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引っ越し準備

「結婚はいつするんですか」


不機嫌そうに問うたのは見習い3人のなかでは年長のヴィートだった。

夕食を終えて片付けをしているときのことである。その質問を受けてディアナは初めて、はて?と首を傾げた。


「いつかしらね。考えてみれば、一月後に、ああ、もう半月後くらいだけれど、迎えにいくと言われただけだわ」


「半月後!?それじゃ、ディアナさん、あと半月でここを出ていくってことですか!?」


シモンの悲鳴のような声にディアナは苦笑しながらうなずく。


「そうね、寂しいけれど。ああ、でも、ペトラーチェク様がそのときに新しい経営者を連れてくるっておっしゃっていたわ。きっと忙しくなるから、みんなは寂しがっている暇はないわね」


見習いたちはそのあともディアナの再婚の非難を続けたが、ディアナは変わらず受け流し続けた。

きっと新しく経営者が来て仕事が忙しくなり始めれば、ディアナがいなくなった寂しさは薄れていく。それまではいくらでも非難を受けようとディアナは決めていた。

 実際、その後半月の間に職人たちも見習いたちも、少しずつディアナの再婚について非難することが減り、しぶしぶではあるものの祝福してくれるようになっていったのだった。


 

ディアナは、近所の住人たちには、夫が亡くなったことを機に工房をでることにした、と再婚については濁して挨拶をした。

きっと後日職人や見習いたちから再婚については聞くだろうから、軽蔑するなら自分がいなくなってからにしてほしい、とディアナは考えた。

ずるくてごめんなさい、とディアナは胸中で謝罪しながら別れの挨拶をしたのだった。

 新しい経営者が来たらよろしくお願いします、と伝えると、近所のおばさん方は涙を流しながら寂しがったし、おじさん方は寂しいのを押し隠した難しい表情をして引き留めた。

 幼いころから工房で過ごし、そのまま工房長の妻になったディアナを近所の人々はわが子のようにかわいがってきたので、彼女の行く末を純粋に案じていた。

 それでもディアナは、ごめんなさいと笑って、今までありがとうと目頭を熱くした。

 子どもの少ない工房街でかわいがってもらった記憶がよみがえって、本当のことを言わない自分のずるさに息が苦しくなる。それでも、ディアナは職人たちに伝えてから一週間以内には近所に挨拶に回ったのだった。


 フィリプから連絡が来たのはちょうどディアナが近所への挨拶を終えた日のことだった。電報である。ディアナは文字が読めないので、受け取った電報をクリシュトフに読んでもらった。


「約束通り、一週間後に迎えに来るとありますね。新しい経営者も連れてくると。ディアナさんの荷物は迎えに来た次の日に家の者にとりに行かせるから、ディアナさんは必要最低限だけ持ってくれば良いとあります」


 クリシュトフは不服そうではあるもののそう読み上げた。ディアナは、ありがとうと返す。


「俺、別にペトラーチェク様のこと嫌いじゃありませんでしたけど、ちょっと嫌いになりました。ディアナさんはここに必要なひとなのに強引にかっさらっていく」


 それだけ言うとクリシュトフはディアナの反応を待たずに作業場に戻っていった。

 ディアナは少しため息を吐きながら彼を見送って自室に戻り、荷造りをする。

 とはいっても、それほど荷物が多いわけではない。普段着と部屋着が3着ずつと、喪服と一張羅が一着ずつと、下着と、両親の写真などを入れた両手に乗る大きさの宝物箱と、グスタフの遺品。生活に必要な食器類やグスタフの仕事道具などは次の経営者のために置いていく。

 

 遺品と言ってもあまりものを持たない主義だったグスタフのものもほとんどない。普段は作業着で過ごしていたし、一張羅は葬儀の際に着せたものだけ。本棚の本を持って行ってもディアナには読めないし、次の経営者の事業のヒントになるかもしれない。

 それに、グスタフのものをたくさんフィリプの家に持っていくのは、さすがに忍びない。恋愛結婚というわけではないものの、フィリプのおかげで生活できることになるのだ。そういう配慮は必要だろう。


 そう考えて、厳選に厳選を重ねた結果、持っていくのはグスタフが愛用していたパイプとライターだけにした。

 グスタフは成人して以降、よくパイプで煙草を吸っていた。においが嫌いだから吸わないで、とディアナは嫌ったけれど。成人した誕生日にグスタフが自分でライターとパイプを買ってきて、それ以降ずっとそれらを使っていたのをディアナは覚えている。

 持って行っても吸うわけじゃないからパイプクリーナーは置いていこうとディアナは決めた。皮肉なものだなとディアナはひとり苦笑した。

 パイプもライターもディアナが幼少期から大切なものを入れるのに使っている宝物箱に入るサイズだから、なお良い。

 そう思って、グスタフの使っていた事務室の机からパイプとライターを取り出して、ふと、おかしいことに気が付く。


 ラダイアの警察署で、事故の証拠品としてライターを見せられた。

 グスタフのものかどうか聞かれ、《夫が使っているものと同じものだと思います》と答えた。それから、証拠品だから、とライターは返却されなかった。

 先日《ペトラーチェク商事》を訪ねる前に事務室を物色したときにも確かにライターはここにあった。警察から返還されて、それをディアナが自分でここにしまいなおしたというのを忘れている、ということはさすがにないはずだ。

 先日の時点では、まだ警察に行ってから2日しか経っていなかったのだから、いくら忙しかろうとそのような行動をすれば忘れない。


 グスタフが成人して以降愛用していたライターは、ラダイアの警察署にあるはずなのに、ここにも同じものがある。これはいったいなんだろう?


 ディアナは少し考えて、答えを見つけてひとり小さく笑った。

 ディアナが知らないうちに、グスタフが同じものを購入して使っていたのだろう。いくら幼馴染で夫婦でも知らないことはたくさんある。


 夫の事故で女探偵ごっこをするのは不謹慎だったわ、とディアナは反省しながら、荷造りを進めた。

 グスタフの葬儀から半月ほどのうちに、ディアナは夫のいない生活に慣れ始めていた。どうしてこうも悲しくならないのか、自分でも不思議で自己嫌悪すらしていた。

 

 《ふしだらで薄情な女》と思われるのがいや、と思っていたけれど、それは否めない。夫が死んでも涙一筋すら流さずに、夫の死後ひと月で、借金のために再婚を決める女なのだ。

 それでもディアナは死んだ夫の愛用品を宝物箱に入れて、トランク一つ分の荷造りを終えた。

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