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白詰草と、タンポポ、それから紅茶

前回からシーンはそのまま続いています。

「さて、話を戻すと」


 フィリプは、再び魔法陣を指さした。


「ディアナの言ったとおりこの部分は《置き換える》を指示しているんだ。今回は、ジャガイモの入ったオムレツの味、食感、香り、見た目をフルーツタルトに置き換えた」


 フィリプは言いながら、それぞれを示しているだろう記号を指で示しながらゆっくり話す。


「催眠魔法ってね、何かを何かで置き換えることで人の記憶や認識を操作する魔法なんだ。僕はさっき法律ぎりぎりって言ったけど、わかるでしょ?」


 フィリプの含み笑いに、ディアナは不意をつかれた。


 どういうことだ、どういうことだ、と必死に頭を働かせながら話を聞いていたので、まだ《わかるでしょ?》と言われるほどはわかっていない。


 それでも、なんとなくディアナは口を開く。


「ええっと、さっきは旦那様ご自身に、かけていらっしゃいましたけど、もし、ほかの人にかけるとなったら、毒とか、簡単に飲ませられる、っていう、ことでしょうか…?」


 だんだんと声が小さくなってしまう。

 自信のないディアナとは裏腹にフィリプはまたも魔法陣を書いて、今度は白詰草の花冠を作り出す。


「正解。あげる」


 にこっと微笑んで、ディアナの頭に花冠を載せた。

 バランスを取らなくてはいけなくなって、ちょっと鬱陶しい。

 

 けれども、可愛らしい花冠にディアナは、ありがとうございますと礼をいう。


「毒を飲ませられるのもそうだし、熱いという感覚を、冷たいという感覚に置き換えるような催眠魔法をかけたら、かけられた人はちょっとしたことで大火傷を負ってしまうよね。

催眠魔法はいくらでも悪用ができるから基本的には法律で禁止されているんだ」


 ディアナは、ふんふんと頷くが、すぐに、あら?と首を傾げる。


「でも旦那様はさっき、《ぎりぎり大丈夫》とおっしゃいました」


 法律で禁止されているなら大丈夫じゃないのでは、とディアナはちょっとハラハラする。


 フィリプは、そうだねと笑って、テーブルに置いていた本を開く。


「基本的にはって言ったでしょう?

例外があって、有資格者が相手の同意を得てかける場合と、術者が自分自身にかける場合。これはOKなんだ。

前者は、例えば医者だね。一時的に痛みを、快楽とか…、冷たさに置き換えるような魔法を使って、患者の治療にあたるとかそういうこと」


 フィリプが開いて示している本には、おそらくその法律の条文が書かれているのだろうが、表意文字ばっかりなので、ディアナには正直さっぱりわからない。フィリプのいうことをなんとか咀嚼して頷く。


「だから、大丈夫なんですね」


 それっぽく相槌をうつと、フィリプは、そういうこと、と満足げに頷いた。


「ええっと、催眠魔法では、どんなことが、できるんですか?」


 まだよくわかっていないディアナは、理解を深めるためにとりあえず質問した。


 フィリプは、手慰みにか、今度はタンポポのブレスレットを作り出す。


「そうだね、いろいろあるけど、例えば」


 フィリプはちょっと考えるように視線を天井に向けた。


 その一方で、彼は手元を見ずに、ディアナの左手を取った。

 急に手を取られて、どうしたのかしらと戸惑いつつ、ディアナは夫にされるがままになる。


「やろうと思えば、ディアナの、僕に対する気持ちを《愛している》に置き換えることもできる」


 やらないけどね、と、視線を手元に落としながら、フィリプはタンポポのブレスレットをディアナの左手にはめた。


「そのためには、術者がディアナの、今の僕に対する気持ちを正確に魔法陣に書き込まないといけないけどね。

でも、適当に空白を代入するとかいろいろやりようはあって。その場合には、相当量の聖気(しょうき)を消費するから、結構やり手の魔法使いじゃないと、体が追い付かないとか、制御できないとか、いろいろ問題はあるけど、できなくはない。

たぶん、やろうと思えば僕もできる。いや、やらないけどね?

それに実行しようと思った時の最大の問題はやっぱり法律かな。この手の資格は医者と違って国に認められていないし、ディアナが承諾するはずないし、かといってディアナが自分で自分にかけるとかありえないし」


 照れているのか、まずいことを言ったと後悔しているのか、フィリプは早口でぶつぶつと呟くように言う。


 それとは裏腹に、ブレスレットをディアナの左手首にはめるために重ねた手をそのままぎゅっと握ってくる。


 ディアナは、内心、手袋をしていたことにほっとしていた。

 布一枚の隔たりがディアナに安心感を与えた。フィリプと、直に触れ合うことを考えると、とてもどきどきしてしまう。



 たかが布一枚、されど布一枚。



 ディアナは手袋越しに、フィリプの手の温かさを感じるばかりで、彼がぶつぶつと呟いている内容は全く耳に入っていなかった。


 フィリプはフィリプで、彼女のそんな様子にも気づかないほど、催眠魔法について話し続けていた。





 ふたりが我に返ったのは、サシャが飲み物を持ってきた、そのノックの音のおかげだった。


「若旦那様、若奥様、お飲み物をお持ちいたしました」


というサシャの声で、フィリプはこほんと咳ばらいをしてディアナの手を放す。


「ありがとう、入って」


 フィリプは答えながら、テーブルの上に乗せていた本や魔法陣をぱっと伏せ、ディアナはただ呆気にとられて彼の様子を見ていた。


 間もなくワゴンとともにサシャが入ってきて、紅茶を淹れてくれる。


「ありがとう、サシャ」


 未だに《若奥様》然と構えることのできないディアナはサシャに礼を言うと、サシャは目を閉じて軽く首を横に振った。


 フィリプは、不自然さすら感じさせるほど、何気ない風を装って、足を組んでサシャの様子を見つめていた。


 

 よほど催眠魔法についてサシャに知られてはまずいらしい。



 ディアナは、サシャの退室まで、いたずらを隠す子どものようなフィリプの様子に笑いをこらえていた。

 フィリプのいたずらの共犯になった気分だった。


――――――――――――――


 サシャがワゴンを置いて退室していってから声をひそめてフィリプはディアナに秘密を打ち明けるように話し始めた。


「昔からジャガイモのオムレツが出されると、催眠魔法でしのいできたんだけど、サシャに知られると、彼女、すごく怒るんだよね。嫌いなものを我慢することも必要です、とか、催眠魔法は危ないから使っちゃいけません、とかって」


 紅茶を飲みながらフィリプは眉を寄せる。

 

「まあ、サシャの言うことも分かるんだけどさ、ジャガイモのオムレツはどうしても無理」


 フィリプは舌を出して笑った。


 ディアナもつられて笑う。だから、サシャには隠したがっていたのね、と納得した。


「でも、本当に自分で使う分にはいいですけど、いろいろ悪いことに使えそうな魔法ですね。気づかないうちにかけられていたら、と思うと怖いです」


 ディアナはちょっと身震いしてみせた。

 毒や火傷も怖いけれど、もっともっと悪いことに使えそう。


 フィリプは、悩まし気に頷いて、それから、まあでも、と口を開く。


「魔法の基礎教育でも高等教育でも習わない魔法だし、独学で身に着けようにも規制が厳しいからね。そう滅多に使える人はいないから、大丈夫だよ」


 そう言ってフィリプはディアナを励ますが、まったく信用できない。


「でも、旦那様は使えるじゃありませんか」


 目の前に使える人がいて、《滅多に使える人はいない》ということを言われても、なんと説得力のないことか。


 ディアナが眉を寄せてじっと睨みつけると、フィリプは両手を軽く挙げて《降参》のポーズをとった。


「自分で言うのもなんだけれど、僕はそこそこ恵まれているんだ。

親が《ペトラーチェク商事》の社長だし、僕自身も寄宿学校に3つ飛び級して入っているからね。

図書館の本も閲覧制限なしで読める」


 フィリプの言うことを、そういうものなのね、と頷いて飲みこむ。


 王国のなかでもトップレベルのお金持ちの家の子で、かつ本人が優秀でないと、そもそも催眠魔法を習得できない。


 それなら確かに、滅多に使える人はいないわね、とディアナは胸をなでおろした。

催眠魔法は、あくまで《置き換える》魔法です。

ある人の認識を「ここにりんごがある」としたい場合、そこには皿でもミカンでも、置き換えられるなにかが必要です。

なにもないところに「ここにりんごがある」というように認識を書き換えることはできません。


本編で語りきりたいところですが、作者の描写力が足りなくて、ちょっと補足しました。

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