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月曜日の夜と火曜日の授業

 その日の夜、リビングのソファでディアナは習った文字の復習をしていた。


 ディアナ・コジェニーはこういうスペル、ノヴァークはこれ、グスタフはたしかこう、と思い出しながらノートに書いて文字表と見比べて、そういうことだったのね、と感動する。


 そして、よく考えたら《ペトラーチェク》のスペルを知らないことに気が付いた。


「旦那様、あの」


 ディアナの隣に座って本を読むフィリプに声をかけると、ん?と顔を上げてくれる。


「どうしたの?」


 ディアナはノートに書いた自分の名前を示してみせる。


「ペトラーチェクのスペルがわからなくて。教えていただけませんか?」


 ああ、とフィリプは頷いて、ディアナからペンを受け取ってノートにさらさらと書きつける。


「これで《ペトラーチェク》」


 ディアナは、ノートに書かれた文字列と文字表を見比べて、納得した。

 確かに、《ペトラーチェク》と読める。


「ついでに、《フィリプ》はこう書く」


 続けて書かれた文字列も文字表と見比べると、確かに《フィリプ》と読めた。


「ありがとうございます、旦那様」


 ディアナは、読書の邪魔をしすぎちゃ悪いわ、と思ってノートとペンを引き上げようとしたが、フィリプの視線がノートのある一点に注がれているのに気づいた。


「あの、旦那様?」


 声をかけると、フィリプははっと我に返ったように顔を上げて、微笑んだ。


「なあに?」


「いえ…。なにか、ミスがありましたか?」


 ディアナは、言いながらノートを見て、ミスはないわよね、と確認する。


 それから、ふと、フィリプの視線は、《グスタフ》の名前のあたりに注がれていたのだということに気づいた。



 失敗した。

 いくらこの結婚が愛のない結婚だとしても、前の夫の存在をにおわせるなんてちょっと嫌な女だわ。



 ディアナは、文字を覚えるの難しいです、と言って誤魔化しながら、ノートを閉じた。


「……ごめんね」


 フィリプは、眉尻を下げて笑っていった。


 別に旦那様が謝ることは何もないのに。

 ディアナはそう思って、きょとんと首を傾げたが、彼女が何かいうよりも早くフィリプは読んでいた本を持って立ち上がった。


「授業が楽しそうで何より。手紙、楽しみにしてるからね」


 そう言ってフィリプは、2階に上がっていった。


 なんだかわからないけれど、ディアナはフィリプの気分をどうやら害してしまったらしい。

 いずれにしろ、グスタフのことを持ち出すのはやめておいた方がよさそうね。


 ディアナは、ノートに書いた《グスタフ》の名前の上に、二重線を引こうとして、やめた。


―――――――――――――――――


「ディアナさん、計算は得意なのね」


 翌日の午前中の授業を終えると、ヘレナは感心したようにそう呟いた。


 ディアナは、ちょっと恐縮して身を縮こまらせる。


 昨日の復習を終えたあと、ヘレナは数字と計算の授業に移行したが、ディアナにとっては、文字よりもずっと簡単だった。


「数字は覚えていたし、四則演算は日常生活でなんとなく教わっていたので…。得意というわけではないですけれど」


 《四則演算》という言葉は初めて知ったが、足し算、引き算、掛け算、割り算は、両親やグスタフに教えられていたためにできた。

 頭の中でやっていたことを、新しく知った記号に当てはめて紙に書くだけだったために、それほど難しくない。

 問題は4桁や5桁の数字は扱い慣れていないため、その点は習わないとできないことだった。


「でも、まあ、基本がわかっているから、大きい桁の数字も慣れればできるようになるわ」


 サシャの用意したサンドイッチを食べながらヘレナは言った。


「あとは、そうねえ、百分率が分かる方が日常生活には役立つわね。百分率はわかるかしら?」


 ヘレナの問いにディアナは首を横に振る。


「ええっと、こういう記号、見たことある?」


 ヘレナは、ノートに《%》と書く。ディアナは、ちょっと考えてから頷いた。


「見たことはあるけれど、意味はよく…」


 ヘレナは、うん、うん、と大きく頷いた。


「それなら、次計算の授業をするときは、百分率をやりましょうね。

 それにしても、3桁の計算まで今まで暗算でやっていたなんて驚いたわ」


 ヘレナは授業中からそう言ってディアナをほめてくれるが、ディアナはこれがなかなかピンとこない。


 そういうものだと思っていたため、文字として書く方が煩わしく、暗算のほうが断然楽だ。それをすごいと褒められても、ディアナはなんだか狐につままれたような気分だった。


「ありがとうございます…?」


 つい疑問形になってしまったものの、ディアナはヘレナの厚意を受け入れてお礼を言う。


 ヘレナは、ふんわり微笑んで、サンドイッチを食べあげた。


「それじゃ、予定より早いけれど、午後は魔法の授業にしましょうか。ディアナさんがこんなに計算ができると思っていなかったから、本当は明日やるつもりだったのだけれど、ね」


 ヘレナの茶目っ気たっぷりのウインク。初老といって差し支えない年齢だろうに、そうしたしぐさはディアナと同年代かと思えるほどヘレナを若々しく見せた。


 ディアナは、《魔法の授業》という言葉に気分が上がって身を乗り出すようにして頷く。


「ぜひ!」


 2人のいるディアナの居室の窓の外では、秋の訪れを告げるような静かな雨が降り続いていた。





「先週お会いした時に、魔法陣についてお話したのは覚えているかしら?」


 昼食を終え、ヘレナは穏やかにそう言って微笑む。


「はい。ええっと、五線譜に、音符とかト音記号とか、書いて魔法陣にするんですよね?」


 ヘレナは、ウインクをして、人差し指と親指で丸を作る。


「そうそう。さすがディアナさん、よく覚えていたわね」


 ヘレナはこうして大したことでもないことで、よくほめてくれる。そのたびにディアナは恐縮して身を縮こまらせるが、悪い気はしなくて、ちょっとはにかむのだ。


「ディアナさん、マジックツールはよく使う?」


 ヘレナの問いに、ディアナは頷いた。


「はい。あ、でも、工房でよく使っていただけで…」


「あら、もしかしてキッチン周り?」


 ヘレナの目が輝いた。


「はい。あの、食糧庫とか、ケトルとか、オーブンとか、義理の父が結婚祝いにみんなマジックツールにしてくれたんです」


 便利だった、マジックツールでいっぱいのキッチン。

 ディアナは、もうマジックツールのないキッチンでは料理はできないな、と改めて思って、苦笑した。


「まあ、そうなのね!便利よね、便利よね!かまどもマジックツールだった?」


「はい!キッチン周りは一通りマジックツールにしてもらったんです」


「最高の結婚祝いじゃない!いいお義父(とう)さんなのね」


「そうなんです!もう、マジックツールのないキッチンは考えられなくって!」


「わかるー!かまどの火加減の調整の仕方なんか、もうすっかり忘れちゃったもの!」


 ディアナとヘレナは、キッチン用品のマジックツールがいかに便利で、いかに主婦の生活を助けるかを小一時間ほど語り合って盛り上がった。


「この家のキッチンもマジックツールでいっぱいでしょう?

 魔法陣が見られるものがあるか、今から見に行きましょうか。今の時間ならまだお夕食づくりの邪魔にもならないでしょうし」


 小一時間ほど語り合ったのち、ヘレナはそう提案した。

 ディアナは、頷いてペンとノートを持って立ち上がる。


 2階のディアナの居室から1階に下りると、サシャは応接室を掃除していた。《キッチン、拝見するわね》とヘレナが声をかけると、サシャはいぶかし気な顔をしつつ、《承知いたしました》と頷いた。


 ヘレナとディアナはキッチンで魔法陣が見えるものを探し回った。


 食糧庫も、オーブンも、かまども、マジックツールであることは確かだが、デザインをよくするためか、魔法陣は見えないようになっている。

 工房のキッチンに会ったマジックツールは、ここにあるものより多少安価だったのだろう。魔法陣が露出していたものも多かった。


「さすがね、フィリプさん。いいものをそろえたみたいね」


 ヘレナは、ちょっと苦々し気にそう言って友人を称えた。


 ああ、そういえば。


「あの、夫の、前の夫の、ライターが確か、魔法陣が見える構造です。部屋に戻ればすぐに取り出せます」


 グスタフの愛用品だったライターとパイプは、宝箱に入れて持ってきていた。

 居室にあるチェストの中に宝箱ごとしまっている。


 魔法陣をみるのが目的なのだから、別にキッチン用品にこだわらないはず。

 ディアナがそう考えて提案すると、ヘレナはちょっとほっとしたように大きく頷いた。


「そうね、それなら悪いけれど、ライターを拝見しましょう」


 キッチンまで来て、結局なにも収穫はなく、ディアナとヘレナはディアナの居室に戻った。

ストックを作るので、投稿をお休みします。

来週の日曜日11月7日から再開できるよう頑張ります。

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