ディアナはラダイアに行きたい
「ヘレナ先生、お願いがあります」
ディアナは、グスタフの月命日の翌日の授業でヘレナにそう切り出した。
「お願い?なにかしら」
きょとんと首を傾げるヘレナ。
ディアナは、昨日受け取った手紙をテーブルの上に置いた。
「お手紙?」
ディアナが差し出した手紙にヘレナは視線を落とす。
「はい」
と、ディアナは頷いた。
どう伝えよう、とちょっと考えて口を開く。
「実は、ラダイアの警察署に行きたいんです。ヘレナ先生が一緒に来てくださると言えば、旦那様にも反対されないと思って……」
とにかく結論から、と思って言うと、ヘレナの目が点になる。
どう考えても前提が足りない。
ディアナは、説明しなきゃと焦って、便箋を封筒から出した。
「あの、《時計工房 ノヴァーク》にこれが届いていて、それを昨日受け取ってきたんです。
内容は、ええっと、読んでくだされば分かると思うんですが、夫の、あ、えっと、グスタフの遺品をラダイア警察署まで取りに来てくれっていうことで……。
彼の遺族は私しかいないので、私が行くしかないんですが、旦那様もお仕事があるし、かといって私が一人で行くのはきっと旦那様が反対なさると思うんです」
ディアナは一旦そこで言葉を切った。
ヘレナの反応を窺うと、なるほど、と呟いて、頷いてくれている。
「ですから、不躾なお願いなんですが、ヘレナ先生、一緒に来ていただけませんか?」
恐る恐るゆっくり申し出る。
「ええ、わかったわ。一緒に行く」
笑顔で快諾してくれたので、ディアナはほっと息を吐く。
昨日、受け取った手紙の差出人欄には《ラダイア警察署》とあったので、用件はだいたい想像がついていた。
帰宅してからひとりで中身を確認して、それからどうやって行こうかということを考えた。
ラダイアは遠い。
王都からでは、行くのにほぼ一日かかる。
フィリプと一緒に行くべきなのかもしれないが、前の夫の遺品を一緒に取りに行くなんて、さすがにちょっと気まずい。
かといって、王都からほとんど出たことのないディアナにとっては一人でラダイアなんて無理だし、フィリプだって反対するだろう。
そう思ったときに、頼れるのはヘレナだった。
よかった。快諾してくださって。
「フィリプさんにはまだ言っていないんでしょう? 彼が帰ってくるまで、今日は私も待っていましょうか。日程と、そうね、宿泊する場所も決めちゃいましょう」
フィリプがどう言うか想像がつかない。
渋い顔をするかもしれないけれど、快く送り出してくれそうな気もする。
すぐそこの《時計工房 ノヴァーク》に行くのだって送り迎えをするなんて言うくらいだから、ラダイアに行くなんて相当心配してくれるだろうと思う。
でも、《そんなにひどい夫のつもりない》と本人は以前言っていた。
亡くなった夫の遺品を取りに行くことを責めることはないだろう。
まあ、相談してみるしかないわね、と思いながら、ヘレナの言葉をぼんやり聞いて、それから首を傾げる。
「宿泊する場所?」
「ええ。朝、王都を出てもラダイアに着くのは夕方頃でしょう?」
ヘレナに言われて、ディアナははっとした。
確かにそうだ。
グスタフが亡くなったと連絡を受けたときはどうだったか。
記憶があいまいになっているが、ラダイアと王都の距離を考えれば間違いなく最低一泊はしているだろう。
「……すみません、ヘレナ先生。私、とても厄介なことを」
ディアナが思っていたよりも、ラダイア行きは時間も手間もかかるらしい。
そのことに気づいて、ディアナは頭を下げた。
ヘレナが少しでも、《その通り、厄介だわ》というようなそぶりを見せたら、すぐにでも取り下げようと思いながら。
けれども、ディアナが様子を見ている限り、ヘレナは目をぱちくりとさせるだけだ。
「厄介なんて、そんなことないわ」
にこっと笑ってそう言ってくれる。
けれども、ディアナの気は済まない。
ディアナにとっては大切な要件だが、ヘレナにとっては違うだろうに。
気は済まないながらも、ヘレナに断られたらディアナにはどうする術もないため、ちょっとだけ唇を噛んで何も言わない。
ヘレナは、ディアナのその様子を見て、くすくす笑った。
「ディアナさん、こんな風に言うのもデリカシーがないと思って言わなかったんだけれど、女ふたりの旅行気分でいるのよ、私。
ディアナさんさえよければ、歴史の授業がてらラダイアの観光をしてみるのもいいと思っているの。
ね、だから、厄介だなんて思っていないわ」
ぱちん、と茶目っ気たっぷりのウインク。
ディアナは、つい眉尻を下げて、ちょっと笑った。
「ありがとうございます、先生」
亡くなった夫の遺品を取りに行くのに《旅行気分》だと言われれば嫌な気がする人もいるだろうが、ディアナはただ嬉しかった。
ディアナが王都を出たのは、グスタフが亡くなったと連絡を受けてクリシュトフとラダイアまで行ったときだけだ。
状況が状況だけに、道中のことなんて全く覚えていないし、ましてや観光なんて考えもしなかった。
大切な用事だけれど、今回は気持ちに余裕がある。
非日常のなかで、グスタフのことにしっかり向き合うのもありかもしれない。
ヘレナの案にディアナはちょっと浮かれた。
けれども、観光となると、フィリプがなんというかますます分からない。
彼は、ディアナと新婚旅行に行くのを心底楽しみにしてくれている。
休みがとれないと嘆くフィリプを横目に、ヘレナと小旅行なんてさすがに悪い気がする。
そう思ったのが顔に出たようで、ヘレナはまたしても笑った。
「フィリプさんには私からも言うわ。
それに、あの人、なんだかんだ言ってあなたからのお願いを断れるわけないもの」
そうでしょうか、とディアナはちょっと不安に思って上目遣いでヘレナを見る。
あんまり《お願い》をしたことがないディアナは、自分がお願いをしたら彼がどんな対応をするのか想像がつかない。
でもヘレナがそういうのだから、とディアナは自分を納得させる。
なんとしてもラダイアには行く。
観光は、できればしたい。
ディアナは、そういうスタンスでフィリプにお願いしてみることにした。




