表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/73

フィリプからの手紙

親愛なるディアナ


 お手紙ありがとう。本当に嬉しかった。

 君が一生懸命書いてくれていると思うと、それだけで国王陛下に初めて拝謁したときよりも胸が高鳴った。

 それに、ディアナがどこでどんなことを感じたのか、それを知れて嬉しかった。僕たちは夫婦だというのに、まだ互いに知っていることが少なすぎるね。


 でも、ひとつだけ言わせてほしい。

 僕は君からの手紙をずっとずっと会社で待っていたんだ!

 一生懸命考えてくれたんだろうっていうのはわかっているんだけど、なにかあったんじゃないかとか、もしかして僕のことを忘れてしまうくらい楽しんでいるんじゃないかとか、色々と考えてしまった。

 秘書に『もう帰ってください』と追い出されるまで待っていたんだよ。だから後ろ髪をひかれながら渋々帰宅した。

 朝来たら君からの手紙があって、秘書に変な目で見られるくらい喜んだ。

 妻のことを考えすぎて、おかしくなりそうな君の夫のことを少しだけでいいから慮って、僕が会社にいるうちに手紙をくれると嬉しい。

 もちろん、僕もすぐに返事を書く。


 これを君が読む頃には、もうグスタフさんの荷物は受け取れているだろうか。

 きちんと綺麗な状態だろうか。

 警察は丁寧に対応してくれた?

 君とグスタフさんの間のことにあまり介入してはいけないとわかっているんだけど、ディアナがこれ以上悲しい思いをするようなことがないように祈っている。


 ああ、本当にもう、君が発って、たった一晩だというのに会いたくて仕方がない。

 僕との初めての旅行より前にヘレナさんと行ってしまうんだから、尚更僕は寂しいんだ。

 君がいない夜なんて、今まで何度も過ごしてきたのに、朝君が隣にいる幸せを一度知ってしまった僕には耐えられるものじゃなかった。

 君も僕と同じ気持ちでいてくれたらいいのに。


 書きたいことはまだたくさんあるけれど、秘書がうるさいからそろそろ仕事をしないといけない。

 ディアナが楽しい時間を過ごせるように祈る気持ちと、僕のいない旅行を楽しんで欲しくない嫉妬の気持ち半々ずつある。

 だから、楽しんでとも、楽しまないでとも、書いておくね。


 ヘレナさんにもよろしく伝えてください。


 ディアナ、会えない間も君を愛おしく思っているよ。愛してる。


 君の誠実な夫、フィリプ


----------------------------------------


 

 ホテルの部屋に一度戻ったディアナにモニカはフィリプからの手紙を渡した。


 封筒を開けた途端、さわやかなハーブの香りがして、どうやら便箋につけられた香水だということに気がつく。

 文面も、字体も、香りも、旦那様らしいわと思ってちょっとだけ心が和んだ。

 

「あの、奥様?」

 

 顔を上げるときょとんとした様子のモニカと目が合う。

 

「なあに?」

「その、グスタフ様の、お荷物は…?」

 

 和んだ心にまた波が立つ。

 つい、眉を寄せて唇を噛んだ。


「それが、ちょっといろいろあってね、受け取って来れなかったのよ」

 

「いろいろ?」


 本当は、グスタフの荷物を受け取って、観光する予定だったが、それどころではなくなってしまった。

 

思ってもみなかった展開。


 馬車の中からずっと謝り続けていたヘレナは、『申し訳なくて、頭が回らないの。少し気持ちを落ち着けてくるわ』と言って、自分の部屋に戻って行った。

 ヘレナ先生は素晴らしい方だから落ち着いてくださった方が絶対にいいわ、とディアナは思ったし、ディアナ自身、一人で気持ちを落ち着けたかった。

 

 ディアナは、モニカへの説明もそこそこに一度椅子に座った。モニカはきょとんとしながらお茶の準備をしに行く。

 フィリプからの手紙を持ったまま、思考も感情もグスタフのことに持っていかれる。


 グスタフの荷物を受け取れなかったのは悲しいが、それ以上に、グスタフの死の原因がライターではなさそうなことがショックだった。

 状況をみれば、もしかすると、考えたくはないけれど、グスタフが殺された可能性がある。


 あのグスタフが、誰かに殺されたなんて、ディアナは考えたくなかった。

 幼馴染として、誰かに殺されるような人ではなかったし、ましてや殺されていい人でもなかったことをディアナはよく知っている。


 それなのに、事故に見せかけて殺された。

 それなのに、そのことを知らないまま唯一の家族であるディアナは、彼の死を受け入れようとしてしまった。


 グスタフへの罪悪感でディアナの心臓は痛いほど締めつけられる。

 呼吸と脈が乱れるのを感じながら、目を瞑る。


 グスタフの愛用品を手元に戻すためには、警察に再び行かないといけない。

 でもこんなにおかしなことがあるのに、警察で『ごめんなさい、返してください』をするのは納得がいかない。

 でも、警察に『おかしなことがある』と言っても先ほどのように邪険にされるだけだ。


 どうすればいいのかわからない。


 なんの力もない未亡人は、夫が死んでも、できることなんてないんだわ。


 ディアナは、いっぱいになった胸のつかえをとりたくて、『どうしよう』と呟く。

 なんの解決にもならないけれど、少しだけ呼吸が楽になって、深く息を吸える。


 指先に感覚が生まれた。

 いつのまにか呼吸が止まっていて、指先まで意識がいっていなかったことを自覚した。

 それから、さわやかなハーブの香りが鼻を刺激する。


  手紙。


 手に持ったままのフィリプからの手紙に目を落とす。


 綺麗な筆跡。

 美しくて、読みやすい。


『親愛なるディアナ』と書かれた1行を、何となく指でなぞる。

 

 ディアナと呼んでくれるあの声をそのまま文字にしたみたいな、やわらかい字だ。

 

 そのまま、下に続く文章も指でなぞる。


『君がいない夜なんて、今まで何度も過ごしてきたのに、朝君が隣にいる幸せを一度知ってしまった僕には耐えられるものじゃなかった』

 

 あの子犬のような顔で言っているのが思い浮かべられる。

 

 まだ駅のホームで別れてから丸一日しか経っていないのに、大袈裟な寂しがり方をしていて、つい笑ってしまう。

 

 『君の誠実な夫、フィリプ』と署名されているところまで来て、指が止まる。

 

 「誠実な夫」に続く名前が「フィリプ」だということに、胸が痛む。

 


 ほんの少し前まではグスタフだったのに。

 


 フィリプのことは好きだ。とても。

 

 けれども、一生グスタフだけが夫だと、ほんの少し前まで思っていたのに、という思いが、署名を見たことで呼び起こされた。

 

「やっぱり、どうにかしなきゃね」

 

 グスタフの荷物を手元に戻したい。

 

 グスタフが聖気に魅了された本当の原因をきちんと知りたい。

 

 ディアナは、唇を噛んで顔を上げる。

 

 考えなきゃ。

 

 ディアナは、考えることは得意ではない。

 それでも、考えないといけない。


 ディアナはノートを取り出して、思いつくことを書きつけてみることにした。



その1

 グスタフは聖気に魅了されていた。どうして?

 ライターではない。でも近くに聖気を発生させるものはなかった。



その2

 グスタフは「人に会いに行く」と言っていた。誰に?

 ユームレー行きの寝台列車に乗っていたということはユームレーに会う人がいた?でも、どうして連絡がなかった?



 書いてみて、考えてみる。

 でもそれ以上書けるほど考えは浮かばなかった。


「情報が足りないわ」


 ディアナはふと、そのセリフを呟く。


 グスタフと昔観に行った劇で女探偵が活躍するものがあった。

 珍しくグスタフも真剣に観ていて印象に残った。


 子爵夫人が、巻き込まれたり相談されたりした事件を、持ち前の好奇心で追求して解決するうちに女探偵として扱われるようになったというシリーズのうちの一つ。

 あれを観に行って以降グスタフも気に入って、何本か同じシリーズの劇を観に行ったのも思い出す。


 その女探偵が、捜査に難航すると呟いていたセリフ。

 ディアナの口から、ふとそのセリフが出て、ディアナ自身驚いた。

 何本も観たとはいえ、無意識のうちにセリフを誦じるほど影響されているつもりはなかったから。


 けれども、グスタフの葬儀の後、彼の部屋で女探偵ごっこをしようとしたことも頭をよぎる。

 自分で思っているよりも、あの劇に影響されているみたいだわ、とディアナはちょっと笑ってしまった。


 でもそれも、手段の一つだ。

 ディアナは、思いついたことを口に出してみた。


「…女探偵ごっこ、してみる?」


 今度は実際にやってみるのもありかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ