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フィリプはジャガイモの入ったオムレツが嫌い

「サシャ、サシャ、僕がジャガイモの入ったオムレツ嫌いなの知っているのに、どうしてオムレツにジャガイモを入れるの。ねえ、サシャ?」


 土曜日の朝、ディアナはフィリプより早起きをして、朝食までの間サンルームでひなたぼっこをしていた。


 後から起きてきたフィリプが、キッチンで料理をするサシャに問いかける声が聞こえてくる。


 普段のフィリプの、甘いような、ぼんやりしたような響きの声と違って、甲高い声だ。

 よほど驚いたのか、ショックを受けたのか。


 数度フィリプとサシャがやりあう声が聞こえてくるも、内容までは聞き取れない。


 ディアナは、仲裁に入ったほうがいいかしら、とちょっと悩んだ。


「また若旦那様は、子どものようなことをおっしゃって…。若奥様がお聞きになったら軽蔑されますよ」


 サシャの、子どもを叱責するような高い声―サシャとしたらまさしく子どもを叱責しているつもりなのだろうが―が聞こえてきて、ディアナは思わず笑ってしまった。


「サシャはすぐそうやってディアナを持ち出す!」


「だいたい、若旦那様が、若奥様の好みが分からないから試しになんでも作ってくれ、とおっしゃったんじゃありませんか。ひょっとしてもうお忘れですか?」


「そうだけど、そうだけどさ…! でも、これは…!」


 エスカレートして、どんどん声が高く大きくなる二人に、さすがに仲裁に入ろうと思ってディアナは立ち上がる。

 まさか大乱闘になるとは思っていないけれど、放っておいてもいいことはない。


 キッチンに顔を出して、おはようございます、旦那様、と声をかけた。


 これほど子どもっぽい主張をしているところを妻に見られるのはさぞ恥ずかしいだろう、とちょっとフィリプが可哀そうになるけれど、ディアナは微笑みかける。


 ディアナの登場に、フィリプとサシャは彼女を見つめた。


 フィリプは、まさかディアナがサンルームにいるとは思っていなかったのだろう。目をまん丸くして、ちょっとだけよろけた。


 サシャは、そんなフィリプの様子を見てあきれたように鼻を鳴らし、さっさと調理に戻る。


 どうやらひとまず治まった。


 ディアナはほっと胸をなでおろす。


 しかし、それも束の間。


「サシャ、サシャ?どうしてディアナがサンルームにいるって言ってくれなかったの。知っていたでしょう、サシャは?ねえ、サシャ?」


 フィリプは、珍しくディアナの挨拶に、挨拶を返してくれなかった。

 目をまん丸くしてディアナを見たまま、じりじりとサシャに近づいて行って小声で責めているのがディアナにも聞こえてくる。


「お気づきになっていないとは思っても見ませんでした。若奥様は、朝ベッドにいらっしゃらないとなれば大抵サンルームにいらっしゃるでしょう」


 サシャは卵をかきまぜながら、フィリプのことは見向きもせずに言う。


《ジャガイモのオムレツ、お嫌いなんですね》とか《好き嫌いはいけませんよ、旦那様》とか、そういう言葉をかけてフォローしようと思っていたけれど、その丸い目に見られているうちに、あんまりフィリプが気の毒になったディアナは、なにも聞かなかったことにした。


「今日はいいお天気ですよ、旦那様」


 昨晩までの雨が嘘のように、雲一つない快晴である。


 フィリプは、咳払いをしてから、キッチンの窓からちらりと外を見て、小さく頷いた。


「うん、そうだね。ディアナ、サンルームにいたんだ。おはよう」


 先ほどまでの子どもっぽい懇願を誤魔化すように、フィリプは前髪をいじる。


 休日の朝からきちんとシャツやベストを着ている大人の男性なのに、昔から世話になっているメイドには《ジャガイモのオムレツは嫌いだ!》と主張をするそのギャップに、ディアナは笑いたくて仕方なかった。



可愛い。



 サシャの邪魔をしちゃいけませんから、とディアナはフィリプをサンルームに誘導しながら、キッチンを出た。


――――――――――――――


 よほどジャガイモのオムレツが嫌いなようで、実際に給仕されたプレートの前でフィリプははーっとため息を吐いた。


 子どもっぽい彼をくすくす笑いながら、ディアナは先にオムレツを食べ始める。


「旦那様、サシャの作ったジャガイモのオムレツがお嫌いなんですか?それともジャガイモのオムレツ全部が?」


 ディアナの問いかけにフィリプは上目遣いでディアナを見上げてそれから目を伏せる。


「ジャガイモのオムレツが嫌い…。オムレツはふわふわの柔らかいのが一番美味しいのに、なぜ固いじゃがいもを入れるのかわけがわからない。ジャガイモもオムレツもそれぞれはおいしいと思うんだけど、合わさると何故こうも美味しくないのか不思議で仕方ない」


 ディアナは、そうですか、と目を細めて頷いた。


 年下の旦那様は、繊細な味覚をお持ちらしい。


 見習いたちをなんだかんだと言いながら宥めてそれぞれが嫌いな物をどうにかこうにか食べさせた日々を思い出す。


 フィリプ・ペトラーチェクにこうも可愛い一面があるとは思いもしなかった。


 ディアナはあんまり見つめていても食べづらいだろうからと思って、庭の方に視線を向けた。


 花やハーブが美しくおさめられた庭は、昨日まで降り続いていた雨のために雫を帯びていて、きらきらと輝いて見える。


 童話に出てくる妖精の住む庭ってこんな感じかしら、とディアナはしばらく眺めていた。


 フィリプは、ジャガイモのオムレツを前に指を組んでさも深刻そうに眉を寄せていたと思ったら、急にペンと紙を取り出した。

 何か書き物をするらしい。

 オムレツの乗ったプレートをちょっと動かして紙を前にペンを手に取る。


 どうしたのかしら、と思ってディアナが紙を覗き込むと、フィリプは紙に平行な五本線を引く。


 フリーハンドでずいぶん綺麗な平行線を書くのね、とディアナは内心感心した。


 どうやら魔法陣を書くらしい。


 ディアナはオムレツやスープを口に運びながらフィリプの挙動を見守った。

 

 ちょっと悩みながらも、あっという間にフィリプは魔法陣を書きあげる。


 今週魔法を習ったばかりのディアナにはフィリプが書いている魔法陣が何の魔法になるのかさっぱりわからなかった。


「旦那様、何の魔法です?」


 ディアナが尋ねるとフィリプは、いたずらっぽくにっと笑いながら人差し指を唇に当てた。

 先ほどまでの、ご機嫌ななめのご様子から打って変わって楽しそう。ディアナはつられてちょっと笑った。


「サシャには内緒ね」


 フィリプはト音記号を書き込むと、ちょっと目を瞑ってよし、と呟き、ナイフとフォークでオムレツを食べ始めた。


 あれほど嫌がっていたというのに、どうしたんだろう。


「…うん、成功」


 フィリプは一口食べたオムレツを飲みこんで、呟いた。


 ディアナは狐につままれたような気分で、フィリプがオムレツを口に運ぶのを見つめていた。


 あとで教えるね、とウインクされたので、ディアナはちょっとだけ唇を尖らせてから朝食を続けたのだった。

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