《時計工房 ノヴァーク》からの手紙
翌週の金曜日、ディアナは《時計工房 ノヴァーク》から5通の手紙を受け取った。
差出人をそれぞれ見ると、職人のクリシュトフと、ヴィートとアーモスとシモンの見習い3人と、ペシュニカ夫妻の連名だった。
今週のはじめに、ヘレナと一緒に授業で手紙を書いて送った。
その返事が来たらしく、配達員から受け取ったサシャが渡してくれたのだ。
ヘレナの授業も終わり、フィリプの帰宅を待つ間、ディアナはリビングで5通の手紙を開いてみる。
まず、ペシュニカ夫妻のお手紙を開ける。
ディアナは、ペシュニカ夫妻に工房を継いでくれたお礼と、職人たちが迷惑をかけていないか、工房に問題はないか、ということを拙いながらも書いて送った。
ヘレナに添削を受けたから、きちんと失礼もなく伝わる内容だったと思うけど、とディアナは少し緊張しながら、便箋を開いた。
《お手紙ありがとう》から始まっているのはわかったけれど、その先が読めない。
ディアナは、ノートに手紙を書き写して、辞書で調べたことを書き込みながら手紙を読み解いた。
アデーラとマトウシュは、便箋1枚ずつ書いてくれている。
先に読んだのはマトウシュのものの方で、《時計工房 ノヴァーク》の新しい工房長としての仕事について書かれている。
《ペトラーチェク商事》から仕入れている材料をちょっと値切ったり、新しい顧客を開拓したり、見習いを募集したりと、ずいぶん人が減ってしまった工房を立て直すために尽力してくれているらしい。
2枚目はアデーラのもので、本当だったら見習いたちに学校に行かせてあげたいけれどあまりにも人手が足りないために、アデーラと職人たちで隙間時間に読み書き・計算を教えていること、ディアナからの手紙を職人と見習いたちがものすごく喜んでいたこと、時折フィリプが電報で様子を尋ねてくれるのをありがたく思っていることなどが書かれていた。
旦那様はそんなこと一言も言っていないわ、とディアナは唇を尖らせた。
アデーラの書きぶりからして、当然ディアナは知っていると思っているのだろう。
聞いていないのにと思いながら、今度はクリシュトフの手紙の封を切る。
彼の手紙も、《お久しぶりです》以降が読めなくて、ディアナはまたノートに書き写して辞書を片手に読み解いた。
クリシュトフとヴラディーミルには、グスタフの分だった仕事も任せてその上見習いの指導まで、と負担をかけてしまっていることを気に病んでいる旨を書いた。
それからディアナが読み書きを習い始めたために、いつでも手紙を待っているということも。
クリシュトフは、工房についてはなにも問題はないから心配はいらないこと、それなら遠慮なく手紙を書くこと、グスタフの月命日が近いので墓参りに来てくれということが書き連ねられていた。
そのほか日常の様子もいくつか書かれており、便箋3枚分の手紙だった。
3枚目の最後に、クリシュトフのものではない筆跡で《俺も元気です。 ヴラディーミル》と書かれていたので、ディアナは笑ってしまう。
大方、ヴラディーミルはクリシュトフに、返事を書けとせっつかれて、しぶしぶクリシュトフの便箋に走り書きをしたのだろう。
ディディらしいわ、とディアナは笑った。
見習いたち3人の手紙は、辞書がなくとも読めた。
彼らの読み書きのレベルはだいたいディアナと同じくらいらしい。
毎日忙しい、とか、クリシュトフさんとディディさんがとても怖い、とか、アデーラさんの料理もおいしいけどマトウシュさんが作る料理がおいしいとか、三者三様に日常のことを書き綴ってくれている。
けれども、三人とも、月末にはグスタフさんの墓参りに一緒に行きましょう、と書いてくれている。
ディアナは、今日の日付を確認した。11日、金曜日である。
グスタフの月命日は約2週間後の27日だ。
日曜日だからヘレナの授業はない。けれども、フィリプが許してくれるだろうか。
ディアナは、目をぎゅっとつむって首をひねった。
ディアナにとって工房は実家みたいなものだが、フィリプにしたら工房はディアナの前の夫の家かもしれない。
月命日にお参りに行きたいだけだと言えば、フィリプは許してくれるだろうけれど、良い気はしないのではないか。
なにより、先週の土曜日以来、なんとなくフィリプと気まずい。
フィリプと初めて唇を重ねあったけれども、ディアナとしてはどうしても《本当の夫婦》であると思えない。
彼が自分を大切に思ってくれているらしい、ということを、ディアナはさすがに実感してきている。
もしかしたら、本当に、フィリプはディアナのことを、女として、妻として、見てくれているのかもしれない。
だが、そうはいっても、もともと住む世界の違う殿上人なのだ。
どうも信じられない。
近いうちに、突然田舎に別邸を用意されてサシャとディアナの二人暮らしをするようになるのではないか、とすら思っている。
可哀そうな未亡人に愛を注ぐ、お金持ちの一時の遊びなのではないか。
それでもフィリプと結婚しなければ娼婦になっていた可能性が無きにしも非ずなのだから、十分ありがたい。ありがたいはずなのに。
ディアナは、自分の唇を無意識のうちに触った。土曜日以来の癖である。
「工房からお手紙?」
後ろから急にフィリプに声をかけられて、ディアナはソファの上で、ひゃっと飛び上がった。
「ごめんごめん」
既に仕事着から着替えて、くつろぐ服装になっているフィリプは、笑いながらディアナに謝る。
「いえ……。旦那様、おかえりなさいませ。申し訳ありません、お帰りに気づかなくて…」
時計を見ると、確かにフィリプがいつも戻る時間を過ぎていた。
考え事に夢中でディアナは彼の自動車の音やサシャが出迎えた様子にも気づかなかったし、フィリプが2階で着替えていたのにも気づかなかった。
「大丈夫。でも出迎えてくれなかったからちょっと悲しかった」
フィリプは、さらっとそう言いながらソファの上で恐縮するディアナのおでこにキスをする。
おでこや頬へのキスはもう日常茶飯事だが、ディアナはまだ慣れない。つい顔が赤くなる。
当初はフィリプだってそうだったくせに、最近ではすっかり慣れて、なにかのついでのようにキスをしてくることがディアナは不満だった。
「サシャがね、夕ご飯をダイニングに準備してくれたよ。食べようか」
そのために呼びに来てくれたらしい。
ディアナは旦那様に面倒をおかけしてしまった、と恐縮したものの、素直に頷いた。
前回のラスト部分は、不評かもしれないなーどうかなーと思いながら投稿しましたが、ブクマも減ることなく安心しています。
いつも読んでくださりありがとうございます。




