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職人たちとおしゃべりしよう

「でも、本当に、ディアナさんにはお世話になった。……グスタフさんにも」


 クリシュトフの目線が下に落とされる。


 ディアナは、ゆっくり頷いて、そうね、と声にだす。


「ねえ、ディアナさん、行かないで。ずっとここにいてください」


 ディアナとしては意外なことに、クリシュトフが涙ぐんでいた。


 ディアナも面食らったが、ヴラディーミルも驚いたらしく、隣に立つクリシュトフを真ん丸の目で見て何も言わない。


「ちょっと、どうしたの、クリシュトフ!泣かないでよ…。そんな、また、すぐ会いに来るわ」


 大の男に何を、と言った気持ちにならなくもないが、ディアナはクリシュトフの頭をなでる。


 まさか泣かれるとは思わなかった。


 それもクリシュトフに。



「すみません、まさか自分でも泣くとは思わなかったんですが……。だって、ディアナさん、ペトラーチェク様と結婚して、幸せなんですか」


 自分でハンカチを取り出して、クリシュトフは目元をぬぐう。


 彼の問いに、ディアナは、答えに迷って、目を閉じる。


 この前イヴァンにも似たようなことを聞かれたことを思い出した。


 あのときもうまく答えられなかったけれど、今回もどう答えていいか分からない。


 それでも、ディアナは、目を開けて笑ってみせる。


「そうね、幸せ。ここにいた頃も幸せだったけれど、今もちゃんと幸せよ」


 慣れ親しんだ《時計工房 ノヴァーク》で、大好きな両親と義父と幼馴染の夫と、弟のような職人たちと一緒に暮らすのは、本当に幸せだった。


 母も義父も父も、夫も亡くしてしまった今となっては本当に夢のような日々だ。


 フィリプとの暮らしは、あまりに想像の埒外すぎて、なんだかよくわからない、現実感のなさは、ずっと変わらずにある。


 けれども、確かに彼に愛されているのだろう、とは思う。

 これから先、一緒に暮らしていけたら、とも思う。



 そんな相手に出会えて、それが実現できているなんて、本当に幸せなことだ。


 

 ディアナ自身、自分の考えを整理しきれていなかったが、クリシュトフとヴラディーミルに心配をかけたくなくて言った言葉がディアナの胸にすとんと落ちる。


 ディアナの笑みに、クリシュトフはちょっと驚いたようで、眉をあげた。


 けれどもすぐに、眉尻を下げて笑う。


「……なんだ。《幸せじゃない》って言ってくれたら、《ここにずっといたら幸せだったと思いますよ》って言えたのに。でも、幸せならよかった」


「なあに、それ。私に不幸になってほしかったってこと?」


 唇を尖らせてから、笑ってクリシュトフを小突く。


 すみません、と笑うクリシュトフ。


 ヴラディーミルはハンカチで目元をぬぐうクリシュトフをにやにや笑って見ていたが、ふと真剣な顔つきでディアナを見据えてくる。


「でも、ディアナさん。こういっちゃなんですけど、《ペトラーチェク商事》の副社長の結婚について、あんまりいい話聞かなかったんで、安心しました」


《ペトラーチェク商事》の副社長の結婚、といわれると、他人事な感じがするが、実際には自分のことである。


 ディアナは、他人事感を感じつつも、首を傾げた。


「あら、そうなの。やっぱり、《ペトラーチェク商事》の副社長の結婚は釣り合ってないとか、そういう話?」


 ちょっとおどけて聞いてみると、ヴラディーミルはクリシュトフと顔を見合わせて、それから首を横に振る。


「いえ。俺たちが聞いていないだけで、そういう話もあるでしょうけど」


 さすが、ヴラディーミルは誤魔化すことをしない。


 ディアナだったら、《そんなことないわ》とか、適当に誤魔化すのに。


 そう思いつつ、


「それなら、どんな話が入ってきてるのよ」


と、笑って尋ねる。


「副社長は目的のためなら何でもするひとだから、今回の結婚もなにか裏があるに違いないっていう」


 ヴラディーミルはそう言って肩をすくめる。


 クリシュトフが、おい、と小声で言ってヴラディーミルを肘で小突いた。


「なあに、そのふわっとした噂」


 あまりに具体性のない話で笑えてしまう。


 夫の借金を帳消しにしてもらうために結婚しているので、裏があるといえば裏があるけれど、それに関してフィリプにはなんの裏もないだろう。


 噂って本当にただの噂なのね、とディアナは思う。


「いや、でも、俺たちも正直裏があるとは思っていますよ」


 クリシュトフはもうすっかり落ち着いたらしく、ワインをグラスに注ぎたしながら言う。


「グスタフさんが亡くなってからすぐでしたし。なんかあるだろ、とは思ってますけどね」


 言葉にして直接聞かれないけれど、クリシュトフの視線は、《その裏を教えろ》と訴えかけてきていた。


 ちょっと困ってヴラディーミルを見るが、彼の表情は読めない。


 クリシュトフからワインボトルを受け取って、自分のグラスに注いでいるけれど、この話題に興味がないわけでもなく、かといって首を突っ込むつもりもないようだ。


 ディアナは、ヴラディーミルに助け舟を出してもらうのを諦めて、曖昧に笑った。


「そうねえ。いろんなことを言う人がいるわよねえ」


 ディアナが答える気がないのを悟ったようで、クリシュトフはちょっと不満げに目を瞬くが、そうですね、と話を終えた。



 グスタフの名誉は守るのだ。


 グスタフを、多額の借金を抱えて死んだ上に、そのせいで死後ひと月で妻にほかの男と結婚された情けない男にさせるわけにはいかない。


 この件に関して、ディアナは墓までもっていく決意を改めて固めた。

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