた。
モニカに案内されてやってきたヘレナは先ほどのことを引きずってか、視線を伏せていたが、ディアナの様子を見て『おや?』と首を傾げる。
「ヘレナ先生、あの、私、女探偵になろうと思うんです」
ディアナはヘレナに椅子と紅茶を勧めながら早速そう切り出した。
思い立ったが吉日。
「え?」
「グスタフがどうして聖気に魅了されてしまったのか、私は知らなきゃいけないと思って。
ですから、私、女探偵みたいに調べてみようと思うんです」
言いながらディアナは、ヘレナが来る直前まで書いていたノートをヘレナに見せる。
先ほど書いた『その1』『その2』から繋げて、『どうして聖気発生?』とか『どこに聞けばわかる?→警察?駅員さん?』とか、ディアナの思いついたことを拙い文字で書き散らしたようなノート。
「ライターに変なところがないのならどうして聖気が発生したのかわからないから、まずそれを調べてみようって。」
ディアナにとっての一番大きな疑問だった。
それから、ディアナはちょっと言葉を考えて、また口を開く。
「ヘレナ先生、私、どうしてもやらなきゃいけないことができました。
ラダイア観光、楽しみにしていたんですけど、ごめんなさい。
私ここにいるうちに調べに行ってきます」
ディアナは、じっとヘレナを見ながら宣言した。
ヘレナはもしかしたら止めるかもしれない。
警察に任せましょうとか、危ないわとか、ディアナを心配して言ってくれるかもしれない。
でも、何を言われようとディアナの意思は固いことを示したかった。
ディアナの書いた殴り書きのノートを見ていたヘレナの視線が上げられて、ディアナと目が合う。
普段穏やかなヘレナの目がいつになく深い色をしていてディアナは少し怯んだ。
それでも力を込めてヘレナの目を見つめ返す。
ヘレナは、ふっと表情を緩めて微笑んだ。
「ディアナさん」
穏やかな声で名前を呼ばれて、ディアナは姿勢を正した。
「はい」
何を言われてもやりますというつもりで、ちょっと眉を寄せて見せる。
ヘレナはそんなディアナを見てますます笑みを深めた。
「私にも協力させて」
くすくす笑いながらヘレナは言った。
「え?」
ディアナはちょっと面食らった。
「でも先生、それは流石に申し訳なくて」
ここまで着いてきてもらっただけでもありがたいのに、その上さらになんて申し訳なさすぎる。
自分1人でどうにかするつもりだったからこそ無茶でもやると言えた。
でもそれにヘレナを付き合わせるわけにはいかない。
そう思いつつ、ヘレナの様子を伺うと、彼女は目尻の皺を寄せて笑った。
「ディアナさん。私ね、不謹慎なことを言うけど、嬉しいの」
ヘレナはそう言って、きょとんとするディアナの両手を包むように握った。
「ディアナさんが一生懸命勉強して、こうしてメモまでとって、いろんなことを考えようとしていることが、私はとても嬉しいの」
ヘレナの笑顔を見つめながら、ディアナは尚更首を傾げた。
2ヶ月前には字も読めなかったディアナは、今や手紙を書くことだってできるし、自分の考えをノートにメモすることだってできる。
ヘレナが丁寧に教えてくれたからだ。
ディアナがそうなるように、ヘレナが努力したのだ。
ヘレナほど素晴らしい人に教われば誰だってできるようになるに違いないし、ヘレナとすればディアナくらいのレベルの読み書きなら「できて当然」だろうに。
ヘレナからすれば喜ぶほどのことじゃないだろうに、どうして嬉しいなんて言ってくれるのだろう。
ディアナは、不思議に思いつつ、それでもヘレナが喜んでくれたことが嬉しかった。
「ヘレナ先生のおかげです。」
そう言って微笑みを返した。
「謙虚なところもディアナさんらしいわね」
ヘレナはちょっと呆れたように笑った。
謙虚なわけじゃなくて本当にそうなんです、とディアナは言い募るが、ヘレナは、はいはいと流すばかりで、まともに取り合わない。
ディアナは釈然としなくて、唇を尖らせてみてから、淑女らしくないわと気づいてやめた。
「ヘレナ先生、話を戻しますけど、先生に手伝ってもらうなんてやっぱり申し訳ないです」
ディアナは努めて真剣に伝えるがヘレナは茶目っ気たっぷりの笑みを浮かべて首を横に振る。
「だからね、ディアナさん。
私はあなたが成長しているのがとても嬉しいの。
成長したディアナさんがやりたいことがあるっていうなら教師として協力しないわけにいかないわ。
だから申し訳ないなんて思う必要ないのよ」
そう言われても、ディアナは申し訳ないと思っている。
そもそもグスタフのことは、ディアナの問題でヘレナは関係ない話で、それなのにこうしてラダイアまで付き合ってもらっているのだから。
そう言おうとディアナが口を開くのを見越したのか、今度はヘレナが眉を寄せて申し訳なさそうに目を伏せた。
「さっき警察署で私が啖呵切ってしまったから、グスタフさんの荷物が受け取れなかったわけだし、その罪滅ぼしをさせてほしいの」
でも、と言おうとしたディアナだったが、それを遮るようにヘレナがディアナのノートに視線を落とす。
「それに、きっと1人じゃ不安でしょう?
私も何ができるかわからないけれど、ディアナさん1人で頑張るよりは上手くいく可能性が上がるんじゃないかしら?」
ノートを見ながら、そんなふうに言われてはディアナとしては何も言えなかった。
実際、ディアナが一生懸命考えた結果が、殴り書きのメモだ。
グスタフが聖気に魅了された原因に辿り着くまでの道筋はまだ全く見えていないし、どうやったらそれが見えるのか想像もついていない。
ヘレナが協力してくれるなんて願ってもないことだった。
「きっと大変だとは思いますけど、それでも大事な教え子のためですもの」
ヘレナは顔を上げてにこっと笑った。
ディアナの中で『申し訳ない』という気持ちが『ヘレナ先生の申し出がとてもありがたい』という気持ちに負けた瞬間だった。
「よろしく、お願いします」
ディアナは慎重に頭を下げて、ヘレナは、もちろん、と頷いて微笑んだ。
「さて、それでは早速ですけど、何からしましょうか。一緒に考えていきましょうね」
ヘレナが明るく切り出す。
ディアナは普段の授業みたいだわと思って、ちょっと笑った。
ええ、と頷きながらノートの新しいページを開く。
「でも、その前に。ディアナさん」
真剣なトーンに切り替わったヘレナにちょっと驚いて顔を上げた。
「はい、先生」
「約束しましょう。危ないことはしないで」
ヘレナの申し出にディアナは虚をつかれた。
「危ないこと?もちろん、するつもりないんですが…」
ヘレナの想定していることがわからなくて首を傾げると、ヘレナもそうねえと頭を捻った。
「もしも危ない人が誰なのかわかったとしても、会いに行かないで。証拠をできるかぎり揃えて警察に行きましょう」
危ない人、というのはきっとグスタフを殺した犯人ということだろう。
ディアナを前にヘレナは『グスタフを殺した犯人』という直接的な言い方を避けたようだ。
ディアナは、ええ、と笑って頷いた。
「もちろんです。すぐ警察に言います」
「よかった。あとは、そうね、無理な魔法を使わないとか、常識的なところかしら」
そもそも使いたくてもディアナはまだ魔法をよく知らないから使えない。
もちろんヘレナも分かった上で言っているのだろう。
心配して念を押してくれている、その心遣いにディアナは感謝した。
「ありがとうございます。わかりました、危ないことはしません」
ディアナが改めて口にするとヘレナはほっと息をついた。
「よかったわ。ディアナさんに何かあったらと思うとゾッとするもの。それにフィリプさんが烈火の如く怒るだろうし」
烈火の如く怒るフィリプは想像がつかないが、ディアナに何かあったらフィリプの感情が揺れることは想像できる。
怒るのか悲しむのかはわからないけれど、少なくとも望ましくない方向に。
それだけディアナは大切にされていることを自覚していた。
ディアナは、ちょっと照れてしまって曖昧に頷いた。
ヘレナもそんなディアナの様子を見てくすくす笑った。
「ああ、でも。旦那様には、けりがつくまで内緒にさせてください。きっと心配なさると思うから」
心配してくれるのはありがたいけれど、もしフィリプにそんなことダメだと言われても今回のディアナには聞く気はない。
それなら最初から言わないでおくほうがいいだろうと思って、ディアナはヘレナにそう申し出た。
ヘレナは、目をギューっと瞑って悩んでから、頷いた。
「そうね。そうしましょう。
それに、きっと最後にはバレちゃうわ。そうしたら一緒に怒られましょうね」
イタズラっぽいヘレナの笑みに、ディアナも笑って、ありがとうございますと頭を下げた。




