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予定通り到着

 ラダイアに着いたのは、午後5時ごろだった。


 ラダイアは、古代の遺跡があることで観光客が来る町ではあるが、観光収入だけでやっていけるほど見どころのある町というわけではない。


 穏やかで、こじんまりとした、暮らしやすいまちだ。


 ディアナは、事前に学んでいたそのイメージをラダイアの駅からも確かに感じた。

 王都やビルスレビヴの駅のような華やかさや大きさはないが、清掃のいきとどいたきれいな駅舎である。


 日も沈みかけた夕方であることも相まって、王都より気温が低いことを、列車から降りたとたんに実感させられた。


 駅前で、辻馬車を拾ってホテルに向かう。


 馬車に15分ほど揺られながら景色を眺めていると穏やかな街の中心部に来たのがわかった。


 目に入ったのは背の高い建物。

 他の建物に比べてずいぶん豪華で華やかな装飾がされている。


 まだまだ感覚が庶民なディアナは、お金持ちの方々のための建物ね、と、自分とは全く関係ないものに感じられた。


 なんとなく王都の市庁舎に似ている。

 あれは確かもともと宮殿として作られたものだったはずだ。


 そう思ってディアナは


「先生、あの建物は宮殿ですか?」


とヘレナに尋ねる。


 けれども、


「あれ、グランドホテルよ。泊る予定の」


とヘレナが言う。


 ひえ、と思わず息をのんだ。


―――――――――――――――――――


 案内された部屋は、ディアナにとっては十分すぎるほど広いものだった。


 ディアナひとりのための部屋だというのに、リビングルームもあるしベッドルームもあるし、バスルームも広々あるし、クローゼットもずいぶん豪華なものがある。


 目利きには自信がない。

 けれども見るからに、高価であろう調度品がそろえられた室内で、ディアナは借りてきた猫のように、立ち尽くしていた。


 ホテルに入った段階から、まるで異世界に来たかと思うほど美しいシャンデリアと大理石に、ディアナはきょろきょろしたいのを必死に抑えた。

 グスタフの葬儀の翌日に《ペトラーチェク商事》に行ったときに乗って以来、人生で2回目のエレベーターにこれまたきょろきょろしたいのを必死に抑えてここまで来た。


 おくつろぎくださいませ、とベルマンに言われたものの、くつろげるわけがなかった。


 下手に動けば、壁紙に傷をつけたり机に傷をつけたり、そういうことをしそうで、ものすごく怖い。


 もし、もしも、この部屋にあるものに傷をつけてしまったら、旦那様にいただいたお金で足りるかしら。


 ディアナはついそう考えて、お金をもらってきてよかった、と変なタイミングで安心をした。


 自分の宿泊する部屋に案内されているモニカが戻ってくるまで、荷解きをしようにもやるわけにはいかない。


 ディアナが勝手に荷解きをしたら、モニカにとても怒られそうだ。


 どうしよう。

 やることがない。


 そう思いつつ、部屋の入口付近で立ち尽くしていたら、ノックが聞こえてきた。


「ディアナさん、いらっしゃる?」


というのは、ヘレナの声だった。


 彼女の方が先に部屋に案内されていたから、ユリエに荷解きを任せて来てくれたのだろう。


 ほっとして、すぐさまドアを開ける。


「ヘレナ先生、このお部屋、高級感にあふれていて、私どうしたらいいか」


 あたふたそう言いつつ、ヘレナを部屋にいれた。


 ヘレナは一瞬きょとんとして、それからけらけら笑う。


「大丈夫よ。この部屋にあるものくらいなら、あなたの旦那様がすぐ賠償してくれるわ」


 ディアナもさっきそれに近いことは考えた。

 けれども、そういうことではない。


 ディアナが言葉に詰まっている間に、ヘレナはリビングルームの一人掛けソファに、座っていいかしら、と言いつつ、すでに座っていた。


 それを見て、ディアナも恐る恐る、もう一脚の一人掛けソファに腰を下ろした。


「さて、ディアナさん。着いたばかりだけれど、お手紙、書いちゃいましょうか」


 ヘレナはそう言って、ハンドバッグから便箋と封筒を取り出した。


 お手紙と言われて、ディアナは首を傾げる。


「お手紙、ですか」


「ええ。フィリプさんに。きっと首をものすごーく長くして待っているわ」


 ヘレナがちょっと可笑しそうにそう言って笑う。



 すっかり忘れていた。



 ディアナは、つい口元に手を当てて、それから忘れていたことを誤魔化すべく、手をおろして、はい、と微笑んだ。


 ちょうどモニカがやってきたので、荷解きより先にお茶を淹れてもらう。


 ヘレナから受け取った便箋と封筒を持って、書き物机に移動した。


 書き物机に置いてあったペンとインクで、書く準備をしてみたものの、手は進まない。


 何を書けばいいのか。


《工房》のみんなに書くなら、ビルスレビヴの駅はガラスの天井で綺麗なのよ、とか、ラダイアで宮殿みたいなホテルに泊まっているの、とか、そういうことを書くのだが、フィリプはきっと知っていることばかりだろう。


 そんなことを書いても、彼には面白くないに違いない。


 そう思って、うんうん唸っていると、ソファに座っているヘレナがふふっと笑った。


「ディアナさん、そんなに悩まなくてもいいのよ。

 とりあえず到着したということを書いて、あとはそうね、今日あったことを書けば、フィリプさんは喜ぶと思うわ」


「今日あったことですか」


 ディアナはちょっと考えて、それからまた口を開く。


「でも、旦那様はビルスレビヴの駅の様子も、列車内の様子も、ラダイアの町のことだってご存じでしょうし……。

 そんなことを書いても、面白くないと思うんです」


 今日あったことなんて、ディアナからしたら初めてのことばかりで、どこを切り取っても素敵なことばかりだった。


 でも、フィリプにとってはきっと違うだろう。

 自信がなくて、つい唇を尖らせる。


 ヘレナは、一瞬きょとんとしてから、またふふっと笑った。


「そんなことないわ。確かに、フィリプさんは知っていることばかりでしょうけど、あなたがどう感じたかは知らないわ。

 でも、フィリプさんがなにより知りたいのは、それだと思う。

 ディアナさんが、ビルスレビヴの駅や列車や、ラダイアの町を見て、どんなことを感じたのか、それを知れたら、フィリプさんは嬉しいんじゃないかしら」


「私が、どんなことを感じたか、ですか」


 ディアナは、尖らせていた唇を引っ込めて、ちょっと考える。


 ビルスレビヴの駅はとてもきれいだった。

 特にガラスの天井は、青空が見えて、屋内にいるのに、屋外にいるみたいだった。


 そういうことでいいなら、書けるかもしれない。


「……書いてみます。ヘレナ先生、書き上げたら、添削をお願いできますか」


 ヘレナは、もちろん、と微笑んで、ティーカップに手を伸ばした。


 ペン先にインクを付けて、まっさらな便箋に向き合ってみる。


 けれどもいきなり便箋に書くのはためらわれ、持ってきたノートに下書きをすることにした。


 四苦八苦しながら書いては訂正し、書いては訂正し、ヘレナにも添削を受け、また書き直し、と何度も繰り返した。

 ヘレナによって少々ロマンチックな内容に変えられたり足されたりはしたものの、おおむねディアナも満足のいく手紙が書けた。


 手紙を出してくるようモニカに言いつけたのは、結局、夕食を挟んで夜10時ごろのことだった。


――――――――――――――――――――


親愛なる旦那様


 いま、ラダイアのグランドホテルの部屋でこのお手紙を書いています。


 旦那様が手配してくださったお部屋です。

 本当にすばらしいお部屋で、私には少しもったいないくらいに思います。

 けれど、旦那様のおこころづかい、とてもうれしく思っています。


 でもそれは、お部屋にかぎりませんね。


 王都からビルスレビヴまでの列車も、ビルスレビヴからラダイアまでの列車も含めて、この旅行はぜんぶ旦那様のお優しさによるものだって、ヘレナ先生とお話ししていました。


 本当にありがとうございます。


 それにしても、王都からほとんど出たことがない私にとって、ここに来るまでの道中も新鮮なおどろきの連続でした。


 ビルスレビヴの駅の天井はガラスだって、旦那様はご存じですか?

 青空が見えて、屋内にいるのに屋外にいるみたいでした。

 雨の日はきっと降った雨がガラスに当たって流れ落ちていくのがきれいなのでしょう。

 いつか、それも見てみたいと思います。


 列車の窓から見える景色も、王都ではなかなか見ることのないものばかりで……。

 牧場に牛がいるようすはまるで、おとぎ話のようでした。


 ラダイアは、うわさどおり、とてもおだやかな町ですね。

 王都ではいつでも馬車や自動車が走る音が聞こえてきますが、ここは本当に静かです。

 ホテルだということもあるのでしょうか。


 とにかく、ここで10日間も過ごせるなんて、私は本当に幸せ者です。


 明日の朝には警察署に行ってまいります。


 このお手紙が無事に旦那様のお手元に届きますように。

 お返事、お待ちしております。


  王朝歴198年11月4日

  あなたの妻 ディアナ

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