第1話 おはようございます
プロローグを見て頂きありがとうございました。ご覧の通り更新はゆっくりですので、次話まで気長に待っていただけると嬉しいです。それでは第一話をどうぞ。
―――ギギギギィイ!
「よいしょっと……ふう」
表のシャッターを両手で持ち上げて一息。何度か開け閉めを繰り返してるけど、この軋む音と重さはまだ慣れない。少し錆び付いてる部分もあるだろうけど、これはこれで悪い気分にはならない、むしろ『これからがんばるぞ!』みたいな気分にしてくれる。
開店まで後一週間となった僕のお店は、少し時間をかけて修繕工事を行っていた。なんてったって10年近くは放置していたから、至る所が傷んでしまっていてそのままでは営業ができないからだ。半年前に見た店内は埃っぽくて、床板も艶が無くなって酷い状況だった。幸い機械関係は故障も無く、そのまま使っても大丈夫だろうと判断した。
修繕工事中は何度もお店に足を運び、大工さんや関係者の人に飲み物を渡したり、少しだけコストを浮かせる為に自分で作業をやったり、大変だったけど充実した時間を過ごせた。工事はゆっくり丁寧に行われ、時間をかけたおかげで今は当時の綺麗なお店に元通りだ。
「お父さん、お母さん、おじいちゃん。僕は沢山の人を笑顔にするね」
お店全体を見ながら僕は、もう声が届かない大切な人達に呟いた。僕に新しい道を与えてくれた両親、そして僕に生きる意味を教えてくれたおじいちゃんに。
※※※※※
あの日玄関の呼び鈴が鳴り、僕は両親が帰って来たと思い扉を開けた。でもそこに居たのは二人じゃなくおじいちゃんだった、その時の僕はきっと酷い表情をしていたに違いない。泣き過ぎて目は真っ赤で、腕で何度も涙をぬぐい取り、目の周りも少し腫れていた。
だからなのかわからないけど、おじいちゃんは驚いた顔をしていた。でも直ぐにおじいちゃんは僕を抱き寄せて、
―――元気でいてくれてよかった
その一言だけを僕に伝えると、しばらくおじいちゃんの胸に顔を沈めていた。少しだけ、ほんの少しだけ、お父さんの匂いがする。たったそれだけの事なのにまた涙が溢れ出てくる、きっと僕は誰かに助けて欲しかったのかもしれない、一人は寂しくて心が寒くて辛くて……
形容しがたい気持ちが僕を取り巻いていて、でもそれを払い除ける方法なんて分からなくて、気がつけばずっと泣いていた。だからおじいちゃんがこうして来てくれたのは、本当に嬉しくて救われた気分になった。
『おじいちゃん、僕は……』
『賢二くん』
気持ちが落ち着いた所で、僕はおじいちゃんに質問をしようとしたが、直ぐに優しい声でそれを制される。まだ10歳だった僕は『これからの事』なんてどうすればいいかわからない、お金だって正直無いし、ご飯もまだ卵焼き位しか作れない。
人は一人で生きてはいけない、この年齢だと尚更わかる気がした。まだまだ子供だった僕は、もう少し誰かに頼らないと生きていけない。だからこそ、おじいちゃんは僕にこう言った。
『私と一緒に暮らしましょう、賢二くんはどうですか?』
僕はちょっとだけ考えてしまう、たった10年でも幸せな時間を過した家、その場所から離れてしまうだなんて正直嫌だった、もちろんこの家にもう両親は帰って来ないけど、それでもここの匂いや温かい空間が大好きだ。
でもおじいちゃんを困らせるのはもっと……嫌だった。
『僕は……僕おじいちゃんのお家に行くよ』
一言そう告げただけなのに、おじいちゃんはすごい笑顔になって、僕の頭を優しく撫でながら、
『新しいお家に帰りましょう、賢二くん』
『うん』
こうして僕の帰るべき家は変わってしまった、寂しいし後ろ髪を引かれる気持ちになるけど、泣いてばかりいたらお父さんとお母さんに叱られる。そう、『泣いてばかりいたらゲンコツ! わかった?』ってね。
※※※※※
「ゲンコツか……あはは!」
昔の事を思い出しているとつい笑ってしまう僕、笑う事の重要さが身に染みてわかる気がする。悲しい顔をするくらいなら笑っていた方がきっといい、人は感情豊かで最も伝えやすい意思表示。僕は笑っている自分が割と好きな方だ、ポジティブになれるし活力が湧いてくる。
笑う門には福来る。そんな言葉があるんだ、それで幸せな人生が送れるなら僕はずっと笑顔でいよう、いや、居られるように努力する。このお店も僕もこれから再スタートする、不安が無い訳じゃない、それでもきっと乗り越えられる。
『賢二くん。神様は乗り越えられない試練は与えないんですよ? 何度でも挑戦しなさい、そして君にとって最高の笑顔でやり遂げなさい』
おじいちゃんはいつもそう言ってくれた、何かの壁にぶつかる度にアドバイスをくれた。感謝してもし切れない、大きな経験と力をくれたんだ。今の僕は何だってやれそうな気持ちで一杯だ、下を見ず今は前を見よう、きっと大丈夫だから。
「さて、大体の事は終わったかな。後は……」
「おはようございます」
「え、あ、おはようございます!」
自分の気持ちや覚悟を決めた時だった、不意に挨拶をされてつい僕はキョドってしまう。ここしばらくは現場関係者以外の人とは話をしていなかった、しかも知り合いでもないからちょっとビックリした。自慢じゃないけど僕はあまり友達が居た方ではない、相手が女性なら尚のこと会話に困ってしまう。
笑顔でハスキーな声をした女性は、凄くラフな格好で裸足にサンダル。僕は工事期間中この商店街を行き来していたが、一度もこの女性を見たことが無い。ただ見落としていただけか、周囲に目を向けていなかっただけなのか。
でも僕に『おはようございます』と挨拶してきた、という事は商店街に住んでいる人なのかな、それならちゃんと挨拶をしないといけない、これはこれから営業していく上で大切な事だ。
「あの僕は上城賢二と言います、来週からこのお店を開店しますので、よろしくお願いいたします!」
「おぉ……」
思わず力いっぱい頭を振り下ろす、それを見て彼女は少しだけ後ずさった。ダメだ変に緊張してしまっている……あ、そうか、ここで笑顔でもう一度言えば良いのか!
「よろしくお願いいたしますッ!!」
「ぷふッ……!」
「え?」
あれ、僕は変な事言ったかな……
彼女はお腹を抱えて爆笑。普通に挨拶しただけなんだけど、笑える要素がどこに含まれていたんだろう、わからないけどとりあえず挨拶は済ませたからいいよね?
笑い終わるのを待つこと1分。彼女は『ハァハァ、あぁおっかしい、ぷふひッ』と、息を切らしながら独り言を呟いた。正直ここまで笑われたのは人生初だ、僕には芸人の才能でもあるのかな……
「あぁ、ごめんね。あんまりにも勢いが凄くてついね」
「そ、そうですか」
「自己紹介が先だよね、私は『三日月佳音』って言うんだ、よろしくお願いいたします……ふふッ」
思い出し笑いしそうな彼女は、勢いこそ無いが真似をして深く頭を下げてきた。別に失礼な奴だな! とか思わない、多分彼女の笑いのツボが割と浅いってだけかもしれない、そう思いたいし思っておきたい。それはそうと気になる事があるから質問をしてみる。
「えーと、三日月さんは商店街に住んでるのですか?」
「ん、その通りだよ。君の……上城君の隣にある電気屋ね」
「真隣じゃないですか、全然見た事がなかったので気が付きませんでした」
どうやら彼女は、僕のお店の隣りにある電気屋さんらしい。なら一度くらいは見てもおかしくないはずだった、ここの商店街は2つの入口があり、僕はお店に近い方から通っていた、店先からおばあさんが何度か出入りしてるのは見たけど、彼女が出入りしてるのは見た事が無い。
「だってアタシは昨日の夜にここに来たからね、そりゃ出会わない筈だよ」
「あ、なるほど」
「ま、お隣同士だからよろしく頼むよ、上城君」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
それだけを告げると、彼女は手を振りながらお店の中へ入って行った、ちょっとカッコイイ。僕もこれからは商店街の仲間入りをするんだ、ちゃんと顔や名前を覚えていかないとダメだ。
「よーし、がんばるぞ!」
商店街はまだ人が少ない時間とは言え、拳を突き上げるポーズは少し恥ずかしかった。これじゃまた笑われるかな……
次回もよろしくお願いいたします。