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フィリプ、心配する

「ディアナ、可愛いディアナ。ちゃんと帰ってきてね。事故に遭わないでね。食べる物にも気をつけてね。ああ、あとは、そうだ。王都より寒いだろうから、暖かくして過ごすんだよ。なにか困ったことがあったらいつでも連絡して。転移魔法陣がホテルにあるだろうから、使わせてもらうんだよ。もう荷造りは終わったんだよね?忘れ物はなさそう?」


 ラダイアに発つ日の、前の前の晩から、フィリプはずっとこの調子だ。


 リビングのソファで彼の隣に座るディアナの手をぎゅっと握って、しっかり目を見て、子どもに言い聞かせるように言ってくる。


 何度も繰り返された質問にディアナは、苦笑して頷く。


「万事承知しました、旦那様。忘れ物も、ないと思います」


 荷造りをしようと思ったときには、サシャとモニカが粗方終わらせてくれていた。

 ディアナも含めて三人でチェックしたが、特に入れ忘れたものはなかった。


 チェックしているのをフィリプも横で見ていたのに、何度もそう聞いてくる。

 よほど心配してくれているらしい。


《本当に?》とでも言いたげなフィリプは、飼い主におやつをもらえなくて拗ねている犬を彷彿とさせた。


 可愛い。


 なんだか微笑ましくて、ディアナはついにこにことしてしまう。


「ディアナ、僕は心配して言っているんだけど」


 フィリプがますます拗ねてしまう。


「ごめんなさい、旦那様。

 でも、そんなに心配してくださらなくても、ヘレナ先生もいらっしゃいますし、モニカだって一緒なんですから」


 ちょうどリビングに紅茶を淹れに来てくれたモニカに、ね、と話をふると、モニカも微笑んで、《はい、奥様》と答えてくれる。


「そうなんだけど、それとこれとは別だよ。

 それになにより、10日間もディアナに会えないなんて、苦行も苦行だ。

 もしこの10日間を耐えきれたら僕は聖人になってしまう」


 まじめな顔に、まじめなトーンで言うフィリプ。

 ディアナはモニカと顔を見合わせてから、笑った。


「何をおっしゃっているんですか、旦那様。それくらいじゃなれるわけありません」


 それほどディアナと一緒にいたいと思っているのだろうということは分かっているけれど、照れ隠しにそう混ぜっ返す。


 ディアナの返答に、フィリプも気が抜けたように眉尻を下げて、分かっているけどさ、と笑った。


 それから時計を見て、もうこんな時間か、と呟いた。


「サシャ、もうお風呂入って平気?」


 ソファに座ったまま、フィリプは声を張って姿の見えないサシャに問う。


 廊下からぱたぱたと足音がして、サシャが姿を見せた。


「はい、準備はできております。

 旦那様、そのように声を張るのは品がありませんから、おやめください」


 サシャは厳しく言うが、フィリプは全く気にしていないようで、軽く《はーい》と返事をして笑っただけだった。


「ディアナ。明日早いし、お風呂入って」


 フィリプ右手を取られて、手の甲に軽くキスをされる。


 ふん、とあきれたように鼻を鳴らすサシャ。


 ディアナはモニカと顔を見合わせて笑って、それから入浴の準備に取り掛かった。


――――――――――――――――――――


 ラダイア行きを決めた日から、一週間経った。


 11月4日から11月14日まで、ラダイア市内のグランドホテルに宿泊できるよう、フィリプが手配したらしい。

 明日の朝、王都を列車で出発して、午前中のうちにビルスレビヴで乗り換え。

 夕方にはラダイアに到着して、ホテルに行き、翌朝以降に警察署に行ったり、観光したりという予定だ。


 ディアナは入浴した後、翌日以降の旅行に胸を躍らせながらベッドに入った。

 

 人生で初めての旅行である。


 グランドホテルなんて格式の高い、上流階級の人しかいなさそうな場所には緊張するが、それよりも、見たことのない景色や初めての経験が楽しみだ。

 グランドホテルだって、緊張はするが、きらきらしていてわくわくする場所だろう。


 

 それに、やっとグスタフの愛用品を手元に戻せる。


 ラダイアの旅行中、持ち歩いて一緒に旅行している気分だけでも味わえたら……。


 彼にきちんと向き合える。

 

 ディアナはまどろみながら、ぼんやりとそう考えていた。

 

 でも、グスタフと向き合って、自分はどうしたいのかしら。


 そんな思いも、胸に湧く。

 それでも、眠気には勝てない。

 ディアナは、少しずつ、意識を眠りの世界に落としていった。




















「ディアナ、可愛いディアナ。ちゃんと帰ってきてね。事故に遭わないでね。食べる物にも気をつけてね。ああ、あとは、そうだ。王都より寒いだろうから、暖かくして過ごすんだよ。なにか困ったことがあったらいつでも連絡して。転移魔法陣がホテルにあるだろうから、使わせてもらうんだよ。忘れ物はなさそう?」


 翌朝、駅のホームまで見送りに来たフィリプは、またしてもそう言った。


 本人はものすごく真剣な顔である。


 昨晩と全く同じことを言うので、ディアナはつい笑ってしまった。


「万事、承知しております。忘れ物もありません。新しいお洋服もコートもみんな持ちました。お金も、ありがとうございます」


 旅行用に、新しくプレタ・ポルテの服を買ってくれた。

 ラダイアは王都より少し寒いらしい。それに合わせた服と、防寒着である。


 それに、旅行中のおこづかい。

 ディアナからしたら信じられないような額を持たせてくれた。


 ホテルの代金はフィリプに請求が行くらしいので、現地で大金を払うようなことはないが、《なにかあったときのために》と10日間で使うには多すぎる額を入れた財布を渡されたのだ。

 ディアナが断っても、モニカに預けられていたので、諦めてありがたく受け取った。


「そんなことはいいんだ。モニカ、ディアナをよろしくね。寒くないように、危なくないように、気をつけてあげてね」


 これももう数度目だ。


 モニカもちょっと笑いながら、はい旦那様、と素直に返事をしている。


「もう、フィリプさん。そんなに心配しなくても大丈夫よ。たったの10日間じゃない。

 それに、ディアナさんに毎日手紙を書いてもらうんでしょう?」


 駅で待ち合わせしたヘレナが呆れたように肩をすくめながら口をはさむ。


 フィリプはフィリプで、ちょっと肩をすくめて、口を尖らせた。


「そうだけどさ。

 ディアナ、忘れずに書いてね。ホテルの転移魔法陣で送ってくれればすぐ見るから」


 フィリプの真剣な視線に、ディアナはちょっとひるんだ。

 それでも、とりあえず笑って頷く。


「はい、旦那様。忘れずに書きます」


 文字を習い始めた当初に《フィリプに手紙を書く》と約束をしたが、何を書けばいいのかわからないと言い訳をして、書いていなかった。


 今回、いい機会だということで、フィリプに約束させられたのだ。


 決して嫌なわけではないけれど、ここまで楽しみにされると、プレッシャーを感じる。


 そこまで文才もないし、筆跡が美しいわけでもない。


 それでも《ディアナからの手紙が欲しいんだ》とフィリプに微笑んで言われたら、断れなかった。


「奥様、旦那様。そろそろ出発時間です」


 モニカの声掛けに、フィリプはものすごく名残惜しそうにディアナの手をぎゅっと握った。


 駅のホームは、汽車に乗り込む人やそれを見送る人でいっぱいで、騒がしい。


 なにか言いたげなフィリプの様子に、ディアナは彼の顔を覗きこみながら言葉を待つ。


 車掌がベルを鳴らしながら、乗客を急かす。


「あの、旦那様。私、事故にも気を付けて、ちゃんと帰ってきます。

 旦那様もお体に気をつけて、お仕事頑張ってください」


 フィリプの言葉を待ってられなくて、ディアナはちょっと早口に言った。


 ディアナが早口に言ったためか、フィリプは時間が迫っていることにやっと気づいたらしい。


 はっと顔をあげて、それから頷いた。


「うん。ありがとう」


 彼は少しだけ唇を噛んでからまた口を開く。


「グスタフさんの、愛用品。きちんと戻ってきますように」


 少しだけ恭しい様子で、フィリプはそう言った。


 車掌の鳴らすベルが響く。


「ディアナさん、急がないと」


 ヘレナにも急かされるので、ディアナは、フィリプに


「ありがとうございます。行ってきます」


と挨拶だけして、握られていた手を離す。


 それからフィリプに手を振りながら汽車に乗った。

 フィリプも手を振ってくれている。


 

 旦那様はグスタフの《愛用品》と表現してくれた。遺品ではなく。



 王都の駅を出発して走り出した汽車の中で、ディアナはそのことに気づき、胸に手を当て、息を吐いた。

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ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

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