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グスタフ・ノヴァークの葬儀

 グスタフ・ノヴァークが死んだ。


 検死を行った医師によると、聖気(しょうき)に魅了されてしまったのだという。

 

 警察は、彼の遺体のそばに壊れたマジックツールのライターがあったことから、マジックツールの不具合による事故だろうと結論づけた。


 彼の葬儀は国教会式に行われた。グスタフが死んだ翌々日の、木曜日である。

 グスタフの死とその葬儀の日程や場所は新聞にも載った。

 

 王都で一、二を争う評判の《時計工房 ノヴァーク》の若き長、グスタフ・ノヴァークの死を惜しむ者が数十名、王都郊外の小さな教会での葬儀に参列した。

 

 葬儀を取り仕切った司祭はグスタフを「善き同胞だった」と紹介した。

 敬虔な信徒だったわけではないが、善良だった人間を見送るにはうってつけの表現だ。司祭は、彼のために祈祷し、それから参列者のために祈祷した。

 

 伝統的な国教会式に則った葬儀の流れで、伝統を重んじる紳士や淑女も大満足の葬儀である。


 彼の妻ディアナ・ノヴァークは、祈りのあと真っ先にグスタフの遺体の周りに花を数輪並べて、彼のほほに触れて別れを告げた。

 

 月曜日の朝、出かけて行ったグスタフが、棺のなかで永遠の眠りについている姿を、ディアナはどこか現実感がないと感じていた。

 

 聖気しょうきに魅了されて死んだ人間は、死んでもなお生きているかのように体が温かく、血のめぐっているかのような顔色をしている。それがなおさらディアナに現実感のなさを抱かせていた。

 

 子どものころ、グスタフが自分を驚かすために死んだふりをしたときを思い出し、ディアナは少し笑みを浮かべてしまうほどだった。それでもディアナは、一応夫に別れを告げる。

 

 参列者は、24歳にして未亡人となってしまったディアナが夫に微笑みながら別れを告げるさまを見て、無理をしているのだろうと考え、胸を痛めた。


 ロマンティックな参列者は、きっと最後くらいは笑顔で見送りたいと思って、無理に微笑んでいるに違いないと妄想し、人一倍胸を痛めて、ハンカチで涙をぬぐった。


 ディアナのお別れが終わると、次は近しいものから順に棺に花を入れていく。

 ディアナは参列者が棺に花を入れながら彼女の夫に最後のお別れをするのを棺の横に立って見守っていた。


 お別れを終えた参列者は、ディアナと一言、二言交わし、哀悼の意を示してから席に戻った。

 グスタフの仕事仲間、幼いころからの友人、近所のひとびと、親戚……。

 

 新聞に載ったことで、グスタフと親しかったというほどでもない人間が多数参列しており、ディアナは彼もしくは彼女からも挨拶を受けた。

 

 工房の時計を一度だけ購入したことがあるという男爵に始まり、グスタフが24年前に産声を上げたときに彼を取り上げたという産婆や、グスタフが幼いころはノヴァーク家の近所に住んでいたという老夫婦、グスタフの母方の叔父の息子のいとこの娘の、といった親戚数人……。

 

 いずれの人も、物心ついたころからグスタフと過ごしてきたディアナですら会ったことも聞いたこともない人たちだったため、彼女は多少面食らった。


 なかでも最もディアナが驚いたのは、フィリプ・ペトラーチェクが参列していたことである。

 栗色の猫毛で、中肉中背より少し小柄な若い男性は、棺に花を入れてディアナに挨拶をするまで、彼女の視界に入っていなかった。


「ペトラーチェク様! まさかご参列くださっているなんて…」


 ディアナは驚きをもってそう言ってから、今までフィリプの参列に気づいていなかったと自白したようなものだと気づく。

 さすがに、幾度も会ったことのある彼に対してそれは失礼すぎるだろうとディアナは自責の念に駆られた。


「いえ、グスタフさんには、大変お世話になりましたから。当然です。父も来たいと申していたのですが、何しろ急なことで、海外から戻れず…」


 フィリプがディアナの失言に気づいたのかどうかは定かではないが、それについては触れなかった。

 ディアナは幾分かほっとしながら、首を横に振って見せる。


「お気持ちだけでもありがたい限りです」


 時計工房とやり取りがあるとはいえ、フィリプ・ペトラーチェクは王国最大の総合商社《ペトラーチェク商事》の御曹司で現副社長である。

 ディアナが、彼の参列に驚くのも無理はない。


「グスタフさんは、いつも、穏やかで、誠実な方でした…。もう、お会いできないことが、残念でなりません」


 ディアナには、フィリプが非常に言葉を選んだ表現をしたことが感じ取れた。グスタフを評するのに《穏やかで誠実》というのは嘘ではない。

 

 しかし、まず間違いなく、もっとも適切な表現は《無口で不愛想、ついでに頑固》だろう、とディアナは思っている。

 

 それでも、ディアナは相手の親切をないがしろにするタイプではないので、本音を隠して微笑んだ。


「そう言っていただけると、私としても救われます」


 フィリプは一度唇を引き結んでから、神を表す三角形の形に手を組んで礼をする。


「グスタフさんが神の御許で安らかに過ごせますよう、お祈りいたします」


 ディアナもまた同様に手を組んで返した。


「ありがとうございます。夫も、神の息吹のなかでペトラーチェク様に大変感謝していると思います」


 定型文で返し、ディアナは顔を上げる。幾度か会ったことがあるとはいえ、そう親しいわけでもないフィリプがこれ以上なにかを言うこともないだろう。

 

 しかし、フィリプは席に戻るでもなく、唇をかんだ。ディアナはどうなさったのかしらと思いながら、小首をかしげてフィリプの次の動作を待つ。


「あの、ディアナさん」


 今までフィリプには《奥さん》と呼ばれていたものだから、少なからずディアナは驚いた。それでも、ええ、と続きを促す。


「なにか、お困りのことがありましたら、いつでもご連絡ください。ペトラーチェク商事の受付で私に用があると言っていただければ対応するよう申し付けておきますので」


 フィリプは早口でそれだけ言うと、ディアナの反応を待たずに軽く礼をして席に戻っていった。

 

 ディアナは、仮にそれが社交辞令だとしても、いや、《ペトラーチェク商事》の副社長がただの工房長の妻にそこまで親切にするわけはないから、十中八九社交辞令だろうと思いつつも、それでもありがたいと感じた。


 お礼を伝えようにも、すでにフィリプは席に戻っていたし、ディアナの前では次の参列者が三角形に手を組んでいる。

 

 ディアナはその参列者の挨拶を受けている間に、《ペトラーチェク商事》の副社長が言った社交辞令のことは忘れかけたし、その次の参列者の挨拶を受けている間にはさっぱり忘れた。


 数十名の参列者が全員故人との別れを終えると、司祭はもう一度彼のために祈りをささげ、葬儀の礼拝を締めくくった。数十名の参列者は帰途に就く。


 このあとは、故人と特に親しかった人間のための時間だ。

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