ビルスレビヴまで
人が多い車内を歩き、予約していた上等客室にたどり着いた。
先導するヘレナが、ここね、とドアを開けてその客室に入る。
ディアナも続いて中に入った。
汽車だって、ほとんど乗ったことのないディアナは、もちろん上等客室なんて入ったこともない。
ヘレナに促されて座った座席のふかふかさに感動しつつ、客室内を見回した。
向かい合って配置された3人掛けほどの座席。
その上にある棚に、ヘレナの付き人とモニカがそれぞれトランクを入れようとしている。
ディアナはとっさに手伝うつもりで立ち上がりかけたが、モニカに視線で牽制されて引き下がる。
出発前に、《出先では私の手伝いはしないでください、奥様》とさんざん言われたのだ。
サシャにも、《奥様がそうすることで舐められるのは旦那様です》とさんざん言われてきた。
そのことを思い出すより先につい体が動いてしまうが、モニカの視線でそれを思い出す。
いけない、いけない、とふたたび座席に戻った。
向かいに座ったヘレナは、その様子を見てくすくす笑う。
「ディアナさん、まだ慣れないのね」
気心の知れたヘレナには、もう取り繕っても仕方がないと思って、ディアナは控えめに頷いた。
「はい……。家にいる間は慣れてきたのですが、まだなかなか」
料理や掃除をしない生活には少しずつ慣れてきたが、状況が変わるとつい考え無しに動いてしまう。
照れ隠しに笑っていうと、ヘレナは優雅に微笑んで頷いた。
「そうよね」
ヘレナの付き人とモニカはトランクを詰め終え、促されて座席に座る。
「ディアナさん、会うのは初めてよね。
私の付き人でユリエというの。普段は一緒に行動しないのだけれど、今回は旅行だから」
ヘレナの紹介を受けて、互いに会釈をする。
とても穏やかな印象を与える女性だ。
ヘレナと同じくらいの年だろうが、少女らしい柔らかな雰囲気がある。
「ユリエとは子どものころから一緒なのよ」
ね、とヘレナはユリエに話を振った。
「はい、ヘレナ様」
と、穏やかに微笑むユリエ。
それは、相当長い年月だろう。
ディアナはちょっと面食らった。
貴族女性と言うのは、そういうものなのかしらと驚きを飲みこむ。
「そちらは、ディアナさんのメイドさんね」
ヘレナの確認に、ディアナは、はい、と頷いた。
「モニカと申します。私の身の回りの世話をお願いしています」
ヘレナとモニカは、顔を合わせたことがあってもきちんと紹介したことがなかった。といっても、上流階級の間ではメイドを紹介することなんてないらしい。
けれども、ヘレナに聞かれたので、軽く紹介する。
「モニカさん。よろしくね」
モニカは、少し深めに頭を下げた。
あまり顔には出さないが、モニカも貴族女性との旅に緊張しているらしい。
いつもよりちょっと動きがぎこちなくて、ディアナはばれないように笑った。
ふと、沈黙が訪れる。
こうして、人の間に立ってそれぞれを紹介するような場面になると、ついフィリプとの初対面のときのことを思い出す。
あのときはマナーなどよくわからなくて、目上のフィリプを先にグスタフに紹介してしまった。
フィリプに買ってもらった《淑女になるためのマナー》に、人の紹介のしかたが書かれていて、それを読んで初めて知ったのだ。
読んで以来、あのときのことを思い出しては、顔から火が出そうになるほど恥ずかしくなる。
こういう似た状況になると、つい思い出してしまって、顔が赤くなってしまう。
今は関係ないから、となんとか恥ずかしさを抑え込んで、顔をあげた。
「ラダイアに着いたら、今日はそのままホテルに行きましょう。
それで明日、警察署に行くのでいいかしら?」
ヘレナの問いかけに、はい、と頷く。
ディアナもそのつもりだった。
窓から見える空はまだ薄暗い。
けれども、ラダイアに着くのはまた暗くなる頃だろう。
警察署の窓口は既に閉まっている時間のはずだ。
明日、朝いちばんに警察署に行きたいとヘレナに言おうとしたが、ヘレナが少し顔を背けて、口元を手で覆う。
ヘレナ先生があくびなんて珍しいわ、とディアナは目を瞬いた。
「ごめんなさいね、こんなに朝早いのは久しぶりで」
恥ずかしそうに目を伏せながらヘレナは言った。
「いえ……。私のわがままにおつきあいくださっているんですもの。ありがとうございます」
ヘレナは、旅行のつもりでいるから気にしないでと何度も繰り返し伝えてくれているが、ディアナはそう言われて気にしないでいられるタイプの女ではない。
あまり卑屈になっても《淑女》らしくないことはよく分かっているので、謝るのではなく感謝を伝えると、ヘレナはちょっととろんとした目で微笑んだ。
「本当に申し訳ないのだけれど、少しだけ眠ってもいいかしら」
もちろんです、とディアナは頷いた。
仮にディアナがダメだと言っても、ヘレナは起きていられないだろうと思うほど、眠そうだ。
ユリエがトランクを取って、ブランケットを取り出す。
それを受け取ったヘレナは、ディアナに何度も謝りながら、それほど間を置かずに寝息を立て始めた。
その姿を間近で見ていたら、ディアナもつられて眠くなってきたので、ユリエとモニカに断って、背もたれに頭を預けて目を閉じた。
過去の失敗を思い出して、「あああああ!!」ってなるのは全人類共通だと思っています。




