事務室を探してみよう
そうは言ったものの、相変わらずディアナにはどうすればいいのか、なにからすればいいのか、全く見当はついていない。
とりあえず、グスタフや義父が仕事の書類を管理していた事務室に向かった。
義父が使っていたころは大雑把な性格の人間が部屋の主だったためにずいぶん荒れ果てていたが、グスタフが引き継いで1年とちょっとで見違えるほど整理整頓されていた。
整理整頓されているといっても、ディアナは普段事務室に出入りすることはないし、書類棚の仕切りにインデックスとして書かれている文字も読めないから、どこになにがあるのかさっぱりわからない。
そもそも自分が何を探すべきなのかもわからないので、ひとまず机の上に置かれている書類を手に取ってみた。
「……さっぱりだわ。」
左下に、夫のサインが入っていることはかろうじてわかるのと、文書のなかに日付らしき数字がいくつかあるから納期に関する契約書だろうか。
職人の2人は文字が読めるはずだから、あとで彼らに読んでもらおうと机に戻す。
机の引き出しを開けると、インクや紙類のストック、工房のロゴスタンプ、定規、ライター、パイプなどが出てくるばかりで、ディアナの困りごとを解決してくれそうなものはない。
一通り中身を出してみたものの、特に意味はなかった。もう一度、中身を引き出しに戻す。
次はどこを探そうか、と思いながら机の天板の裏側をのぞき込んでみた。
これがあたりだった。
天板にフックが刺さっておりそこに鍵がぶら下がっていた。
ディアナはその鍵を取ってみる。
親指ほどの長さの小さな鍵だが見た目のわりに重さがあり、なにか重要なものの鍵であることはディアナにも察せられた。おそらく銀製だろう。
すくなくとも、工房のドアや作業場のドアの類ではない。
それらは基本的にディアナが管理しているし、仮にグスタフがマスターキーとして一本持っていたとしても、ディアナが持っている鍵とは明らかに形が違った。
なんの鍵なのか、せめてわかるようにしておきなさいよ、とディアナは内心で夫に文句を言う。
怒られて、沈黙した後に、悪い、と一言不愛想に言うグスタフが目に浮かぶようで、ディアナは少し笑えた。
ディアナは、銀の鍵が何を開ける鍵なのかを突き止めることにした。
どうせ書類をあさっても読めないし、それを突き止める過程でなにか新たな発見があればいいな、という考えで事務室を見渡す。
なんだか以前見に行った舞台の女探偵みたいだわ、とディアナは自分に言い聞かせて気持ちを持ち上げた。夢想家のディアナは、こういうときこそ想像力が自分を力づけるのだと信じている。
けれども、さあ、これから難事件に乗り出そう、としたもののその勢いはあっという間に削がれた。
ディアナは棚の一番下の段に、実にそれらしい金庫があることに気づいてしまったのだ。
「案外、あっさり事件は解決するものなのね……」
つぶやいてから、でもこの金庫の鍵ではないかもしれない、と己を鼓舞する。
ディアナは、しゃがんで銀の鍵を金庫の鍵穴にさしてみる。一番奥まで入ってしまった。
そのうえ、なんの抵抗もなく回って、金庫のドアは開いてしまった。
女探偵になれなかった残念さを押し殺しながら金庫の中身を確認すると、何冊かの本と、何枚かの書類が出てきた。本の表紙にはどれも魔法陣が書かれている。
一応ぱらぱらとめくってすべての中身を検めてみたものの、うっすらと魔法に関する本かな?という程度にしかわからなかった。
「グスタフ、魔法に興味があったのかしら。意外だわ……」
聖気への耐性は、生まれつきの部分が大きいが、努力をすれば平民出身でも鍛えることはできる。
訓練機関に通うには非常にお金がかかるから、平民のうちでも金持ちの部類に限られるが、たとえば聖職者は神学校で耐性を獲得するための訓練をするし、傭兵がスキルアップのために同じような訓練をするというのはディアナでも知っている。
しかし、そうした訓練を経ていないはずのグスタフが魔法になぜ関心があったのか、ディアナにはわからなかった。
書類のほうを検めてみると、わかってはいたことだがディアナには読めなかった。
数枚の書類ではあるが、同じ種類の紙に同じインクで書かれているから1綴りのものだろう。
金庫に入れているくらいだから大事な書類だということは察せられたし、グスタフのサインが入っているからおそらく何かの契約書か、そうでなければ手紙かなにかだろうということも察せられた。
どちらであったにせよ、相手がいるはずだ。
恥を忍んで、その相手のところに行き、これがなんの書類かを尋ねてみるのもアリかもしれない。
ディアナは、なにか手掛かりがないか書類をじっくり眺めてみる。
気分は再び女探偵だ。
しかし、今回もまたあっさりと女探偵気分は終わる。書類の一番上に見覚えのあるロゴが入っていた。
《ペトラーチェク商事》だ。
船をモチーフにした紋章に、おしゃれな飾り文字で《ペトラーチェク商事》と書かれている、らしい。
ディアナには相変わらず読めないが、以前グスタフにそう教わった。
飾り文字はおしゃれすぎてディアナには模様にしか見えないが、これが文字だということだった。
いずれにしろ、この書類の相手は《ペトラーチェク商事》で間違いはなさそうだ。おそらく。
一歩前進した。
最近、どこかで《ペトラーチェク商事》の方と話したはずだわ、とディアナは頭をひねる。
なにしろ怒涛の三日間を過ごしたために、記憶がぼんやりしている。
思い出せ、思い出せ、とこめかみをぐりぐり圧迫して、ひらめく。
「昨日の葬儀で、ペトラーチェク様にお会いしたんだったわ。」
声に出してみると、それが確実なこととして思い出された。
確かにディアナは前日、副社長であるフィリプ・ペトラーチェクと献花のあとに少し話をした。
さらにディアナは都合の良いことを思い出す。
《なにか、お困りのことがありましたら、いつでもご連絡ください。ペトラーチェク商事の受付で私に用があると言っていただければ対応するよう申し付けておきますので》
フィリプは、確かにそう言っていた。
忙しかったし、すっかり忘れてしまっていた。
それにおそらく社交辞令だろう。
これで本当に一介の未亡人が訪ねて行って、受付で《副社長に用がある》などと言ったら笑いものにされるかもしれない。
もしも、万が一、笑いものにされずに、フィリプに会うことができたとしても、《マジで来たよ、この女…》という目で見られたら恥ずかしすぎて死ねる。
だからと言って代わりの妙案が浮かぶわけでもない。
結局、数分後にはディアナは、大会社《ペトラーチェク商事》を訪ねるのにふさわしいと思われる服装に着替えて、身支度を整えていた。
もし、《えっ、あなたが、副社長に用事?》と笑いながら受付で言われたり、《マジで来たよ、この女…》という目でフィリプに見られたり、その他恥をかくようなことがあったとしてもその時はしかたがない。
必死に言い訳をするのだ。
《どうしても困っていて…》と。
それになにより、工房の存続のための糸口がなにか見つかるかもしれない。そうすれば、職人たちだって辞めるなんて言わなくなるかもしれない。
ディアナは、手当たり次第に書類をトランクに詰め、乗合馬車で往復できるくらいの小銭を財布にいれて外出の準備を終える。
職人たちの昼食は、あのスープとバケットでいいだろう。彼らは昨夜たらふく飲んでいるのだから。
作業場に行き、職人たちに外出を知らせようと思ったが、だれもかれもが黙々と作業をしている。
声をかけるのも忍びなく、ディアナは連絡事項を書いておく掲示板に、《ディアナ、外出中。夕食には戻る》を示すマグネットを貼った。
かわいい少女の人形にマグネットを縫い込んでいる。
それから《昼食は食糧庫のなか。温めるべし》を示すマグネットも貼った。
これはグスタフが文字を彫ってくれた木の板にマグネットをくっつけたものだ。
トランクを持って工房を出て、乗合馬車に乗ってから、《昨夜は平気だったけれど、スープが傷んでいたらどうしよう》という心配がディアナの頭をよぎる。
しかし、あまり繊細な体をしていない職人たちならきっと大丈夫だろう、と勝手に結論付け、そのことを考えるのはやめることにした。