再婚を報告しよう
あっという間にひと月が過ぎた。
ひと月前、ディアナはあまりの急展開に半ば呆然としながら帰宅した。
《時計工房 ノヴァーク》の習慣で、夕食時に報告することがある場合には報告をする。夕食を作り、職人たちとともに食卓を囲みながら、《ペトラーチェク商事》でのことを報告した。
「実は、今日《ペトラーチェク商事》に行ってきたの。それで、工房の存続についてみんなに聞きたいことがあるの」
ディアナの投げかけに、みんな首を傾げた。《聞きたいこともなにも、存続は無理だろうと今朝話したじゃないか》と。
「副社長の、フィリプ様とお話ししてきたのだけれど、外の人を呼んで、経営だけお願いして工房を存続させるっていう手段もあるって言われてきたの。技術者じゃないから時計を実際に作ることは難しいけど、経営に専念してくれるひとがいたら今残っている職人だけで存続できるんじゃないかって。私は良い考えだと思う。みんなはどう思うかききたい。この工房を存続できるとしたら、残ってくれる…?」
ディアナは、我ながらずるい聞き方だわ、と内心辟易した。残る、と答えざるをえないような問い方をしてしまった。
けれども、クリシュトフもヴラディーミルも、見習いたちも一様に顔を輝かせて頷いた。
「そりゃ、存続できるならもちろん残りますよ。《ノヴァーク》の技術は残すべきだ。そう言うってことは、《ペトラーチェク商事》の副社長が、なんか、こう、いい具合の人を紹介とかしてくれるってことですよね?」
クリシュトフの問いにディアナは頷く。
「みんなが賛成してくれるなら、ペトラーチェク様にそう連絡します」
内心で、ディアナは、グスタフに報告する。なんとか工房を続けられそうだわ。
その晩、ディアナはもう一件の決まったこと、つまりディアナの再婚については工房の面々に報告できなかった。グスタフの葬儀を前日に終えたばかりであるのに、もう再婚を決めるなんて、いくら法や神が許しても、薄情に思われる。
実際のところ、ディアナが再婚を決めたのはグスタフの借金のせいだが、ディアナは夫を立てるタイプの女だったために、いくらグスタフがもういないとはいえ、《グスタフが多額の借金をしていたせいで再婚せざるを得なくなった》とは、夫の部下たちには言えなかったし、言いたくもなかった。かといって、薄情でふしだらな女だと思われる覚悟もその晩にはまだきまっていなかったのである。
結局、ディアナが自身の再婚について工房の面々に打ち明けたのは、半月が過ぎたころだった。
―――――――――――――――
一方、フィリプはこのひと月でやるべきことに迅速にとりかかった。
ディアナがフィリプに会いに行ってから3日目の午後には、弁護士と税理士がやってきた。
弁護士は恰幅も愛想も良い紳士でポランスキーと名乗り、税理士はのっぽで顔色の悪さが目を引くものの、礼儀正しい穏やかな紳士でイエニークと名乗った。
工房の面々は、当初ふたりに対して非常にそっけない態度を取っていたものの、彼らが2週間工房で仕事をしているうちに、ずいぶんと打ち解けた。夕食や昼食を共にすることが多かったのも、職人たちにとってはよかったのだろう。ふたりが工房での仕事を終え、翌日からはもう来ないと言ったときには、一番年若の見習いであるシモンが泣いて見送ったほどだった。とにもかくにも、プロの手が入ったおかげで、銀行や取引先や役所とのやりとりが非常にスムーズになった。ディアナと職人たちだけでは右往左往して終わっていただろう。
ふたりと入れ違いになるようなタイミングで、フィリプ・ペトラーチェク本人が工房にやってきた。月曜日の午前中である。なんの連絡も入れずにやってきて、さわやかに笑った。
「急におしかけてすみません、時間ができたものですから」
彼が工房にやってきた時点で、ディアナは未だ工房の面々に自分の再婚について話をしていなかったため、非常に焦った。
軽く謝るフィリプに、まったくよ!と内心悪態をつくほど焦っていた。
職人たちに《ふしだらで薄情な女》だと思われるのも、フィリプに《自分との結婚を隠したいのか?》と疑われるのも、どちらもできる限り避けたい事態である。避けたいあまりに先延ばしにしすぎた。実際に彼が工房に来てから、先延ばしにしたことを悔やんでももう遅かった。
どう取り繕おうかディアナが必死に考えるのを横目に、職人たちの前で、フィリプは、
「ディアナさん、急で申し訳ありませんが、ご両親と、それからグスタフさんにご挨拶をしたくて。一緒にきてもらえますか」
とにこやかに言ったのだった。
これまでは《奥さん》と呼んでいたのを職人たちも知っている。それが《ディアナさん》と呼ぶようになっているし、《グスタフだけならまだしもなぜ両親にまで挨拶を、それにディアナも伴って?》という職人たちの疑問がディアナには手に取るように伝わってきた。
ディアナは、ごめんみんな、あとで説明するから、と内心謝りながら、フィリプを教会管轄の墓地へ案内し、両親とグスタフの墓前で挨拶をした。両親もグスタフも、草葉の陰でさぞ驚いていることだろう。ディアナがこれほどすぐに再婚を決めるなんて。ディアナは墓前で、《お父さん、お母さん、グスタフ、ふしだらな女でごめんなさい》と何度も謝罪した。
ディアナの胸中とは裏腹に、二人で歩いている間、フィリプは新しい経営者探しについてとか、フィリプの父である《ペトラーチェク商事》の社長にいかにしてこの結婚を認めさせたかとか、そんな話を陽気に話し続けた。工房のみんなにどう話そうかということで頭がいっぱいだったディアナにはあまりフィリプの話は聞こえていなかったが、彼は工房にはもどらずそのまま帰宅していった。
《時計工房 ノヴァーク》の習慣で、夕食時に報告することがある場合には報告をする。ディアナは、この日も習慣に従った。夕食を食べながら、再婚を報告したのである。
「報告が遅くなって申し訳ないのだけれど、実は、私、フィリプ・ペトラーチェク様と、再婚することにしました」
《ふしだらで薄情な女》という謗りは潔く受けることを決めていた。事実を述べて、その理由の説明をしないことにしたのである。
職人2人は昼間のフィリプの様子から察していたようで、眉を顰めはしたものの、そうですか、と頷いた。見習いたち3人は、なぜ、どうして、とディアナを責め立てる。
「まだグスタフさんが亡くなって半月しか経っていないのに、どうしてもう再婚なんて決めているんですか!?」
「《ペトラーチェク商事》の人ですもんね。金持ちだから、結婚するんですか?」
「こんなこと言いたくないですけど、金のために結婚するなんて、ディアナさんがそんなひとだと思わなかった」
ヴィートもアーモスもシモンも、まだ10代前半から半ばだ。少し年の離れた姉のような存在のディアナに突然裏切られたような心持なのだろう。
ディアナは、彼らの非難を、そうね、ごめんなさい、と流し、夕食を続ける。実際、彼らが思うような形ではなくとも、金のための結婚なのは事実だし、謗られることよりも夫の借金について彼らに話すことの方をディアナの矜持が許さなかった。
その日の夕食は、パンとチーズと、野菜のスープだった。見習いたちはしばらく騒いでいたが、ディアナがなにも言わないのを受けて各々受け止めたようで、鼻をすすりながらスープをすすっていた。そんななか、自分で作った夕食を食べながら、ディアナは塩が少なかったかしら、と思っていた。
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