ディアナの答え
「僕の母のような可哀そうな女性を増やすのは忍びない。けれども、僕は結婚しなくてはならない。だからといって、結婚したいわけでも、結婚したい女性がいるわけでもないんです。
そこで、ディアナさん。あなたのように、僕に恋焦がれることはないし、夫に愛されたこともある結婚経験のある女性がいいんです。
ディアナさんは、僕にとって結婚相手として理想的な女性なんです」
最後の一言だけ聞けば、夢想家のディアナにしてみればうっとりするようなプロポーズだが、その前にほとんど、《あなたのことは愛さない》と宣言されているようなものである。
フィリプをまったく恋愛対象として見ていないディアナは複雑な気持ちになることもないけれど、だからといってすぐさま答えを出せるわけでもなく眉を寄せてフィリプの出方をうかがう。
フィリプは、そんなディアナの様子を見て、追い打ちをかけるようにさらに条件を提示してきた。
「もちろん、僕と結婚してくださるのであれば、衣食住には一生困らせません。母のように、極度に虐げることもありません。
ただ、《ペトラーチェク商事》の副社長、ゆくゆくは社長の妻としての社交はある程度求めると思います。でも、ディアナさんはそうした社交、慣れていらっしゃらないだけでお嫌いではないでしょう?」
実際、社交は嫌いではない。
しかし、《時計工房 ノヴァーク》の工房長の妻として求められる社交のレベルと《ペトラーチェク商事》の副社長の妻としてのそれではまるで違うことは想像がたやすい。
嫌いではないと言っても、できるわけでもないために、ディアナは曖昧にうなずいた。
「ね、ディアナさん、そう悪い話ではないでしょう? あなたは借金がチャラになるし、生活の心配の必要がなくなる。僕は、結婚できる。お互いいい話だと思うんです」
フィリプは、そういいながらすっかり冷めた紅茶を飲む。ディアナは、《結婚》の話を持ち出されてから停止していた思考を、ついに放棄した。
「そうですね、ペトラーチェク様。ありがたいお話ですから、一度持ち帰って、考えさせていただけますか」
ディアナの語尾にかぶせるようにフィリプは再び口を開く。
「先ほども言いましたが、この場でお返事がいただきたい。今日中に、ある女性にお見合いをお受けするかどうか、お返事を出さなければいけないんです。あなたが頷いてくだされば、僕はその女性に断りの連絡を入れる」
さりげなく、今日の天気の話でもするかのように言うフィリプ。
そんなの聞いていない。この場で答えをださなきゃいけないなんて!
「いかがです、ディアナさん。あなたにこの額の借金を返せますか?」
混乱するディアナに、フィリプは契約書の数字を示しながら微笑んだ。返せるわけがない。娼婦にでもならない限り無理だろう。仮に娼婦になっても、返せるのかどうかわからない。それでも、お金のために、夫を亡くしてすぐ結婚を決めるなんて、娼婦とそう変わらないのではないか?
ディアナは唇を噛んで考える。
―――――――――――――――
「…承知いたしました」
ディアナは返事をした。大きな決断のせいか、沈黙が長かったせいか、声がかすれている。
彼女の返事を受け、フィリプは一瞬顔を輝かせるが、すぐに落ち着き払ったほほえみを浮かべた。
「それじゃあ、僕と結婚してくださると?」
ディアナは再びうなずいて、頭を下げる。
「ええ、結婚、受けさせてください、ペトラーチェク様」
ディアナは胸中で死んだ夫に対して謝罪を重ねるが、あなたのせいでこうなったのにどうして私が謝っているのかしらという気持ちもまた、天国のグスタフにぶつける。
フィリプは安堵のため息を吐いた。
「…よかった、ええ、お互いにとって、それが一番です」
そう呟きながら、テーブルに置いてあった書類を、自分の机の引き出しに入れる。そのまま彼は椅子に座ってメモを取り始めた。
「そうと決まれば忙しいな…。おそらく、グスタフさんの遺産の処理や工房の引継ぎ等で必要でしょうから、うちの顧問弁護士に頼んで弁護士を一人そちらに派遣しますね。税理士も必要か。それから、ああ、父に結婚を決めた報告をしないとな…。お見合いも断らないと。ディアナさんのご両親に挨拶、墓前に挨拶にいきますね。もちろん、グスタフさんの墓前にも。諸々考えて、そうだな、ひと月だ」
フィリプはどうやらやらなければならないことをリストに書き上げているらしい。ディアナは、早口でまくしたてられるその調子についていけず、ただ、はあ、と頷いた。
彼女のその様子をみて、フィリプは苦笑する。
「一か月後にはお迎えに上がりますから、それまで少しお待ちください、僕のディアナさん」
殿上人の一人称がいつの間にか《私》から《僕》に変化していたことに、ディアナはようやく気が付いた。
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