グスタフのライター
「ヘレナ先生、これです」
ディアナは、宝物箱から取り出したグスタフのライターをヘレナに見せる。
触ってもいいかしら、というヘレナにディアナは頷く。
ヘレナは、ライターを受け取ると、それを矯めつ眇めつしてから満足そうにうなずいた。
「たしかにマジックツールね」
グスタフの愛用品は、手のひらに乗るほどの大きさの、円形コンパクトのような形をしたガラスのライターで、側面の一部が金属でおおわれている。
上面の中心についているつまみを回すと、タバコの着火にはちょうどいい大きさで発火する。
ディアナは、成人した直後のグスタフが、真鍮製のライターは高かった、と不満げに言いながらガラス製ライターを買ってきたことを思い出して、ちょっと笑いそうになった。
「ディアナさん、これ、どういう仕組みかわかる?」
ヘレナは、ライターをテーブルに置いてディアナに問う。
ディアナは、先程ヘレナがしたのと同じように矯めつ眇めつしてみるもののさっぱりわからない。 グスタフが使っているのをよく見ていたけれど、さっぱりである。
ディアナが首を横に振ると、ヘレナは、ふふっと微笑んで、よしきたとばかりに頷いた。
「この中に、円形の金属板が三枚入っているの。それぞれに、五線譜、音符、ト音記号が分けて書かれている」
ヘレナは、自分のノートに図を書いてディアナに見せた。おそらく横から見たライターなのだろう。
楕円形を三つ描き、一番下の楕円形には《五線譜》、真ん中には《音符》、一番上には《ト音記号》とそれぞれ書き込む。
ディアナはライターを横からじっと覗きながらヘレナの図と見比べる。
三枚の金属板がたしかに見える。
板と板の間には少しずつ隙間が開いているため、ライターをくるくる回しながら見ると、金属板に刻まれている記号もすべて見えた。
三枚の金属板にはそれぞれ、下から順に五線譜だけ、音符だけ、ト音記号だけが書き込まれている。
金属の機構が美しいガラスに包まれている様は、シンプルなオルゴールを想起させる。
ディアナは、考えながらヘレナに首を傾げてみせた。
「これで、どうやって火が着くんですか?」
「これを回すと、真ん中の金属板同士の隙間が無くなるようになっているの」
ヘレナが、ライターの上面についているつまみを少しだけ回すと、金属板を貫く軸と周囲の機構が動いて、金属板同士の距離が短くなった。
「かちって音がするまで回すと、発火するはずよ」
安全のためか、ヘレナは実際に火をつけることはしない。
けれども、グスタフがこのライターで火をつけるところは何度も見ていた。
かちっという音はたしかに思い出せる。
「でも、ヘレナ先生。どうしてこれで火がつくんです? えっと、五線譜に、音符とかト音記号とか、書き込まないといけないんだとばかり思っていました」
五線譜と音符、ト音記号がそれぞれ分けて書かれているために、たとえ金属板が重なり合っても、同じ平面上で魔法陣となることはできない。
それでは魔法が発動しないのでは?とディアナは考えて質問した。
するとヘレナは、わが意を得たりと言わんばかりににっと笑う。
「実はね、同じ平面上に要素がなくても、要素が書かれているものを繋ぎ合わせるだけで魔法陣として認められるのよ」
さっぱりわからなくてディアナは首を傾げる。
ヘレナは、そうよね、意味わからないわよね、と頷きながら、ノートに立方体の図を描いてみせた。
「例えばこういう立方体があったときに、この上の面から右側の側面、底面、それから左側の側面と、一続きの魔法陣を書いていくとするでしょう」
ノートに書いた立方体のそれぞれの面を示しながらヘレナは話す。
ディアナは、首を傾げつつ、自分のノートに同様の立方体を書いてみた。
そのうえで、上の面から時計回りに四つの面を回って立方体を一周する線を一本引く。
「そうそう、その線が魔法陣だと考えて。さて、ディアナさん、どう思う? この立方体の上に描かれた一続きの魔法陣は、発動するかしら?」
ディアナはちょっと考えて頷いた。
ヘレナは表情を変えず、にこにこしたまま、ディアナに《どうして?》と尋ねる。
ディアナはまたちょっと考えて口を開いた。
「えっと、例えば、この《立方体》をこう、はさみで切り開いて、この魔法陣だけ平らにしてみたら、一続きの魔法陣に見えるから…?」
話しながら不安になって、最後は疑問形になった。
《立方体》というのも初めて聞く言葉だったので、ぎこちなくなってしまう。
それでも、ヘレナは満足そうに頷いて、ぱちぱちと拍手をした。
「そのとおりよ、ディアナさん。つまりね、平らな面に書かれている魔法陣だけが魔法を発動させるわけじゃないの。
あなたがさっき言ったように、立方体に書かれた魔法陣は、一続きのものとして作用するし、このライターのように要素が分かれて書かれた魔法陣も、魔法が発動するの」
ヘレナの輝く瞳と生き生きした語り口にディアナは必死に頭を使ってついていって、なんとか頷いた。
「こういう、立体的な魔法陣って、奥が深いのよ。
例えば、このライターも、この金属板同士がどこまで離れたら、魔法として作用しないのか、逆にどこまでくっついたら作用するのか、ものすごく考えられているんだから」
ヘレナは、自分が考えたわけでもないだろうに、誇らしげにそういった。
ディアナは、へえ、と相槌を打った。
確かに、一定程度離れたら魔法陣として作用しない、ということが成り立たなければ、このライターは常に発火し続けてしまう。
「このライターは燃料もいらないし、金属板がダメになることもそうそうないでしょうから、半永久的に使えるわ。
グスタフさん、とおっしゃったかしら? いいものをお持ちだったのね」
ヘレナは、他意なくそう言ったのだろう。
しかし、グスタフは、これと同じライターの故障で、聖気に当てられて死んだ。
《半永久的に》なんて、そんなことはないのだ。
ヘレナはグスタフの死因を知らない。
だから、今いった言葉は、純粋な魔法好きの評価なのだろう。
ディアナは、そうですね、といって微笑み、それから、何気ない質問を装って、ヘレナに尋ねた。
「もし、これと同じライターが故障して、聖気が発生した、っていったら、どういう故障ですか?」
ヘレナは、そうねえ、と頬に手を当てて考えた。
「さっき見た通り、このライター、真ん中の金属板に音符が描かれているでしょう。そうすると、なにかのはずみで、金属板同士の距離が0になったとしても、聖気が発生するってことは、ないと思うわ」
どうして、と聞こうと思って、先週聞いた話を思い出す。
なにも音符が描きこまれていない五線譜に、ただト音記号を書き込んだだけだと聖気が発生し続けるだけになってしまうため、かならずト音記号は最後の仕上げに書くと教わった。
同じ平面上に要素がなくとも魔法陣として認められるなら、ト音記号の書かれた金属板と五線譜の書かれた金属板だけをくっつけたら聖気が発生し続けることになる。
しかし、このライターは、真ん中に音符の書かれた金属板が入っているのだ。
ヘレナの言う通り、何かのはずみで板同士がくっついたとしても、三枚すべてくっついて発火するか、音符と五線譜の組み合わせか、音符とト音記号の組み合わせかでくっついて何も起こらない、のどちらかである。
故障して、聖気が発生するということは、考えづらい。
「初期不良ではないとすると、あとは人為的な工作ね。
例えば、意図的に音符の面をやすりで削って、まっさらな状態にしてしまえば、聖気が発生し続けることになるわ」
ヘレナは、一応思いついたから言ってみた、という風につぶやく。
ディアナはそれを、ふーんと相槌を打って聞き流した。グスタフのライターに誰がそんなことをするというのだろうか。
おそらく、ヘレナが知らないだけで、なにかしら自然な故障の仕方があるのだろう。
ディアナはそう考えて、ありがとうございます、と微笑んだ。




