ディアナとフィリプ、それぞれのお願い
「工房から手紙が来たってことは、工房にはもう手紙を書いたんだ?」
食事しながら、フィリプはちょっと恨みがましいようなジトっとした目つきでディアナに尋ねた。
申し訳なくて、ディアナはフィリプと目が合わせられず、手元に集中しているふりをする。
「はい。あの、旦那様にも、すぐお書きします」
「うん、待ってる」
フィリプはさらりとそう言って食事を続ける。
彼がディアナからの手紙を待っていることは分かっていたけれど、書くことが思いつかないのだ。
工房のみんなに向けて書いたような近況報告は、たいていフィリプには面と向かって話しているし、ペシュニカ夫妻に書いたようなお礼の気持ちだって、普段から伝えている。
ヘレナに、何を書けばいいのか相談したら、《フィリプさんに対する正直な気持ちを書けば、彼、きっと喜ぶわよ》と何かを含んだような笑顔で言われた。
土曜日以来、自分の気持ちが分からないディアナには、それは無理なことだった。
そんなわけで、結局未だ工房にしか手紙を書いていない。
フィリプには内緒にしていたが、工房から来た手紙の存在を知られたことでばれてしまった。
「ディアナ、月末は工房に行くの?」
フィリプの方からそう聞かれるとは思いもよらなかった。
ディアナは、どうしてそれを、と呟きながら顔を上げる。
フィリプはフィリプで、ディアナのその様子がおかしかったのか、ちょっと笑って続けた。
「アデーラさんとマトウシュさんから聞いた。職人、というより見習いたちが、グスタフさんの月命日にはディアナと一緒にお墓参りに行きたいっていっているらしいね。手紙にも書いてあったんじゃないかなって」
ご明察だ。
ディアナは、さすが旦那様だわ、と驚きながら頷く。
「ちょうどお願いしようと思っていたところでした。27日は日曜日でしょう?ヘレナ先生の授業もない日です。行ってもいいですか?」
気分を害したらどうしよう、とちょっと思いつつも、ディアナは思い切ってお願いしてみた。
「ダメっていうと思った?もちろん、行っておいで」
思っていたよりも、あっさり許可が下りてディアナは肩透かしを食らった気分になる。
フィリプは、そんな意地悪な夫のつもりないんだけど、と笑いながら、フォークとナイフを器用に操る。
確かに、ちょっと失礼だったわ、と反省しながら、ディアナもつられて笑う。
「そういえば、アデーラさんが、旦那様がよく工房の様子を聞いてくださるのがありがたいとお手紙に書いてくださっていました。私、そんなこと全く聞いていませんのに」
今度はディアナがジトっとした視線をフィリプに向ける。
彼は、ぎくっとして、それから捨てられた子犬のように上目遣いでディアナを見つめてきた。
「だって工房の話をしたら、ディアナ、帰りたくなっちゃうかなって。別居なんて耐えられない」
ディアナはちょっとどきどきしたのを押し隠しながら、ふふんと鼻を鳴らしてみる。
「何をおっしゃっているんです、旦那様」
年上らしく、ちょっとからかうように笑うと、フィリプは、そう?と安心したように眉を下げた。
「私の方こそ、ずっと置いておいていただきたいくらいですのに」
ディアナの笑みに、フィリプは、もちろんと大きく頷く。
「27日、もちろん行ってきていいんだけど、ちゃんと帰ってきてね。そのまま工房に居ついちゃわないでね。アデーラさんとマトウシュさんは、ほんの少ししか会ったことないのに、やたらディアナのことを気に入っているし、心配だよ」
ディアナは、眉を寄せて言うフィリプにからっと笑ってみせた。
「そんなにご心配なさらないでください。ちゃんと帰ってきますから」
ほんとだよ?絶対だね?と念を押すフィリプを適当に受け流しながら、ディアナは、自分がこの家に《帰る》と表現したことにちょっとだけ驚いた。
自分でも、この家が帰る場所になっていることに初めて気づいたのだった。
「ああ、それじゃ、僕が送っていくし迎えに行く。お墓参りも一緒に行きたいけど、27日は気の置けない人たちだけで行く方がいいだろうし、工房まで送り迎えはするね」
感慨に浸っていたディアナは、フィリプの言葉に顔を上げる。
「そんな、私、乗合馬車で行けます」
休みの日にそんな面倒をかけるわけにはいかない!と拒否するけれど、フィリプは首を横に振った。
「ダメです。僕が送り迎えをします」
フィリプの珍しい敬語に、ディアナはちょっと言葉に詰まった。
その間にフィリプは、眉尻を下げて話を変える。
「代わりに、というわけじゃないんだけどさ。ディアナに会ってほしい人がいるんだ」
全く違う話にディアナは、首を傾げる。
もしかして、ご家族かしら、と思いつつ、どなたです?と尋ねる。
「友人。男。外交官」
フィリプは、なぜか面白くなさそうに短く答えた。
記号のような紹介だけれど、ディアナは恐れおののく。
「外交官…?無理です、そんな…。どうして?」
《外交官》という職業が何をするひとなのかはよく分かっていないけれど、おそらく国の偉い人だろうことはディアナにも想像がつく。もしかしたら貴族かもしれない。
ディアナの《どうして?》の部分をフィリプは拾ったらしく、面白くなさそうに眉間にしわを寄せながらまた話し始めた。
「僕の結婚を直接知らせなかったから、友人甲斐のないやつだって怒られてね。
まあ、僕が結婚を直接知らせたのは親だけなんだけどさ。
妻を実際に紹介するってことで怒りを鎮めてもらうことになった。外交官といえばお堅く聞こえるけど、実際の彼は全然そんなことないから、なにも心配しないでくれて大丈夫だよ」
そういう本人が、なにか気がかりがありそうな風に眉を寄せているから、ディアナは全く安心できない。
「…い、いつですか」
できれば年末のパーティーごろだと嬉しい。
そう思いつつ聞いたのに、フィリプの返答はディアナの希望を打ち砕いた。
「明日の夜」
「明日の夜!?」
つい声が大きくなってしまった。
給仕をするサシャに、若奥様、とたしなめられて、反省する。
「若旦那様、それでは来客の準備をした方がよろしいので?」
サシャの問いに、フィリプは、いや、と首を横に振る。
「うちに来てもらうか、彼の家に行くかで話し合ったけど、うちは遠いからいやだっていうし、彼の家には人を呼びたくないらしい。そんなわけで、ミュージックホールで会うことにした。だから、サシャは何もしないで大丈夫」
ミュージックホールというものに、ディアナは行ったことがない。
音楽やステージを楽しみながら、お酒と社交を楽しむところだというイメージがある。
フィリプに、そう言ってみると、それであってるよ、と彼は笑った。
「いかがわしいようなステージのミュージックホールもあるけど、明日の夜待ち合わせしているのは、紳士淑女の集いの場ってことになっているところだから」
へえ、とディアナは、相槌を打った。
外交官のご友人に会うのは緊張するけれど、ミュージックホールに行くのは楽しみだ。
ディアナはそういう華やかで楽しい場が好きなのだ。
「それにしても、旦那様、どうしてそれほど憂鬱そうでいらっしゃるんです?」
友人に会うというなら楽しみだろうに。やっぱりディアナのような女を妻として紹介するのは、嫌ということか。
つい神妙に尋ねると、フィリプは、え?と引きつったような笑みを浮かべた。
「いや、うん、まあ、彼に会えばわかるよ。いい友人なんだけどさ」
といって、フィリプは濁した。
何も心配しないで大丈夫、と言いながら、そんな表情をされては、心配せざるをえないのだけれど、とディアナは唇を尖らせつつも、食事を続けたのだった。
次は19日金曜日の投稿を目指します。




